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8. 今も変わらない2

 視察と称した監査の最終日の夜。

 フレッドが卿に提出させた、その年の領民から納められた税額をつけた帳簿を確認しながら、帳簿を繰る手が止まったのは、ある秋の日の記載がある頁だった。

 日付、納め元、受け入れた税額の記載に続いて記載されていたのは天候に関する備考だ。フリークスの領地は広大な敷地の半分以上が穀倉地帯である。したがって、辺境伯家の主な収入は、領民から穀物の売り上げによって納められる税金と、国防のために国王より下賜される防衛費が主なものである。必然的にその納税額はその年の天候によって左右されるため、天候の記載自体は特段違和感があるものではない。

 だが、この時フレッドが引っ掛かりを覚えたのは、その備考欄に記載された「一週間雨が続く」という走り書きだ。


 この日は、フレッドが丁度オリヴィアに領地を案内された日であった。この帳簿の日付に間違いがないのならば、あの日は夕方までは晴れていたのだ。確かに、夜は豪雨とも呼べるほどの雨ではあったが、それも翌日にはすっかり晴れていたのである。だからこそフレッドは愛馬に乗ってそのままフリークスの屋敷から王都の屋敷まで戻ってこれたのだ。仮にその後再び雨が降ったのだとしても、「雨が続く」という記述はそぐわない。


 それ自体はもしかすればただの記載間違いかもしれない、と思いつつ抜けない棘のような引っ掛かりを感じて帳簿を改めて最初から精査し直す。今度は金額の部分ではない、備考欄に目を光らせながらだ。

 そうすると、その日の昼間に領民の聞き取り調査の中で出て来た天気に関する話と齟齬のある記載が他にも見つかったのだ。

 これが意味するところは何か。


 卿が提出した帳簿は、虚偽の可能性がある──。


 つまり、実際にはこの帳簿に記載され収穫祭において国王に献上された目録よりも多額の税金が領民から卿の懐に入っているということだ。

 それをあえて天候不順を匂わせる文言を金額と共に記載することで、納税額の少なさに妥当性をもたせたということではないか。

 一つ一つは大して高額ではないだろう。だが、もし全ての記載が虚偽であればどうなるか。そしてその脱税で得た金はどこに流れているのか。目的は何か。

 空恐ろしい可能性にぞっと背筋が冷えた。


 オリヴィアが視察の間の恒例となった夜食の差し入れに来たのは丁度その時だった。


 見つけてしまった以上、そのままにしておくことは出来ない。この件は王都に持ち帰って更に調査を継続しなければならない。そうでなければ自分を信用して補佐官にと口添えしてくれた親友を裏切ることになる。それ以前に、いまや公人となったフレッドにとって脱税の疑惑に目を瞑ることは国に対する裏切りにも等しい行為だ。

 何かの間違いであって欲しい。唯の記載誤りであって欲しい。


 自分の雰囲気がいつもと違ったのだろう、オリヴィアはそっとお茶の準備をするとそのまま退出しようとした。弾かれたようにその手を取っていた。


 ごめん、と力なく謝る。


 恐らく自分でなければ気づかなかった些細な記載だった。各領地の日々の天気までを王都で詳細に記録を取っているわけではない。領民から聞き取りがあったとしても、記憶違いだと言われてしまえばそれ以上の疑いを呼ぶことはまずないだろう。

 自分が宰相補佐官になったばかりに。自分が視察に同行したばかりに。彼女からたった一人の父親を取り上げてしまうかもしれない。


 そのことを知れば、彼女は自分を詰るだろうか。手を振り上げるだろうか。強い振りで、その実必死に強くあろうとしている彼女のことだ、表面上は何食わぬ顔で日々を過ごすかもしれない。だけどその心の内はきっと、事実の重さに打ちのめされるだろう。

 そうさせるのは他ならぬ自分だ。だから自分から彼女にキスすることはできなかった。なのに彼女が欲しくて、ついキスして欲しいなどと口走ってしまった。

 先に彼女を追い込んだのは自分なのに、生真面目にまだ最初の約束を気にする彼女が、愛おしくて苦しかった。愛している、触れられる事に何の問題があるだろう。



 唇を掠めるようなキスは、これまでより乾いていたように思えた。





 王宮にて帳簿の裏付け調査を行った結果、やはり帳簿に虚偽記載があることを突き止めた。その裏にある金の流れを追った結果、フリークス卿の私兵の増強に費やされていることも確認した。いずれも約四年前に始まり、以降継続的に行われていた。視察の間は特段多いとも思わなかった私兵だが、おそらくあの視察の期間だけ常と異なる編成をしていたということだろう。

 恐れていた通りであり……、そうでなければ良いと心から願ってもいた結果だった。


 すぐさま宰相に報告を上げなければならないことはわかっていたが、先にサイラスに相談し二人で卿を王宮へ呼び出した。

 おそらく卿は自身に関する噂が立ち昇っている中、唐突な領地の視察を言い渡された時から覚悟をしていたのかもしれない。監査の結果を申し渡しても取り乱すこともシラを切ることもなく、淡々と受け止めた。

 ただ、どれだけ尋問しても私兵を増強した目的だけは口を割らなかった。ただ国や国王を裏切る意図はないと言い切るのみだった。

 逃げ隠れはしない、罪はきちんと償う、だから一ヶ月待って欲しい、とだけ卿は申し入れ、二人はそれを呑んだ。


 自分が居なくなった後の家のことを整理しておく必要があるから、と言った卿に、では僕達の結婚は、と思わず私的なことを執務の場で尋ねてしまったフレッドだったが、卿は全てを投げたような胡乱(うろん)な目で告げただけだった。


 「君との婚約は取り下げたい。アルバーン卿にも正式に挨拶に伺おう。こちらから申し出た結婚だが、なかったことにしてくれ」

 「そんな」

 「君にとってもその方が都合が良いんじゃないのか。今、娘と結婚することは君のキャリアにも傷がつくだろう」

 「そんなことはどうでも」

 「こちらにとってもオリヴィアを君と結婚させる意味がなくなった。振り回して悪かったね」


 宰相家との繋がりをつけるための縁談の一つであったならば、卿自身が表舞台から失脚する以上確かに娘をフレッドにやることは何のメリットにもならないだろう。それはわかるが、納得はできなかった。


 「では、彼女はどうなるんです。僕は彼女のそばにいると約束したんです」

 「娘はグレアム公に引き受けて頂こうと考えている。公爵家の力があれば、あれを口さがない連中から守ってくださるだろう」

 「僕が彼女を守ります」

 「君もアルバーン家の次男なら家の事も考えたらどうだ。こうなった以上君がそう言ったところで、お父上は娘との結婚をお認めにはならないだろう。それに伯爵家のお力では娘を守るには不充分だ」

 「ですが」

 「もう決めた事だ。娘も今すぐには難しいだろうが、ほとぼりが冷めたら公爵家の娘として婚姻の話も上がるだろう。もしくは公爵家縁の誰かと結婚して家を継ぐかもしれないな。あの子に今必要なのは公爵家の力だ。わきまえたまえ」


 引き下がるしかなかった。自身の家のことまで持ち出されればフレッドも強くは出れなかった。父と、もうすぐ家督を継ぐであろう兄の姿が脳裏を掠める。自身はともかく、父や兄にまでその一連の社会的には「醜聞」と言われるものを被せることは出来なかった。


 結局、何のために自分は宰相補佐官になったのだろう。

 彼女を手に入れ守るためだった。それなのに、自分は彼女を守るどころか、彼女を追い詰め傷つけた。

 そうまでした結果、手に入ったものは何だったのだろう。名声と王女の寵愛。この手に転がり込んできたものは、自分が欲したものとはかけ離れていた。 どっと両肩に疲労がのし掛かった。


 「あともう少しだったんだがな。あと少しで良かったんだが……」


 一旦領地に戻り諸々の整理をすると言って宰相補佐官の執務室を出ようとした卿の最後の言葉が、やけに耳に残った。呆然とソファに身を沈めたフレッドの頭の中で、その言葉が何度もこだましていた。









 夏の終わりのグレアム家主催の夜会でオリヴィアに再会した時、フレッドには周りの目などどうでも良かった。ただひたすらに、食い入るように、グレアム公と踊る彼女を目で追った。

 傍目には、彼女は変わりなく過ごしているように見えた。少なくとも、これみよがしに蔑みを向ける者たちにはそう見えたことだろう。

 だが、フレッドにはそれが彼女の懸命な振る舞いであることが察せられた。想いを唇に込めて、彼女の手の甲にそっと押し当てる。

 彼女は、大分痩せた。その瞳がみるみる潤んで行く。 今すぐ掻き抱きたい衝動を何とか抑えて踊り続けた。

 どうか断らないでくれと縋るように願いながら次の約束をどうにか取り付けた。


 執務室での逢瀬で想いを告げてくれたのは、一時の気の迷いだとでもいうのか。

 あの時彼女は確かに自分の腕の中に居たのに。

 遠ざかる足音を追いかけようとして、それを阻んだ殿下を何とか振り切った時には、既に彼女の姿は見えなくなっていた。傷付けたまま、行かせてしまった。それ以来、何度連絡を取ろうとしても取れないまま、ここまで来てしまった。

 だが王女のことは誤解に過ぎないと、彼女に判らせなければ。あの時告げてくれた気持ちが嘘だったなんて言わせない。あれで終わりになどしたくない。



 いつか彼女の満面の笑みを、ただ凍えるばかりだった瞳が輝くさまを見たいと願った、あの想いは今もあの時のまま変わらないのだから。


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