アイリス
私が聖女だと言われたのは10歳の時だった。
洗礼のため教会のシスターがスキルを鑑定し、スキル『治癒魔法』『女神の祝福』『異世界の門』を持つことが分かった日、私はただの農村の娘から聖女になった。
『異世界の門』とは異世界から勇者を召喚することができるスキルとされている。
今までも人間が窮地に立たされるとこのスキルによって異世界から召喚された人間が魔王を倒し、人間界を救ってくれたことから勇者を召喚するスキルだと言われるようになったのだ。
聖女になった私は、その後国からの使者が迎えに来て家族と引き離され王都で暮らすこととなる。
小さな農村のみんなが家族だった村から、知っている人が誰もいない王都での生活なんて恐怖でしかない。
帰りたくて毎日泣いた。すると知らない人からこんなのが聖女で大丈夫なのかとため息をつかれる。
ただこのスキルを持っていただけなのに、勝手に期待して、理想と違えば落胆され、ため息をつかれ、呆れられる。
私がいったい何をしたというのか。
聖女として一般教養は必要だと教育係がつけられ毎日勉強し、農作業がしやすい動きやすい服装から歩きにくいドレスを身にまとい、王族や貴族と会ったときに粗相のないようにと礼儀作法を叩き込まれた。
たった一度勇者を召喚する。
そのためだけに。
このスキルがあったせいでこんなめにあわなければならないのか。
早く召喚して家族の元へ帰りたかった。勇者さえ召喚してしまえば帰れるはずだ。そう信じて生きていた。
そして3年の月日が流れ、ついに勇者を召喚するときがきた。
勇者召喚の儀式は私が異世界の門を開き、異世界との道を繋げる必要がある。
必要な魔力はあまりにも膨大で、王宮魔導士たちが魔方陣の上に立ち、魔力を送り続ける必要があった。
儀式をおこなう広間では、王様をはじめ宰相や兵士、王宮魔導士と何十人もの人が集まっていた。
これで終わる。
そう思い儀式に臨んだ――――――が、儀式は失敗に終わる。
手ごたえはあった。初めて使用したスキルだが、間違いなく異世界の門は開いたのは感覚で分かっていた。
しかし、勇者はその場に現れなかった。
何が原因なのか検討もつかない。
儀式の疲れと、失敗したという事実に絶望し、私は意識を失った。
その後3回儀式を行った。
儀式をやり直し、人が現れたことに安堵したが、スキルを鑑定すると反応なし。
スキルを持っていない人が現れたのだ。とても勇者とは思えない。
その次は女性が現れ、スキルはあったが『メイク』『料理』の二つではとても戦えるとは思えない。
最後に若い黒髪の男の子が召喚され、スキルも『剣術』『体術』『命中』と戦いに向いたスキルであったことから、この子が勇者(暫定)ということになった。
魔法も火属性が使え、王宮で暮らしながら兵士長から訓練を受けて戦闘を学んでいった。
王都そばの魔物を倒し、徐々に手ごわい魔物も倒せるようになった。
勇者にもし何かあればまた召喚しなければならないからと、村へは返してもらえず王宮で軟禁生活が続いていた。
そして勇者召喚の儀式に失敗して一年が経過した頃、王様は私と勇者(暫定)に戦場へ向かうよう発令した。
なぜ聖女である私まで……。
確かに治癒魔法は使用できるが、戦力にはならない。
そのうえ、また召喚する可能性があるからと軟禁状態だったにも関わらずなぜ魔界へ進軍するのか理解できなかった。
王の命令に逆らえるはずもなく、勇者とともに軍へ合流することとなる。
そこで兵士たちの話を聞いてしまった。
「あの子って偽物の聖女様だろう?」
「どうもそうらしいな。異世界の人間は召喚出来ても、お目当ての勇者が召喚出来ないんじゃなぁ」
「いくら聖女だからって、戦闘できない子をこの前線に立たせるなんて、この進軍で死ねって言ってるようなもんだよな」
「実際そういうことなんだろ。本来なら勇者だって全属性使えるらしいのに、あの男の子火属性しか使えないなんて正直俺らより劣ってると思うしな。王様は偽物の勇者も偽物の聖女もいらないから戦争の前線で死にましたってことにしようって腹なんじゃねぇの?」
頭では理解していた。けれど認めたくなかった。
人から聞かされると、やはりそういうことだったのかと思わずにいられなかった。
死にたい。
家族のもとへ帰りたかった。でもそれも叶わない。
こんなスキルがあったから、勝手に聖女様だって持ち上げて、望んでもいない生活を押し付けられて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて――――
糸がプツリと切れる音がした。
死にたい。もう死にたい。魔族のほうへ行けば、きっと殺してくれる。
戦乱のなか、兵士の回復にかこつけてわざと魔族のほうへ向かった。
兵士が次々倒れ、死んでいく。
死んだ兵士の剣を取り、自分に突き刺せば死ねるだろう。
けれど自分で死ぬ勇気なんてない。
誰かに殺してもらいたかった。
フラフラと戦場を歩く私を魔族が捕らえる。
これで死ねる。
抵抗なく捕まった私を魔族はどこかへと連れ去った。
なぜか殺されることはなく、鉄ごてで焼き印を押されたあと檻の中での生活が始まった。
といっても死にたいと願う私に食欲なんてなく、出される食事に手を付けなかった。自分が衰弱していくのは感覚で分かった。
ある日檻から出され、魔族の前へ並ばされる。
鎖で繋がった隣には勇者がいた。別の檻にいたなんて気づかなかった。
どうやら自分は商品になっていたらしい。
まあどうでもいいことだ。
呆然としたまま立っていると、なにが気に入ったのか黒髪の魔族の少年は私を買ったようだ。
鎖を外され、少年のもとへ連れていかれる。
少年は公用語で話しかけてきた。
「これから僕のところで生活してもらう。とりあえず服とか必要なものを買ってから帰るから好きなの選んでおいで」
一緒に買われた男性二人は驚いた顔をしつつもお金を受け取り、服を選ぶ。
衰弱していることもあり、私の分はくすんだ金髪の中性的な顔立ちをした男の子が付き添ってくれた。
「回復かけとくね。帰ったら果物とお粥食べて休もう」
じんわりと温かい空気に包まれる感覚があった。
この人も治癒魔法士みたいだ。
「服、どういうのがいいかな。農村みたいなとこだから動きやすいのがいいと思うけど、ワンピースにレギンスか、シャツにズボンかどういう組み合わせが好き?」
「ゆったりしたシャツにズボンがいいです」
懐かしい故郷での服装を思い出す。
「わかった。汚れやすいから、こういうのはどうかな」
男の子が選んでくれたのはベージュのシャツにカーキの裾が締まったズボン。
「大丈夫です」
「じゃあ同じようなのいくつか選んどくね、座って休んでて」
お店の椅子に座って壁にもたれていた。
これからどうなるんだろう。
今後に不安を覚える。でも農村みたいなところと聞いて、少し期待している自分がいるのも確かだった。
実際に生活してみると、ヨシュアさんのところでの暮らしは幸せだ。
家事をして、草むしりや農作業をして、故郷の暮らしをもっとのんびりさせたような日々だった。
ずっとここで暮らしていたい。
そう思える日々を過ごしていた。
ただ、私が聖女だとバレていないかどうかだけ、少し心配になる。
ヨシュアさん以外は進軍していた軍人だ。聖女である私のことを知っていてもおかしくない。
聖女だと分かれば、人間界に帰れと言われるのではとないかと怯えている。
現状帰る手段はないけれど、魔族との戦争は激化していて、勇者とされていたあの子も魔族に捕まっていた。
今度こそ本当の勇者を召喚しなければならないのはわかっている。異世界の門は、聖女しか使えないスキルだ。
でもここでの生活が幸せで帰りたくない。
一人でこっそり泣いていると、ツヴァイさんに見つかった。
「大丈夫?ホームシック?」
「・・・・・ツヴァイさん、違うんです。帰りたくないんです」
「そっか。俺も帰る方法が見つかっても帰らない予定だから、気持ちはわかるよ」
「帰らなきゃいけない場所があったら、どうしますか?」
「帰らなきゃいけない場所って何?」
「私にしか出来ないことがあって、使命を果たせてないんです。帰って使命を全うしなくちゃいけないのはわかってるんですが…」
「それって自分がやりたくて帰らなきゃいけないわけじゃないよね。まわりから、この能力があるんだからやれってやらされてることじゃない?」
核心をつくツヴァイさんの言葉に息をのむ。
「違ったらごめんね、アイリスって聖女様って言われてる?」
ああやっぱりバレてたんだ。
「はい、『異世界の門』のスキルを持っていて、聖女と言われています」
「聖女だからって、スキルがあるからって、絶対勇者を召喚しなきゃいけないことはないでしょ。そもそも同じスキルでも使う人によって能力差があるのなんて常識だし、聖女と勇者に頼らないと勝てないような戦争を国が仕掛けるのがおかしいと思わない?」
「国が仕掛けたといっても、魔族との戦争は昔から続いているものでは――」
ツヴァイさんは大きくため息をついた。
「あのね、それ嘘なんだよ。ざっくりいうと魔王は弱いものいじめする趣味はないから和解しようって向こうから歩み寄ってくれてるのに、人間側が信用できないだのなんだの言って突っぱねてるの」
「そんなこと、どうして…」
どうしてわかるの?王のそばにいる人でなければ、そんな情報知るよしもないのに。
「どうして知ってるのかって?アイリスが聖女だって教えてくれたお返しに教えるよ。俺の名前はツヴァイ・ゲイル・イスカリオテ。イスカリオテ王家の第四王子。ていっても妾に産ませた隠し子だからずっと孤児院で育ってきたし、王位継承権はないに等しいけどね。次期国王争いに備えて、妾の子でもめる前に戦争で事故装って殺しとこうって思惑に乗っかって死んだふりしてるとこ。魔族に捕まって奴隷になったのは想定外だったけどね。みんなには内緒だよ。特にヨシュア君には絶対ばらさないでね!」
これまでの暮らしで見たこともないあくどい笑顔。
その笑顔を見た瞬間、心臓が早鐘を打ちだした。バクバクと鼓動の音がうるさい。
これは危険な男だという本能からの警告なのか、それとも。
「……絶対、話しません」
熱に浮かされたうわ言のような返事。
「アイリスはいい子だね」
穏やかな声で、満足げにとろけるような笑顔を浮かべる。
きっとここの誰も、このツヴァイさんの様子を話したって信じてくれないだろう。
見てはいけないものを見てしまった、知ってしまった。
帰らなければならないなんて泣いていたことが遠い昔のように感じる。
「よし、じゃあ今日は帰ろっか」
おいで、とツヴァイさんは私の手を引いて皆のいる家へ向かった。
どうか繋いだ手から、私の鼓動が伝わりませんように。
腹黒王子って鉄板ですよね




