2. 王女殿下2
話の都合上、今回は短いです。
「……誰なの?決めた人って。これまで全然そんな素振り見せなかったじゃない」
王女の声がワントーン低くなり、それに気付いた周りの者がちらちらと不躾な視線を寄越し始める。自分達が注目を浴びていると気付き、フレッドはその場を取りなさなければならなくなった。
「殿下。皆が見ております。発言にはご注意頂けますよう」
「嫌よ、兄様が他の人となんて!」
「殿下」
これでは駄々を捏ねる子供と同じではないか。だが、王女は周りの目も気にならないようだ。ひたすら嫌と繰り返した。
フレッドは仕方なく目を潤ませ始めた王女の手を取り、ダンスの輪を抜け出した。こちらがこれまで王女に振り回されていたからといって、衆人の目の前で拒絶を突き付けては王女のプライドを傷つけることにもなる。あまりひと目に付かないようホールの隅まで移動した。
フレッドは敢えて表情を変えないままで続けた。会話自体までは周りに聞こえてはいないだろうが、王女の緊迫した声と表情は、招待客の好奇心を煽り余計な詮索をされつつあることだろう。はたから見れば、王女と日頃懇意にしている宰相補佐官の痴話喧嘩に見えなくもない。ある意味正しくそうなのだが、それが親密な関係の現れだと捉えられるのは厄介なことだった。
「申し訳ございません」
「嫌よ、許さない。わたくしと結婚して」
王女はフレッドを見上げて睨み付ける。 それを静かに見返しながら、だがフレッドは言葉少なに告げた。
「……お許しください」
その途端、どんと衝撃を受けてフレッドは僅かに足を引いた。衝撃のあったところを見下ろす。
気が付けば王女が自分の胸にしがみついていた。
*
咄嗟に、王女の肩をぐいと掴んで自分の胸から離した。王女を相手に不敬な振る舞いであることは百も承知だった。だからと言ってもはや此処で遠慮する気も無かった。王女に応える意志がないことをはっきり示しておかなければならない。
「お気持ちだけ、ありがたく受け取りますが……どうぞ、本当に好きな人ができたときのために、軽々しい振る舞いは慎んでくださいませ」
「なっ……、わたくしは本当に兄様のことを!」
「殿下の振る舞いは、お気に入りのおもちゃを取り上げられた子供と同じです」
「無礼な!」
パン、と乾いた音がして遅れて頰に痛みが走った。王女が怒りに頰を赤くして戦慄いていた。だが、このような場で感情に任せて手を振り上げてしまったことをきまり悪く感じもしたのだろう。
自分で自分のしたことの収拾がつかず狼狽えているようにも見えた。
その様子を静かに見つめながら、さてどうこの場を収めるかフレッドが思案していると、不意に横合いから声が掛かった。
「ヴィオラ殿下。ご機嫌うるわしゅう。今宵も殿下におかれましては、ドレスが一層殿下の魅力を惹き立てておられますね」
「……あら、コーンウェル卿。リリアナ嬢も御機嫌よう。……どうなさったの」
突然現れた第三者に王女が狼狽える。動揺を隠さない王女を物ともせずに、サイラスが笑顔で告げた。
「お取り込み中失礼します。父が急ぎの案件で彼を呼んでおりますれば、彼を少しお借りできますでしょうか?」
そう言ってサイラスがフレッドにこっそり目配せする。リリアナも心得た風でヴィオラ王女に礼を取り、王女と是非話がしたいと誘いかけた。
「殿下のお召し物はどちらで仕立てられたのですか?シャンデリアの光に複雑に煌めいて……目を奪われるようですわ。もし宜しければ是非詳しく教えて頂けないでしょうか」
「……え、ええ、そうね。素敵でしょう」
王女の頬が引きつっている。それを判っていて、敢えて気付かない振りでリリアナが華麗な笑みを湛えたまま更に畳み掛けた。
「では少しあちらでゆっくりお話させて頂けますか?このようなドレスがお似合いになるなんて羨ましいことです」
「そうね。……ではコーンウェル卿、どうぞ公の所に。公にもよろしくお伝え下さいな」
「ありがとうございます」
王女はまだぎこちない表情を残したままだったが、すかさずサイラスが深くお辞儀をしてフレッドを目で促した。リリアナが王女と共にソファの方へ向かう。それを視界の橋に捉えながらフレッドは嘆息した。
「助かったよ」
「だろう?あのままでは殿下も引くに引けないだろうしな」
「本当に感謝してるよ」
「だが、派手にやられたなあ」
サイラスがフレッドの左頬を見てにやりと笑った。
「明日辺り、罷免されているかもしれないな」
フレッドは頰を押さえて応じた。王女に打たれたは軽く熱を持っていた。
「それは大丈夫じゃないか?殿下もやってしまった、という顔をしてらっしゃったからな。暫くは大人しくなるんじゃないか?」
「そうだといいが」
フレッドは再び嘆息した。もっと上手くあしらう方法はいくらでもあったし、これまではそうやって言い寄る女性をやんわりと退けてこれたはずであった。それなのに、彼女のことが絡むとそれが出来なかった。上手く上辺だけ言い包めるということが出来なかった。
先程の件がどんな形で宮廷に広まるか……、フレッドは暗澹とした。
「さっきのあれはどれ位見られていただろう」
「どうだろうな。殿下の方が壁側にいたし君が殿下を隠すように立っていたから、一部始終を見ていた奴はいないんじゃないかな?ただ、君達が二人で話をしているのは遠目にもわかっただろうから、誤解はされたかもな」
「誤解?」
「ああ、二人が愛を交わしているってな」
フレッドはそれを聞いて思わず呻いた。サイラスがその様子を受けて表情を改めた。
「そうでなくても君は殿下の寵愛を受けているらしいと評判なんだ。今夜の事が拍車をかけるかも知れないな。正に王女殿下の思惑通り」
「やめてくれ」
「まあ、人の口ばかりは何とも出来ないからな。君はこれまでの態度を崩さずにほとぼりが冷めるのを待つしかないだろうなあ」
「ほとぼりが冷めればいいんだが」
「それはともかく、今日のことが彼女に見られなくて良かったじゃないか。見られて彼女に誤解でもされたらそれこそ目も当てられないぞ」
「……そうだな」
弱々しく頷く。頭の中にまた最後に会った時の彼女の姿が蘇った。
抱き締めた時の温もり。真っ赤に染まった頬。気遣わしげにフレッドを見詰める碧色の瞳。
緊張で全身を強張らせながらも 、一生懸命爪先立って一瞬だけ寄せてくれた唇の柔らかな感触。
何もかもが恋しかった。
願わくば、この一件が未だ社交界に戻って来ない彼女の耳にどうか入らないままであって欲しい。
彼女には未だ、会うことすら叶わずにいた。
そうしたフレッドの願いとは裏腹に、この日の宮廷での一件は日頃の王女の振る舞いを裏付けるものだと捉えられ、瞬く間に社交界に広がっていった。
王女殿下とアルバーン宰相補佐官が夜会の場で辺りも憚らず睦み合っていた、どうやら結婚は間近のようだ、と。