紛失図書の修復作業
10話で完結予定。
まとまってできれば、これをベースに改稿し、長編小説を書く予定。
定期的に聴こえる陸上部の掛け声と、軽快なテニス部のラケット音。
酸化したアーモンドを炒ったような古書の匂いが漂うこの部屋で、俺は生徒の下校時刻まで安部公房の『燃えつきた地図』を読む。探偵の男が記憶喪失になる不可解な話だ。
「こんな本のどこがおもしろいんだ」
心の中でそう呟きながらも、1ページずつめくっては時間が過ぎゆくのを待っている。
誰も来やしない高校の図書室で図書番を任された教師の岡安は、怠惰に自分の時間を費やしている。
高校生の青春と切り離されたこの空間に、ある女子生徒が入室してきた。
岡安は一瞥もくれずに本のページをめくる。彼女も同様に一瞥もくれずに図書室の奥のテーブルに黒鞄を置き、数学の問題集を取り出して自習を始めた。
15分ほどすると俺は読んでいる本に飽きて、ふと図書室を見渡すと、そこに彼女がいることにようやく気付いた。時刻は17時15分。そろそろ部屋を閉める時間だ。
「あと15分で部屋閉じるぞ、家で勉強しろよ」
岡安は彼女に向かって呼びかけた。
問題集に集中する彼女は、岡安の声に気付くそぶりもせずに、黙々と問題を解き続ける。
よく見ると、彼女は俺が1年のクラスで現代社会を担当している生徒であった。名前は誰だっただろうか。
何十人もいる生徒の名前すら憶えていないので仕方がないが、仕方はないが、しかしながら顔は憶えている。
青春時代に取り残されたような、その彼女の雰囲気だけが、岡安の記憶には残っていた。
他の生徒とつるもうとせず、物静かで他人を寄せ付けない雰囲気が印象にあった。
「――っ」
遠くで俺には聞こえない声で何かをつぶやいた彼女は、ノートを問題集に挟み、黒鞄へとしまって退出する準備を始めた。
ここを閉めても明日の授業の準備が残っている俺にとっては、いつも通りに図書室を閉めることができると肩をなでおろす。
「岡安先生、さようなら」
黒鞄を肩に提げ、顔も合わせず彼女が俺に挨拶をして出て行った。
「さようなら」
そう挨拶を返した俺にとって、彼女の声を聞いたのは初めてだった。
しかし、過ぎ去る彼女の姿は、どこか懐かしく、そして忘れていた青春がそこには見えた。
ふと思い出した、あの時の想い出の映像がよみがえる。
「おい、君は1年の……」
「神代です」
後ろを振り向くもせずに、帰りゆく彼女の自己紹介に、高校生だった頃に経験したあの 忘れていた出来事に再会した。
10年前に出会ったあのクラスメイトと苗字が一緒だったことも、岡安にとっては偶然ではなく、定められた運命であるかもしれない。
「『神代』か……、懐かしいな」
――キーンコーン
17時30分と、下校時刻を告げるチャイムは、忘れかけていた高校時代の青春の再会と、女子生徒と教師のほろ苦い関係の萌芽を告げていた。