10 炎の道を行く
「おい、セルゲイ! 一体どういうことだっ!?」
イーゴリ・ミハイロヴィチ・ストロガノフ公爵令息は、セルゲイより3つ上の、ストロガノフ家三兄弟の次男だ。
彼はセルゲイと同様に家督を継ぐ権利がなく、得意の魔法剣を活かして元帝国軍――現アレクサンドル連邦軍で活躍していた。
彼もストロガノフ家の血を濃く引き、それは外見にも如実に現れて、セルゲイに負けず劣らずの美貌の持ち主だった。
「ちょ、ちょっとセルゲイ! どういうことよ!」
懐かしいイーゴリ公爵令息の顔をみとめるなり、私は大慌てでセルゲイを物陰に連れて行って問い質す。
「なんで、イーゴリ卿がわざわざリーズまで来ているの!? あなた、なにかしたの?」
「あぁ~……」セルゲイは顎に手を当てて首を捻ってから「きっと俺が父上に手紙を送ったからだな」
「手紙っ!?」
「なに今さら驚いてるんだよ。この前言ったじゃないか。平民になって愛する人と結婚してリーズに残るって書いて送った、って」
「あっ! そうだった……!」
私は目を白黒させて立ち尽くした。
セルゲイと話がずっと平行線で、すっかり忘れていたわ。彼はもう行動を起こした後だったのだ。
つまり、今さら抗議をしても、もう遅い!
全く……なにを勝手なことをやってるのかしら……。あれほど「良く考えて」って念を押したのに、信じられない!
セルゲイはそんな私の心の中がお見通しと言ったように、
「悪いな。既にもう話は進んでいるんだよ」
ニヤニヤと意地悪に笑った。
やっぱり! 分かっていてわざとやったんだわ!
「あのねえ――」
「セルゲイ、こちらのお嬢さんがお前の恋人か?」
「「わっ!!」」
急な襲来に心臓がドキリと音を立てる。
なんということかしら。私たちが部屋の隅で揉めている間に、イーゴリ卿は暗殺者みたいに気配を消して接近していたのだ。
そして彼は素早く私の顔を覗き込んで――、
「こっ………………………………」
真冬の氷像みたいに、カチンコチンに固まった。
◆
「まっ……まさか、畏れ多くも皇女殿下がご存命であられたとは………………」
イーゴリ卿はセルゲイのベッドの上に腰掛けて、さっきからずっとうなだれていた。
「ごめんなさい、イーゴリ公爵令息様。私は――」
「そんな、どうかこれまで通りイーゴリとお呼びください、殿下」
「い、いえ……私はもう平民ですので、そんなわけにはいきませ――」
「アレクセイのやつ! 皇女殿下はお隠れになったと虚偽の証言をしたばかりか、あまつさえ帝国一高貴なお方を平民落ちにするとはっ……!」
にわかにイーゴリ卿は気色ばんで、強く握った拳を震わせた。彼の怒りのオーラが熱を帯びて、遠くに座っている私のほうまで伝わって来る。
こ、これは……非常に、不味い。下手をすればアレクセイさんの首が飛ぶ……!
巨大な連邦国の副大統領と言えども、未だに大陸中に影響力の強いストロガノフ家にとって、代わりなどいくらでもいるような小さな存在なのだ。
ここは、私の命の恩人兼もう一人の祖国の父であるアレクセイさんを守らなければ!
「それは誤解よ、イーゴリ卿。私は自分の意思で平民になったの。それに、副大統領は地下牢に閉じ込められていた死にかけの私を救ってくれた命の恩人なの。だから……物騒なことは考えないでちょうだいね…………?」
私は皇女時代よろしく必殺・氷のような冷ややかな笑顔で公爵令息を牽制した。
「…………は、はい」
すると彼は矢庭にかしこまって、ぴんと背筋を伸ばしていた。よし、これでなんとか大丈夫そうね。
「じゃ、そういうことだから。兄上、俺は卒業したら平民になってリナと結婚するんで。貴族籍は抜いといてくれ」
にわかに、空気を読めないセルゲイが、素知らぬ顔で言い放った。
少しの間、イーゴリ卿は悪い意味で泰然自若な弟を唖然として眺めてから、
「いやいやいやいや……なに言ってんだ、お前」
「は?」
「こんな一大事、俺みたいなたかが公爵令息……しかも次男の一存で決められるわけないだろう!?」
「別にいいだろ、これくらい。父上に伝えるだけで済むんだし」
「駄目だ! お前はともかく、一人の女性の人生がかかっているんだ! ――それにだ、な」
にわかにイーゴリ卿はニカッと歯を見せて笑って、
「父上から、お前が選んだ女性と一度会いたいと伝言を受けてある」
「父上が……!?」
セルゲイは思わず顔を綻ばせた。一度面会したいという意味は、平民との結婚を頑なに反対していないということだ。
やっぱり、彼も心の中では家族から祝福されるような婚姻を結びたいのよね……。
これには私もほっと胸を撫で下ろした。
少なくとも、彼の独断で家族の気持ちを確かめ合うことのできないままバラバラになることはなさそうだ。話し合う機会が設けられて良かったわ。
私も、ストロガノフ公爵にはご挨拶をしたかったし、今後のこともしっかりと決めたい。……あ、アレクセイさんにも知らせておかなくちゃ!
こうして、私とセルゲイは、一度祖国に戻ることになったのだ。




