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「どーっしったの♪」

「わっ」


突然の急襲にあった。ジャスミンだ。

とっさにジタバタともがき、脱出。


「逃げないでぇー」

「いろいろと無理だ!」


昔はそれでもよかったのかもしれない。

けど……今はいろいろとまずい。いろいろと。


「どこにいくの?」

「今日から本格的な戦い方を学べって、番人様に。格上を倒す想定をしろとかなんとか」

「あー……そういや今日からか……」


考え込むような表情。

それがなにか気になって、なにかを言おうとした。

だが先に口を開いたのはジャスミンだった。


「カルマ、昔のこと、どれぐらい覚えてる……?」

「昔のこと?」


両親のこと。

番人様に死ぬほど鍛えられたこと。

……ずっと孤独だったこと。


俺の幼少期といえばだいたいこんなことが占める。

あまりいい時間ではなかった。楽しい時間なんてろくになかったし、ひとりぼっちでいることに気づくと、どうしようもない気持ちになった。


「……ふつう、かな」

「じゃあ、私との思い出はある?」


困惑する。あるにはあったが、あまり多くはない。

実際に会ったのは三回とか、それぐらいではないだろうか。

けれど、ジャスミンは、俺に優しくしてくれた。そのことをいまでも覚えている。それと、そこぬけの明るさに、少し、元気づけられたことも。


「三回ぐらい会ったことがあったっけ?」

「やっぱり、かー」

「……?」

「もっと会った回数は多いよ。最初の頃はお姉ちゃんって呼んでくれてたしね」

「そうだっけ?」


ジャスミン、だとか、ジャスミンさん、としか呼んだことがない気がする。口調は今とかわらないが、今は立場というものを知っているから、さん、づけで呼ぶようになった。


でも、子供のころならそんなものも気にしなかっただろう。そのなかでいろいろな呼び方をしていたとしても、自然なことだ。


「大事なこと、忘れてない?」


真剣な目でそう言う。

大事な、こと。彼女はいったいなにを言おうとしているのだろう?


「おかしいと思ったんだよ。なにも聞かれないし、ちょっと探ってみてもまともな反応はないし。……バンは知っててほっといたみたいだけど」

「どういうこと?」

「ほんとうに、思い出せないの?」

「……ごめんなさい」


咎めるような言い方に、少し怯む。

こんな風にジャスミンに言われたのは、初めてのことだった。


彼女が怒っているわけではないことは、わかっている。

どちらかといえば、必死になっているような、感情の漏れ。


「はあ」とジャスミンはため息をつく。


「ごめんね。カルマはなにも悪くないよ。きっと環境のせいだからねー。なにより、頑張ってるでしょ?」

「そう、かな」

「まあたぶん、なるようになると思うし、大丈夫かな」

「う、うん」


慈しみ深い聖母のように、ジャスミンは微笑む。


「忘れてしまうほど辛かったんだね。でも大丈夫だよ。これからはきっと良くなる。ううん。きっと、もうよくなってきてるはず」

「……うん」


俺が過去、辛かったこと。

それは事実だ。

でもそのことを誰かに泣きつこうとは思わなかったし、許されてもいなかった。


不思議な気分になる。

慰めてもらって、大丈夫だよって言われて。


だが、なぜ、ジャスミンは俺のことをこうも気遣うのだろう?

しかも、こんなに急に。


――「忘れている」とジャスミンは言った。


「あの、ジャスミンさん? 忘れてるって、なんのこと?」

「言ってもいいんだけど、それじゃあ実感がわかないだろうしねー。まあ、実際に思い出す機会が来て、自然に思い出したほうがいいと思う」

「自然に?」

「うん。もうすぐそうなるはずだから」


そうなのだろうか?

まあ、ジャスミンがこういうのなら間違いないのかもしれない。彼女は信頼できるから。


「それともうひとつ……」

「うん?」

「……悪気があったとか、そういうのじゃないから、許してあげてね?」

「……? えーと、わかりました」

「よし♪」


機嫌よさげに、ジャスミンは笑う。


「いってらっしゃい♪」

「行ってきます!」





よく風の通る平原に出た。

武術を教わるという話だから、正面からの戦いに最適な場所を選んだということだろう。

いつもは封魔一族として、森で番人様にいろいろ教わることが多い。


武術、なんて言葉を聞くと連想するのは鋼の名門だ。

彼らは封魔一族特有の「武器は鎌しか使えない」というルールを無視できる存在だ。その性質は人族に近いといえる。


武術は人族のものであるから、俺が教わるとしたら鋼の名門からではないだろうか? 

そんな予想を立ててみる。


いったいどんな過酷な訓練が待っているんだろう。

吐くぐらいきついのは嫌だなあ、と思う。


でも番人様はずいぶんとこの修行を重要視していたみたいだし、それぐらいは余裕でありそうだ。


筋肉マッチョな武闘派と地獄の訓練……。

鞭とかで死ぬほどしごかれそうだ。これは俺の考える鬼教官のイメージなんだけど。


……バカなことを考えた。

こんなことを考えていられるのは余裕があるからだろうか?

いや、ただの現実逃避だ。


――人影が見えた。


どんな人物なんだろうと、シルエットを覗く。

それは予想していたような筋肉質な体型をしていなかった。

むしろ細く、その雰囲気は――。


女、だった。

そいつが誰だか、俺は知っている。


俺を救ってくれた恩人。封神龍樹の下で出会った少女。


――秘境のお姫様。


まっすぐな瞳が、俺を見つめる。


「こんにちは」と彼女は言った。


どぎまぎしながら、俺は答える。


「よ、よろしくお願いします」

「普通の口調で大丈夫ですよ」

「ええっと」


それでいいんだろうか、なんて考える暇はなかった。


綺麗な指先が覗く。

手をかけるは仮面。

それがずらされ、その表情が見えるようになっていく――。


――綺麗だった。


透き通った白い肌。

氷のような冷たい美貌。

この世のものとは思えない、超俗的な雰囲気。


流れるような金髪も、魅入られそうになる翡翠の瞳も。

完璧すぎるぐらいに、整っていた。


「私のこと、覚えていますか」


そんな人物が、そう言った。


――頭が刺激されるように、酷く痛む。


封神龍樹の下で出会ったことだろうか。

なんだかそれは、少し違う気がした。


どこまでも冷静に見える彼女。でも本当は、なにかを期待しているような、そんな表情で。


――忘れている、とジャスミンは言った。


俺は何を忘れているのだろう。

いや、ほんとうはもう、わかっているはずだ。


ジャスミンが言った言葉。孤独に過ごした幼少期。

暖かさを知っていたから、孤独は辛かった。

ほんとうなら壊れてしまうはずだった。でも、そうはならなかった。


子供がひとりで泣いている。

怖い怖いと、どうしようもなくおびえている。


――ずっと一緒にいようね。


そう言ってくれた子がいた。

最初はむしろ、彼女がひとりぼっちだった。

俺はそんな彼女の手を引いて、外に連れ出して。


子供のころの拙い感情。

でもたしかに、それは大切なものだった。


そうだ。俺にとって誰よりも大切なひとで、いつの間にか消えてしまった存在。


最初はなんでもない存在だった。

次は俺が狂うのを防いでくれたような大切な存在だった。

そして俺の目の前から去り、過酷な現実のみが残って――。


「なあ」と俺は言う。


彼女は小首をかしげた。

記憶の影が、なにかと重なる。

それだけで、俺はなにも言えなくなって、振り払うように首を振った。


そういえば、と思う。

ほかにもずっと一緒にいた存在があった。

そいつは俺の作った妄想人格で、『空がそこにあるように、ずっと一緒にいられる存在』として名前を付けた。

ソラちゃん。そう、ソラちゃんという名前だ。

だがこれはおかしいのだ。なにかが、決定的におかしい。なぜ、こんな名前なのだ? ほかのものでもよかったはずだ。

しかし、あえでこんな名前になっているのは『都合がよすぎる』気がした。


――ずっと一緒にいようね。


そんな言葉が脳内で繰り返され、それで。

……ようやく、納得がいった。

ソラちゃんとは、単なる代替品だったのかもしれない。

忘れてしまったけど忘れないように、そのために存在した、思い出の保管場所。

ずっとおかしいと思っていた。妄想友人なんて、不自然な存在だって、でも、それがないと、辛くてたまらなかった。


目の前の現実を理解する。

翡翠色の瞳を持つ彼女。

幼いころに「ずっと一緒にいようね」と約束をしてくれた女の子。

その子には、名前がある。


俺はそれを告げられた時、「いい名前だ」と言った。


――その子は空が好きだった。


「……ソラファ?」と消え入りそうな声で言う。


ずっと一緒にいられるための妄想人格。

ずっと一緒にいようね、と固く結んだ約束。


……思い出したのは、誰よりも大事な子の、名前だった。




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