「……やられた」
「……やられた」
鏡に映る己の姿をじっと見つめながら――本当は見たくはないのだけれど――、キトはただひたすら猛省していた。
「だっはははは! あはははは!」
目の前で一口食べて見せる様を見せられたからといって、油断をするべきではなかった。あの幼馴染がどれだけ頭のきれる人物で、どれだけ悪知恵のはたらく人物であるかということをよく知っているはずだというのに……まったく浅はかにも程がある。
「ひーはははは! あはははは! お腹痛い!」
言い訳をするならば、あの幼馴染が過去に目の前で一口食べて見せるなどということをしたことなど無かったこと、差し出されたショコラがとても、大変に、美味しそうに見えたことなどが挙げられる。それはそのまま反省点となるだろう。――特に後者においてはだいぶ猛省すべき点である――
「てかあの人! そんな趣味あったのかよ! あははははは!」
「だあうるさい! さっきから笑いすぎ!」
先ほどから耳に障るルームメイトの笑い声についにキトが勢いよく振り返り怒鳴りつけたが、あろうことかルームメイトは振り返ったキトの姿を見るとベッドの上で腹を抱え、さらに笑い転げるのだった。
「あっはははは! こっち向くな! お腹よじれる! ひっははは!」
「笑うなってばー!」
「だって! ひははは! そんなカッコで言われても!」
返された言葉にキトは思わずぐっと口を閉じてしまう。言い返す言葉が無いのだ。
なぜなら馬鹿笑いを続けるルームメイトを悔しげに睨むキトの頭部には、ぴょこんと生えたネコミミがふたつ。
「ぶっ! 感情に合わせて毛まで逆立つとか! どんだけ手ぇ込んでんだよ! ぶははははうける!」
馬鹿笑いするルームメイトの言う通り隠しきれない感情が逆立つ毛に現れているそれは、紛う方なく”あの幼馴染”に盛られた薬のせいで生えたネコミミなのだった。
あの幼馴染ことアレン・ペアトレムは、キトにとってだいぶ困った幼馴染だった。
キトよりも一つ年上の彼の趣味は、薬学に魔法をかけあわせた”魔法薬学”の研究である。それだけなら彼の自由であるのだが、この幼馴染の困った点は出来上がった薬の実験台に、キトを利用してくることなのだった。
正面切って「飲んでみてくれ」と頼んでくるのならまだマシだっただろう。しかし困ったことに彼はあれやこれやの手を使い、気が付かないうちにキトに薬を盛るのである。キトとてやられてばかりではない、あれやこれやの手を使うアレンに対してあれやこれや最大限の警戒を持って臨んだ。しかしながらキトがどれだけ警戒をしていても、悪知恵のはたらく幼馴染の方が一枚も二枚も上手なのだった。結局はアレンに薬を盛られ、鏡の前で忌々しげに「やられた」とつぶやくことになるのである。
……それが丁度、今の状況だ。
「あー朝っぱらから笑った笑った、余計に腹減ったわ、そろそろ朝飯行かないと食い損ねるなあ、どうすんのキトー?」
笑いすぎて目元に溜まった涙を拭いながら、ルームメイトがキトにそう問いかける。キトはすっかり項垂れていたが、その言葉にゆっくりと顔を上げた。
朝っぱらから己のネコミミ姿に辟易したとはいえ、なにもこんな経験は初めてではない。何か体に違和感が……と目が覚め、鏡を覗き朝っぱらから「やられた」と忌々しげにつぶやくのはキトにとってはよくあることだった。慣れている、と言うのは語弊があるが、こうなった場合の対処法をキトは知っている。――ついでに忌々しげに「やられた」とつぶやく度にルームメイトが馬鹿笑いするのもよくあることだが、これは未だに慣れず腹立たしいことこの上ない――
「……とりあえず、いつものように医務室に助けを求めに行くよ」
「はは、だろうね。後でなんかもってったげるよ」
ルームメイトの言葉にキトは「ありがとう」と言おうとして、やめた。ネコミミ姿に馬鹿笑いした彼女の所業は到底許せるものではないからだ。代わりに思い切り顔をしかめじろりと睨むと、ルームメイトはキトの訴えを察したのか「あー……」と言うと気まずいといったように首筋に手をやる。
「……その、馬鹿笑いしたのは悪かったよ、ごめん」
ルームメイトがそう謝罪の言葉を口にすれば、キトは恨めしげにその顔をじっと見つめて一言。
「ふわふわ分厚い卵サンド」
と、いつもの要求を告げるのだった。