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9. 貴方に捧げる1

 リリアナと話をしてから幾らも経たない内に、今度はサイラスから呼び出しを受けた。

 王宮に出向くのは気が重かったが、宰相補佐官からの呼び出しは拒否出来ない。フリークス卿のことで話があるから、と言われればオリヴィアとしても父の事は気になっていた事でもあり、素直に応じた。


 辺境伯家からグレアム公爵家へ移った後もオリヴィアの侍女をしてくれているエマと共に宰相補佐官の執務室へ出向いた。

 宰相補佐官二人の執務室は隣り合っているらしい。もし彼と鉢合わせしたら、と考えてびくびくしていたのだが、そんなこともなくあっさりとサイラスの執務室に到着した。意識し過ぎだと小さく苦笑が漏れたが、同時につきりと胸が痛んだのは無視した。

 案内してくれた侍従は、前回フレッドの執務室へ案内してくれた者と同じだ。宰相補佐官付きの侍従だろうか。少し違和感はあったが、そんなものかもしれない。その侍従が、執務室まで来ると侍女を下がらせた。


 「申し訳ありませんが、侍女殿には外でお待ち頂くようにとのご指示でございます」

 「ですが」


 エマが抗議の声を上げた。サイラスも婚約者がいるとはいえ、男性である。そのサイラスの部屋へ未婚の貴族女性が一人で入るのは褒められた話ではない。オリヴィアも首を傾げた。フレッドを訪ねた時は元からエマを連れていなかった。それはフレッドなら大丈夫だと思っていたこともあったが、きっと無意識の内にあの時はまだ自分達が続いている、婚約者同士だと錯覚していたからだとも思う。

 だが今は違う。サイラスにはリリアナがいるから間違いはないとは思うが、それでも誰かに見咎められたら。


 侍従はエマに、内密のお話ですので、とやんわりとだが反論を許さない態度でエマを下がらせた。

 それでも躊躇ったオリヴィアに構わず、侍従がドアをノックし返事を待たずに僅かに開けた。オリヴィアからは見えなかったが、サイラスから入室の許可が出たのだろう。侍従がオリヴィアだけを中に促した。

 何故急かすようなことをするのだろう。訝しみながら部屋に足を踏み入れたオリヴィアは、そこに立っていた人の姿に金縛りにあったかのように硬直した。






 どうして───。

 頭が真っ白になり、何も言葉が出て来ない。オリヴィアはただその目を大きく瞠いて目の前に立つその人を凝視した。







 オリヴィアの背後で静かに執務室の扉が閉められる。それでも脳が麻痺したように目の前の出来事を受け止めきれずにいた。

 フレッドが済まなさそうな声音で静かに微笑んだ。


 「きみを騙すようなことをしてごめん。こうでもしないときみと話が出来ないから。今日はヴィオラ殿下も公務で王宮にはいらっしゃらないし、今日しかないと思ってね」

 「……!」


 カッと頭に熱が昇る。フレッドがサイラスと結託したのだと理解した瞬間に金縛りが解けた。反射的に身を翻す。部屋を辞そうとするがそれよりも早く、フレッドが後ろから抱え込むようにオリヴィアを抱き締めた。


 「離して!」

 「嫌だ」

 「離して!大声を出すわ」

 「出せばいい」

 「何を仰って……」


 必死でオリヴィアの胸に回された腕を解こうともがくが、フレッドの腕はびくともしない。それどころかますます抱き締める腕がきつくなった。身じろぎさえままならなくなる。それでも何とかオリヴィアはその腕から抜け出ようともがき続けた。


 「そうすれば、僕はあろうことか王宮の中で女性に乱暴した不届き者として罰せられるだろうな。当然殿下との噂も消えるだろう。好都合だよ」

 「何てこと……いけません、殿下と結婚されるのでしょう?こんなことで失ってはなりませんわ」

 「僕が愛しているのはきみだけだ」


 その言葉は耳に直接吹き込まれた。その少し掠れた切ないような響きと、耳にかかる熱の籠った息に、フレッドを引き離そうとした手が一瞬止まった。フレッドはそのままオリヴィアの耳朶に唇を寄せた。押し当てられた唇が熱い。舌でなぞられるとそれだけでオリヴィアの身体が勝手に跳ね上がる。

 唇が、舌が、耳朶や耳殻に這わされ、オリヴィアの身体が弛緩していく。身体が勝手に反応してしまう。

 そのうち唇は耳朶から首筋に降りていき何度も何度もオリヴィアのそこに押し当てられた。

 もはやオリヴィアはもがいていたはずの腕で、背から回されたフレッドの腕にしがみついていた。 フレッドが更に深くオリヴィアを抱え込んでくる。痛みを覚える程だった。

 オリヴィアははっとして辛うじて抵抗の意を示した。情けないほどに弱々しい声だった。


 「何を……殿下がいらっしゃるのに……、お戯れはおやめ下さい」

 「戯れ?」


 フレッドの声が一転、鋭くなった。

 その時、オリヴィアの胸の前にあったはずの腕が片方外れ、不意に身体がふわりと浮いた。

 フレッドが、オリヴィアの膝裏を片手で掬い上げオリヴィアを横抱きに抱え上げたのだと理解した時には、既にフレッドはずんずんと部屋の奥に足を進めていた。焦って彼の腕の中で降りようと暴れるが離して貰える様子は全くなかった。


 「ちょっ、降ろして!降ろしてください!」

 「嫌だ」

 「何をなさるのです」

 「きみが悪い。きみが逃げるから」


 僅かな恐怖が迫り上がる。フレッドが昏い笑みを湛えていて、オリヴィアは不安に慄いた。


 そのままフレッドはサイラスの執務室の別のドアから続き部屋に入る。そこは以前訪れたことのあるフレッド自身の執務室だった。ここで改めて話をしようということか、と思ったがフレッドはオリヴィアを抱えたまま更に奥へと進む。

 其処にはもう一つドアがあった。何処に繋がっているのか……不安に思わず暴れることも忘れて抱き上げられたまま彼の顔を見上げる。フレッドはそれを受けて、瞬間済まなそうな表情を見せたが、すぐにまた昏い笑みに戻ってそのドアを開けた。


 部屋には、小窓が一つ。夕陽がその小窓のカーテンから部屋に射し込み、橙の光が足元の床を照らしている。小窓の下にはキャビネットが置いてある。ちょうどオリヴィアの肩くらいの高さまであるものだ。そして部屋の中央には一人用のベッドが置かれていた。

 仮眠用の寝室なのだと頭が理解するよりも早く、恐怖がぞわりと身体中を駆け巡る。

 まさか、彼に限ってそんなこと───。


 だがオリヴィアの心の叫びもむなしく、フレッドは彼女をそのベッドに下ろすと、すかさず彼女の上に覆い被さってきた。




 ろくな抵抗も出来ぬ間に、オリヴィアはベッドに仰向けにされた状態でフレッドの体重を感じながらその冷たい双眸に捉えられていた。

 ひっ、と声にならない悲鳴が喉の奥から漏れる。

 恐怖で身体は強張り、動くことができない。寝室のドアから盗み見た、子供の頃の日々が脳内にフラッシュバックする。震えるだけで母を助けられなかった自分。 記憶は連鎖して、知らない男に押し倒された十四歳の記憶や、イリストア卿に腕を掴まれた時のものまでが鮮やかに甦る。

 彼だけは、こんなことしないと思っていたのに。


 「……婚約するのです。だからやめてお願い……」


 フレッドの射るような瞳を見て訴えるが、その声は怯えで囁くような声になってしまった。全身がガタガタと震え始める。フレッドの瞳が一段と鋭さを増した。これまで聞いたことのない剣呑な声で、静かに彼は返した。


 「知っているよ。だからこうしている」


 その言葉に、これからされるであろうことを思ってオリヴィアは戦慄した。フレッドの顔が近づく。オリヴィアは逃れることもできず、ぎゅっと強く目を瞑った。


 固く閉じた唇に、フレッドの唇が押し付けられる。オリヴィアの口をこじ開けようとするのを、オリヴィアは必死で拒んだ。ただ相手を従わせ奪おうとするだけのキスにオリヴィアの心が悲鳴を上げていた。

 オリヴィアの唇がどうあっても開かれないと悟ると、フレッドはそのまま首筋から鎖骨へと唇を這わせる。


 気がつけばきつく閉じた目から止めどなく涙が溢れていた。初めて恋をした、初めて共に在りたいと願った、その人から向けられる愛の感じられない行為にオリヴィアは絶望した。

 ぼろぼろと涙は止まらない。オリヴィアは身体中をガタガタと震わせながらしゃくりあげた。身体を蹂躙されることへの純粋な恐怖と、愛した人からの思いがけない仕打ちに心がバラバラに引き裂かれそうだった。

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