49 変化する日常
「リナ、おはよう」
「グレース、おは――どうしたの、その髪!?」
翌朝、登校前にグレースは私の部屋まで迎えに来てくれた。私は彼女のがらりと変わった姿に驚きを隠せず目を見張る。
「別に。ちょっと切っただけよ」
グレースはご自慢のきつく巻いた縦ロールの金髪をばっさりと切り落として、鎖骨くらいの長さになっていた。髪型はふんわりと緩く内側に巻いただけで、華美すぎる雰囲気から清楚で控えめな印象に様変わりしていた。
「ちょっとって……あんなに誇っていた縦ロールを捨てて良かったの?」
髪は女の命だ。そして美しく保つにはお金がかかる。
グレースの均整の取れた見事な縦ロールを維持するにはそれなりの経済力がないと不可能だろう。彼女自身もそれを誇りに思っていたようだけど……すっごく思い切ったわね。
「炎の魔法でところどころ焦げちゃったからもう切ることにしたのよ。なんだか身体が軽くなったわ」と、彼女は毛先を指でくるくるさせながら事も無げに言った。
「そう。あなたがいいなら別に構わないんだけど、あんなに綺麗だったのにちょっともったいないわね」
「リナは縦ロールのほうが好き? だったら、また伸ばすわ!」
「私はどちらのグレースも素敵だと思うわ。それぞれ違った魅力があると思う。だから、自分の心ときめくような髪型にすればいいんじゃないかしら」
「心ときめく髪型、ね……。そうね、検討してみるわ」と、彼女は柔らかく笑った。
「リナ、おは――げっ! グレース! なんだ、その可愛らしい髪型は!?」
そのとき、セルゲイがやって来た。彼もグレースの変貌に驚いたようで唖然として彼女を見ている。
「セルゲイ、遅いわよ」グレースは彼の反応なんてお構いなしに澄まし顔で言った。「そんな体たらくじゃ、リナはあたしが護衛をしたほうがいいわね。男のあんたより女のあたしのほうが自然だわ。リナに変な噂が立つと困るし」
「はぁ?」
「行きましょ、リナ」と、グレースは私の腕をぎゅっと両手で掴んで歩き始めた。
「ちょ、ちょっと……!」
「お前、昨日の今日で露骨すぎるだろ……」
「いいのよ、あたしたちは親友なんだから! ね、リナ?」
「え、えぇ……」
「リナ、友達は選べ!」
セルゲイは文句を言いながら私たちの後ろを歩いた。
私はちょっとほっとした。昨日あんなことがあって、今日は彼にどんな顔をして会えばいいか分からなかったのだ。
どうしても抱きしめられた瞬間を意識してしまう。だからグレースが緩衝材になってくれて正直助かった。彼女を挟んで普段通りに彼と会話ができて、とりあえず一安心した。
このまま普通に、普通に……。
グレースの縦ロールが消えたことは瞬く間に学園中の噂になった。
皆、興味津々で彼女を見に来る。そしたら今まで散々嫌がらせをしていた平民と仲良く過ごしているので、二重の意味で彼らを驚愕させた。
彼女は自称「リナの一番の親友」として、有難いことに私に嫌がらせをしようとする令嬢たちを悉く撃退してくれた。おかげで令嬢たちからの意地悪が今日は皆無だったわ。まぁ、誰だってグレースを相手にするのは面倒でしょうよ……。
かくして私は「あのパッション伯爵令嬢を手懐けた平民」として一目置かれることとなったのだった。なんとも言えない微妙な気分だけど、平和に学園生活を過ごせるとこはいいことだわ。
そして、一番の懸念材料……フレデリック様とは登校を再会したら否が応でもお会いすることになるので物凄く不安だったけど、それは杞憂に終わった。彼は外国への視察で一週間ばかり学園をお休みするらしい。だから、しばらく顔を合わせなくて済んで安堵した。
お見舞いに来てくださったお礼は述べないといけないとは思うけど、きっとアメリア様の家庭教師の件について言及されるだろうし……それに私は彼のことを忘れないといけないので、できればもう顔を合わせたくないと思う。
平民なんかが王子様と親しくするなんて、最初から無理な話だったんだわ。階層が違う。身分が違う。そんな二人が上手くいくはずがない。
だから、早く……早く気持ちを切り替えなきゃ。
でもそうなると、次の問題は……セルゲイだ。
彼の気持ちは本気だった。私と一緒になるために平民になるとまで言ってくれた。その言葉は純粋に嬉しかったし、孤独な私の胸を打った。
でも、自分のせいで公爵令息の人生をめちゃくちゃにするわけにはいかない。彼が平民になったらストロガノフ公爵や夫人たち家族が絶対に悲しむ。そんな不幸なこと、私は望んでいない。
「困った……」と、私は呟いた。
「なにが困ったの?」
「ひゃっ!」
ドキリとして後ろを振り返ると、オリヴィアがニコニコしながら手を振っていた。
私は胸を押さえて、
「なんだ、オリヴィアかぁ~。びっくりしたぁ~!」
彼女はくすくりと笑って、
「驚かせてごめんなさい。今日はやっとリナと話せると思って嬉しくて」
「あっ」
私はきょとんとして彼女を見た。
そうだったわ。今日は朝からずっとグレースがべったり張り付いていて、オリヴィアと会話をする機会がなかったのだ。グレースは子犬みたいに懐いてきて可愛いんだけど、行動がいちいち大袈裟なのよね……。
「ごめんなさい。今日はあなたとは挨拶しかしてなかったわね」
「もう、びっくりしたわ。昨日グレースと大喧嘩したのに、今日はとっても仲良くなっているんですもの」
「いや……まぁ……放課後いろいろあったのよ」と、私は肩をすくめた。
「でも、これでリナへの嫌がらせが減りそうで良かったわ」
「だといいんだけどね」
私たちは取り留めのない話をしながら帰途についた。入学のときから懇意にしてくれている彼女と一緒にいるのは心が落ち着いた。グレースは常に喧しいからね……。
「ねぇ、来週のお祭なんだけど――」
「あぁ、あれね! たしかグレースが行くわよって言っていたわね。初めてだから楽しみだわ」
「リナはグレースと一緒に回るの?」
「えぇ。それとセルゲイも。オリヴィアはやっぱりパーティーで一緒に踊った子爵令息と?」
「一応誘われてはいるんだけど……」
「素敵じゃない! いいなぁ~、お祭デートかぁ。羨ましいなぁ~」
「リナもセルゲイとデートでしょう?」
「セルゲイ!?」
思わず、身体がビクリと硬直した。今日はどうしても彼のことを無駄に意識してしまう……。
「どうしたの?」と、オリヴィアが首を傾げた。私はみるみる顔が火照る。
「……もしかして、セルゲイとなにかあった?」
僅かの間、目が泳いだ。
「い、いえ、なにもないわ……。そ、それじゃあ、私はこれから定食屋の仕事だから。また明日ね!」と、私は逃げるように彼女と別れた。
なんで私はセルゲイのことをこんなに気にかけているのかしら……。あのとき強く抱きしめられた感覚がにわかに蘇って、打ち消すように慌てて首を左右に振った。
◆◆◆
アレクサンドル連邦国副大統領のアレクセイ・アレクセイヴィチ・カトコフは緊張した面持ちで扉の前に立っていた。これから要人との面会が始まるのだ。
彼は諸国を外遊していた。新しい政治体制になってまだ日が浅い連邦国は諸外国との新たな関係を築くべく、外交に力を入れていた。今回は副大統領自らが足を運んで諸国の要人たちと会談をしているのだ。
そして連邦から西にあるルチアーノ公国に着いた頃、秘密裏に彼に非公式での面会の要請が来たのだった。
その相手はリーズ王国王太子のフレデリック・リーズだった。
胸騒ぎがする。
アレクセイは気が張って固くなった肉体を気合で無理矢理に動かして、重厚な扉を開けた。
「久しいな、副大統領よ」
扉の向こうにはエカチェリーナ・ニコラエヴナ・アレクサンドル皇女の元婚約者であるフレデリック・リーズ王太子が鷹揚に構えて彼を待っていた。
それと正反対に、ピリピリとした剣呑な空気が場を支配していた。




