57 光差す道へ⑤
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「やっぱりアミィにはリーナ先生の授業がもっと必要なようだね」
「あら、そう?」
フレデリックとアメリアは公爵家の屋敷から逃げるように駆けていた。
二人の遥か後方には、王宮の騎士たちが全員伸びている。彼らが剣に手をかけた瞬間に、逆上したアメリアが光魔法を暴発させて屈強な騎士たちを一網打尽にしたのだった。
「殿下、こちらです」
急いで角を曲がるとシェフィールド家の兵士が待ち構えていた。二人は彼に導かれてお忍び用の古びた馬車へ飛び乗って一息つく。馬車は急発進で祭の会場へと走り出した。
「お兄様……」
「ん?」
「わたしが騎士たちを倒しておいてなんだけど……その……良かったの? 王命……」と、アメリアが不安げに尋ねる。
「あぁ、アミィのせいじゃないから気にしないでくれ」フレデリックは平然と答える。「もともと彼らを振り切ってリーナのところに向かうつもりだったからさ」
「でも! 王命に従わなかったら反逆罪になるって! ……お兄様が処刑されちゃうの?」
アメリアはうるうると瞳を湿らした。大好きな従兄が死んでしまうかもしれないと思うと怖くて悲しくて、酷く胸が痛んだ。
「大丈夫だよ」フレデリックは安心させるように従妹の頭を撫でる。「きっと父上も分かってくれるからさ」
たしかに今、自分が置かれている立場は危ういのかもしれない。だが、今は王命を拒否してでもやらなければいけないことがある。
フォード侯爵令嬢……あの女が全ての元凶だ。
調査の結果が正しければ、あの女の正体を暴けばこちらの勝ちだ。きっと父上もあれの魔法にやられているのだろう。だから近衛騎士たちに捕まる前に片付けなければ。
もし、あの女がリーナに手をかけていたら……そのときは全力で潰す。
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「遅いわね……」
「遅いな……」
一時間はとうに過ぎているのに全く現れる気配のないリナに、グレースとセルゲイは眉を曇らせた。
リナは約束を守る子だ。特に時間厳守は絶対で、仮に遅れる際には必ず事前に連絡をくれる。しかも彼女は一秒の狂いなく、いつも約束の時間ぴったりに現れるのだった。
おそらく皇女時代の経験からだろう。
皇女が動くと同時に周囲の何十という臣下も移動することになるので、予定変更時の影響力が大きすぎる。だから自然と時間を厳守するようになったのだろう……とセルゲイは思っていた。公爵令息の彼自身も自分の予定に合わせて執事や侍女たちの時間も動くことを理解している。ましてや帝国の皇女なんて、関わっている人間が多すぎる。
そんな彼女が約束の時間に到着しないだなんて……セルゲイは胸騒ぎがした。
「なにか事件に巻き込まれたのかしら?」
「オリヴィアと一緒だから迷うことはないとだろうし、こんなに人が多い昼間に誘拐なんて起こるはずもないと思うが……」
「でも、オリヴィアの様子がなんだか変だったわ。セルゲイも気付いたでしょう?」
「たしかにそうだが……それは単にリナとぎくしゃくしているからじゃないのか?」
「もうっ、なんで男って鈍感なのかしら! あれは絶対にいつもの彼女じゃなかったわ!」
「まぁ、不穏な感じではあったが……」
オリヴィアは思い詰めている様子ではあった。でも、それはリナと仲違いしているからなのだろう……とセルゲイは受け取っていた。
「あたし……エカチェリーナ様の手紙を燃やそうとしたとき、なんだかいつもと違う気分になったの。たしかにあの頃は帝国人の平民のことを嫌っていたわ。でも、手紙を掴んだときは、もっと……身体の内側から黒い気持ちが洪水みたいに勝手にどんどん溢れる感じだったの。さっきのオリヴィアの雰囲気もそんな風だったわ」
セルゲイは目を見開いて、
「じゃあ、今のオリヴィアもあのときの君と同じことをしでかす可能性があるってことか……?」
「ストロガノフ公爵令息!」
「セルゲイ!」
そのとき、フレデリックとアメリアが彼らのもとに息せき切ってやって来た。
「殿下、そんなに急いでどうされたので――」
「リーナはどこだっ!?」
フレデリックが鬼気迫る形相で叫んだ。
「…………」
セルゲイは凍り付く。
フレデリックの「リーナ」という愛称を聞いて、彼は王太子がついに皇女を見つけたのだと悟った。
刹那、目の前が真っ暗になった。
リナが今でもフレデリックのことを想っているのは彼も気付いていた。そこに自分の入り込める隙間は1ミリもないことも……。
それでも、リナのことが好きだった。
リーズで再会した当初は一臣下として皇女を支えていこうと決意したが、平民になった彼女は挫けることなく前向きに頑張っていて、令嬢たちの嫌がらせも軽く受け流すような強い子で、いつも明るくて自分に元気をくれて、でもたまには弱音を吐くこともあって……いつの間にかリナのことを好きになっていた。
リナは愛する人と結ばれることはない。だから、自分が彼女の悲しみを少しでも和らげてあげたかった。溢れんばかりの多くの愛情を与えて、今度こそ彼女を幸せにしてあげたかった。
だが……、
それも、もう叶わない。
リナはきっと、自分ではなくて王太子殿下と手を取り合うのだろう。
「セルゲイ!」
アメリアの言葉ではっと我に返る。彼女は困り顔でセルゲイを見上げていた。
セルゲイは軽く息を吐いて姿勢を正す。汗が出る。胸が苦しい。だが皇女のただの一臣下である自分が、皇女の恋の相手の王太子に向かって、悋気なんて見苦しい感情を起こしてはいけない。
自分は……皇家を臣従する公爵家の人間だ。
それ以上のことは、なにもない。
「ねぇ、今日はリーナお姉様と一緒じゃないの?」
「あ、あぁ……リ――皇女殿下は途中でオリヴィア・ミルズ男爵令嬢と行動されることになって、一時間後にここにいらっしゃるはずだったんだが……」
「公爵令嬢、そのときの男爵令嬢の様子がなんだかおかしかったんです! だから、なにか事件に巻き込まれたのかも! エカチェリーナ様は時間に正確な方ですから、無言で遅れるなんてあり得ない! 早く探しに行きましょう!」
同じく王太子と公爵令嬢の愛称呼びで察したグレースは、セルゲイとは反対に興奮していた。にわかに身体が火照って、覚醒したみたいに目がチカチカした。
ついに、エカチェリーナ様と王太子殿下が結ばれるときがやって来たのね! あたしが絶対にお二人の恋を成就させなくては……!
「お兄様!」
アメリアは眉根を寄せてフレデリクを見る。彼は頭を捻って、
「たしかミルズ男爵家はフォード侯爵家の派閥に入ったんだったな……リーナが危ない」
「どういうことですか!?」
セルゲイは思わず声を荒げる。まさか、王太子以外にも彼女の正体に気付いたというのだろうか。それも、敵対勢力の。
フレデリックは唸るような低い声で、
「……皇女の暗殺の可能性があるということだ」
祭の活気づいた空気を高い壁で隔つように、全員が水を打ったように静まり返った。
「な……なにそれ――」
「いたぞ! あそこだ!」
丁度そのとき、王宮の騎士たちが彼らのもとへ向かって来た。
フレデリックは舌打ちをして、
「説明はあとだ。悪いがリーナを助けるのに協力してくれないか?」
彼はアメリアの手を掴んで人混みの中へと駆け出す。
セルゲイとグレースも慌ただしく彼を追った。




