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全回復の泉なんて、たとえ過去にタイムスリップしても存在しないだろう。
試しに紫に変色した服にかけてみると、かかった部分だけが強力な漂白剤を使ったような白色に戻っている。
どうやら状態異常も回復できるようだ。
泉の水が汚染されないだろうかと恐る恐る服の端を浸けてみるが、水は澄んだままで服が白くなっているので思いっきり水につけて洗った。
黒のパンツも、履いていたボクサーパンツも、ベルトも、身に付けていたものは全て洗った。
あのプテラノドンもどきはこれを知っていてつれてきてくれたのだとしたらなんていい奴だろう。
大樹には1人が寝そべるくらいの広いうろがあり寝床に使える。
不思議な泉で飲み水も確保できる。
辺りを見渡すかぎり、野いちごのような実のついた植物や、アケビのような実のついた木など、食べ物もありそうだ。
ここがどこかわからないが、無闇に動き回るよりはここを拠点にして少しずつ辺りを散策したほうがいいだろう。
こうして島村善明の異世界サバイバルライフは幕を開けたのであった。
サバイバル生活を開始したのはやむおえない。
寝床と食料の確保はなんとかなる。
せめてサバイバルナイフでも持っていればよかったのだが、そんなものは普段持ち歩いていないし、そもそも田んぼに一緒に突っ込んだはずの自転車も行方不明のため、たとえ俺が毎日サバイバルナイフを持ち歩くイカれた野郎だったとしても手元には無かっただろう。
収穫しやすい野いちごのような実を手でもぎ取りそのまま食べる。
もし毒があっても大丈夫なように、ときどき泉の水を飲んで解毒する。
今は動いているから気にならないが、寝るときに冷えるかもしれないので背の高い草を集めていく。干し草にして布団がわりに使うつもりだ。
一定量集まったら並べて天日干ししよう。高山の少女のアニメでみた干し草のベッドは寝心地が良さそうだった。
夜のために火が欲しいけれど、火を起こすのは難しいだろう。キャンプで道具を使って火種を起こした覚えはあるが、どんな仕組みだったかは覚えていない。
「召喚されたんなら、ファイヤーとか言って魔法出せないかなぁ」
異世界転移の王道なら、ここは魔法と剣の世界で冒険者ギルドがあり、化学文明があまり発達していない世界のはずだ。
試しに人差し指で地面を指差し、炎がでるイメージをして唱える。
「ファイヤー」
その時、体からなにかが指先に向かって集まっている感覚がした。
残念ながらファイヤーは発動しなかったが、もしかしたら魔法が使えるのでは、そう疑問に思うには十分の出来事であった。
不思議な感覚ではあるが、使えない魔法の訓練はあとにして、生活のために必要なものを探していく。
トイレとして使える場所や、トイレットペーパーの代わりに使えそうな柔らかい葉っぱが自生していないか。
寝ている間に動物に寝込みを教われないよう、うろの出入口をふさぐために使えそうなもの。
木の実などの保存期間が長そうな食べ物。
大樹の周りは開けているとは言え、森のなかだ。木が生い茂っており暗くなるのが早い。
あっという間に辺りは暗くなり、探索は早々に切り上げ泉のほとりで体育座りする。
なんとなく体育座りが落ち着く気がする。
月明かりに照らされながら、いつか元の世界に帰れるのだろうかという考えがよぎったが、帰ったところで親も友達もいない。会えばお小遣いをくれる祖父母がいるが、善明を残して男と生活することを選んだ母親と和解しろというのであまり会いたいとは思わなかった。会うのはゲームの発売日くらいである。
家族や友達に会いたいから帰りたいという気持ちはわかない。
この世界で生きるために課題は山ずみで、目の前にやることが多過ぎて頭の処理能力が追い付かずホームシックになっていないだけかもしれないが。
眠くなるまでは魔法の訓練でもしてみよう。
森が焼けては困るので、指先に蝋燭の火を灯すようなイメージをする。何かが体を巡る不思議な感覚がする。
「ファイヤー」
言葉にすることで、体を巡る何かが指先に集まっていく。
チリチリと焼ける音がするが、実際にはなにも出ていない。
詠唱でもいるのだろうか。我に応えよ精霊!なんて詠唱を試すのはいくら1人で野営中とはいえなんだか恥ずかしい。
蝋燭の火をイメージをして、言葉を変えてみることにした。
「灯れ」
先ほどの集まる感覚ではなく、何かが指先へ流れ自然と火が灯った。
指先のうえに蝋燭の火が浮かんでいるような、イメージ通りの火だった。
「おお……、ほんとに使えた。……なんたるファンタジー世界」
呪文というより、言葉はイメージを補うための補助のようだ。
ファイヤーと言うよりも、灯れと言ったほうが蝋燭の火のイメージを固定しやすかった。
火が使えるだけで今後の生活はだいぶ楽になるだろう。
生き物を捕まえることが出来たら肉を焼いて食べられるかもしれない。
どんな味がするのだろうと、期待しながら異世界1日目が終了した。
サバイバルを続けているうちに何日、何週間と経過し、大樹のそばで暮らすのもだいぶ慣れてきた。
日に日に増える干し草によって寝床は柔らかくなり、また干し草に埋もれればそこそこ暖かい。
果物や木の実、キノコを食べてすぐ泉の水を飲めばお腹を下すこともない。
指先に灯る火を使えば、焼きキノコが食べられる。
鳥の雛が巣から落ちていたときは丸焼きにしたら食べられるのでは?と思ったが、可愛いふわふわのまだ羽も生えていないあどけない雛を丸焼きにするのは躊躇われ、木を登りそっと巣に戻しておいた。
巣には色鮮やかな南国の鳥のような羽根がいくつも落ちていた。
それ以来たまに大樹のそばに死んだ魚が落ちていることがある。夜明け前にやってくるため姿は見たことないがいつも魚と一緒に色鮮やかな羽根が1枚落ちており、あの鳥の親が恩返ししてくれているようなのでありがたく焼いて食べている。
泉は美しすぎて生態系が出来ないのか魚はいないため、どこかにある川か池で取ってきてくれるのだろう。
ちなみに芋虫が何匹か転がっていたときもあったが、芋虫は食べずにそっと森に返すと魚しか届かなくなった。
おかげで適度に焼き魚を食べてタンパク質も補えているためなかなか健康的な生活である。
毎日退屈であることをのぞけば、良い生活である。
暇が多すぎるため、魔法の練習をしてみるがなかなかイメージ通りに使えない。
使い道がないため手と手の間で魔法の球体を発生させては消失させる繰り返しだが、うまく球体にはなってくれず制御が難しい。
魔法の種類はゲームで見たことがある属性は一通り試してみた。
火、水、雷、風、氷、闇、光。これらは手と手の間で発生出来た属性である。
木を触ることで植物の根っこを動かし、木を根っこから簡単に抜くことが出来たため、植物を操ることも出来る。
地面に手を当てれば、土で壁を作ることも出来るし、土の中から石を取り出すことも出来た。
取り出した石をナイフのような形に形状変化させることも出来た。ただ、コントロールがうまくできずナイフとは到底言えない鋭くなった石というレベルである。
「魔法って万能だなぁ」
アホの子のような感想でサバイバル生活を続ける。
魔法のコントロールが上手くなってきてからは、イメージした魔法を出しやすくなった。
「ウィンドカッター!」
風の刃で木の枝を切り落とし、果物を手に入れるのも楽になった。
何度かウィンドカッターで木の枝ごと果物を手に入れていて日当たりが良くなっていることに気づいた。
思えば大樹のそばだけ開けていたが、辺りは富士山もびっくりの樹海である。
うっそうとした森林に色鮮やかな羽根が生える南国のような生き物が存在し、キノコ育ち放題の湿度。太陽がてっぺんに来ても薄暗いレベルの日当たり。
このままサバイバル生活を続けていくには限界がある。いつか冬が来るかもしれない。かといって、どこへ行けば人と出会えるのかもわからないため、今の魔法のレベルで冒険へ出るのは危険すぎる。
そうだ。この森の日当たりを良くして生活できる範囲を増やそう。
適度に木を抜き、その木でログハウスを建てるのも良いかもしれない。
そう。開拓生活の幕開けである。