43 グレースの想い
お茶会から数日たって、さすがにこのまま学園をズルズル休むのは特待生としてどうしたものかと思い直し、私は意を決して登校した。ずっと心配してくれていたセルゲイとオリヴィアが部屋まで迎えに来てくれて、彼らと一緒に教室へと向かう。
私は教室の扉の前で思わず足を止めた。
どうもお茶会以来、悲しみと交換に自信や負けん気などがどこかに飛んで行ってしまったみたいだ。今ならグレースたちにも完膚なきまでに叩きのめされそうな気がする……。
ふと、左手が温かくなった。見ると、オリヴィアが包み込みように、優しく握ってくれていた。
「大丈夫よ、リナ。わたしたちがいるわ」
「そうだぞ。いつも通りのリナでいてくれ」
二人に励まされて胸がじんわりと熱くなった。
セルゲイはもちろん、オリヴィアもあんな事件が起きても私のことを信じてくれているなんて。それがどんなに嬉しいことか……。
「二人ともありがとう。私は大丈夫よ」
私は力強く扉を開けた。
始業前のがやがやしていた教室は、私たちが入室した途端にピタリと騒音が消えて静まり返った。
クラスメイトたちはコソコソと話しながら冷たい視線を私に送る。いつにも増して居心地が悪かった。
「……泥棒」
そのとき、誰かが囁いた。途端にくすくすと忍び笑いが起こる。セルゲイが咎めるが、効果は皆無だった。
私はみるみる顔が上気して、俯いた。にわかにお茶会での出来事が頭に過ぎる。生まれてこのかた物を盗んだなんて責められたのは初めてなので、心臓がバクバクした。
「あんたもこれで思い知ったでしょう? 平民が図々しくも王太子殿下に近付くからこんなことになるのよ」と、グレースが鼻で笑ってきた。
私は彼女に反論する元気もなく「そうかもね……」と、力なく笑うだけだった。
「これに懲りたら身の程を弁えなさい。あんたはリーズに来ないでアレクサンドルに引きこもってれば良かったのよ」
「…………」
二の句が継げなかった。彼女の言う通りだ。自分がフレデリック様に会いたいばかりに色んなことをめちゃくちゃにしてしまった。アメリア様のことを偉そうに批判したけど、一番我儘なのは私だったわ……。
「おい、グレース。言い過ぎだ」と、セルゲイが非難する。
「はぁ? あたしは本当のことを言っただけなんですけど?」
「他人を傷付けるような言葉を使うなって言ってるんだよ」
「そこの平民の自業自得でしょう? ってか、あんたもなんでわざわざリーズまで来たの? 革命後の復興で祖国はまだ大変な時期でしょう? そこの平民と一緒に嫌な現実から逃げて来ただけじゃないの?」
「おい……」
セルゲイの顔が強張った。
「あら、図星? 公爵家の三男って随分お気楽なものね。いいわね、皇族だけに責任を押し付けて、自分たちは連邦になってものうのうと貴族を続けられて」
「ふざけるなよっ!」ついにセルゲイが激昂した。「なんなんだよ、お前! 入学の頃からずっと俺たちに噛み付いて! リナがお前になにをやったんだよ!? それに帝国のことをなにも知らないくせに、偉そうなことを言うなっ!!」
「なにをやった、ですって……?」
にわかにグレースの声色が低くなる。そして震える声で叫んだ。
「あんたたちが帝国人だからよ! なんでエカチェリーナ様を最後まで守らなかったのよ! 皇女殿下は自国民はもちろん、他国のリーズの人間のことも愛してくれていたのよ!? それなのにっ、なんで殿下が死ななければならないの!? それで同い年のあんたたちはリーズで楽しく学園生活? ふざけているのはそっちでしょうがっ!!」
「…………」
「…………」
教室中が重たい沈黙に包まれた。グレースは滂沱の涙を流していた。そして、踵を返して出口へと向かう。
「あっ、グレース!」
「待ってよ!」
「付いて来ないで!!」
ジェシカとデイジーの制止を乱暴に振り切って、グレースは教室を出て行った。
取り残された私たちは茫然自失と開いた扉を眺めた。
「あの……」
しばらくして、ジェシカがおずおずと口を開いた。
「どうしたの?」と尋ねると、彼女はデイジーと深刻そうに顔を見合わせて頷く。そして、
「「リナ、お茶会ではありがとう。それと今までごめんなさいっ!!」」
二人して深々と私に向かって頭を下げた。
「ちょっ……突然どうしたの?」
私は目を丸くする。
「あなたはお茶会では私たち貴族を庇ってくれたでしょう?」
「それに、リナに嫌がらせをしようとした令嬢の主犯格にわたしたちの家族や親戚もいたの。だから、あなたが庇ってくれなかったら今頃は王家の怒りを買ったかもしれないわ」
「そうだったのね……」
お茶会の一件はフローレンス様が一連の出来事を全て不問にしたらしい。だから大事には至らなかったが、もし彼女が激怒していたら私を付添人に使命したシェフィールド家やリーズ王家を巻き込んで大騒動になっていたかもしれないのだ。
「それで、グレースなんだけど……」
「あぁ、別に気にしていないわ。いつものことだしね。……でも、彼女は皇女に対してとても思い入れがあるみたいね」
「そうなのよ。リナは三年前に起きた東部の水害のことを知ってる?」
「もちろん。とてつもない被害が出たって聞いているわ」
約三年前、リーズ王国東部地域でこれまでに見ない大規模な水害が起こった。被害は莫大で、その地域に住む国民たちは飢餓に苦しんだ。私もそのときは心を痛めて、できる限りの支援をしたのを覚えているわ。
「被害に遭った地域の大多数はパッション伯爵家の領地だったのよ。だから、グレースの家は救援や復興で財政が逼迫して没落寸前まで行ったの」
「そんな……!」
私は絶句した。
「それで、もう全てを諦めそうになったときにエカチェリーナ様が私財をなげうって支援をしてくださったのよ。おかげでパッション伯爵家も首の皮一枚で没落せずに済んだわけ」
「グレースは家の借金を返すために娼館に入る覚悟だったの。それがエカチェリーナ様によって救われたものだから、あんなに皇女殿下に心酔しているのよ」
「そうだったのね……」
確かにあのとき、私はリーズ王国の力になりたいと個人資産を使って支援をした。まさかそれがグレースを助けることになっていたなんて、驚愕だわ。
「それで、この話には続きがあってね」とジェシカ。「エカチェリーナ様は犠牲者たちの喪に服すために三ヶ月間ドレスも宝石も買わずに、おまけに黒パンと少しの具材の野菜スープだけで過ごしたらしいわ。で、グレースもそれを真似して実践してみたのよ」
「えぇえぇっ!?」
私はびっくりして素っ頓狂な声を上げる。
たしかに喪に服すために質素な生活をしたけど、ドレスは単にその年の自分の予算を使い果たしてしまったからで……外で慈善活動をしているとすぐに駄目になるのよね。宝石はもとよりあまり興味がないから予算のほとんどをお母様に渡しちゃっただけだし……。
な、なんでそんな殊勝な話になってるの!?
「でも、さすがに無理だったみたいで、一週間で音をあげてこっそりと甘いお菓子を食べていたわ」と、ジェシカとデイジーはくすくすと可笑しそうに笑った。
「それは……グレースらしいわね」と、私も思わず笑ってしまう。でも、彼女がそんな風にエカチェリーナのことを慕ってくれていたなんて、嬉しくて胸がいっぱいになった。私が神格化された作り話は勘弁して欲しいけど……。
「それで……」デイジーが遠慮がちに続ける。「そんなエカチェリーナ様のことを帝国人は見捨てたって、グレースから何度も聞かされてそれに感化されちゃって、リナの嫌がらせに加担していたの。その……ごめんなさい」
「ごめんなさい」
二人は再び頭を下げる。
「もう謝らなくていいわ。二人の気持ちは十分に伝わったから。それにグレースも理由があってのことだって分かったから、別に怒っていないわよ」
そう、グレースから見たら私もセルゲイもエカチェリーナを犠牲にしてぬくぬくと他国で暮らしている愚かな帝国民だ。だから、彼女が怒りに打ち震えるのも頷ける。
「俺も……グレースに言い過ぎた、あとで謝らないとな」と、セルゲイは肩をすくめた。
しかし、その日グレースはとうとう授業に顔を出さなかった。
終わりに近付いて来ましたが、ストレス展開が続きますので!
苦手な方はバック、バック!




