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6. 知らない顔

 十月も終わりというその日、オリヴィアは王宮に用事があるという父親に付いて朝から王都に出て来ていた。

 辺境伯領から王都に出るのは社交シーズン中だけで、それ以外の季節は基本的に領地で過ごしている。領地から王都まで馬車で数日かかることがその主な理由だが、今回父親の用に併せてオリヴィアも出て来たのは、フレッドに礼を言う良い機会だと思ったからだ。


  フレッドとは社交シーズン中の最後の舞踏会以来、会っていない。シーズン中はニ、三日と空けずに夜会や舞踏会が開催されるため頻繁に顔を合わせていたが、シーズン終了と同時にオリヴィアは領地に戻ったため会う機会を作らずにいた。今敢えて会わなくても、あと九ヶ月もすれば嫌でも彼とは夫婦になる。

 フレッドも同じ思いだろう、向こうから誘われることもなかった。その方がいい、あまり会いたくはない、とは思いながらも、その間彼はアイリーンと会っているのだろうか、と思うと何故だかあまり良い気はしなかった。


 会わない間もフレッドからは折々に贈り物が届けられていた。大抵は花束が多い。花の種類は毎回変わり大きさや色もその時々によりまちまちで、特段オリヴィアに合わせて選んだようにも見えない。婚約者の務めとして送っているだけにも見える。そしてそれらの花束には必ず一言書かれたカードが添えられていたが、その一言も当たり障りのないものだ。お元気ですか、とか寒くなってきましたね、とかに過ぎない。愛を囁くものなど一つもない。当たり前と言えば当たり前だ。

 オリヴィアはいつも、それらを一瞥すると侍女に花を飾っておくようにだけ伝えていた。花束を持ってきた使いの者に返事を言付けることもない。向こうも返事など期待していないだろうと思うし、どう返事を返して良いかもわからなかった。カードは処分しておいて良いと、これも侍女に渡していた。

 それでも花に罪はない。侍女のエマはそれらをいつもオリヴィアの寝室の中でも柔らかな光が当たる場所に飾ってくれ、頻繁に水を入れ替えてくれる。お陰でフレッドからの贈り物は、かなり長い間オリヴィアの目を楽しませてくれた。


 とはいえ、流石に毎回返事をしないのも失礼に当たる気がして、花束を受け取る度に申し訳ない気持ちにはなっていたのだ。だから、社交シーズンが終わっても大抵は王都に留まっているというフレッドを訪ねてみようと思ったのは、ほんの出来心だった。




 王都にあるアルバーン家のノッカーを打ち付けてみれば、先触れを出していたお陰かすぐに家の者が応対してくれた。屋敷に足を踏み入れれば、この家の使用人達が一堂に会していて、オリヴィアは少々たじろいだ。そこまで仰々しい訪問のつもりではなかったのだ。

 視界の端で女達がオリヴィアを見つめて、ほう、とため息をつくのが見えた。

 執事と思われる老齢の男性が進み出る。


 「これはこれはオリヴィア様、ようこそおいでくださいました」

 「突然の訪問でごめんなさい。フレッド様はいらっしゃいまして?」

 「とんでもございません。ご婚約者様なのですからいつお越し頂いても大歓迎ですよ。坊ちゃまは先ほどお戻りになられたところで、まだ裏手にいらっしゃるのです。サロンでお待ち頂けますでしょうか?」

 「いえ、お礼を申し上げたいだけですから、私の方から伺いますわ。案内してくださる?」


 喜んで、と執事に案内されたのは、裏手にある厩だった。

 近くまで来たところで執事を下がらせ、一人で向かう。果たしてフレッドはそこにいた。




 フレッドは愛馬なのであろう、そこにいた馬を愛しそうに撫でていた。


 その姿はこれまでオリヴィアが目にしたことのない、慈愛に満ちたもので、オリヴィアは声を掛けるのも忘れてその光景に見入っていた。

 暖かい眼差しと、柔らかな微笑み。オリヴィアどころか、外で見せたことがないのではないだろうか。

 フレッドが愛馬に、リリス、と声をかけると馬は甘えるようにフレッドに頭を擦り寄せる。その雰囲気が何か侵しがたいものに思えてしばらく見惚れた。

 この人は、こんな顔も出来るのか。いつもどこか冷たくて上辺だけの笑みを浮かべている人だと思っていた。心は何処にあるのだろう、と。でも心は確かにあるのだ。それもこんなに暖かな、心が。

 オリヴィアはそこまで思って、つきりと胸が痛むのに気付いた。


 なぜだろう。針で刺されたかのように痛い。オリヴィアは思わず胸に手を当てた。


 と、気配に気付いた馬がこちらを向いた。フレッドも同時にこちらを向く。その顔には微かに驚きが伺えたような気がして、オリヴィアは気不味さを覚えた。これではコソコソと覗き見してたみたいだ。堂々としなければ。先ほどまで感じていた僅かな痛みはいつの間にか霧散していた。


 「オリヴィア、どうして此処に?」


 フレッドはもういつもの冷んやりした薄い微笑みを浮かべた顔に戻っていた。先ほどの表情は何かの幻かと思う位に。そのことを少し残念に思って、それからそう思った自分に自分で驚く。だから一瞬浮かんだその感情をすぐさま頭から追いやった。

 此処、というのが屋敷のことなのか、それとも厩のことなのかわからなくて戸惑いながら、厩のことだろうと勝手に結論づける。そこでフレッドの邪魔になったと気付いた。


 「貴方が此処にいると聞いて案内してもらったの。大丈夫、すぐ帰ります」

 「いや、こちらは構わないですが。すみません、本来なら貴女の手を取るところですがこの通り馬の世話をしていて綺麗とは言い難いので」

 「気にしませんわ」


 フレッドは肩をすくめ、ひらひらと手を振った。オリヴィアは思わずくすりと笑ってしまう。その様子に何を思ったのかフレッドの目が細められる。じっと探るように見つめられてオリヴィアは何かまずかっただろうかと狼狽えた。視線を馬の方へ逸らす。咄嗟に浮かんだ疑問に縋った。


 「ご自分で世話をなさるのですか?」

 「ええ。こいつとは共に育ったようなものでして。だからか、こいつは僕にしか懐かないんです。それに、こいつだけはこれからも僕のそばにいてくれる」


 婚約者を前にして、馬だけがずっと傍にいる、とは。オリヴィアは思わずまじまじとフレッドを見つめた。その表情は相変わらずだったが、ほんの僅か、彼の孤独が垣間見えたような気がしてどきりとする。

オリヴィアは白い結婚を維持できるのなら、フレッドの妻になることに異存なかった。いずれは貴族の娘として結婚しなければならなかったし、誰と結婚するにしても所詮政略結婚になる。だから誰が相手でも変わらないと思っていた。むしろ彼のようにオリヴィアの提案を呑んでくれる男性は稀有な存在だろう。最初こそ嫌悪したものの、フレッドに触れられさえしなければ、その先を求められさえしなければ、彼と共にこの先を過ごせるつもりでいたのだ。

だがフレッドはもう、半年後に別れることを決めているということだろうか。そうか、だからおざなりな贈り物が送られてきたのか。


 それはそうだろう。こちらが勝手を通したのだ。彼がそれを受け入れなければならない理由はない。そもそもあの提案を呑んでくれたことがおかしかったのだ。女性とのお付き合いが皆無というわけではないようだし、フレッドの容姿なら次男とはいえ、相手に困ることはないだろう。

 ならば半年後といわず、今すぐ婚約を破棄すればいいのに。もしかして、あの日の約束通り、半年後に解消することで私から婚約を破棄したことにしようとしてくれているのだろうか。

 フリークスの家が、自分が、彼を追い詰めている。なのに彼は何も言わずに婚約者を演じてくれているのだ。


 そこまで思い至って、オリヴィアはフレッドを見詰めていた目を伏せた。今になって、己の身勝手さに気分が悪くなった。


 「オリヴィア?」


 オリヴィアが何も言わずに俯いたのを怪訝に思ったのだろう。常よりも心配気な声だった。その声にさえ罪悪感をあおられる。


 「……いえ、ごめんなさい。何でもないわ。あの、贈り物のお礼をお伝えしようと思って立ち寄らせて頂いただけなの。いつもお花をありがとうございます。楽しませてもらっていました。ではこれで失礼します」


 何とか顔を上げて微笑もうとするが、自分でもその表情が歪んでいることに気付いていた。声が震えるのを悟らせまいと早口でまくしたててオリヴィアは身を翻した。









 そそくさと礼を述べて身を翻したオリヴィアの手を掴んだのは咄嗟のことだった。

 泣きそうな声で、崩れそうな表情で、自分を見たオリヴィアが、何故だかその時脆く儚く見えた。いつもの彼女の表情からは想像もつかない。社交界では強気なオリヴィアの、知らない一面を見た気がして、このまま行かせてはならないと思った。何故貴女がそんな顔をする。


 手首を取られたオリヴィアがびくり、と身体を強張らせた。


 ああ、触れてはいけないのだった、そう思っても遅い。この手を離せば何かが終わってしまうと思った。何が、とは自分でも説明がつかなかったが。

 じっと、その潤んだ瞳を覗き込むように見詰める。その心の内を知ろうとするが、彼女はすぐに目を伏せてしまった。


 「……離してください」


 強張った声でオリヴィアが囁く。あの、無理やり口付けた日のようにオリヴィアが怯え始めたのがわかる。やはり、異性に触れられることに恐怖心があるようだ。薄々そんな気がしていたが、あの白い結婚の提案は、彼女の恐怖によるものなのだろう。早く離してやらなければと思うが、掴んだ手は動かなかった。


 「離しますから、逃げないで」

 「逃げてなどいません。用事が済みましたから失礼するだけです」

 「僕の方はまだ用が済んでない」

 「お願い、離して」

 「離すから話を聞いてくれ」


 ぐいぐいとフレッドの手から自身の腕を抜こうとしていたオリヴィアの力が観念したのかようやく緩む。それを確認してフレッドも手を離した。


 「何でしょう」


 そう問いかけた彼女の声はまだ硬さがあったが、先程までの儚さは消えいつもの調子が戻ってきていた。フレッドは彼女が逃げなかったことに安堵した。

 とはいえ、咄嗟に用があると言ったもののこれといって何も思いつかない。苦し紛れに傍のリリスを見遣る。そこで不意に思い付いた。


 「……馬は、お好きですか」


 話が唐突に変わって、毒気が抜かれたのだろう。オリヴィアが怪訝そうに答える。


 「……?ええ」

 「では、遠駆けでもしませんか」

 「遠駆け、ですか」

 「貴女が馬に乗れるならそれでよし、乗れないなら貴女は馬車を使ってもいい。勿論、僕のリリスに二人で乗っても構いませんが」

 「いえ、結構です」


 結構です、とはどういうことか。誘いそのものを断っているのか、それとも。フレッドが思案しているとオリヴィアが続けた。


 「……フリークスの領地はご存知の通り国境にありますから、小さな頃から馬は嗜んでいますの。馬車ではリドリアからの侵入者に遭遇した時に対処出来ませんから」

 「対処したことがあるんですか」

 「対処したと言っても、せいぜいが即座に逃げて駐屯地か父の元に侵入者の報を伝えるだけですけど」


 オリヴィアが泣き笑いのような表情で言った。


 「では決まりだ。貴女の領地を案内してください。ニ人共馬なら大丈夫でしょう?」


 え、とオリヴィアの瞳が揺れたのが見て取れた。動揺しているのがわかる。

 婚約者に領地を案内するのは嫌か。確かに必要以上に距離を詰めまいとしているのには気付いていたが気に食わなかった。


 シーズン中も、出会ったあの日以降は人が見て不審に思われない程度の最低限の接触しかしていなかった。挨拶の時と、ダンスの間。その間だけは触れるのを許される。

 ダンスも最初は酷かった。腰に手を回すとオリヴィアは一瞬びくりと肩を強張らせる。そして踊りの間目を合わせない。婚約者同士が最初の一曲を踊らないのも余計な詮索をされかねない。そう思ってダンスの間だけは我慢してもらっているが、こうもあからさまな拒絶を見せられるとフレッドとしても苛々が募った。

 目の前にいる、自分の手の中にある、なのに決して手に入らない。

 回を重ねる毎に少しはフレッドに触れられることに慣れてきたようだが、視線は相変わらず下を向いたままだった。ステップを踏む足は軽やかでダンスそのものは嫌いではなさそうなのに、これが結婚しても続くのかと思うと憂鬱になる。

 それらの感情は微笑みでカバーしていたが、上手く隠せていたかどうかはわからなかった。

 ダンスが終わるとそそくさと離れ、広間の端に移動するのも毎度のことだ。これまで彼女はどうやって社交界で生きてきたのだろう、と思わず嘆息する。


 そしてフレッドはいつも、苛々を鎮めるために、そして虚しさを埋めるように別の女性を踊りに誘うのだった。実のところ胸に巣食う焦燥も虚しさもそれで埋まる事は無いのだが。




 元々その場しのぎに思いついただけのことだ、断られたところで大したことではない筈なのに、断られたらきっと落胆しそうで、そんな自分に自嘲する。

 沈黙が暫く続いて、フレッドが提案を取り下げようかと思い始めた時、やっと囁くような声が聞こえた。

 その返事に我知らず、フレッドは詰めていた息をそっと吐く。自分が思ったよりも安堵していることに気付いて苦笑が漏れた。


 「……何もない田舎ですが、よろしければお待ちしています」


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