33 定食屋の訪問者
「いらっしゃいませ……アメリア様! 王た――」
「しっ」フレデリック様は人差し指を唇に当てた。「今日は僕はただのフレディなんだ」
私はコクリと深く頷いて、
「い、いらっしゃいませ。アメリア様……ふ……フレディ、様……」と、お辞儀をした。
まさかこんな形で彼の愛称を呼ぶ日が来るなんて……。恥ずかしくてちょっと顔が火照った。
ここは私の働く庶民向けの定食屋。そこにお客として王太子と公爵令嬢。うーん、釣り合わないわ……。
私は二人を奥の座席まで案内した。お忍びだからあまり目立たない席がいいわよね。
「おや、リナのお友達かい?」
そのとき厨房からマーサさんが顔を出した。彼女はこの定食屋の女将さんで、私にいろいろとお世話をしてくださっている方だ。リーズの庶民の暮らしについてもたくさん教えてもらっている。
「え、えぇ。まぁ……」と、私は曖昧に返事をした。さすがに王族と公爵令嬢の友人面をするのは気が引ける。
「今日はセルゲイじゃないんだねぇ。リナったらもてるねぇ」と、マーサさんはニヤニヤしながら言った。
「ち、違うから! っていうか、セルゲイともなんでもないし!」
マーサさんはケラケラと笑いながら奥へと去って行く。もうっ、セルゲイだってただの友人だし!
「ストロガノフ公爵令息のことかい?」と、フレデリック様が尋ねた。
「はい。彼は同郷の私を気に掛けてくれて、ここにもよく来てくれるんです」
「そうか。彼は優しいね。従妹も先日彼に遊んでもらったんだよ。あのときは楽しかったね、アミィ?」
「まぁまぁだったわ」と、アメリア様は満更でもない様子で答えた。
アメリア様はアレクサンドル人の公爵令息のことをすっかり気に入ったらしく、また会いたいとせがまれてセルゲイはフレデリック様と一緒に先日シェフィールド公爵邸に遊びに行ったそうだ。案の定そのときに公爵閣下から娘の婿養子に……と言われたらしい。まぁ、身分も学業も顔も申し分のない彼が引く手数多なのは当然よね。彼は卒業後は一体どうするつもりかしら?
「今日はフレディお兄様とエカチェリーナ様を探しに行っていたの」
「ええぇっ!!」
仰天して覚えず大きな声が出た。ま、まだ諦めていなかったんだ……。
「あぁ、エカチェリーナという子は僕の婚約者なんだけど」と、フレデリック様が付け加える。もちろん知っています。
「アミィから婚約者はリーズ国内にいるんじゃないかって言われたんだ。はじめは信じられなかったけど、僕もそれに賭けてみようと思って。実はストロガノフ家に協力してもらって連邦国内を虱潰しに捜索したんだが、残念ながら全く成果がなくてね」
「そうなのですね……」
もう、なんて言葉を返せばいいのか分からない。彼らに嘘をついている罪悪感やもどかしい気持ちで、心の中は不協和音のように混沌としていた。
「絶対に国内にいるはずよ。女の勘よ」と、アメリア様はすまし顔で言い放つ。小さなお姫様の大人ぶった態度に私もフレデリック様も思わず微笑を浮かべた。
「二人してなに笑っているのよ」と、アメリア様が口を尖らせた折も折、
――ぐぅぅぅ~……。
彼女のお腹が鳴った。たちまち顔を真っ赤にさせて、
「いっぱい歩いたらお腹が空いちゃったの……」と、消え入るような小声で呟いた。
フレデリック様はくすりと笑って、
「リナ嬢、なにかお薦めのメニューを二人分頼む」
「かしこまりました。――ええと、アメリア様は嫌いな食べ物はなにかありますか?」
「タマネギとニンジンとピーマンは止めなさい」
「……多いですねぇ。これからちゃんと食べられるように練習しないといけませんね」
「好き嫌いせずに全部食べなさいって言ってもいつも残すんだよ」
「わたしに食べて欲しかったら作る人間が料理の腕を上げる努力をすべきだわ」
「ふふっ、分かりました。では、少々お待ちくださいませ」と、私は厨房へと入って行った。
「せっかくだから今日はリナが作ったらどうだい?」
「えっ? 私がですか!?」
「友達なんだろ? 美味しいご飯を食べさせてやりな!」
私は給仕から始めて、最近は厨房にも立たせてもらうことが増えた。簡単なメニューなら任されるようになったけど、さすがに家に一流の料理人を抱える王太子と公爵令嬢の食事を自分が用意していいのだろうか……。でも、今日はお忍びだからマーサさんに本当のことを言うわけにはいかないし……。
「さっ、お客さんが待ってるよ! 早く取り掛かりな!」
逡巡しているとマーサさんがポンと私の背中を叩いた。
「あたしも手伝うからさ」
「……はいっ!」
「お待たせいたしました」
「うわぁ……! ハンバーグ!」
「お二人のお口に合うと良いのですが……」
「リナ嬢が作ったのか? 美味しそうだね」
「はい……」
フレデリック様とアメリア様はフォークとナイフを手にする。私は固唾を呑んでその様子を見守った。
「すっごく美味しい!」
「うん、美味しいね!」
私は平静を装っていたが、本音は嬉しさで胸がはち切れそうだった。緩みそうになる口元を必死で引き締める。
フレデリック様が私の作った料理を食べてくださっている。手紙で約束したスミレの砂糖漬けではないけど、彼が自分の手料理を口にしてくれたことは込み上げてくるものがあった。
「「ごちそうさま」」
二人ともパクパクと口に運んであっという間に完食した。私はほっと胸を撫で下ろす。とりあえずは不味くはなかったようで、一安心だわ……。
「とっても美味しかったわ。またいただきたいわね」と、アメリア様は上品にナプキンで口を拭いた。
「恐れ入ります、公爵令嬢様」わたしはいたずらっぽく笑って「タマネギもニンジンもピーマンもちゃんと召し上がりましたね」
「えっ……!?」
アメリア様は凍り付いた。
「気付きませんでした? ハンバーグの中に刻んで混ぜていたのです」
「……騙したのね!」と、彼女は打って変わってプリプリと怒りだした。
「いいえ、言い忘れていただけですよ」
私は何食わぬ顔で答える。
「信じられない!」
「アミィ、リナ嬢のおかげで苦手な物も克服できて良かったじゃないか」
「全然よくない! リナの嘘つき!」
「でも、ちゃんと食べたじゃないですか。ご立派です」
「ふんっ!」
「まぁまぁ。――そうだ。アミィ、今日はリナ嬢にお願いがあって来たんだろう? 美味しい料理で忘れるところだったよ」
「お願い、ですか?」
私は目をぱちくりさせた。改まって、なにかしら。
「そうなんだ。ほら、アミィ。自分で言ってごらん?」
「あ、あのね……!」アメリア様は今度は緊張した様子で頬をほんのり赤く染めて「今度ね、大きなお茶会にお呼ばれしているの。それで……リナがわたしの付き添い人として付いてきて欲しいの! お願いっ!」
「えぇぇっ!?」
それは、答えに窮するような予想外の困ったお願いだった。




