8.シンジツ
リア:主人公。兄を探すと決め、RPGにログインすることを決めた。
カトルシア:カトル。
ログインしたリアを最初に見つけ、街に連れ帰る。
樹上の街ラシュラン出身。
リアを守ると決め、共に旅立った。
ルーシア:オレンジの髪、ルビーのような紅い瞳。
とあるカプセルを探して旅をしている。
男しか産まれない、風の街サンドラ出身。
クシィ:宿屋の看板娘。
鈴の音のような声の美しい女性。
ダグラス:過去にカトルの父エルシア、母ユリと旅していた。
娘を襲われたことが原因でカプセルを嫌うようになった。
ずっと手を繋いでいてくれるカトルに、あたしは少しずつ安心していった。
部屋に着くとクシィさんはいなくて、冷めた晩御飯があるだけ。
白いお皿に綺麗に盛りつけられた食事は、それでもすごく美味しそうだ。
あたし達はそれを食べることにしてテーブルにつく。
しばらくするとカトルが話し始めた。
「クシィさんはダグラスさんの娘さんなんだ」
「っ…げほげほっ」
あたしは食べかけたサラダを吹き出しそうになるのを堪え、むせ返った。
「え、えぇ?」
急すぎて展開についていけない。
「カプセルに襲われて精神を病んでしまったっていう、その張本人さ」
「だ、だって…あんな普通に接客してるよ…?」
「うん…だから確かめたくてさ。…俺が最後に会ったのは父さんに連れられて来た時で、俺もクシィさんもまだ小さかった時なんだ…だから俺のこと、覚えてなかったみたいだけど。あんな外見だし、間違いないと思うんだよなぁ」
そういえば、あんな美しい髪は今まで一度も見かけてないなぁ。
…そっか、そっかぁ。
カトル、見とれてたんじゃなかったんだ。
…それどころじゃないのはわかっていた。
でも、あたしはほっとして思わず息をつく。
その時ルーシアと目が合って、彼はそっと微笑んだ。
なんだか恥ずかしくなって、あたしははにかんでしまった。
「で、いきなりダグラスさんの娘さんですか?とかおかしいかなと思ったから、取り敢えず付き合ってる人がいるのか聞いてみれば何かわかるかなって考えてさ。でも彼女がいるのにそれを聞いたら、軽い奴だと思われて警戒されるんじゃないかと思って…まぁ、あんなことになったわけ」
そこまで言うと、カトルはばつが悪そうにステーキを頬張る。
ルーシアはそれを見て優雅にワインを飲むと言った。
「嫌なことだから、直接何があったか聞いちゃ駄目だよ?」
「あぁ、わかってる。で…リアとルーシアが走ってった後で慌ててダグラスさんの娘さんか聞いたら、そうだってさ。…彼女驚いたと思う。でもそれどころじゃないから、とにかくお礼だけ言って追いかけたんだ」
「ご、ごめんなさいカトル…」
「!いいの、いいんだよ!俺、ちょっと嬉しかったし…リアがあの言葉に動揺して逃げるくらい俺のこと…その…好き、だってわかってさ」
!!
あたしは目を見開いたはずだ。
カトルはサラダを口に詰め込んでそっぽを向く。
その耳が真っ赤で、あたしの頬はつられるように熱を帯びる。
と、突然。
「俺がいるの忘れないでほしいなー」
ルーシアが不満そうに言って立ち上がる。
「え、る、ルーシア?」
あたしが呼ぶと、彼はオレンジの髪をかきあげて笑顔を作る。
「ごちそうさま…ちょっと散歩してくるねー」
「え…」
…ぱたん。
気を使ってくれた…というよりは、どこか寂しそうに見えた。
もしかして、彼が会いたがってるカプセルのこと考えちゃったのかな…。
「…ごめん、俺…もっと考えるべきだったよな」
同じことを思ったのか、カトルはそう言って表情を曇らせる。
少し長い前髪が、エメラルドの瞳にかかって陰を落とす。
「カトル、行ってあげてくれる?」
「うん。…なぁ、リア」
「うん?」
「…リアは俺の彼女…って、思ってるんだけど…いいよな?」
「…!うんっ」
「サンキュ!…行ってくる」
カトルはにっと歯を見せて笑うと、ルーシアを追って出ていった。
一人で夕飯を片付けていると、とんとんとノックが。
「はあい?」
返事をすると、クシィさんがひょっこり入ってくる。
「あ…クシィさん…」
戸惑うあたしに、クシィさんは優しく笑いかけた。
「こんばんは。今いいかしら?」
きょろきょろする彼女に、あたしは言った。
「ルーシアなら、出てますよ」
「あ、ううん。カトルに聞きたいことが…」
あ。
もしかして、ダグラスさんのことじゃないだろうか?
「あの、もしかして、ダグラスさんのことで…?」
「!」
クシィさんは驚いた顔をしてあたしを見た。
「あたしリアといいます。えっと…何から話したらいいのかな…」
カプセルだということは伏せなければ。
口元に手をあて悩んでいると、クシィさんは慣れた手つきでお皿を片付け始めた。
「わ、やりますやります」
慌てて手伝おうとすると、彼女は笑った。
「いいのよ、いつもやってるから。…父と知り合いなの?」
「知り合い、かぁ…ダグラスさんはあたしのこと苦手かもしれません。でも昼間、助けてもらって…」
一緒に片付けながら言うと、クシィさんは顔をしかめた。
「何か言われた?頑固者でしょう」
「ふふ、でも助けてくれました」
「…もしかして、私の過去のことも知ってるのかしら」
「……カトルはラシュランの出身です」
あたしは質問に答えず、全然違うことを言った。
するとクシィさんは少しだけ、手を止めた。
「カトル…シア…?あ…エルシアおじ様とユリさんの…!」
「はい…」
「そうだわ、私ったらすっかり忘れてたのね…。そう、だから気を使って…」
何か合点がいったように、クシィさんは笑った。
「ふふ、急に付き合ってる人いますか?だなんて、何事かと思ったわ。そういうこと」
「す、すみません…」
あたしが逃げて話がややこしくなったはず。
慌てて謝るとクシィさんはさらさらの髪をちょっとかきあげてにっこりした。
「私ね、カプセルの彼がいたの」
「ええ!?」
「リアちゃんになら話してもいいかな。何があったか聞いてくれる?」
「い、いいんですか…?」
クシィさんがダグラスさんの娘だったのもそうだけど、急展開だ。
ジェットコースターで急降下するような感じ。
あたしは何故クシィさんがそんな話をするのかわからなかった。
「宿の無い彼をね、ある日父が連れてきたの。父はカプセルを敵視してなかったから、快く泊めたわ。私達はすぐ仲良くなって、恋をした」
…あれ?
あたしは胸につかえた違和感に、クシィさんを見た。
泊めたカプセルに、クシィさんが襲われて…精神を病んだんじゃないの…?
だって、彼なら、襲うだなんてことにならないはずじゃ…。
「でもある日、彼が狩りの対象になったの」
「狩り…って、まさか軍のですか!?」
「ええ。あれは噂じゃないの…。軍は父に見つからないよう、彼を襲撃した。でもそこに…私もいたのよ」
ぞっとする。
登録したカプセルは、処分から守られる。
でも、狩りの対象になるかもしれないだなんて…。
カトルとルーシアは噂だって言ってたけど、火の無い場所に煙はたたないということだ。
…つまりあたしも、狩りの対象になるかもしれない。
「目の前で彼は殴られ、蹴られ、血を吐いたわ。やがて、軍の一人が剣を抜き彼に向けた…」
鼓動が速くなり、嫌な汗が吹き出る。
あたしは震えながら、続きを待った。
「その時、別の男の人が飛び出してきて、彼を助けたの。覚えてるわ、茶色い髪、茶色い瞳。手の甲にカプセルの印がくっきりと見えた。その男の人が彼に言ったのよ。『運命に抗うか』って。ボロボロの彼はあたしに小さく笑った…大丈夫、生きると。情けないんだけど私はショックで気を失って、助け起こされた時、一切の記憶が無かったの。軍がカプセルに襲われたと教えてくれたのを信じていたわ」
何かを思い出すように、クシィさんは目を閉じた。
「思い出したのは1年くらい前かな…急に世界が恐ろしくなった。軍の人が何度も私の様子を見に来たのは、記憶が戻ってないか確認するためだったのよ…!」
「クシィさん…」
「ルーシアと会ったのはその時。あの人、女性に優しいでしょう?誰かにすがりたかった時、ここに泊まったのがルーシアだった。ルーシアと話す内に、彼が運命に抗うカプセルを探してるのを知ったわ」
運命に、抗うか。
クシィさんはそう呟いてどこか遠くを見つめた。
「きっと生きてる。信じてる。いつか私を迎えに来てくれる。…だから私は記憶が戻らないふりをして…こうして働いてるの。ごめんね、驚いたでしょう?…リアちゃんに話せると思ったのは、きっと似てるからよ」
「え?」
「彼を助けたカプセルに、貴女は似てる。まるで兄妹みたいにね」
!!
がしゃんとテーブルにお皿を落としたあたしは、口をぽかんと開けたままクシィさんを見ていた。
クシィさんは驚いた様子であたしを見、慌てて言った。
「あ…ごめんなさいね。カプセルに似てるとか…失礼なのかしら…」
「ち、違います!クシィさん、その人、背はどれくらいですか?」
「え…えぇと…たぶん、私より少し高いくらいかしら…」
「歳はどれくらい!?」
「そ、そうね…若かったと思うわ。私やルーシアと同じくらい…」
「どこが似ていましたか?あたしに…」
「えっ…と、目元や口元がよく似てる気がするわ。でもどうして…」
「…」
あたしは無言で襟を引き下げ、印を見せる。
クシィさんは目を見開いた。
「…!」
「あたし、兄を探しています…。もしかしたら、運命に抗うカプセルと共にいるかもしれなくて…」
「そう…そうなんだ」
クシィさんは何かに納得したように頷き、あたしの手をとった。
「お願い、どうか、私の彼を見つけて…?クシィは元気だと伝えて…。私は軍に監視されてるわ。だから、代わりに」
リアちゃんは、私の救世主なんだわ、とクシィさんは呟いた。
「…運命に抗うカプセル達の居場所は、軍が知っているはず。…その情報、父なら聞き出せるはずよ」
「え…!?」
「…実はね、怖くて父に本当のことを話してないの。だからカプセルに辛く当たる人になってしまった…。軍に反発して、父が排除されるのが怖かったのよ。でも私が話したら、きっと協力してくれる」
「ま、待って下さい、ダグラスさんは軍の人なんですか?」
…言いながら思った。
ダグラスさんは役所にいて、あの蛙男と知り合いみたいだった。
軍と関係があるだろうことは容易に予想出来ることだ。
「簡単に言えば軍の幹部の片腕よ。父は幹部に腕を買われているの」
クシィさんはそう言うと、食事を運んできた台車にお皿を積み終えてそれを押した。
「…返事は明日でいいわ。無理にとは言わないし、勝手に救世主にされちゃ困るわよね。ルーシアやカトルにも話してくれて大丈夫。…リアちゃん」
「は、はい」
「聞いてくれてありがと!なんかすっきりしたわ!じゃ、失礼するわね」
その笑顔はすがすがしく、気持ちの良いものだった。
あたしはクシィさんを見送り、へなへなと座りこんだ。
全然見えなかった兄の背中が、急に視界に飛び込んできた気がした。
どきどきする。
それとは別に、不安にも思った。
急に、あまりにも急に、全てが一本に繋がった気がするのだ。
まるで物語の筋書き。
誰かが作った道を歩かされているような。
違う、違う。
この世界は存在する。
カトルを好きになったのも、カトルがあたしを好きだと言ってくれるのも、みんな本当だ。
最近、考えるのを辞めてしまっていた。
疑問は疑問のまま、忘れていた。
あたしは頭を抱え、その不安を拭うために考え出す。
「真実を知りたいなら探しなさい」
ユリさんの言葉が急に思い出される。
真実って何?
…おかしいよ。
疑問は無くならない。
なのにこんな簡単に手掛かりは転がっていて、あたしを運命に抗うカプセル達の元に導こうとする。
あたしは部屋にあったメモ帳に、疑問を書いていった。
死んだら記憶がなくなる。
どうして新しく生き返ったカプセルは記憶が無いの?
ロールプレイだから?
記憶をいじられたから?
魔物はいつからいるの?
魔物はデータじゃないの?
データなら誰がなんのために作ったの?
魔物の長って何?
この世界を滅ぼそうとしてるんだっけ?
どうやって?
この世界が本物なら、何故あたし達はゲームと偽って送り込まれるの?
預言者って何者?
ころん…。
鉛筆を転がした。
書けば書くほどわからなくなる。
あたしはそれを何度も読み、考えた。
魔物はデータだ。
カプセルもデータ。
じゃあ、それはあたしの世界から送り込まれたものだ。
でも、先に送り込まれたのは、魔物…。
考えると、それが段々と形になる。
理由はわからないけど、この世界に魔物を送り込んだ人はあたしの世界の人で…
魔物はこの世界を滅ぼそうとした…。
焦ったその人は、魔物を倒す人を送り込むことにする。
それをこの世界の人に不審に思われないように、預言者を名乗り…預言を残した。
自分の世界ではゲームとしてそれを世に出して、気軽に…遊び感覚で…出来るようにした…?
どうだろう…これなら何となく話が繋がってくる気がする。
細部は違っても、魔物の出現した時期が何百年前なんてことがないかぎり、時系
列に間違いはなさそうだ。
でも…。
そうすると、初期開発者が1番怪しいことにならない?
なんてことだろう。
血の気が引いていく。
じゃあ、それを手伝う兄は、何か知っているんじゃないだろうか?
やだ…怖い。
真実を知るのが怖い。
あたしは両手で身体を抱きしめて、大きく息を吸った。
落ち着こう。
まだわからないことはたくさんあるんだから。
次は記憶についてだ。
さっきの仮定を元にして考えてみよう。
もし記憶をいじれるとして、それを消すのは一度味わった死の恐怖を消すってことになる。
死ぬのが怖くない訳ないものね。
…そうすると「ゲーム」だと認識させ、何度でも魔物退治にやってきてくれる駒が出来るわけだ。
記憶を消す理由は充分ある。
もしかしたらあたしも何回か死んでいて、記憶を失っているかも…。
その考えに至って、ぞっとする。
「死にたくない…」
呟いた言葉が、空気に溶ける。
死んでしまったら、あたしはカトルもルーシアも、エルシアおじさんやユリさんも忘れてしまう。
この世界で見た美しい景色や、匂い、全てだ。
ここが現実に存在する世界でも、記憶に残らなかったらそれは存在しないのと一緒。
…そりゃ、死ななければいい。
でも、まだ私だけの力じゃこの世界で生き抜くことは出来ない。
ランプに照らされた部屋が急に恐ろしくなった。
早く、運命に抗うカプセル達を見つけなければ。
世界を救い、安心して生きられるようにしなければ。
「ただいま…リア?」
カトルとルーシアが戻ってきたのはその時だった。
あたしがへたりこんでいるのを見て、カトルが駆け寄ってくる。
「どうした?」
「あ、ごめんね。大丈夫」
あたしを覗き込むエメラルドの瞳。
忘れたくないと思った。
あたしが立ち上がると、カトルも安心したように息をついた。
ルーシアはテーブルに残っていた鉛筆を拾い、ふとメモに視線を留める。
「…?リアちゃん、このメモ…」
「あ…」
殴り書きを見て、眉をひそめた彼はこっちを見た。
「メモ…?」
カトルが一緒に覗き込む。
「…ねぇ、魔物のことなら、俺、少しわかるよー?その、でぇた、っていうのがよくわからないけど…。話そうか?何か役に立つ?」
「本当?教えて、知りたいの!」
「うん、その前に、リアちゃんの話を聞かせてくれるー?このデータっていうのが解れば、もっといい話が出来るかもしれないし」
「あ、う、うん。…カトルは知ってると思うけど、あたし、ね。違う世界から来たの。最初はこの世界が造られた世界だと信じてて、カトルもルーシアも、みんな『データ』で出来てると思ってた。でも違ったんだ。そもそもデータは魔物やカプセルが死ぬ時に見える記号の集合体のことで、それがあたし達の体や意識を形作っている…つまり、カトルやルーシア、この世界はデータじゃなかったのよ」
説明すると、ルーシアは目を閉じ、何か考えを巡らせた。
「じゃあ、そのデータっていうもので出来てるのは、魔物とカプセルだけなの?」
「たぶん…。ただ、あたし達カプセルは、魔物と違って別の世界に身体があるの。ルーシアやカトルと同じ身体よ。…その身体から、意識をデータにしてこっちの身体に入れてるんだと思う」
「成る程…でも、それだと魔物もリアちゃんの世界に身体があったりしないのかな?」
「それは…どうだろう、確かに魔物と同じ形の生き物もいるけど…」
大きな蜂、犬に似た魔物。
思い出しながら、あたしは首を振った。
「たぶん違う。あれは造られた生き物だと思う。だから身体はあっちには無い…」
説明し難いけど…あたしが見た魔物の行動…犬みたいなのが集団で攻めてくるとか…は、本能ではあるかもしれないけど、何せあの数で、統率が取れていて、しかも村を丸ごと襲おうとするなんてことさすがに無いと思った。
それにあの数だ。
現実に身体があるなら、さすがに隠せないだろう。
虫や動物の意識や行動はある程度データで造れたけど、人の意識は複雑すぎて造れなかったとか、そんな感じじゃないだろうか。
だって造れるなら、カプセルなんか送り込まなくても魔物と戦う人をデータで造ればいいはずだ。
「それとね、こんな仮説を考えたんだけど…」
…あたしはさっきの仮説を話した。
「もしそうだったら、あたしの世界の人がこの世界を…滅ぼしそうになってるってことになるの」
二人を見ることが出来ない。
胸が張り裂けそうだ。
少しの沈黙。
「…なぁ、リア」
やがてカトルが呟いた。
「俺、やっぱ難しいことわからないけどさ。それなら、魔物の長は俺が倒す」
「え?」
「俺が全部背負う。リアが不安になることなんか何一つ無い。だってリアは悪くないだろ?」
「で、でも…」
「カトルの言う通り。大丈夫だよリアちゃん。例えお兄さんが関わっていても俺はリアちゃんが悪いと思わないよ?何より、運命に抗うカプセル達は『この世界が滅びる運命』に抗ってるって聞いてる。だから、お兄さんは戦ってることになる。何も悪くないじゃない」
「…うん、ありがとう」
確かにそう。
兄は、滅ぶ運命に抗って戦ってるのかもしれない…。
だけどあたしの世界の人が、どういう意思であれその滅びの運命をもたらしたのなら、それは罪じゃないのだろうか。
それと、気になったことがあった。
「…ね、魔物の長はどんなやつなの?滅ぶって…具体的にどうやって滅ぶとか、預言されてるの?」
「それは…俺が話すね。取り敢えず座ろう、長い話になるから」
魔物の長がやってきた日は、誰も知らない。
今から50年前とも、100年前とも、それ以外言われてるんだ。
ただ、少なくとも50年前に魔物は存在し、30年程前には村や街同士の交流が殆ど途絶えていたはずだよ。サンドラの文献にあったから、間違い無いと思う。
肝心の魔物の長については、約50年前の詩がある。
その者黒い陰纏い
夜に溶ける者なりて
魔物の長なり
その手振りかざせば魔物溢れ村を飲み込まん
他にもいくつか詩はあるんだけど、どうやら人間みたいな容姿で陰の様に黒くて、魔物を生み出すことが出来る奴みたいだね。
滅び方については、最も広まっている話をしよう。
魔物の長が生み出した黒い波が、世界を覆っていく。
村は呑まれ、人は喰われ、世界が魔物の物になる…まぁ、単純に言えば魔物の大群が押し寄せてくるって説だねー。
でも不思議なことにカプセルが来るようになってから魔物の長の姿を見たって話は聞かないし、魔物が増えている感じはしない。
むしろ魔物が減って、最近じゃ襲われる方が珍しいなんていう人もいるくらいなんだ。
そこまで話すと、ルーシアは一呼吸置いて言った。
「…リアちゃんの仮説が正しいとしても、もしかして魔物の長はもう退治されたんじゃないのかなー?」
するとカトルが机に身を乗り出した。
「退治されてるなら、運命に抗うカプセル達は何してるんだろう?」
「そこまではちょっと…わからないんだけどねー」
「そうだよな…やっぱりどうにかして探さないとだよな」
そこまで聞いていたあたしは、まるで雷が落ちたようにクシィさんのことを思い出した。
「あ、あー!そう、そうだっ、聞いて二人とも!」
「そっか、クシィさんにそんな事が…。…軍の奴ら、ホント最低だな」
カトルが唇をひきむすび、目を閉じて言った。
あたしはそれにうんと頷いて、何だか考え込んでいるルーシアに向き直る。
「とにかく、私達はクシィさんの力になって、ダグラスさんに話をするのが賢明?」
「ん?うん…そうだね」
「今日は遅いし、クシィさんのとこ行って詳しくダグラスさんのこと聞くのは明日にしようか」
「それがいいな」
カトルはそう応えると部屋にあるシャワーを確かめ、先に入るよと言った。
「いってらっしゃい」
カトルが入っていったのを確認して、あたしはルーシアに向き直った。
なんだか浮かない顔をしてる気がする。
「どうしたの、ルーシア?」
「え?…あ、少し考えててねー。もしクシィの彼が運命に抗うカプセル達と一緒にいるとしてさ…俺の探してるカプセルと同じで、なんの音沙汰も無いなんて…薄情だって思わないのかな」
「…それは…」
あたしは思案した。
もしかしたら、ログアウトしてこの世界にいないのかもしれないって仮説は胸にしまっておきたかった。
「いくら登録してるからって、全員が狩りの対象じゃないよね。手紙くらい送れるはずでしょー。何か、理由があるのかな」
「…ルーシアは、薄情だと思う?」
「本心はそうかもね。でもわからないんだー…信じたいのかも」
そう言うと、ルーシアはテーブルの上でそっとあたしの手を握った。
その手が少しだけ震えていて、まるで何かに怯えているみたいで。
「ルーシア…?」
「気になるのはそれだけじゃないんだ…何だろうね、不安なんだ。…変だと思わない?何でこんなに簡単に進むんだろう?俺が旅をして3年、ほとんどなんの手掛かりもないままだったのに」
「……」
ルーシアは、あたしと同じ疑問を抱いていると気が付いた。
まるでそうあるように導かれたような焦燥感。
「…あたしも少し気になる。でもこれは…誰かが仕組める規模じゃないよね…?」
不安を払うように口に出すと、ルーシアはちょっとだけ笑ってほっと息をついた。
「うん…そうだねー。ありがとうリアちゃん」
ルーシアはするりと手を解き、自分の前で組み直した。
「運命に抗うカプセル達と一緒に彼女がいたら…何から聞こう?」
困惑混じりの笑みを浮かべ、ルーシアはそう言った。
「…そういえば、ルーシア…あの、その人って…ルーシアの彼女なのかしら?」
「………え?」
「あ、あれっ…何その間…違うの!?」
「俺、言ってなかったっけー。うーん、何だろうね、姉さん…になるはずだったっていうかー」
「ね、姉さん!?」
「うん、あう、リアちゃんちょっと、ち、近いかも…」
身を乗り出したあたしに、いつもなら両手を広げて歓迎しそうなルーシアは目を逸らす。
「何言って…」
「……」
目をぱちぱちする。
あれ、あれれ?
ルーシア、赤くない?
「照れてる?」
「てっ……」
がちゃ。
「お先ーって、どうかしたのか?2人とも」
カトルが唐突に出て来ると、ルーシアは弾かれたように立ち上がって、
「お、俺、次入るねー!」
と、いそいそとシャワーを浴びに行ってしまった。
「何だ?どうしたんだ?」
濡れた黒髪をタオルでゴシゴシしながらカトルがテーブルにつく。
「うーん、どうしたんだろう」
あたしも首を傾げるばかりだった。
次の日。
朝早く目が覚めて、あたしは一人外に出ることにした。
カトルとルーシアはベッドで布団を抱え込みぐっすりだ。
宿の裏手にある庭は生垣に囲まれ、中から外を伺ってもよく見えない。
たぶん外からも同じだろう。
朝日に照らされた明るい庭先には誰もいない。
柔らかい木の芽をついばむ白い鳩がちょんちょんと移動し、ぽっぽと囀るのを聞きながら、あたしは鞘に納めたままの剣を取った。
ひゅ、ひゅ、ひゅん。
ルーシアとする特訓を思い出し、身を捻り剣を突き出す。
直ぐさまそれを引いて、下に向け切りつけ、相手の反撃をかわす。
「右!」
突然声が掛かったのはその時だった!
あたしは反射的に右に身を捻って、腰を落とし跳んでいた。
ルーシアの特訓の賜物だった。
からん。
乾いた音をたて、あたしのいた場所に薪が転がる。
投げ付けられたのだ。
ぱちぱちぱち。
拍手の音。
すぐに体勢を整え、音のする方に剣を向ける。
「おはよう!…今のはいい反射だったねー」
そこにいたのは珍しく髪を束ねたルーシアだった。
「あ…ルーシア。おはよう。起こしちゃったかな?」
剣を降ろし警戒を解く。
彼はそんなあたしを見て庭にあった丸太にどっかり腰を降ろした。
「いや、目が覚めただけだよー。…いいよ、続けて?見てるからー」
「えぇ、見てるの!?」
「あれ、駄目なのー?」
「い、いや…そういうわけじゃ…」
うう。
一緒に剣を振るう方が、なんていうか緊張しないっていうか…。
ひゅひゅ…。
がちがちになりながら剣を振っていると、やがてルーシアはぽんと膝を打つ。
「だいぶ様になったね…よし、ちょっと待っててねー」
「え、えぇ?」
そして今度は宿に戻ってしまった。
な、何だろう?
数分後…。
「なんだよ、ルーシア…ふあ…こんな朝早くに…あれ?」
「か、カトル…?」
何故かルーシアはカトルを連れて戻ってきた。
「さ、はい、これ」
「え?」
渡されたのは木刀…。
「ど、どうしたのこれ」
「細かいことは気にしないのー。はい、カトルも」
「は、はぁ?」
「さぁリアちゃん、カトル、決闘だよー」
え。
えええーっっ!?
「な、何言ってるんだよルーシア!?俺は嫌だからな!リアに剣を向けるなんて…」
「そっ…そうだよ!カトルと戦うなんて」
あたし達が拒否するとルーシアは笑みを消し、真剣な表情になった。
「…これから先のこと考えたんだ。このままいくと軍を相手にするかもしれない。魔物だけじゃなく、人間も相手にね。だから二人にはお互いの強さを知っててほしいんだ」
「あ…」
表情を曇らせたカトル。
確かにルーシアの言うことはわかるけど、本気で戦えるだろうか?
「それに強くなりたいなら、こうやって手合わせするのは必要だよ」
「…わかった」
「カトル!」
「大丈夫。リア、思い切り来て。俺、近接だって頑張ってきたし…リアが頑張ってたのも知ってるから」
カトルはそう言うと深呼吸をして足を開いた。
切っ先をゆっくり上げ、あたしに向けて構える。
「…わかった、じゃあ…お願いします」
あたしも剣を上げる。
カトルが頷いたのが合図だった。
間合いを測り、様子を見る。
カトルもそうしてる様だ。
あたしは剣を突き出した。
カトルはそれを避け、あたしの右脇腹目掛け剣を振るう。
ガン!
あたしがそれを受け止めると、木刀から鈍い音と衝撃が伝わった。
でも…その衝撃は弱く、まるであたしを試してるよう。
…カトルの一撃はまだ甘いことを感じ、あたしは木刀を握る手に力を込めた。
あたしが本気を出さないと、彼も本気を出せないんだ!
ガッ、ガチィッ!
弾き、カトルの剣の下を滑らせるようにして攻撃する。
直ぐさま飛び離れたカトルの服を木刀が掠めた。
「…ッ」
「カトル!何してるんだよ!リアちゃんは本気だよ!お前も応えるんだ!」
「…あぁっ」
ルーシアが厳しく言い放つと、カトルは木刀を握り直してあたしとの距離を一気に詰めた。
「やぁーっ!」
下から振り上げられる木刀。
ブゥン!
身を捻ってかわしたあたしの耳元で木刀が切り裂いた空気が唸る。
切り掛かるあたしの剣と、カトルが切り返し振り下ろす剣がぶつかった。
ガツンッッ!
…っ。
手にじぃんと衝撃が伝わり、その重みで一瞬剣を握る掌が緩む。
その瞬間、カトルは自分の剣であたしの剣を絡めとるようにして弾き飛ばし、木刀を振り上げた。
よろめいて手を着いたあたしは、咄嗟に「それ」を握る。
…まだっ…まだ負けられないっ!
あたしは無防備になったカトルの懐に踏み込んだ。
「う、わ!」
ここであたしが取るべき行動は一つ!
相手を再起不能にするには…。
「ストップ!」
…!
あたしは我に返って、突き出しかけた腕を止めた。
その手には、折れた短い枝を握り込んでいる。
「……」
あたし…この枝で…。
呆然とそれを考える。
あたしは、カトルの目を刺そうとしていたのだ。
熱が身体を駆け巡り、なんだか世界から切り離されているような感じがする。
「リアちゃん、本気とは言ったけど…熱くなりすぎちゃ駄目」
「ご…ごめん…なさい」
カトルは眉を寄せ、あたしの手を見ると、何かを察したように呟いた。
「枝?…うわ、完敗か」
「そ、そんなことない…」
「うん。今のでカトルが油断しなかったらリアちゃんはやられてたよ。カトルは剣を弾いて安心したんだね。無意識に無防備になった」
ルーシアが言うと、カトルは肩を落とす。
「面目ない…」
「ホントの戦いなら剣だけの勝負じゃないからね…。でも扱いはカトルの方が上手だよ」
「弓だけじゃなく…剣も強くならなくちゃなぁ」
カトルは息をついて弾いた木刀を拾った。
まだ頭の中が沸騰したみたいに熱く、あたしは握り締めた枝を放すことが出来ない。
どきどきする心臓から身体中に熱い何かが送り出される気がした。
さっきのが実戦でカトルが油断しなかったら、あたしは死んでいたかもしれない。
でも、実際カトルは油断した。
そしてあたしは彼の眼を突き刺してしまいそうだったのだ。
それが少し恐ろしく、かつ少しだけ…強くなったことを感じる。
「…リア」
「は、はい」
「お前…えっと…何て言うか、うん。強かった」
カトルはあたしを真っ直ぐ見て言い放った。
少しばつが悪そうだけど、それは純粋な褒め言葉で…。
あたしは何故かほっとして、やっと力が抜け手から枝が滑り落ちた。
「次は油断しないからな」
「うん、あたしも完封してみせるね」
カトルはそれを聞いて不敵に笑った。
「俺が本気で修行したら、リアなんかすぐ引き離しちゃうぞ」
「あー、カトルったらそんなこと言ってー。じゃあリアちゃんは俺と2人で秘密の特訓しようねー」
「え、えぇ!なんでそうなるんだよルーシア!?い、一緒に教えてくれよっ」
「お願いルーシア兄ちゃんって言ってくれたらいいよー」
「は、はぁ?」
「ほーらー、お願いルーシア兄ちゃん、だよー」
「お、お前なぁ…」
あたしは込み上げる笑いを噛み殺して二人のやり取りを聞いていた。
カトルはむくれてるけど、どっちかって言えば恥ずかしいだけで嫌ではなさそう。
ふふ、もしかして聞けるかもしれないな。
「朝からなんだか楽しそうね?」
「ひゃわ!?く、クシィさん!」
「おはようリアちゃん。どうかしら、決まった?そわそわして早く来ちゃった」
急に声をかけられて飛び上がったあたしは、クシィさんのよく育った胸に支えられて慌てて離れた。
「わわ、すみません…あ、えっと…」
ぐ、ぐうぅー。
「!」
突然の音。
あたしは慌ててお腹を押さえる。
運動したし、お腹が栄養を求めて鳴いているのだ。
クシィさんは目を見開いてあたしを見て、口元を押さえ吹き出した。
「あはっ…ご、ごめんなさいね、ふふ、お腹空いてるわよね。すぐ朝ごはん、部屋に運ぶから」
「ええっ、あの、い、今のはっ」
あたしはわたわたと手を振ったけど、クシィさんはいいのいいのとさらに笑う。
「どうせ朝ごはん運ぶのも仕事だから。あ、私もご一緒していいかしら?」
「は、はい…」
「じゃあ部屋でね。ルーシア、カトルもまた後で」
颯爽と髪をたなびかせ去っていくクシィさんを見送りながら、あたしは恥ずかしくてずっとお腹を押さえていた。
うぅ、取り敢えず早くご飯食べちゃおう…うん。
「良かった!じゃあ父に会ってくれるのね!実は今日、家にいるよう伝えてあるの。いつでも大丈夫よ!」
クシィさんは左頬の横で両手を合わせて上機嫌に笑った。
…あたし達は朝ごはんをお腹に片付け、フルーツジュースを飲みながら話し合っていた。
ダグラスさんに協力を仰ぐこと、可能なら運命に抗うカプセル達の居場所を聞き出してもらうこと、そしてそれが不可能だとしたら取り敢えず匿ってもらえないかということ。
あたしは登録する際に、滞在する場所を首都にしたのだ。
何があるとも限らないし、宿よりは安全に違いない。
これはルーシアの案だった。
「旅に出る分の食糧なんかは昨日の内に揃えてあるし、最悪の場合は俺の故郷サンドラに向かおう。それでいいねー?」
「わかった。じゃあダグラスさんのところに行きましょうか」
グラスに残ったジュースを流し込み、あたしは立ち上がった。
…ダグラスさんに鞭で叩かれた傷はとうに癒えたけど、ダグラスさんの心の傷は
癒えてないんだよね。
うん、頑張らなくちゃ。
自然と気持ちが上向いて、あたしはぎゅっと手をを握り締める。
「よーし」
ダグラスさん次第で、あたし達の未来が変わるのだ。
前進か足踏みか…どっちにしても得られるものは多いだろう。
ダグラスさんの家は首都の居住区、宿ユグドラから歩いて20分程の場所にあった。
朱い煉瓦の積まれた塀に囲まれた白っぽい家で、屋根に風見鶏が見える。
その側から白い鳩が2羽、あたし達を見つめていた。
「ただいまお父さん。来てくれる?話があるの!」
クシィさんはいらっしゃい、とあたし達を招き入れ、リビングに通してくれた。
「ソファにどうぞ、すぐお茶を容れるわね」
リビングは10疊程だろうか。
中央には一枚岩のテーブルがあり、それを囲むソファは黒い革の上等なものである。
カトルを中央にしてあたしとルーシアが座ると、すぐにクシィさんが紅茶とクッキーを載せたお盆を持ってやってきた。
…その時。
がちゃり。
「……」
ドアを開けたダグラスさんは眉間にシワを寄せ、じろりとこっちを見る。
グレーのワイシャツにストンとした黒いズボンのダグラスさんは、何処にでもいる普通のお父さんだった。
「娘に何と取り入った」
ドアから離れず、ダグラスさんは低い唸り声を上げるように言った。
「すみません、ダグラスさん。俺達、クシィさんの過去を聞きました」
カトルは立ち上がると深く頭を下げる。
それを見たダグラスさんは眉を吊り上げた。
「なら、何故そいつも連れて来た?カプセルは嫌いだと解っただろう」
「いいえ、ダグラスさんはカプセル全てを嫌ったりしてません!貴方はリアを助けてくれました!何より…父さんと母さんの頼みに、ラシュランまで来てくれた!」
「あれは行きがかりだ。軍の汚点は無い方がいい。クシィ、さっさとそいつらを帰せ!」
背中を向け、去ろうとするダグラスさん。
黙って見ていたクシィさんは、突然けたたましくお盆をテーブルに置いた。
ガシャア!
「私、隠してたけど記憶が戻ってるの。父さんは知らない…私と彼を襲ったのは軍よ」
「…何?」
「黙っていてごめんなさい。話せなかったのよ…お父さんが心配で。彼は狩りの対象になっただけなの…お願い、リアちゃん達を助けて」
振り返ったダグラスさんは動揺しているようだった。
「こっちに座って。私の話は本当よ。私と彼が親しかったのを、お父さんは知っているはずでしょう?」
「…それは…」
「いいから座って。話を始めるから」
ダグラスさんはやがて黙ってソファに深く腰を降ろした。
腕を組み、黙って目を閉じる様は少しだけ不安そうに見える。
「あの日私と彼は……」
……
………
「そうか」
話終えたクシィさんに、ダグラスさんはたった一言そう言って、深く息をついた。
それから長い沈黙が続いて、空気は重い。
口火を切ったのはクシィさんだった。
「…私は、カトルがエルシアおじさんとユリさんの子供だってことも、リアちゃんがカプセルだってことも知ってます。後はお父さんが信じるか信じないかよ」
「…」
ダグラスさんはまだ目を開けず黙っている。
その時、ソファに置いていたあたしの手を、カトルがそっと握った。
カトルを伺うと、彼は何故か口を半分開け、ぽかんと何かを見ている。
その目線を追って、あたしは「あ」と声を上げてしまった。
「ダグラスさん…そのペンダント…」
ダグラスさんのワイシャツの、少しだけ開いた襟元に「それ」はあった。
…木で出来たお守り。
ダグラスさんは目を開け、はっとして隠したけど、カトルもあたしも自分の下げたペンダントを引っ張り出していた。
「これ、同じ物ですよね?」
「あ…本当ね?」
クシィさんが不思議そうに相槌を打つ。
「ダグラスさん…父さん、喜びますよ」
カトルは優しい顔で、呟いた。
そう、これは旅に出る時にエルシアおじさんとユリさんがカトルとあたしにくれたお守りだったのだ!
でも、少し空気が軽くなった気がしたのもつかの間。
「……俺達、行きます」
突然、ルーシアが立ち上がったのだ!
「る、ルーシア?」
「外に誰かいるよ。軍かもしれない…早く逃げよう」
「え、ええ!?」
「呼んだのかたまたまなのか解らないけどね…」
ルーシアは悔しそうに顔を歪め、ダグラスさんを見る。
「そんな!?お父さんは何も知らなかったはずよ?」
「…鳩が」
「え?」
「鳩が手紙を持ってきた。クシィとカプセルが話していたと。さっき返事を出した、クシィは今日、話があると言っていたと」
「あぁ、くそ…俺達とっくに監視されてたのか!?…ダグラスさん、貴方達も危ないはずだろ!何で落ち着いてるんだよ!」
「……だから考えていた。よし、クシィ、すぐに荷物を纏めろ。カトルシア、その辺の物でドアを塞げ。オレンジのお前と…リアと言ったか。お前達はそこのタンクにある油をそこら中に撒いてくれ」
ダグラスさんは立ち上がり、手首のボタンを外しながら言った。
クシィさんはすぐにバッグを持ってくると手当たり次第に食糧を詰める。
「早くしろ」
「は、はい!」
あたし達は弾かれたように動き出した。
なぜ、とか、そんなことを思う暇も無く。
お読みくださってありがとうございます。
順次更新しますので、
お付き合いいただけたら幸いです。