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奥方達の昼下がり1

「本当に、オリヴィアがフレッド様と結婚してくれて、ほっとしたわ」


 リリアナが紅茶をひと口飲んでからしみじみとした声で言った。ふんわりと甘い芳香のする。マルヴェラお気に入りの紅茶は、何度も公爵家に来てくれたリリアナにとってもお気に入りのお茶になっていた。

 次期コーンウェル公爵夫人であるリリアナと、次期グレアム公爵夫人となったオリヴィア。二人は家族ぐるみの付き合いがあるだけでなく、こうして良く互いの家を往き来してお茶を共にするほどの仲だ。今日はグレアム家のサロンで二人だけのお茶会をしていた。

 侍女のエマが淹れてくれる香り高いお茶が心を解してくれる。

 オリヴィアも紅茶を口にすると、ふふ、と笑った。


「リリアナでしょう、フレッド……様、に言いつけたの」


 何となく気恥ずかしくて、結婚したというのにまだ人前では呼び捨てになかなかできない。オリヴィアは僅かに口籠もりながら、リリアナに尋ねた。

 オリヴィアが別の男性と婚約すると告げたのは、リリアナにだけである。なのにフレッドも知っていたということは原因は彼女以外にはない。今となっては彼の耳に入ったからこそ、こうして夫婦として傍に居られるのである。

 リリアナがくすくすと笑って言った。


「あら、私はサイラスに伝えただけよ? 友人が、望まぬ結婚をしようとしているんだけど、どうしたらいい?って」

「やっぱり……」

「でも悪くない結果だったでしょう? フレッド様ったら随分焦っておられたみたいね。サイラスが言ってたわ。『あんなフレッドは見たことがない』って」

 

 オリヴィアはフレッドに王宮へ呼び出された時のことを思い出して、恥ずかしさに身を縮めた。リリアナが何処まで知っているのかわからないが、どうやらサイラスとリリアナの間は筒抜けのようだ。その二人にフレッドがどれほど打ち明けているのかと思うと、消え入りたくなる。


「リリアナ、それ以上は……」


 オリヴィアが頬を真っ赤にしながら懇願すると、リリアナはまたくすくすと笑った。ひとしきり声を上げてから、真面目な表情に戻って言った。


「本当に、良かったと思っているの。だってあの時のオリヴィアは全て諦めていて、笑っていたのに笑ってなかったんだもの。大事な友人がそんな顔をしているだなんて、耐えられなかったのよ」

「……ありがとう」


 オリヴィアは口元を綻ばせた。


「やっぱりオリヴィアは笑うと全然違うわ。静かにしていると落ち着いた雰囲気なのに、笑うと途端に可愛らしくなるのね」

「ええ? そうかしら? そういう風に言われたことはなかったけど……」


 リリアナが向かいの一人掛けソファから、オリヴィアの顔を覗き込んだ。何やら一人でふむふむと頷いている。


「リリアナこそ、可愛らしいという形容がぴったりだと思うわ」

「私のことはいいの。ねえオリヴィア、貴女どうしていつもそんな格好なの?」

「え?」


 リリアナが首を振って自身に向けられた褒め言葉をあっさり流して、もう一度オリヴィアに話を戻した。そんな格好、と言われてオリヴィアは慌てて自分のドレス姿を見下ろした。そんなにおかしな格好だっただろうか、何か拙かっただろうかとどきりとする。リリアナが、言い方が悪かったと慌てて顔の前で手を振った。


「違う違う! 格好がおかしいというのではなくて……シンプルなドレスも素敵だけど、もっと着飾ればより可愛らしさも引き立つんじゃないかなと思って」

「あー……」

「ねえ、エマもそう思うわよね?」


 リリアナが同意を求めるように、サロンのドア近くに控えていた侍女のエマに唐突に声を掛けた。オリヴィアもまさかエマに話を持って行くとは思わず、エマの方へ振り返る。二人の視線を一身に受けたエマは、突然話を振られたにも関わらずにこやかに返した。


「ええ。お嬢様はもっと華やかなドレスもお似合いになると思いますわ」

「ほら!」


 リリアナが我が意を得たりと手を叩いた。対するオリヴィアはどことなく居心地が悪くなって意味も無く指先を絡めては解いていた。矢継ぎ早にリリアナの興奮した声が続く。


「ねっ、レースだとかフリルだとかはどう? それともリボンをたっぷりあしらう? 貴女ならどれも難なく着こなせそうよ」


 はしゃいだ口調で次々と提案するリリアナは満面の笑顔だが、オリヴィアの表情は徐々に曇っていった。ぽつりと零す。


「あまり飾り立てるのは、苦手なの……それに似合わないわ」

「どうして?」

「えっと……」


 女らしい装いは、必要以上に男達の目を惹き付ける。可愛らしく着飾ることを止めたのは十四の時だ。それからはいつも装飾は最小限にして目立たぬようにと気を配っていた。幸いにも装いをシンプルにして壁際に下がれば、オリヴィアのありふれたダークブラウンの髪は舞踏会の場でもさほど目立つことなく周りの華やかな令嬢達の中に溶け込んだ。それでも言い寄って来る男性達は、オリヴィアにとって嫌悪と恐怖でしかなかったのだが。

 急に黙ってしまったオリヴィアをリリアナが怪訝そうに見遣る。その視線がオリヴィアから、答えを訊ねるようにエマへと向けられるが、エマにもその辺りのことを話したことはない。結局リリアナは理由がわからず何とも言えない表情をしたが、それ以上探るつもりはないのだろう、場を取りなすように再び笑顔を浮かべて言った。


「まあ、オリヴィアが苦手なら無理に着飾る必要はないと思うわ。今の貴女でも充分可愛いもの」

「………フレッド様も」


 思い切ってオリヴィアは口を開いた。唐突に話を切り返したオリヴィアに、リリアナがなあに、と疑問の表情を浮かべた。


「そういう、可愛い格好の方がお好きかしら……」

「え」


 リリアナが一瞬、間の抜けた声を上げたので、変なことを言ってしまったとオリヴィアの頬にまた朱が走った。


「やだ、オリヴィアったら! もう!」

「ごめんなさい、変なことを言ってしまって。忘れてちょうだい」


 リリアナが破顔する。対するオリヴィアの方は更に頬が熱くなってしまった。誤魔化すようにティーカップに手を伸ばす。熱かった紅茶はいつの間にか些か温くなっていた。


「フレッド様がどう思うかは、本人に訊いてみたら?」

「でも……」

「あ、ほら、丁度噂をすれば何とやら、じゃない?」


 かつかつと踵が床を叩く音が近づいてくる。リリアナが言い終わらない内にかちゃり、とサロンのドアが開く音がした。

 リリアナがそちらに目線を向けてウィンクをする。あいにくオリヴィアの位置からは一瞬誰がドアを開けたのかは見えなかったが、視線をドア近くに向けるよりも早く耳慣れた声と共にフレッドがサロンに入って来た。


「ただいま、オリヴィア」

「えっ。フレッド様?」


 オリヴィアは慌ててソファから立ち上がった。

 まだ夕方にも差し掛からない時間である。こんなに早く彼が帰ってくることは非常に珍しいことだった。フレッドは真っ直ぐオリヴィアのすぐ前までやって来る。

 

「『様』はつけない」

「あっ、はい……お帰りなさい、……フレッド。出迎えもせずごめんなさい」

「気にしないで。僕が早かっただけだから」


 窘めるような声音ではあるが柔らかい笑みがオリヴィアを覗き込むように向けられる。そっと頬に手を添えられ、オリヴィアも微笑み返した。


「あら、そこで二人の世界を作られると居たたまれないわ」

 

 はた、とリリアナの声に我に返る。危なかった。いつもならこのままフレッドの抱擁を受けるところであるが、流石に友人の前でそれを堂々とやる勇気はない。

 フレッドも、甘い笑みから一転、儀礼的なそれに変えてリリアナに挨拶をする。


「リリアナも御機嫌よう。楽しい語らいの邪魔をしてしまったようでごめん」

「あら、ごめんと言いながら顔が邪魔者は早く帰れと言っているように見えるのだけど」

「よく分かったね」

「あの、フレッド」

「そりゃあオリヴィアをそんな甘い顔で見つめてたら嫌でも気付くわよ。サイラスは?」


 オリヴィアは二人のやり取りに慌ててフレッドを窘めようとしたが、リリアナは気にしていないようだった。相変わらずサバサバとしていて小気味良い。


「あいつはまだ仕事中だよ。でももうすぐしたら終わるんじゃないかな」

「もしかしてサイラス様に仕事を押し付けて来たとか……」


 オリヴィアは青ざめる。フレッドの早い帰宅の皺寄せがリリアナの方に行ってしまうのではと、恐々フレッドを見返した。


「そうじゃないよ。……まあ少しは押し付けたけど。でもそれはお互い様だから」


 口の端を僅かに上げて、フレッドが不穏な笑みを浮かべた。が、それはすぐに元の穏やかなものに戻る。


 「もうすぐサイラスが此処へ迎えに来るよ。今日はコーンウェル公が珍しく掴まってね。サイラスと二人で溜まった書類仕事をお願いしてきたんだ」

 「まあ、お義父上ちちうえに?」


 コーンウェル公はサイラスの父であるが、アルディスの宰相でもある。補佐官の二人は主に手続きや事務的な補佐をする請け負っているが、宰相であるコーンウェル公は日中は会議に次ぐ会議でなかなか執務室にいることがない。必然的に未決裁の書類が執務室に山積みになる。その中で重要度の低いものに関しては二人の補佐官で対応するのだが、それでも毎日持ち込まれる案件は終わりが見えない。

 今日は珍しく会議がない日であったから、こんな日こそはと宰相に詰め寄り書類の処理を託してきたのだ。半ば強引に。

 フレッドはさらりとその辺りのことをかいつまんで説明した。


「大丈夫なの?」

「ああ……勿論だよ。その為にもリリアナはサイラスの迎えが来たらすぐ公爵家に戻るように」

「え?」

「どういうこと?」


 オリヴィアとリリアナの声が重なる。声を上げて、リリアナと二人で顔を見合わせた。

 フレッドが笑いを堪えられないという風にリリアナを見る。


「公はリリアナ、君と晩餐を共にするために頑張っておられるから」

「まあ! そういうことなのね!」


 オリヴィアにはどういうことなのか皆目見当も付かなかったが、リリアナは合点が行ったとばかり大きな声を出した。


「え? どういうことですか?」


 くっくっ、と笑うフレッドと、早く帰らなくちゃと慌てだしたリリアナを交互に見ながら、オリヴィアはフレッドに訊ねた。


「公はリリアナを大層可愛がっておられるから。『このまま僕らの帰りが遅ければ今夜はリリアナはグレアム公爵家で晩餐を過ごしてしまうかもしれませんよ』とサイラスが言ったら青ざめておられたよ」

「ありがたいことに、お義父上は私と晩餐を共にするのを毎日楽しみにしてくださっているのよ」

「そうでしたのね」


 二人がオリヴィアに向かって説明する。それを聞いてオリヴィアはなるほど、と思った。

 確かにリリアナは可愛い。コケティッシュな外見と、物怖じしないはっきりした性格。

 きっとコーンウェル公にも自分の娘のように可愛がられているのだろう。

 オリヴィアはそう思って、少しだけ、そう……ほんの少しだけ胸がつきりと痛むのを感じた。それは痛みと呼べるほど明確なものでもなかったけれど。

 可愛い、と思われるのが嫌でそう見せることをやめた自分だけど、フレッドもそういう女性の方が好きかもしれない……と、思ってしまったのだ。

 ついさっきリリアナとそんな話をしていたから余計にそう感じてしまったのだろうけど。

 オリヴィアはにっこりとリリアナに頷きながら、ほんの少しだけ瞳を曇らせてしまった。するとすかさずフレッドが覗き込んできたので、慌ててオリヴィアは取り繕うように付け足した。


「素敵なことですわ。では今日のお茶会はここまでですね。本当にこのままでしたら晩餐にお誘いしようと思っていたのですけど」


 頰を緩めて言えば、リリアナもそうね、と頷く。丁度その時開けたままのドア越しに階下で公爵家の執事と話すサイラスの声が届いて、二人でくすくすと笑った。

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