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「おやあ?」

「おやあ?」



 その声がしたのは昼食にとテイクアウトしたふわふわ厚焼き卵のサンドイッチをベンチで食べ終え、少しの談笑の後「そろそろ行こうか」とアレンが立ち上がりキトに手を差し伸べようとしたときだった。

 途端にアレンが表情を無くして振り返ると、そこにはアレンに視線を送る少年が二人。どうやらアレンの顔見知りであるらしい。



「ペアトレムじゃないか、こんなところで会うなんて珍しいなあ」



 一人がアレンの名を呼び親しげな言葉をかけるが親しげなのは言葉だけで、その声やアレンに向けられた視線や表情に親しげな様子は一切無い。それどころかニタリと浮かべた笑みは嘲ったようである。



「いつも寮に引きこもってばかりいるから、てっきり外が苦手なのかと思っていたがそうじゃないらしい。ああそれとも……彼女と一緒なら、特別というわけか?」



 その視線がキトに向かうと、アレンがキトを庇うように一歩前に出た。そうするとキトからはアレンの表情が見えず、キトの表情に不安が浮かぶ。

 あの二人組に親しげな様子が無いことはキトにもわかっている。それに、アレンがぱっと表情を無くしたあの顔。どう考えても友人に声をかけられたという顔ではない。そうわかっているからこそキトに向けたアレンの背中は頼り無げで、その感情も読み取れなかった。



「恥ずかしながら、幼馴染の頼み事は断れなくてね」



 アレンがそう答えると、二人組が笑みを無くし面白くないといった顔をする。それはアレンがいつものように穏やかな笑みを浮かべていたからで、アレンの声色からキトもそのことを察した。しかしやはり目の前に見えるアレンの背中は頼り無げに見えるままで、キトは何もできないもどかしさにきゅっと唇をかんだ。

 二人組はこれで引き下がる気は無いらしく、一人がふんと鼻を鳴らすと再び口を開く。



「そういえば昨日は外泊だったみたいじゃないか、幼馴染のお願いで夕飯でもご馳走になったのか? まったく仲が良くて羨ましいなあ。しかしまあ、何より羨ましいのはそれだけ女にうつつを抜かしていても一番の成績がとれることだな。さすが、天才ともてはやされるだけのことはある」



 そう言った言葉にはやはり言葉の通りの感情など込められているはずもなく、その表情は嘲っているというよりも嫌悪の感情がにじみ出ているようだった。それでも何とか余裕ぶろうと口元には笑みを浮かべていたが、アレンが自然な笑みを浮かべたまま「それほどでもないよ」と言うとすっと口角が下がってしまう。



「申し訳ないけれど俺たちはまだ予定があるから、そろそろ失礼するよ」



 次いでアレンがそう言えば二人組の眉間のしわが一本増え、ついに嫌悪が露わになる。しかしアレンはそれを気にした様子も無く、表情を変えないままで「それじゃあ」と言うと二人組に背を向けた。すると、不安げにこちらを見上げるキトと目が合う。

 キトは何か言おうと口を開くのだが、言葉が出てこないようですぐにきゅっと唇を結んでしまった。アレンはそんなキトに笑ってみせると、その背中にそっと手を当てて歩き出すよう促す。キトはそれに抵抗することも出来ず、戸惑いながらも促されるままに歩き出すのだった。




「さ、どこに行こうか」



 しばらく歩いた後に立ち止まりキトにそう言ったアレンは、やはり穏やかな笑みを浮かべていた。しかしそれでもいつもとは違って見えるその表情に、キトの胸がぎゅうとしめつけられる。そうするとキトは『浮かれるな』や『子どもの頃とは違うから』などの戒めをいったん頭の隅に追いやるしか無かった。

 キトの手が、アレンの手に触れる。それから手繰り寄せたアレンの手は、すっかり冷え切っていた。それはきっと寒さのせいだけではないと思えばアレンの手に触れたキトの手に力がこもり、ぎゅうと握りしめる。

 それから少し驚いたような顔でこちらを見るアレンに、キトは出来るだけ明るく見えるように、笑ってみせた。



「ご飯の後は、デザートでしょ。外でアイス食べるにはちょっと寒いから、何だろう、シュークリームかなあ、アレンは何がいい?」



 アレンは数秒の間キトの笑った顔を静かに見つめ、それからゆっくりと笑みを浮かべる。



「温かいものがいいんじゃないかな、例えば……揚げたてのドーナツとか」



 そう言ったアレンにキトは「グレーズのかかったやつね」と言うと、くいとアレンの手を引いて歩き出すのだった。









「あらっ」



 手を繋いで帰ってきた二人を見てマラヤは思わず笑みをこぼしてそう言った。

 その反応にキトは急に恥ずかしさがこみあげ、ぱっとアレンの手を離す。アレンの手は一瞬キトの手を追うように動いたが、すぐにその動きを止めて己の上着へと手を伸ばした。そうして脱いだそれをマラヤに預けると、アレンはキトに「暖炉に火を入れておくよ」と言い先に歩いて行ってしまった。


「キト様」


 キトがその背中をためらいがちに見送っていると、マラヤに呼びかけられ振り返る。



「温かいココアを淹れますので、持っていってくださいますか」



 にこりと笑って言われたその言葉に、キトはぎこちなく笑い返して頷いた。





 扉を開くと、少しだけ温まった空気がふわりとキトの頬をくすぐる。

 ソファに腰掛けていたアレンは扉を開く音でキトが入ってきたことに気付いたのか、振り返ってキトの名を呼んだ。それから「おいで」と優しく呼ぶ声に、キトはソファの方へ歩いていくとマグカップの二つ乗るトレイをテーブルに置いてアレンの隣にぽふんと腰掛けた。

 アレンの手がキトの頭に伸びたと思うと、被ったままだった帽子が取り払われる。そうして露わになったネコミミにまだ温まりきらない空気が触れ、ぴくりと動く。それからアレンの手がネコミミを撫でつけるようにして触れるのを、キトは甘んじて受け入れていた。



「ありがとうキト、心配してくれたんだろ」



 アレンがそう言った言葉にキトは何も答えず、ただ少しだけアレンの方へ体を寄せた。するとアレンがふふと笑う声がする。



「キトは、変わらないなあ」



 次いで、アレンがゆったりとした声でそう言うのがキトのネコミミ……耳に聞こえた。



「厚焼きの卵を挟んだサンドイッチが好きなのも、グレーズのかかったドーナツが好きなのも変わらない」



 マラヤの作ったロールキャベツが好きなのも変わってなかったね、とアレンが言えばキトが抗議するようにどんと体を押し付けた。食べ物のことばかりで、まるで食い意地が張っているようではないか。思わずアレンを見上げて不満げな瞳でそう訴えれば、アレンは反省した様子も無くふふと笑うだけだった。



「それからこうやって、心配してくれるところも変わらない」



 そう言うとアレンはもう一度キトのネコミミを優しく撫でつけた。不思議なことにぞわりとする感覚はまるで無くて、むしろくすぐったさはあるがどこか心地良い感覚にキトは目を細める。そうして何度もネコミミを撫でつけられるとだんだんと体の力が抜けていき、キトの頭はアレンの肩からずるずると膝の方まで落ちていくのだった。



「ああいう嫌味は成り上がりにはつきものだから、今更気にしていないよ」



 アレンの膝枕に頭を預けたキトのネコミミを優しく撫でつけながら、アレンがそう言う。しかしキトはそれが、嘘だとわかっていた。

 いや、アレンの事だから自分では気にしていないと思い込んでいるのだ。しかし今更気にしていないというなら、どうしてああも頼りなげな背中だったというのか。昔からそうだ、平気だと言うアレンは本当は平気ではなくて、けれどアレンは決してそう言わない。だからキトが気付いて、心配して、傍に居て、それでようやくアレンはちゃんと笑った。

 その笑った顔はぎゅうと胸を締め付けて、それなのにどうしようもないほど目を逸らすことができない。それが、幼いキトがアレンに淡い恋心を抱くきっかけであり、今でもその恋心を捨てられない理由だ。叶うはずが無いと知った、今でも。

 それと同じ笑顔が、今、見上げた先にある。

 その事実はキトの胸をぎゅうと締め付けて、しかしそれは幼いころに感じていたものとは違って幸福な苦しさではなかった。

 それなのにアレンは、そんなキトの心の内など知らないとでもいうように優しく、何度もネコミミを撫でつけてくる。それはやはり何にも形容しがたい心地良さで、次第に葛藤に苦しむキトの思考を奪っていくのだった。

 微かに、ああ、だからダメなんだという言葉がよぎっていった気がするが、キトはそれを掴んで止めることは出来なかった。そもそもアレンのせいなんだから、ネコミミの解毒薬を盾にされているんだから仕方ない。だから今だけ、今だけなら。そんな言い訳がキトの頭をよぎり、じわりとむしばんでいった。



「……ねえ、キト」



 そんな中、次に聞こえたアレンの声はどこか声色が違って聞こえて、キトは急に頭がかんと冴えた気がした。



「今まで、本当にごめん」



 見上げた先に見えたアレンの顔は笑みを浮かべたままだったが、キトはその笑顔にどこかぎこちなさを感じ取って胸がざわついた。



「こういうことは、もうこれきりにするよ、もう実験台にしたりしないから、安心して」



 きゅうと苦しくなる胸とは裏腹に、キトの頭には、ああそうか、という冷静な言葉がよぎる。アレンもやっぱりわかっているのだ、子どもの頃とは違うと。妹のようにしか思っていないとはいえ、あまりキトに構いすぎるのはアレンにとって不利益なことだ。現に今日街で会ったあの二人組だって、キトの存在をだしにアレンに嫌味を言った。ああいったように下世話な勘繰りをする人間は、他にもいるのだろう。それに、いつか決まるであろうアレンの婚約者だって。

 だからこそアレンはこういうことはこれきりにすると、そう言ったのだ。そしてそれは、キトにとっても喜ばしいことで。喜ばしいことの、はずで。

 キトは自分の表情を隠すように、アレンの腹部に顔を押し付けた。アレンが少し驚いたように「キト?」と呼びかけるが、キトが何も答えずぐりぐりと更に顔を押し付けると何も言わずにその頭をゆるりと撫でる。

 そうしてキトの頭を何度も撫でながらアレンがつぶやいた「ありがとう」は、薪がひときわ大きくパチンと爆ぜた音にかき消されてしまった。












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