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19. 視察1

 一月も半ばを過ぎた頃。

 王都からの視察団は、間に何泊かの休憩を挟みながらこの日ようやくフリークスの領地に入った。

 総勢三十名を越す視察団は、軍の元帥でもある国王を筆頭に国軍大将と中将、および事務方を務める国防長官、事務次官、更に国防を含めた国の政治の実務的なトップを務める宰相とその補佐官を含め、各人の側近・護衛・従者までもが帯同している。その内、国王、国防長官、事務次官、宰相、宰相補佐と彼ら付きの者がフリークス辺境伯の屋敷に滞在することになっていた。

 表向き、視察ということになっているが、今回の目的はフリークス辺境伯領の監査である。いくら疑いがあるとはいえ、この時期の監査はあらぬ噂を呼ぶ。そのため、丁度定例として行われている駐屯地の査察に乗じ、併せて視察を行うという名目で行われることになった。

 勿論本来の目的は、フリークスの家の者には何一つ伝えられていない。だが、もし後ろ暗いところを抱えているのであれば、フリークス卿であれば視察に隠された目的に勘付いているかもしれなかった。


 補佐官として着任したばかりのフレッドも、今回の視察に帯同している。サイラスは彼らの留守の間の王都を預かるが、サイラスの父親でもある宰相と共に視察団に同行することは直前に決まったことだった。

 どうやら、サイラスの口添えがあったらしい。補佐官としての任務とは別に、婚約者としてオリヴィアに会えるようにと。

 そのことは素直にありがたく思った。何せ、あの夜に彼女の唇を頂いてからというもの、フレッドは更に焼け付くような渇望に悩まされていたからである。


 彼女を怖がらせないように、初対面の時のような強引さは隠してそっと触れるだけのキスを落とした。幸い、オリヴィアは逃げることも、手を振り上げることもなかったしどこか陶然とした表情さえしていたように見えた。思考がフレッドの行動に追いつかなかっただけかもしれないが、それでも嫌がられなかったことにフレッドは安堵したし、これからを思って少し期待も持つようになった。いつかは。

 そんな不埒なことばかり考えているせいだろう。思い出す度に、あの柔らかな唇の感触に己の身体が熱くなるのを押さえられない。一月以上彼女に会えないのがこれほど辛いとはフレッド自身も予想だにしていなかった。


 自身の補佐官としての任務も、着任して日が浅いためもあって恐ろしく忙しい。帰りが午前様になることさえある日々の中で、オリヴィアに逢いたいと毎日のように焦がれた。逢ってその手を取りたい。あの瞳をとらえたい。囚えて、腕の中に閉じ込めて、キスしたい。あの細い腰に手を回し、柔らかな身体を押し倒し、組み敷きたい。

 そこまで考えて、これではあの雨の夜に意識のない彼女を前にして思ったことと一緒じゃないか、と自嘲する。羊の皮を被るのもなかなか難しくなってきている。少し前までは女に興味などさほどなかった筈なのに、今はもう、彼女に関しては自分の欲求が詰まるところ同じ所に行き着いてしまう。


 抱きたい。彼女の全てを己のものにしたい。


 偽りようのないそれが全てだ。こんなに強烈に一人の女性を欲したことはない。自分でも持て余すほどの強い衝動を、どうにか押さえられているのはひとえに彼女の言葉があるからだ。

 ”その先を求めないで”

 それを破れば、きっと彼女は深く傷つくだろう。フレッドを拒否するだろう。欲したものに自分から手を伸ばせないのは辛い。かといって他の男に取られるつもりもない。彼女から手を伸ばしてくれれば。それが叶わなくてもせめて自分を受け入れてくれるよう仕向けなければ。でないと自分も押さえが効かなくなるかもしれない。

 とはいえまだ時期尚早であることも判っていた。もうすぐ彼女に会える。彼女の前では紳士でいなければ。

 フレッドは高ぶる己の感情をどうにか律して、フリークス家の敷地に足を踏み入れた。



 


 ずらりと続く団の後方から、フレッドは一行を出迎える彼女を視界に捉えた。オリヴィアはまだフレッドには気付いていないようだ。女主人として国王に歓迎の意を述べている彼女を、瞬きもせずに見つめる。フレッドの同行が直前だったこともあり、手紙を出すより自身が赴くのが早いだろうと考えて何も伝えてはいなかったが、そのくせ彼女には早く自分に気づいて欲しいと願っている自分がいた。

 グレアム公爵夫人や父親であるフリークス卿と並び立つ彼女は、そうして並んでいてもその美貌としとやかな応対で際立っている。冬の冷たい空気に晒された、太陽のか細く暖かい光を反射する湖面のような色をしたアイスブルーのドレス。シルバーのビーズで施された刺繍は胸からドレスの裾にかけて流れるようだ。華美ではなく、むしろ洗練された品のある装いだった。オリヴィアの神秘的な瞳と相まって彼女を女主人らしい貫禄ある姿に見せている。

 フレッドが魅入られていると、どこからかほうと溜息が聞こえてくる。そっと辺りを伺うと、同じように彼女に魅入られた男共が熱を孕んだ視線を隠しもせず彼女に向けていて胃が粘ついたもので満たされた。

 彼女は自分のものだ、と言ってやりたい。いや、二人の婚約は社交界では既に広まっている。婚約の公示も昨年の内に出たのだ、此処にいる王宮勤めの男達は当然知っている筈なのである。だというのに、自分のいるすぐ傍でそんな視線を向けるな。フレッドが牽制も露わに冷たく男達を一瞥すると、彼らは慌てて他に視線を移した。


 彼女もその不穏な視線に気づいていたのだろう、表向きはにこやかに一行を出迎えながら、何も知らない者が見てもわからないほど微かに彼女が怯えているのがフレッドには見て取れた。自分がいるから。そう心の中で呟くと、まるでそれが聞こえたかのように、彼女がフレッドに視線を向けた。

 緊張もあるのだろう、少し余所行きの表情だったその顔がフレッドに気づいた途端驚きに瞬き、それから解けるようにゆるゆると笑みが咲いていく。それを目の当たりにしながら、どうしようもなく愛しく思う気持ちと、彼女は自分のものだという優越感にも似た感情に、口元が緩むのを止められなかった。


 とはいえ、私用で訪問しているのとは違う。フレッドのような「お付き」はその場で直接言葉を交わせる筈もなく、フレッドがオリヴィアと話ができたのはその日の晩餐会の後になってからだった。


 それにしても、彼女の采配には感嘆せざるを得ない。視察団の話があってから、今日まで一月ほどしかなかった筈なのに、その準備は完璧だと言っても良いほどだった。グレアム夫人が口添えしたとしても、見事なセンスであると思う。

 客人の癖や好みを熟知した対応。客人が寛げるようにと、部屋には夫々が好む香りの花が活けられ、部屋に到着して間も無くメイドが各々の好みの茶を持ってくる。到着時に足を擦っていた者には、ボウルに張ったお湯とタオルがすぐさま用意された。晩餐の時間まで小腹が空いたな、と思えばまるでその声が聞こえたかのように何かつまむ物が客間まで差し入れられる。

 それは国王や重鎮達だけではない。従者にさえも同じ気遣いをしてくれるのだ。それも、こちらが口にせずともその様子だけで察知し、応じてくれるのである。

 各人の食材の好き嫌いは当然事前に調べてあったのだろうが、晩餐会の食事は日頃豪勢な食事に事欠かない国王までもが絶賛する内容であった。

 実に細やかな心遣いだった。初日だけでもこれだけ心を砕いてくれているのだ。準備に相当手を掛けてくれたことは想像に難くなかった。気配りができるが、それを押し付けることはない。さり気なく、相手の希望に添うようにもてなす。なかなか出来ることではないとフレッドは舌を巻く。

 これもまた知らなかった一面だった。


 晩餐会を終え、そのまま球戯室へと男達は場所を移す。そこで酒を片手に歓談したり、煙草を吹かせたりするのが上流階級の嗜みでもあるのだ。通常、晩餐会の後は女性は女性同士でサロンに移動してお喋りを楽しむものだが、生憎客人に女性はいない。サロンや温室(コンサバトリー)も男達に開放されるようだった。

 恐らく、やっとオリヴィアも一息つけるのだろう。女たちは先にダイニングを辞していて、フレッドは先程までのオリヴィアの見惚れるような対応を思い返しながら一行に続いてダイニングを後にした。すると、幾らもしない内に女性の声に呼び止められた。


 「フレッド様」

 「グレアム夫人」


 呼び止めたのはグレアム夫人、オリヴィアがおばと呼んでいる女性だった。今日も公爵夫人としての威厳をもってオリヴィアを常に立てるように振る舞っていた記憶がある。その夫人に呼び止められて思わず怪訝な顔をしてしまった。フレッドの後から続いた者たちが二人を横目に次々にダイニングを出ていく。


 「今日はようこそおいでくださいました。お寛ぎ頂けましたかしら」

 「ええ。これほど細やかなお気遣いを頂けて甚幸です。お陰さまで視察前であることも忘れてゆっくりさせて頂きました」

 「ふふ、それはあの子に伝えてやってくださいな。それより」


 夫人がフレッドに近くに来るよう促す。あらかた男達がダイニングを出て行った後だったが、夫人はフレッドの耳に心持ち口を寄せてそっと囁いた。


 「……あの子をお願いできるかしら」

 「はい?」

 「あの子、本当はお酒に強くないのよ」

 「……ああ、それで」


 先程の晩餐会の場では、臨席の国王に勧められるままにこやかにワインを口にしていた彼女だが、それが礼を失さぬようにと気を張ったものだということはフレッドにもわかった。サイラス達と晩餐を共にした時には、ワインには殆ど口を付けていなかったのだ。だが相手が国王だからと無理をしたのだろう。そういえば最初の一杯で頬が赤く染まっていた。ここでもやっぱり彼女は強がっていたのだ。


 「彼女は今どこに?」

 「自室に戻らせたわ。エマに案内させるわね」

 「いや、場所はわかりますが……僕が行っていいんですか」

 「貴方しかいないのよ。客人がたのお世話で使用人は手一杯だし、私もまだ明日に向けてするべきことがあるから」

 「わかりました」

 「くれぐれも、よろしくね。彼女は貴方のことは嫌がっていないみたいだから」

 「……はい」


 はっと、公爵夫人の顔を見返す。夫人もオリヴィアが異性に恐怖心を持っていることを知っているようだ。考えてみればおばと呼ぶ位親しい血縁なのだからそうであってもおかしくはないのだが。同時にオリヴィアが拒否するようなことはするな、と言外に釘を刺されたと気付き、返答する声が僅かに引きつった。


 オリヴィアの私室の場所は知っている。領内で雨に打たれた翌日、屋敷に送り届けた彼女をその寝室まで抱き上げて運んだのはフレッド自身だからだ。夫人と別れた後、すぐさま二階の彼女の部屋を目指す。自然と早足になっていた。

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