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1. 王女殿下1

 「フレディ兄様!フレディ兄様!」


 主だった役人による翌年度予算に関する会議を終えて自らの執務室に戻ろうとしていたフレッドを呼び止めたのは、あどけなさの残る高い声だった。振り返れば、ドレスの裾をからげて走ってくるまだ少女と呼んでも良い人の姿がある。

 フレッドは立ち止まり、右足を引いて軽く膝を曲げた。王族に対する挨拶を終えてから微かに眉を顰めて口を開く。


 「殿下、そのようにお呼びになるのはお控え下さい。自分は臣下です。そこを充分お含み頂けますよう」

 「あら、良いじゃない、呼び名くらい。王女と臣下の仲が良いとアピールできて兄様にとっても好都合ではないの」

 「困ります。要らぬ誤解を与えかねません」

 「私は大いに歓迎するわ」


 少女は心底そうなれば良いというようにころころと笑った。こちらがどれだけ言っても一向に聞き入れる様子がない。この呼称で呼ばれる度に同じやり取りを繰り返すのだが、王女が改めてくれる気配は全く無かった。内心で盛大に溜息をつく。

 ヴィオラ・ブリストル・アルディス。この国の名を冠する名前が示す通り、この国の王女殿下は、今年十六歳を迎えて今シーズンの社交界でデビューを果たした。

 王女の上には兄である王太子と第二王子がいる。だがいずれも彼女とは歳が離れているからか、今年二十一になるフレッドは歳の近い兄の様に慕われていた。

 そんな王女殿下も、いよいよ本格的に結婚相手を検討する歳を迎えた。彼女が社交デビューしてからは、国内の有力貴族からこぞって求婚を受けていると聞く。王位継承権は決して高くはないものの、何とか王族との血縁関係を結びたいと皆が必死になるのもわからなくはなかった。恐らく他国からの申し出も同様に受けているだろう。

 可愛らしい顔立ちをした人だと思う。フレッドはあまり女性の容姿を詳しく語れるほど語彙を持っていなかったが、夕方から宵にかけて移ろいゆく一瞬の空のような紫の瞳は綺麗だと思うし、いつも薄桃色に染まっている頰もあどけなさを示すようだ。

 だが、この王女に散々振り回されているフレッドとしては素直に可愛い人だとは思えなかった。


 また無茶を言うんじゃないだろうな、とフレッドは心の中で警戒態勢をとってからヴィオラ殿下に尋ねた。


 「それで、自分に何か御用ですか」

 「ああ、そうそう、そうなの!明日の夜会で着て行くドレスの色を選んで欲しいの!」

 「……王女殿下のお好きな色になされたら如何かと」

 「それじゃ駄目なのよ!フレディ兄様の好きな色でなきゃ!お願い、一緒に来て!」

 「自分は仕事があるのですが」

 「そんなのいつでも出来るでしょ!ドレスは今日の内に決めなきゃならないんだから!これは命令よ」


 いくら相手が年下のまだいたいけな少女であったとしても、王女殿下である。命令だと言われればフレッドも従うしかない。

 またか。フレッドはずっしりと胃が重くなった気がした。


 ヴィオラ王女は一事が万事この調子なのである。場所も時間も弁えず、フレッドの元を訪れては、命令だと言って宰相補佐の職務とは全く無関係な用事を言い付ける。最初は王女は誰彼かまわずこのような横暴な振る舞いをしているのかと思ったフレッドだったが、すぐにそうではないと知れた。王宮の中ではもはや王女が所構わずフレッドにべったりと構う姿は日常的な一コマとなっている。

 サイラスには憐れみの目を向けられている。サイラスの婚約者であるリリアナも、王女のフレッドへの執着ぶりには呆れているようだった。フレッド自身もリリアナから殿下を諌めるようにと苦言を呈されているのだが、如何せんフレッドがいくら頑なな態度をとっても王女の方は全くお構いなしなのである。

 恐らく、一人だけ歳の離れた娘である彼女を国王夫妻も兄君達もさぞかし甘やかしたのだろう。自分が願うことは何でも通ると思っている節がある。そして実際彼女の立場では言って通らないことなど殆どなかった。


 妹というものは兄に対しては皆我儘な態度を取るものなのか一度サイラスに訊いてみよう、とちらりと考える。確かサイラスの妹も今年社交界にデビューしたのだった。その妹、アデルはもっとしっかりしていたような気がするのだが。

 とはいえ、帝王学を学んでいる二人の王子と姫君でははどうしても周りの目も扱いも異なってくる。いくら国王夫妻に甘やかされているとはいえ、淋しいのかもしれない。自分位は兄として構ってやるべきかと思えば、少しはこの我儘にも耐えなければならないものかもしれない。


 フレッドは今日も山積している業務を思い浮かべながら、舌打ちしたい気分を抑えて、渋々いつものように王女の我儘に付き合うべくその後に付き従った。









 夏の終わりに開催される王宮での夜会は、今年はヴィオラ王女の社交界デビューの歳でもあったため例年よりも盛大に行われた。

 オリヴィアと出逢ったのは、昨年のこの夜会でだった。もうあれから一年か、とフレッドは去年を振り返る。あの時の自分は随分と彼女に失礼なことをしたな、と苦笑してー瞬間胸に走った鋭い痛みに心の中で呻いた。

 そんなフレッドの心中をよそに、ヴィオラ王女は今日も相変わらずである。エスコートこそ当然ながら父親である国王その人だったが、カドリールを父親と踊り終えるや否やフレッドのそばにやって来たのだった。当然のように手を差し出す。フレッドはその手に唇を寄せて挨拶を行なった。


 「フレディ兄様、わたくしとダンスを踊って頂戴」

 「……殿下。ダンスの誘いはレディからするものではないかと」

 「兄様が一向に誘ってくださらないからではないの。そう言うのならさっさとわたくしを誘って頂戴」


 渋い顔をして暗にダンスに誘ってくれる殿方のところに行きなさいと促したつもりだったが、やはり効き目はない。夜会という場で王女という立場にある人が振舞うべき態度ではないのだ。まだデビューしたての少女とはいえ、あまりにも浅慮な行動だった。 現に彼女がデビュー以降、国内の数多の有力貴族からの誘いもそこそこに、いつもフレッドの元に行く姿は人々の妬み嫉みを買い、噂になっている。

 この場合、批判の矛先はフレッドに向かう訳だが。


 『アルバーン卿の次男坊は、オリヴィア様との婚約が白紙に戻った途端にヴィオラ殿下に鞍替えしてらっしゃる』

 『むしろアルバーン卿も婚約が破談になって喜んでいるでしょうな。息子は大出世して、将来は王族の仲間入りも果たせるとなると笑いが止まらないでしょう』

 『フリークス家もとんだ踏み台ですな』


 少し前までは散々フリークス家をこき下ろしていた人々が、今度は同じ口でアルバーン家とフレッドを貶めようとする。その腹の中は明らかだ。アルバーン家が王家と繋がりを深めるのは我慢ならない、我が家柄こそ王家と釣り合うのに相応しい。そう考えているのが透けて見えるようだった。

 誤解も甚だしい。王女が勝手にフレッドを振り回しているだけで、フレッドには全くその気はないのだ。しかし王女の方はといえば、その噂を気に止めないどころか容認してさえいる。その王女の振る舞いが迷惑であると、事ある毎にフレッドは態度で示しているのだがこれも彼女には一向に通じなかった。


 「さあ、行きましょう。曲が始まってしまったわ」


 王女はフレッドの手を強引に取り、ダンスの輪の中に入っていく。フレッドは仕方なく後に従ったが、目線は会場のどこかに居るかもしれない女性の姿を探して彷徨った。ステップを踏みながらも目線がそれているその様子が気に食わないとばかりに、王女が口を尖らせた。


 「兄様はどこを見ているの。ダンスの相手はわたくしなのよ。今はわたくしだけを見て」

 「殿下。恐れながら申し上げます」

 「何よ」


 これはもう、はっきり言うしかない。フレッドはお咎めも覚悟の上と肚を括った。些か強い口調でフレッドは進言した。


 「あまり自分に構わないで頂けないでしょうか」

 「……どうして?」

 「王女殿下ともあろうお方が理由もなく一人の臣下だけを懇意にしますと、国のために尽力している 残りの者の反感を買います。その反感は施政へも影響を及ぼしかねません。どうぞ臣下には公平に接して頂けますようお願いいたします」

 「理由ならあるわよ」

 「どのような理由でしょうか」

 「わたくしは兄様が好きだもの。だから兄様は特別。立派な理由だわ」

 「それは理由になりません」


 いくら歳の離れた者ばかりの王宮において歳近いフレッドを兄と慕っているからと言って、公私混同もいいところである。フレッドは殊更に咎めるように言い聞かせた。


 「いいですか、殿下。いくら自分を殿下の兄のようだと思ってくださっても、公の場で示して良いものではありません。お気持ちはありがたいですが、ここは公務の場です。ご自分の立場をどうぞお忘れなきよう」

 「わたくし、自分の立場はわかっていてよ」

 「殿下」

 「わたくしはいずれ国のために他国へ嫁がされるか、あるいは国内の貴族に降嫁することになるでしょう。その日が来る前に、わたくしはフレディ兄様を夫にしたいと意思表示する必要があるわ。こうして皆の前で兄様に近付いているのもそのため。まずは周りの者にわたくしと兄様の仲を広めてもらって外堀を埋めないと。父も母もわたくしには甘いから、きっとわたくしの願いを聞き入れてくださるはず」


 フレッドは思わず仰け反りそうになった。王女はなかなかに強かである。いや、そんなことよりも、今自分を「夫」と言ったか。自分を兄のように思うからこその振る舞いだと思っていたのだが、自分を夫にするつもりでいたのか。

 王女の紫の瞳が、自分を見上げて燃えるように強い光を放っている。フレッドはここへきてようやく王女の真意を思い知らされた。それでは尚更はっきり言う必要がある。これが命令にされてしまう前に、手を打たなければならない。


 「殿下、勿体無いお言葉ではありますが自分はお受けできかねます」

 「あら、どうして?わたくしと結婚すれば地位も権力も手に入るわ。アルバーン家も安泰よ。フレディ兄様にとっても歓迎すべき話なのに」

 「自分は地位にも権力にも興味がありません。宰相補佐官の地位さえ自分には過ぎたものです。……それに、自分には決めた人がおりますので」


 王女の瞳が曇った。かと思うとキッと睨みつけるように鋭い眼差しになる。王女の身体が動きを止めた。フレッドも王女に倣って足を止める。ダンスを踊る輪の中で、王女とフレッドだけがその場を動かなかった。


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