12. 対峙する時2
オリヴィアは今年の収穫祭の舞踏会にも、フレッドのエスコートで出席した。
今年の社交シーズンでは、シーズンの最後だけ、それもグレアム家の─いわば身内の夜会にしか出席していなかったので、王族は勿論、大多数の貴族にとってオリヴィアの姿を見るのは随分と久し振りのことだった。
シーズンの間中姿を見せなかったオリヴィアが、よりによってヴィオラ王女と噂の只中にあるアルバーン宰相補佐官にエスコートされている。
その日の王宮は騒然となった。
騒然となったのは、その二人が揃って登場したからだけではない。
久しぶりに姿を見せたオリヴィアの目を瞠るような美しさにこそ、人々はそれまで彼女をおとしめていたことも忘れて感嘆のため息をついた。
元々容姿の整った彼女ではあったが、それは今や芯の通った強さを伴って内側から輝かんばかりだった。それでいて、隣の宰相補佐官から掛けられた言葉に穏やかに微笑むさまは、居合わせた周りの男達さえどきりとさせるほどしっとりとした大人の雰囲気を纏っていた。
姿を見せなかった間に何があったのか、彼女の美しさが自身の意志を伴って花開いた、その変貌ぶりに周りは騒然としたのであった。
そしてそのすぐ隣で彼女を柔らかな瞳で見守る宰相補佐官もまた、かつての評判を覆すように一人の女性に心を定めていることは明らかだった。
人々のどよめきは様々な憶測を含んで、自然と王女へと好奇心も露わな視線を寄せた。
その王女は、今日は王太子や第二王子と共に国王夫妻の隣に設けられた一段高い位置に座り、出席した諸侯の挨拶を受けている。
この日は朝から目録献上の儀があった為、続けて参加している者は改めて挨拶する必要はない。だが朝の儀に参加したフレッドはともかく、オリヴィアは舞踏会からの参加である。まずは王族に拝謁する必要があった。
目の前にはおじ夫婦が並んでいる。おじも朝から参加していたが、オリヴィアの為にもう一度拝謁する貴族の列に並んでくれているのだ。
次々と国王一家の拝謁を受ける列が短くなっていく。いよいよおじ夫婦の番になり、オリヴィアはごくりと息を呑んだ。
「御挨拶が遅くなりまして申し訳ございません。この春に娘を迎えました。オリヴィアといいます。何卒よろしくお願い致します」
グレアム公が、恐らく内々には既に報告していただろうが公の場で初めてオリヴィアを紹介する。振り返り視線で促したおじの隣に歩み出て、オリヴィアはカーテシーの礼を取った。
「オリヴィア・フリークス・グレアムです。よろしくお願い致します」
「そうか、オリヴィア、良く参った。公の家も華やかになったな」
「娘ができたお陰で私も若返った気分でおります」
国王とおじがにこやかに挨拶をする間、オリヴィアがひしひしと感じていたのは上段の端、ヴィオラ王女からの突き刺すような視線だった。脂汗が滲む。だけどここで引いてはいけない。もう決めた。この人の隣を望んだ。だから、ぐっとその視線を受け止める。
「またこの度はヴィオラ殿下の御高配により、我が娘とアルバーン宰相補佐官との復縁が叶いましたこと、誠に深く感謝致します」
グレアム公が満面の笑顔で告げた一言に、一同を注視していた会場から一層のどよめきが上がった。
ヴィオラ王女も驚きに目を見開いていたが、オリヴィア自身も実は同じ位その言葉に驚いていた。
この収穫祭の場で正式にヴィオラ王女との噂を払拭し、オリヴィアとの婚約を公にする。そう話には聞いていたが、オリヴィアはそれ以上のことは何も聞いていなかった。尋ねてもフレッドは、きみは何も心配しなくていいよ、と微笑むだけで具体的には何も答えてくれなかったからだ。
それを、おじは王女殿下が何か言うよりも早く牽制を放つことで堂々と二人を婚約に持って行こうとしていた。
「聴けばヴィオラ殿下は娘の境遇にいたく心を痛められたとか。アルバーン宰相補佐官殿を通じて娘を気に掛け、二人を再度婚約出来るように取り計らってくださったとのこと」
「自分からも重ねて御礼申し上げます。ヴィオラ殿下が自分に良くしてくださり、オリヴィア嬢とのことを親身になってくださったお陰でこうして再び縁を結べることとなりました。全てヴィオラ殿下の御心のお陰です。心より感謝申し上げます」
フレッドがオリヴィアの隣に並び立ち、グレアム公と頭を下げる。オリヴィアは何が何だかわからないままに、彼らに倣って慌てて頭を下げた。混乱した頭で状況を理解しようと懸命に考える。
つまり、こういうことだろうか。
二人は、ヴィオラ殿下がフレッドを懇意にしているのを、自らの好意によるものではなくオリヴィアとフレッドの仲を案じたことによるものであるとすり替えたのだ。そうすることで、王女のこれまでの態度に不自然さを感じさせることなく、かつ諸侯の噂は単なる勘違いだと思わせたのだった。しかも、王女自身の名誉を損なわないよう配慮もされている。
フレッドを巡る王女殿下をも巻き込んだ醜聞になりかねなかったところを、一度は引き離された二人が再び結びつくという美談にすり替え、かつ王女をその美談の立役者に仕立てたのだった。ヴィオラ王女が常々フレッドのことを「兄様」と呼んでいたのも、この話に信憑性を持たせていた。
それも衆目監視のこの場で断じてしまえば、王女としてもそれを覆す発言は己を貶めかねず、話に乗らざるを得なくなる──。
ヴィオラ王女のプライドの高さと日頃の王女らしくない振る舞いを逆手に取った、鮮やかな一手であった。
オリヴィアは驚きが顔に出ないよう必死で平静を保っていたが、その見事としか言いようの無いやり方に舌を巻いた。
王女も同じだろう、もしかしたら彼女は今日のこの場を利用して、周りにフレッドとの仲を認めさせるつもりだったのかもしれない。だが先んじられたことにより、それも出来なくなった。下げた頭に痛いほどの視線を感じる。
一つだけ、既にヴィオラ王女が父である国王にフレッドとの婚姻を打診していれば、この話は通用しないのだが……。
と、国王の声が頭上から響いた。
「頭を上げよ。そうであったか。これは誠に喜ばしいことである。良き伴侶を得て、宰相補佐官には益々我が国の為に尽力して貰わねばな」
「勿体無いお言葉、痛み入ります。これから妻と支え合いながら一層精進していきます」
「ヴィオラ、お前からも祝ってやるが良い」
国王がヴィオラ殿下に矛先を向け、オリヴィアは緊張に心臓が跳ねた。ここで、もし王女が今の話は茶番だと言えばこの計画は台無しだ。目も当てられない前代未聞の醜聞になる。知らぬ内に両手をきつく握り締めていた。
会場内の注目が王女に集中している。王女として、どのような振る舞いをするのか、今や全ての参加者がヴィオラ王女の一挙一動を固唾を飲んで見守っていた。
「……わたくしとしても、本当に喜ばしいことですわ。お二人のことについて前から気に掛けておりました。宰相補佐官、良かったですわね」
「これも全て殿下のお陰です。どうぞ殿下のご婚礼の際には自分も全力で殿下をサポートさせてください」
王女は、ここで王女として振る舞うことが己の為でもあり、また既に二人に祝福の言葉を授けた国王の体面を保つ為にもそうせざるを得ないと観念したようだ。笑顔を湛え心底めでたいことだと言うような声ながら、その実見る者が見れば僅かに苦々しい表情とわかるそれで、二人を祝う言葉を紡いだ。
どよめきは益々大きくなった。王女殿下自らが二人を言祝いだのだ。これで王女殿下の婚姻の話が振り出しに戻った。しかも宰相補佐官が王女の婚礼に言及したことで、今後王女の婚姻について話が具体的に進むことも予想された。では自分がと息巻く者が今後現れるのは必定だった。
オリヴィアは大きく胸を撫で下ろす。まだ鼓動がばくばくと大きな音を立てていた。国王陛下および王女殿下自らが二人に祝福の言葉を掛けたことにより、フレッドとの婚姻は公に認められたことになる。誰もこれを覆すことはできない。
認めてもらえた───。
胸に迫り上がるものは制止する間も無く、涙となって頬を滑り落ちた。
この場で泣いてはいけないと思うそばから、涙は次々と零れ落ちていく。
それに狼狽えてしまい、慌てて顔を俯けた。と、隣からふわりと温もりを感じて、またきゅうと心臓が締め付けられた。フレッドがそっとオリヴィアの背に手を添えたのだった。
それを見てグレアム公が微笑む。マルヴェラも公の隣で涙を滲ませて微笑んでいた。陛下、とグレアム公が申し出る。
「娘は陛下と殿下直々のお言葉に感極まってしまったようです。ついてはこれで失礼させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「勿論だ。今日は存分に楽しむが良い」
*
「きみは泣き虫になったね」
「……フレッド様のせいです」
なかなか涙の止まらないオリヴィアを、周りの視線から隠すようにフレッドが王宮の庭に連れ出す。広間では先程の興奮も冷めやらぬまま賑やかにダンスが始まっていたが、その音が遠くなっていく。
並んで歩きながらも、みっともないところをまた晒してしまったと顔を上げられずにいたオリヴィアをフレッドがからかった。つい、泣き声のまま軽く怒ったように言うと、彼はこれまでの事を思い出して胸を衝かれたように痛みを表情に乗せた。
「そうだね、ごめん」
「いえ!そうではなくて……ただ」
「うん?」
丁度奥まった所にあるガゼボの前まで来て立ち止まる。オリヴィアは意を決して顔を上げた。フレッドもそこで立ち止まりオリヴィアの泣き顔を覗き込んだ。この人はいつも覗き込むようにして自分を見てくるから堪らなく恥ずかしい。そう思いつつ、想いを伝えようとその眼差しを受け止め見つめ返す。
「やっと、貴方の隣に立てると思って」
「……」
フレッドが口籠った。と思うと、オリヴィアはぐいと腰を引き寄せられる。そのまま囲うように抱きすくめられた。切情を訴える掠れた声がオリヴィアの鼓膜を揺らす。
「……それは僕の台詞だ。やっときみを取り戻せた……一生、きみを守るから、もう僕から離れないで」
切実な響きを伴って伝えられた彼の心を宥めるように、寄り添うように、オリヴィアは彼の胸の中で涙声のまま、はい、と返事を返した。
顔を上げると、フレッドが泣きそうな顔で笑っていた。オリヴィアは努めて明るい声で言った。
「やっと、お約束を果たして頂けましたね」
「約束?」
「ええ……。王宮の庭を案内してくださると、仰ったでしょう?」
「ああ」
それは、二人が出会った日のことだった。約束とも言えない、約束。あの時はそれが本当になるとは欠片も思わなかった。その場限りの嘘だと思っていたし、オリヴィア自身も果たして欲しいなどと思ってもいなかった。
だけど今、あの日の言葉の通りに、彼と並んでこの場所に立っている。
「そうだね。ではオリヴィア嬢、僕と共に庭の散策などいかがですか?」
フレッドがくしゃりと表情を崩しながら、オリヴィアの手を取った。見詰める眼差しは愛情に満ちている。オリヴィアは注がれる心を碧の瞳に受け止めて、口元を綻ばせた。
「ええ、喜んで」