29 二回目の授業
私は特にお咎めもなく、翌週も公爵家を訪うことを許された。
執事の話によると、シェフィールド公爵は前回の私の仕打ちに怒るどころか娘の力を引き出してやる気を起こしてくれたと感謝しているらしい。公爵令嬢は魔法以外の授業も以前より真面目に取り組むようになったようだ。
ただ、さすがに前回のように毎回部屋を壊されたら堪らないので、これからは外で授業を行うようにと仰せ付かったのだった。
庭に向かうと、お人形みたいな可愛らしい公爵令嬢が東屋の下にちょこんと座ってお茶を飲んでいた。
「こんにちは、公爵令嬢様」と、私は一礼する。
「あなた、また来たの? もう来なくていいのに」と、公爵令嬢はつっけんどんに答えた。
「公爵閣下からご許可をいただきましたので。では、本日の授業を始めましょう。今日は座学から――」
そのとき、テーブルの上にあった教科書がボスンと鈍い音を立てて下に落ちた。
「あら、落ちちゃったわ」と、公爵令嬢は素知らぬ顔で言った。
「そうですね」と、私もすました顔で答える。
「…………」
「…………」
しばらく、互いに見つめ合いながら沈黙を貫いた。
「ちょっと!」しびれを切らしたのか公爵令嬢が私に向かって声を荒げる。「なにボサッと見ているのよ! さっさと拾いなさい!」
「なぜですか?」と、私はきょとんとした顔で答えた。
公爵令嬢はみるみる顔を真っ赤に染めて、
「主人が落としたのよ! ずぐに拾うのが礼儀ってものでしょう!」
私は「はぁ~~~っ!」と、彼女に見せつけるように仰々しく深いため息をついた。
「公爵令嬢様、前回も申し上げましたが私のあなたの教師であって召使いではありません。それに、教科書はあなたがわざと落としたんじゃないですか。自分の不始末は自分でなんとかしなさい」と、私が言うと後ろにいたメイドの一人がプッと小さく吹き出した。
公爵令嬢は物凄い勢いで振り返って眉を吊り上げて、
「今笑ったのは誰よ!? 許せない! お父様に言い付けて首にして――」
「公爵令嬢様」と、私は彼女の言葉を遮って促す。「早くご自分で拾ってください」
「はぁっ!? なんで公爵令嬢のわたしが拾わないといけないのよ! ちょっとそこのメイド! 早く拾いなさいよ!」
私はビクリとして動こうとするメイドを制止して、
「駄目です。公爵令嬢様が拾うのです」
「嫌っ!」
私たちは睨み合った。
側に控えている執事やメイドたちも固唾を呑んで見守っている。不穏な空気が穏やかな庭にも染み込むように広がっていった。
「仕方ありませんね……」
ややあって私が先に口を開く。公爵令嬢は自身の勝ちを確信したのか口元を緩めた。
だが彼女の期待とは裏腹に、私は教科書は拾わずに魔法を唱えて彼女の小さな足元を凍らせた。
「なっ……なにするのっ!?」
公爵令嬢は動揺して思わず立ち上がりそうになったが、足をカチコチの氷で固定されて動けない。
「ちょっと! なによこれ! 早く消しなさい!」と、公爵令嬢がぎゃあぎゃあ文句を言っている間も氷はじわじわと上昇して彼女の身体を蝕んで行った。
「さぁ、早く教科書を拾わないとあなたの全身が凍ってしまいますよ」と、私はニヤリと笑う。
「ぜっ、全部凍っちゃったらどうなるの……?」
公爵令嬢は目に涙を溜めて不安げに尋ねた。
私は他人事のように首を傾げて、
「さぁ? 心臓まで凍ったら死ぬんじゃないですか?」
「拾えばいいんでしょっ!!」
公爵令嬢は慌てふためきながら地面に落ちてある教科書を拾った。するとギャラリーから拍手が起こる。私は魔法を解いて、そしてなぜか彼女は得意げにふふんと笑ってみせた。
「宜しい。公爵令嬢様、今後はこのような嫌がらせは止めるように。もし同じことを繰り返すようでしたらこちらもばんばん報復します」
「分かったわよ! 止めればいいんでしょ!」
「ちなみに公爵家の使用人はあなたの奴隷ではなく、あなたを支えてくれる人たちだということをお忘れなく」
「もうっ! うるっさい! さっさと授業を始めて!」
意外にも公爵令嬢は私の言うことに素直に耳を傾けてくれて、授業は穏やかに始まった。
「――ですので、上手に魔法を操作するには心を落ち着かせることが重要なのです。前回のあなたのご様子だと、まずは精神力を鍛えたほうが良いでしょう。いつまでも感情的のままでは上達しませんよ。あんなに魔力があるのに勿体ない」
「だって……」公爵令嬢は意気消沈した様子で小さく言う。「自分にも分からないの。なにをやっても思い通りにならなくて、全部のことに腹が立つんだもん……」
にわかに彼女の境遇が頭に過ぎって私は物悲しい気分になった。
やっぱり、母親を亡くしたことが幼い少女の心に棘のようにずっと突き刺さっているのね。彼女より年長の私でさえ家族を亡くしたのは辛かったんですもの。立ち直るのはなかなか難しいわよね……。
「では、公爵令嬢様」
私はしゃがみ込んで彼女と目線を合わせた。
「心がむかむかしたら、ぐっと我慢をして一度感情を自分の中に仕舞い込むんです」
「そんなの、どうやって?」と、公爵令嬢は丸い瞳をぱちくりさせた。
「簡単なことです。公爵令嬢様の大好きな人の笑顔を思い出すんです。そうしたらきっと心がぽかぽかになってすぐに落ち着きますよ」
「わたしの、大好きな人……」
「そうです。王太子殿下? 公爵閣下? それとも……?」
「おっ……」公爵令嬢は少し顔を赤らめてポツリと呟いた。「お母様……」
私はニコリと微笑んだ。
「そうですか。では、これからは怒りそうになったら公爵令嬢様のお母様のお顔を思い出してくださいね」
公爵令嬢はパッと顔を明るくして、
「うん! そうする! わたし、もう怒ったり意地悪をしたりしないように気を付けるわ! だって、お母様のお顔が悲しくなったら嫌だもん」
「それは、良い心掛けです。きっとお母様も天国で見守っていらっしゃいますよ。それにこのままだと公爵令嬢様がギロチン送りになるところでしたので、私も一安心です」
「えぇっ!?」
公爵令嬢はさっきの溌剌とした態度とは打って変わって、みるみる青ざめて凍り付いた。
「わた……わたしが、ギ、ギロチン、おく……り……?」
「そうですよ。今のままの我儘を続けているとどんどん人が離れてしまって、公爵閣下や王太子殿下からも嫌われるかもしれません。そして公爵令嬢様のせいで最悪お家取り潰し、更には王家まで巻き込んで全員がギロチン送りになるかも……」と、私は脅すように大袈裟に言った。これくらい言っておいたほうが彼女には良い薬になるだろう。ま、半分は事実だけど。
公爵令嬢はすっかり震え上がって、
「わ、わたし! 良い子になるわ! もう我儘は言わない! そうしたらお父様もフレディお兄様もギロチン送りにならないわよね? ねっ!?」
必死の形相で私に縋った。
「大丈夫ですよ。では、これから私と一緒に頑張りましょう、公爵令嬢様」
「……アメリア、よ。リ……リナ…………」と、彼女は顔をほんのり赤く染めて上目遣いで私を見る。
「はい、アメリア様!」と、私は微笑んだ。
こうして、アメリア様とは今回で大分距離が縮まって、それから私たちはどんどん仲良くなっていった。彼女は我儘を言うことも減って、屋敷の使用人たちとも良好な関係を築けているようだ。
シェフィールド公爵からはとても感謝をされて、相場の5倍のお給金をいただいた。これで学園の令嬢たちにまた制服を切り刻まれたりしてもお金の心配はなくなったわ。それにテスト前に定食屋の仕事を減らしても懐に余裕があるから一安心ね。




