48 どうしよう
人目も憚らずいっぱい泣いて、身体中の膿を全部出し切ったみたいに頭の中がスッキリした気分になった。
グレースも少しは心が晴れたみたいで、さっきまでの今にも消えてしまいそうな儚い雰囲気からは一応は脱したようで、私はほっと胸を撫で下ろした。
涙も枯れて私たちはおもむろに立ち上がる。辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
「グレース、分かっていると思うけど私がエカチェリーナだったってことは他言無用でお願いね?」
私は念のため彼女に釘をさした。
かつての私に拘泥するのは今日でもう終わりにしなきゃいけないわ。……私は今はリナなんだから。
「か……かしこまりました……」と、グレースは恭しく一礼をした。
私はこの場の辛気臭い空気を入れ替えるようにポンと手を軽く叩いて、
「じゃあ、この話はこれでおしまい! グレースもこれまで通りリナって呼ぶのよ? 敬語も要らないわ。私は平民であなたは伯爵令嬢なんだから!」と、努めて明るく言った。
「は、はい……」と、グレースは困り顔をする。
「周りに怪しまれないように普段通りに接すること。いいわね?」
「……承知いたしましたわ、エカチェリーナ様」
「リ・ナ!」と、私は彼女の眼前で凄んだ。
彼女は「うっ……」と呟いて上体を後ろに曲げて、
「リナ……さん」
「もうっ!」
「なんだよ、グレース。いつもみたいに『この卑しい平民が!』って言えよ」と、セルゲイがニヤニヤと笑みを浮かべて彼女をからかった。
「エ……エカチェリーナ様にそんな無礼なこと言えるわけないでしょう!?」
「変に意識しないで普通に友達として接すれはいいんだよ。なぁ、リナ?」
「そうね」
「あ……あたしとも、お友達になってくれるの……?」と、グレースはおそるおそる尋ねる。
「もちろんよ、グレース」
私が笑顔で答えると彼女の顔がパッと明るくなった。
「ありがとう……! あたしたちは友達……いえ、大親友だわ!」
「お前、図々しすぎるだろ」
私はポケットからハンカチを取り出して彼女の煤けた顔を拭いてあげた。
「私は回復魔法が使えないからここまでしか綺麗にできないけど、帰ったら汚れを落として今日はゆっくりと休んでね。火傷は大丈夫かしら?」
「あたしは炎属性ですので問題ありませんわ。お心遣い痛み入りますわ、殿下」
「もうっ、いつも通りでいいって」私は苦笑いをする。「じゃあ、帰りましょうか。たくさん泣いたらお腹空いちゃった」
「グレース、リナは俺が送るから大丈夫だ。傷付いた君を一人で帰して済まないが、今日は勘弁してくれ」
「あたしは平気よ。セルゲイ、エカチェリーナ様を頼むわよ」
「おう」
「無礼のないようにしなさいよ!」
「当たり前だろ」
「あまり殿下にべたべた触ることのないように!」
「分かってるって」
「殿下はあんたのものじゃないんですからね! たまたま同郷だからって調子に乗るんじゃないわよ!」
「なんなんだよ、その手のひら返しは。早く帰れよ」
「ふふっ、グレースったら」
セルゲイは心配してくれているのか、私の部屋の前まで送ってくれた。
「セルゲイ、今日は本当にありがとう。リーズに来てから、あなたには助けてもらってばかりで感謝してもしきれないわね」
「いや、これくらい当然のことだ」彼はちょっと戸惑う素振りを見せてから「……その、疲れているところ悪いが、少し話をしてもいいか?」と、なにやら深刻そうな顔つきで尋ねた。
私は目を丸くして、
「別に構わないけど……どうしたの? とりあえず入って。お茶でもいれるわ」
「ありがとう」
セルゲイは部屋の中に入って静かに扉を閉じる。
そして、
「きゃっ!」
出し抜けに私を抱きしめた。
「な、なに……?」
私は戸惑いながら彼を見上げる。
セルゲイも私をじっと見つめ返した。
「リナ……俺は君が好きだ」
私は突然の告白に頭が真っ白になって、身体が固まった。
「えっ……な、なにを言っているの……? 冗談だったら今日はもうやめて――」
「俺は本気だ」セルゲイの力が強くなった。「学園を卒業したら二人でどこか遠い国に行って一緒にならないか? リーズ王国もアレクサンドル連邦国も関係ない場所で二人で一から始めるんだよ」
「そんなっ――駄目よ。あなたは公爵令息で私は平民だわ。身分が違いすぎる」
「貴族籍は捨てる。君と一緒にいられるのなら、俺も平民として生きていく」
「ストロガノフ家の人間がなにを馬鹿なこと言っているの? そんなの、あなたのお父様が許すはずがないわ」
「俺は三男だから問題ない」
「問題だらけよ。第一、あなたの家族が悲しむわよ。平民になったら公爵家は身分が高すぎて二度と会えないわ」
「それでもいい! 君が好きなんだ!」
セルゲイは私の身体を押し潰すんじゃないかというくらいに強く強く抱きしめた。包み込まれた温かさが心地よくて、このまま彼の優しさに甘えてしまいそうだった。
でも瞬時に罪悪感に襲われる。グレースじゃないけど、王太子殿下が無理なら今度は公爵令息? 失恋で傷付いた心を代わりの男に救ってもらおうだなんて、なんという最低な女なのかしら……。
正気付いた私は彼を少し押し返して、
「セルゲイ、離して」
「あ……ごめん」
私たちはゆっくりと身体を離した。
「ごめんなさい……。私、まだ気持ちの整理が……」
さっきは強がってフレデリック様のことを忘れるなんて言ったくせに、私の心はまだ彼に囚われていた。諦めなければいけないと思えば思うほど、彼の顔が頭に浮かんで離れない。
「そっか……そうだよな。突然リナを困らせるようなことを言って悪かった」
「ううん。あなたの気持ちは嬉しかったわ。ありがとう」
「なぁ……まだ卒業まで2年あるから、じっくり考えてくれないか?」
「えっ」
私はドキリとして目を見張った。そんなことを言われても困るわ。
「俺は君の気持ちが自分に傾いてくれるまで待ってるから。結論はゆっくりでいい」
「そんなの……無理よ」
これが今の私に答えられる唯一の言葉だった。現に今もフレデリック様のことを考えている自分がいる。こんなのセルゲイに不誠実すぎる。
セルゲイはふっと微笑んで、
「君が俺のを好きになってくれるように努力するよ」
「…………」
私が困惑して押し黙っていると、彼は「おやすみ」と言って静かに部屋から出て行った。
一人になった途端に私はすっかり力が抜けて、倒れるようにベッドに転がり込んだ。何時間も頭上に雪が積もったみたいに、頭がずっしりと重かった。
今日はいろいろな出来事がありすぎて、ただただ疲れた。今はもうなにも考えずにこのまま眠りにつきたい気分だ。
自然と深いため息が出た。
「どうしよう……」
私はゆっくりと瞳を閉じた。
◆◆◆
「あら、面白いものを見ちゃったわ」
影は潜んでいた。光と対になるそれは、暗闇に紛れて彼女たちを見ていた。
伯爵令嬢と平民を同時に沈めることは叶わなかったが、代わりに興味深いものを見させてもらった。
まさかとは思っていたが、本当にあの平民が皇女エカチェリーナだったとは。
皇女は、邪魔だ。
生きていたと分かると、あの王太子はどんな手を使ってでも皇女を王太子妃に迎えるだろう。さすがに王太子を正面から敵に回すのは厄介だ。
だから……王太子に見つかる前に処分しなければ。
皇女の死亡の発表で、一度は断腸の思いで諦めた王太子妃の座がせっかく自分に転がり込んで来たのだ。
今度は絶対に譲らない。
「さて、どうしましょうか……?」
フローレンスは楽しそうな顔で冷たく呟いた。




