くわだて魔王
僕は魔王。ごく普通の青年さ。
今日は側近のタートルさんの誕生日。
いつも忙しそうにしてるから、たまには労ってあげないと。
ね、僕っていい魔王でしょ。
いたいた。タートルさんは僕が与えた部屋にいた。
昔、僕のお父様がいた頃、使っていた部屋なんだって。
あげたとき、すっごく喜んでくれたんだ。
僕、嬉しかったなあ。
反対してた幹部全員を、僕一人で説得した甲斐があったってもんだね。
だけどね、最近タートルさんは僕を見ると苦々しい顔をするようになったの。
おかしいよね、僕が子どもだった頃はまだ取り繕ってたのに。
知ってる? 子どもって意外と聡いんだよ。
大人になったのがいけなかったのかな。
なーんて思うけど、戻ろうとは思わない。
何故なら……、タートルさんに最高の誕生日プレゼントをあげたいから。
だからね、僕は。子どものままでいることを諦めたんだよ。
「タートルさん、書類、できた?」
「……魔王様、供も連れずに出歩くのはおやめください、と再三申しているはずですが」
「むー。僕のこと、昔みたいに名前で呼んでって、言ってるじゃない。呼んでくれないなら、僕、タートルさんの言うこと聞かないよ」
タートルさんが僕のために怒ってくれてる。
他人行儀な言い方が気にかかるけど、タートルさんだもの。
僕は許してあげる。
高慢な僕のお願いに、タートルさんは少し困った顔をした。
タートルさんはね、笑ってるのが一番だけど、僕は、ひるむタートルさんも好きなんだ。
「……シルス、出歩くなら俺を伴え。いつも言ってるだろう」
「うん。分かった。これから玉座の間に戻るんだけど、タートルさんついてきてくれる?」
やっぱり。優しいタートルさんは、僕に逆らえない。
敬愛するお父様が唯一残してくれた思い出だものね。
それにね、今タートルさんが隠した書類の内容、僕知ってるんだあ。
ふむふむ。魔族に対する人間の意識調査、かあ。
お父様が人間に斃されてから、もう300年も経ったね。
タートルさんは、人間に報復するための、チャンスを見極めているんだよ。
でも、大丈夫。こんなもの、必要ないんだ。
300年も尽きない憎しみの炎、僕がそろそろ消してあげるから。
待っててね、タートルさん。
玉座の間にタートルさんと戻ったら、魔王のお仕事をするの。
魔族がやって来て、僕に陳情するから良きにはからえ、って言う簡単な仕事。
本当はもっと複雑なんだけど、みんなには無能な王だと思わせておきたいから。
まだ子どもだって思ってくれた方が、タートルさんも油断するしね。
サプライズなんだ。これは。
僕が物心ついてからずっと温めてきた想い。
告白、みたいなものだね。人生に一度しかない大チャンス。
僕は魔王。歴代一の力ある魔王。この願い、必ず、叶えてみせる。
「うーん、今日は多かったね。僕、疲れちゃった。ちょっとお昼寝してきてもいい?」
「転移で移動するなら、構わない」
タートルさんが許してくれたから、僕は玉座の間から出ていくの。
でもね。僕が行くのは、僕の部屋じゃなくて……。
中庭から行ける、あの場所。とっても静かで、悲しい場所なんだよ。
昔、タートルさんが急にいなくなったとき、よくここにいた。
幼い僕にはつまらない場所に思えたけれど、今は分かる。
ここは唯一、昔に戻れる場所なんだ。
白い太陽が暗い空から降り注いで、色付きガラスを通り抜けていく。
床に落ちる色とりどりの光の下に、僕のお父様の柩があった。
まるで眠っているみたい。傷一つない身体が、目を閉じて眠っている。
そう、だって、あのとき人間が付けた傷はすべて、僕が治したんだから当然だよね。
でも、ここは、歴代魔王が眠る霊廟。お父様はもういない。
「ああ、これなら。来年の誕生日には準備ができそうだ」
あのね、タートルさんがよく部屋で、お父様の仇をとりたいって言うんだよ。
だけどね、それは、嘘。魔王だからかな、分かるんだ。
タートルさんが本当に願ってることは、お父さまを取り戻すこと。
だから、そのためには誰が犠牲になってもいいよね?
それが、僕を育ててくれた人への恩返しだから。
――たとえそれが、人間への復讐のために育ててたとしても、構わない。
「もうすぐだよ、タートルさん」
側近の記憶
今から50年ほど前、突然シルスが大人になった。
昨日まで、きょとんとして幼い顔で小首を傾げていた魔王が、身体も青年になって、大人びた表情で「今日から僕は魔王になるから」と宣言したときは驚いた。
ようやく俺の悲願が達成できるかと思ったが、あいつはそれをさせなかった。
「昔のタートルさんは素直だったのに。こんなことやめちゃえば?」
正直、昔のことがいつを指しているのか分からなかった。
俺が一人で魔王を育て始めた頃のことなのか。
それとも、魔王が子どものように振る舞っていた頃か。
それとも――、三人で暮らしていた、あの頃のことか。
それを思い出そうとするだけで、胸に痛みが走った。
こういうとき、種族的に肉体は傷付かない仕組みなのが悔やまれる。
容易に怪我ができるタイプの魔族であれば、この痛みはあのときの傷のせいだと偽ることもできたのに。
分かっている。この胸が痛いのは、自分が不甲斐ないからだ。
先代魔王への敬愛から、人間への復讐を企てる。
立派な忠誠心だと、他の幹部は言う。さすが先代魔王様の親友だ、と。
だが、それを聞くたび、どうしても嫌なことを考えてしまう。
親友だったから、負けるかもしれない戦いに俺を連れて行かなかったのか?
親友だったから、息子のように育てていたシルスを俺に守らせたのか?
親友だったから、おまえの死を看取れなかったのか。
親友だったから。自分がいなくてもいいと思ったのか。
「ジェズ、おまえに会いたいよ」
おまえさえいれば、こんな身の丈に合わない復讐なんか、しなくても良かったんだ。
三人で一緒に暮らしていく、平穏な未来があったはずなんだ。
シルスのことを相談し合って、成長した姿をお祝いできたはずなんだ。
あいつも一人で――、大人にならなくてもいいはずだったんだ。
「こんなこと。もういないおまえに言っても仕方ないことは、分かってる」
だけど。嘆きながら生きていくことを、どうか許してくれ。