パルスオキシメーターに怯え、PCR検査に苦労する。
混雑しているはずと勝手に思い込んでいたが、クリニックは存外空いていた。陽性者急増で野戦病院のような様相を呈しているに違いないと覚悟して行ったのに、すんなりと中に入れて拍子抜けした。
むしろ、コロナ禍前の冬期の方が混んでいた気がする。やはりピークは越えているのだろうか。それとも、感染を警戒してみんな軽い体調不良程度では来院しなくなっているのだろうか。
受付で症状を告げると、その場で血中の酸素飽和度を計測された。パルスオキシメーターを示され、「人差指を入れてください」と指示されたのだ。
パルスオキシメーターの存在は知っていたものの、どういう原理で血液の中の酸素を測れるのか、恥ずかしながら私はよく分かっていなかった。まさか針でプチッと刺されるわけではなかろうが、電気でも通されるのだろうか……怖いじゃないか。
低周波治療器ですら苦手な私は、その小さい鉛筆削りみたいな機器におっかなびっくり指を突っ込む。当然ながらプチッともビリッともならず、99という数字が表示されただけだった。科学の進歩万歳。
事前の問診票で、PCR検査、インフルエンザ検査、そしてCTスキャンを希望するかどうか問われた。迷ったが、とりあえず「医師と相談して決める」にチェック。そうか、PCRは強制じゃないものな。
発熱の症状がある患者は、待合室ではなく廊下の倚子で待つように言われる。動線は完全に分離されているようだ。
私の前に五人ほど待っている人がいた。OL風の若い女性や、お母さんに連れられた幼児、ガタイのいいお兄さんなど、いろんな人がいる。この中で何人くらいが陽性なんだろう、と他人事みたいに考えた。
そっと待合室の方を覗くと、発熱以外の患者の姿は二人だった。
診察室が三部屋ほどあるため順番はサクサクと進み、十分くらいで名前を呼ばれた。
医療用ガウン、フェイスシールド、ゴーグル、マスクで完全装備した医師は、明るくてエネルギッシュな印象だった。喉の診察と聴診の後、検査の希望を問われた。
「喉が腫れているので溶連菌の検査はしましょう。これはすぐに結果出ます。PCRと、心配だったらCTも撮れますよ」
「CTは大丈夫です。PCRはやった方がいいですかね、やっぱり」
「うーん、コロナかもしれないし、コロナじゃないかもしれませんねえ。一応やっときますか、PCR。インフルエンザ検査は……まああんまり流行ってないけど……」
「そっちは結構です」
もっと強硬にPCR検査を勧められるかと思ったが、そうでもなかった。私の熱が比較的低かったからかもしれない。
喉の粘膜を採取された後、診察室から裏通路に案内される。PCR組はここから屋外の検査所に出ていくらしく、数人の患者さんが申込書に記入していた。私は溶連菌検査の結果が出るまで十分ほど待たされた。
その間、他の患者さんがPCR検査の説明をされているのを端で聞いて、少々驚いた。
「この容器のこのラインまで唾液を採ってください。採れたらここを外して、薬の入ったこのキャップをパチッというまで入れて、よく振ってください。ゴミはこのビニール袋に入れて口を縛って……」
え? セルフサービスなの?
初期のイメージで、長い綿棒を鼻の奥に突っ込まれる「鼻咽頭検査」だと思っていたのだが、最近は唾液を用いた検査もOKになっているらしい。確かに患者自身でできるから人員コストが節約できるし、併せて感染リスクも減らせる。
しかし、と、私は他人への説明をチラチラ見ながら不安になった。
あの容器の採取ライン、ずいぶん上にないですか?
そんな大量に唾吐かないとダメなの? 急に出せるか、唾?
溶連菌検査は陰性だった。改めてPCR検査の説明を受け、キットを手渡された。結果が判明するまで三、四日かかると言われた。
いやいや、念のため長めに伝えているだけで、実際は一、二日で連絡がくるんでしょー? などと気楽に考えたのだが、この予感は悪い方向に当たることになる。
実際に手に取ると、唾液の採取容器はけっこう上げ底になっていて、そんなに深くはなかった。後で調べたところ、必要な唾液の量は二ミリリットル程度とか。ミニサイズの試験管みたいな作りで、上部が漏斗状になっている。
検査キットを持って、クリニックの外へ。
駐車場に三方幕のタープテントが設置されており、検査はその中で一人ずつ行う。一人が中に入っていて、もう一人(ガタイのいいお兄さん)がその前で順番待ちをしていた。
案の定、みなさん唾液採取に苦労している様子。なかなか進まない。数分後に女性の患者さんが容器を持って出てきて、入れ替わりに入ったお兄さんもまたしばらく籠もりきりだった。
さてようやく私の番。
当然ながら唾、出ない。全然出ない。出さなければ出さなければと考えるほど、出てこない。無意識に飲み込んじゃう。
外で次の人が待っているかもと考えると、なおさら焦る。思い切って喉の奥からカーッ、ペッと……いや待てそれは痰だ。危ない危ない。
テントにはレモンと梅干しの写真が貼ってあって、ちょっと笑ってしまった。
四苦八苦しつつ、どうにかこうにか指定量の唾液を採取する。
漏斗状になった部分を外して、試薬の入ったキャップを嵌める。何回か振って、はいおしまい。
テントを出ると待っている人はいなかった。もっとゆっくり採ればよかった。
屋内に戻ることはできなくて、看護師さんが検体を回収に来てくれるまで駐車場で待機。会計も外だった。ついでに薬も、隣接の調剤薬局から薬剤師さんが運んできてくれる。厳格な動線分離、一般の患者さんと接触しないように徹底されていた。ちなみに処方されたのは、アスベリンやトラネキサム酸など、いつも風邪の時に出される薬と同じラインナップだった。
当日はわりと気温が高かったので幸いだったが、真冬日なら、そしてもっと高熱を出していたら、吹きさらしの屋外で待たされるのは堪えたかもしれない。かといって代案はないのだけど。
実にスムーズで、まるでベルトコンベアで運ばれて行くような診察と検査だった。患者への説明やフォローにも過不足はない。コロナが上陸してからもう三年、ここまでオペレーションを効率化するまでは大変だったろうとしみじみ感じた。
喉はまだ痛かったが倦怠感は全然なく、熱っぽさも感じられなくて、まあたぶん陰性だろうなと高を括っていた。自宅待機も二、三日の辛抱だ。
検査結果は案外早くくるんじゃないかという私の予想は、当たった。
翌日の夕方、クリニックの看護師さんから「陽性」の連絡があったのだった。
口を閉じた状態でしばらく俯いていると自然と唾が溜まるそうです。先に知っておきたかった。