20. 視察2
コンコン、とオリヴィアの私室のドアを軽くノックするが応答がない。少し躊躇って、左右を見て誰もいないことを確認してからそっとドアを開けた。僅かに出来た隙間にするりと身体を捻じ込む。
真っ先にベッドを確認したが彼女の姿がない。寝ているのではないのか……と部屋を見渡せば、何のことはない、彼女はベッドの手前のソファに身体を凭せ掛けていた。左側の肘掛に腕を乗せ、そこに頭を置いている。うつ伏せになったその姿からははっきり判らないが、どうやら軽く寝ているようだ。
フレッドはそっとオリヴィアに近寄り、その隣に腰を掛ける。暫くそのまま彼女の姿を見守った。すうすうと安らかな寝息が聞こえる。無意識の内に笑みが浮かんだ。
恐らく、晩餐会をどうにかこなした後、そのまま自室に戻りソファに倒れ込んだのだろう。晩餐会用に着替えた深紅のドレスの裾が、薔薇の花弁のように鮮やかにソファに広がっている。白い項がその深紅のドレスで一層艶やかに映った。アクセサリーは相変わらず控え目だ。耳元のイヤリングはエメラルド。彼女の碧の瞳に少しだけ似ているが、到底それで彼女の瞳の深い色合いを表せるものでもない。そしてドレスの裾から踵の高い靴を履いた華奢な足首が露わになっている。
酷く煽情的な姿だった。まだ十八歳だというのに、堪らなく男をそそる色香を湛えている。昼間客人の応対をする姿は貫禄さえ漂わせていた。あれはきっと、早くからこうして女主人として振舞わねばならない場数をこなしてきたからだろう。その反面、今自分の前に晒されている姿は無防備で、フレッドはその姿を自分だけが知る事にぞくりとした。何もかも、自分だけに見せてくれればいい。
今日はもう、オリヴィアは休んで良い筈である。
フレッドはそっと屈み込んで彼女の靴を脱がせてやった。すらりと白い足が解放される。靴を床にそっと置くと、次にフレッドは肘掛けにうつ伏せになっているオリヴィアに覆い被さるようにして、その右耳のイヤリングを外してやった。硬い手に触れた柔らかな感触に吸い寄せられるようにして、その耳に思わず唇を寄せた。軽く喰む。
左耳も同様にイヤリングを外そうとして手を伸ばす。左側の肘掛けに腕を載せているために右耳よりも腕と密着している左耳から、そっとイヤリングを外すと同じようにその耳の柔らかさを堪能した。
両の唇で柔らかく挟むように耳朶を喰む。それだけでは止まれず、舌を耳殻に差し入れると、オリヴィアが軽く鼻から抜けるような声を出した。
その声にほくそ笑むと同時に、寝ている女性に手を出しつつある自分に自嘲が漏れた。彼女の前では紳士でいると決めた筈が、こんなに脆く崩れ去っている。折り重なるようにしていた自身の身体をそっと起こせば、その動作が彼女の意識に触れたのだろう、オリヴィアがゆっくりと頭を起こした。
「……?」
「気が付いた?」
まだ意識がはっきりしていないのだろう、オリヴィアの瞳の焦点が定まらないままうろうろと彷徨っている。頰はほんのりと上気して赤味が差したままだ。晩餐からさほど経っていないから、お酒がまだ抜けていないのだろう。いつもより舌足らずな声で、オリヴィアが呟いた。
「フレッドさま……?」
「うん。久しぶりだね。大分飲んだ?」
「……そうみたいです。……もしかして私、寝ていました?」
「少しだけね」
「ごめんなさい……」
とろんとしたその表情も、舌足らずな声も、嫌という程フレッドを煽る。普段は気が強く、落ち着いて見られがちなオリヴィアの、どこか少女めいた仕草に今すぐにでも掻き抱きたい気持ちを堪える。
「フレッドさまがいらっしゃるなんて、驚きました……」
「うん、急に決まったから知らせも寄越せなかったね。ごめん」
「いえ、嬉しいです……」
えっ、と思わずオリヴィアを凝視してしまう。オリヴィアは相変わらずとろんとした表情を見せていて、それが酔いのせいだと判っていても、それが彼女の素直な気持ちの現れのようで口元が緩んだ。
「逢いたかった」
フレッドが碧の瞳を捉えて言うとオリヴィアがその頬をますます赤く染めた。雄弁に彼女の想いを伝えるその頬に口付けたいという衝動のままに、その頰に手を伸ばす。酔っ払っているせいもあるのか、彼女は思いの外従順にその手を受け入れた。止まれなくなって、首筋まで手を這わせると、その薄紅色に染まった頰に唇を落とした。
惚けた顔で、オリヴィアがふわりと微笑んだ。自分だけに向けられたその笑みにまた誘われるようにして、今度は彼女の唇に自分のそれを重ねる。艶やかな唇の柔らかさと甘さに、理性が弾け飛びそうだ。もっと深く、と欲する己の心をどうにか抑えつけながら、触れるだけのキスをしてそっと離れれば。
彼女はすっかり蕩けそうな顔をしていた。
彼女のこの表情を見せられては止まれそうにない。酩酊状態にあるのだろう、普段ならきっとここまで惚けた様子を見せてはくれない。
これは辛いな、と思う。
これだけ無意識の内に煽ってくるくせに、いざそれに乗ってしまえば、きっと向けられるのは収穫祭の時のような泣き顔だけだ。あんな泣き顔は二度と見たくない。ましてその元凶が自分だなど。
どうにか理性を総動員して、彼女から身体を離した。彼女の酔った姿は愛しさを呼び起こすと同時に男の欲望を煽るものだが、早く酔いを醒まして貰わないと、自分の理性が持たない。
努めていつもと同じ声音で、水を飲むかと問えば、こくりと頷いた。
テーブルの上の水差しからコップに水を注ぐ。それを彼女に差し出せば、おずおずと飲み干す。ふぅと吐息を零す姿にもそそられる。水を飲んで一息ついたのだろう、先程よりも少しだけしっかりした口調でオリヴィアが謝った。
「いつもごめんなさい……フレッド様に手間ばかりお掛けして」
「こんなの手間の内に入らないよ。それにきみはこの視察のために随分頑張ったんだろう?今日のきみの応対も、僕達への配慮も文句の付けようがなかった。きっと僕達が帰るまでまだきみは気が抜けないんだろうけど、僕の前で位、力を抜けばいい」
「……もう充分、貴方の前では恥ずかしい姿ばかり晒しているのに」
「じゃあもっと晒せばいい」
ふっと笑ってオリヴィアを見ると、また頬に朱が差していた。堪らないな、とひとりごちる。誘っているようにさえ見えてしまう、というのは自分に都合のいい解釈だとは判っていても、引き寄せられるようにまたその唇を喰むと、繰り返されるその行為に慣れたのか、それともまだ酔いが抜け切れていないからか、オリヴィアのそこは柔らかくフレッドを受け止めた。
オリヴィアの唇をやんわりと挟み込むように喰む。間からちろりと舌を出して、彼女の唇をなぞると、驚いたのか咄嗟に彼女の口が僅かに開いた。そこから間髪入れずに舌を挿し入れる。怖がらせないように、怯えさせないように、ゆっくりと舌をオリヴィアの歯列に沿って這わせていく。歯茎をなぞってやると、オリヴィアがまた吐息のような声を漏らした。
手をオリヴィアの髪に添える。何度も撫でてやりながら、舌を徐々に奥へと向かわせながら、オリヴィアの髪を解いた。ふぁさ、とダークブラウンの豊かな髪が広がる。結い上げていたからか元々毛先がカールしているのか、ふんわりと彼女の背中で波打つその長い髪を手で繰り返し梳くように撫でると、オリヴィアの身体から少しずつ力が抜けていくのが感じられた。
軽く自分の舌をオリヴィアのそれに押し当てる。ぴくり、と僅かな震えが伝わってオリヴィアが逃げを打つように舌を引っ込めようとするのを、そっと宥めながら、しっとりとその舌に自分の舌を添わせる。あくまでも、ゆっくりと労るように。それでいて、逃げないようにもう一方の手を彼女の腰に回して。
ふわり、とオリヴィアの口腔から漂う微かなアルコールの匂い。そして下ろした髪から立ち昇るほんのりと甘やかな香り。それらが、フレッドをも酔わせていく。
オリヴィアが本気で嫌がる素振りを見せたら引こうと思っていたのに、これでは引けなくなりそうだ。
彼女の溜息のような吐息が聞こえる。いつの間にかすっかり弛緩した身体が、フレッドにもたれるように自らその身を預けている。
キスだけでこんなにイイのか。徐々に力を増して口内を探るフレッドの、貪るようなキスに、オリヴィアが苦しそうにもがき始めた。
息が上手く出来ないのだろう。少しやり過ぎたかとその反応に気付いて唇を離すと、オリヴィアが酸素を求めて喘いだ。
間近で見るその瞳が潤んでいて、何とも言えない色香を放っている。散々食い散らかした唇は真っ赤に腫れ上がりその存在を主張している。落ち着こうと何度も呼吸を繰り返すオリヴィアが、羞恥で真っ赤に肌を染めているのも、何とも煽情的な光景であった。とはいえ、明日からはいよいよ本格的に査察が始まる。軍の査察はともかく、領地の視察ではフレッドもオリヴィアには決して言えない任務を抱えている。いくら婚約者といえども今日このままオリヴィアの部屋にいるのはまずい。
その先に進みたい気持ちを押し隠して、何でもない風を装う。
「このまま休む?それとも侍女を呼ぼうか?」
「……侍女を。明日の準備もありますし」
「わかった。身体は大丈夫かい?」
「はい……大丈夫、です……」
フレッドとしては純粋に酔った体調を心配しただけだったが、オリヴィアが顔を俯けたのであれ、と思う。よく見れば俯けた拍子にさらりと流れた髪から垣間見えた首筋の肌が赤く染まっている。フレッドは苦笑すると、今度はその唇をオリヴィアの耳に落としてから囁いた。
「では、お休み。また明日」