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 今日は、朝から雨が降っていた。

 ユカが窓からそれを眺めている。後ろからだから確実ではないが、きっとこの雨に対していやーな顔をしているのだろう。

 なんとなく体がダルい気もするが、雨だと朝は大体こんなものだ。

 俺はむくっと起き上がって、クローゼットを開いた。

 珍しい、ユカの事だから俺が起きると同時に近寄ってくるかと思ったが、窓から外を見続けているだけで動く気配が無い。

 なら丁度良い。今のうちに着替えを済ませようとパジャマを脱ぐ。


「土砂降りじゃないわよ、良かっ――」


 こっちを振り向いたユカが固まっている。この状況を作り出すためにあえて何も聞いていない振りをしていたんじゃないのか。

 なんてな、冗談だ。ユカがそういった事を狙うわけが無い。

 この状況はいわゆるハプニングイベントってヤツだろう。普通は立ち位置的に性別が逆なんだろうけどな。

 とは言え、ユカも別に叫んだり外に飛び出たりはしない。ただただ無言で、右の前と後ろ足、左の前と後ろ足を同時に出しながらベッドの下まで歩いてゆく。流石だ。


「……着替えるなら先に言って欲しかったわ」

「外に夢中だったからな、まさかタイミングよくこっち向くとは思わなかった」

「雨は嫌いなのよ」


 だろうな、猫じゃ傘とか差せないし。

 ユカは相変わらず俺が着替え終えたタイミングでベッドの下から出てくる。今日は外に出る気は無いのか、いつぞやの本棚の隙間に落ち着いていた。

 窮屈そうではあるけど、それがまた逆に良さそうなんだよなあ、あそこ。なんていうか、キュッと挟まる感じが適度に眠りやすそうで。


「じゃあ今日は家に居るのか?」


 そう尋ねると、ユカは首を縦に軽く振りつつ肯定した。


「もう良いわ、どうせ他に人が居ないことは判ったから。あんまり外に予定は無いわ」


 だから本棚の隙間に挟まったのか。

 まあ、濡れても困るだろうしな。きっと今まで以上に猫っぽく家でごろごろする事だろう。

 一言ユカに行ってくると告げてから、俺はいつも通りカバンを持ってリビングに降りる。


 いつものように手早く朝食を済ませて、「いってきます」と一言。

 で、外に行くつもりだった。


「弘、ちょっと気になるんだけど」


 珍しく母さんに止められた。

 別に急いでいるわけではないから構わないが、どうしたんだろう。


「あなた、最近よく誰かと話してるわよね?」


 しまった、と瞬間的に思った。それなりに意識するようにはしていたはずだったが、予想以上にうちの母さんは耳が良かったらしい。

 いや違うな、俺が全く聞こえていなかったゲームの音を聞き取るくらいだ、完璧に俺の油断だ。

 特に俺は今まで夜に電話とか、誰かと話すような事はまずしていない。

 流石になにを話しているかまでは判っていないだろうし、俺の声しか聞こえていないだろうから電話かなんかだと思ってくれるだろう。

 それに何より、死神と話しているなど夢にも思うまい。


「最近勉強に詰まったら、友達に聞くようにしてるんだよ」


 一応淀みなく答えられたと思う。我ながら素晴らしい。

 と思ったのも束の間。クセってのは、そう簡単に治せるものではなく、また本当に無意識のうちに出るからクセなのだ。

 気づいた時には遅かった。

 俺の視界は僅か斜め上、天井を捉えていた。

 あわてて、しかし平静を保つように母さんへ視線を戻す。

 

 母さんは珍しく困った顔をしていた。そう言えば、こんな顔を見るのは随分久しぶりかもしれない。

 でも、別に何か言うような事は無かった。

 その後「そう、じゃあ行ってらっしゃい」とあまり納得の言っていない声色で言われたので、俺は半ば逃げるように家を出た。


 ……と、ユカが家に居っぱなしなんだけど大丈夫なんだろうか。




 いつも通り、通学路で小鳥と会う。今日は雨だからか小鳥が少しだけ遅く出たようで、ちょこっとだけ待っていた。

 おはようと軽く挨拶して歩き出す。

 小鳥が何か言いだしたそうにちょいちょいこちらを見ていたが、それより先に俺が訪ねる。

 答えにくい質問をされたらたまらないからな。それに、念のために確認しておきたいってのもある。


「なあ、小鳥は何か病気の経験ってあったっけ?」


 首を傾げられた。そりゃそうだ、ずっと一緒だったから俺も知ってる。小鳥に持病なんてないし、ましてや大きな病気の経験も無い。

 まあ、風邪をひいたりした事はあったか。でもそれも人並みだ。特別風邪になりやすいとか、そんな事は特に無い。

 と言うよりいきなり明らかに変な事を聞いてしまったので、小鳥に懐疑的な視線を向けられる。


「急になに? あ、猫又になんか変な事でも言われたの?」

「いや、そういう訳じゃないんだが」


 俺は即座に否定しておいた。

 しかし困った、小鳥にユカは別に悪いヤツじゃないってどうにかして伝えたいのだが、手段が無い。

 しかも悪いヤツじゃないってのはオレの憶測に過ぎないから、どう言おうが信憑性は無いし。

 小鳥は過去の経験上、霊的なものに対してはすっごく敵対的だし、今更俺が何を言おうが『騙されているだけ』だと思われるだろうしなあ。

 客観的な視点が無い場合、実際騙されてるか騙されてないのか判らないもんだしな。

 否定はしたものの、俺は気づかないうちに顎に手を当てて考え始めてしまっていたらしい。

 それを横で見ていた小鳥はため息をついて、呟く。


「ヒロは本当、騙されるとかそういったのに弱いから心配だよ……」

「そうか?」


 これでも昔に比べて騙されなくなった方だと思うんだけどな。

 まず疑って掛かるだろ? それで筋が通ってると思ったら信用してやって、話を聞いてやると。

 そう考えてて気が付いた、相手を信用するまでのプロセスが短い事に。そして小鳥の言う事はもっともだと。

 いやいやそうじゃない、小鳥とユカがケンカする可能性を潰しておかないといけないと思っていた所だ。

 小鳥は聞く耳持たないだろうし、ユカはどうだろう。よくよく考えてみれば、事が済んだらすぐに居なくなるんじゃないか?

 あー、その辺りは気にしてなかったな。ユカ自身は(万能じゃないとは言っていたけども)瞬間移動もできるようだし、ここの仕事が終わったらここに居る必要も無いはずだもんな。

 帰ったら聞いてみるか。

 なんてある程度考えが纏まった所で横を歩いている小鳥を見るとむくれていた。

 ちょっとした話題にもなるし、小鳥の猫又に対する印象でも聞いておくかな。


「小鳥さ、猫又に仲良くしようぜって言われたらできると思うか?」

「できるわけないよ、あんな人を騙して楽しむような奴。っていうか、ヒロが何を言われてるのかすっごく気になるんだけど。どうせ聞いても答えてくれないんでしょ?」


 また小鳥はため息をついた。なんか心配掛けないようにしてるハズなのに、すっごい心配掛けてる気がするな。

 でもまあ確かに、何を言われてるか聞いても俺は答えないってのはそうだな。嘘をその場で作り上げられる程俺の頭は回転速くないし、本当の事なんて言えるわけがない。

 大体思っていた通りだったが、小鳥は敵対心バリバリだった。

 とりあえず聞きたい事が聞けたので良しとしよう。後は、帰ったらユカに色々聞いてみるだけか。


 その後は小鳥と適当に会話しつつ学校へ向かった。

 小鳥はとにかく俺……というより多分ユカの事が気になっていたようだが、変に喋って墓穴を掘りたくないし「数日様子見ててくれ」なんて軽く言ってあしらう。

 あまり納得していない様子だったが、「ある程度だけだよ」と言って諦めてくれた。




 授業はいつも通り、特に難しい事も無いし、適当に黒板に書いてあるものを書き写しながら別の事を考える。

 もちろん、考える事は今日宗平に何をどう言うか、だ。

 あいつには別に何か隠したりとかそういった事は全くしなくて良いから、実際はあんまり考える必要なんて無いんだけどな。

 放課後やら明日まで話を持ち越したくないので、昼休みに話を終わらせられるように要点だけ纏めておく感じだ。


 ふと、外を見る。雨が強くなってきたな。……と、ボーっとしていると何故かユカが見えた気がした。

 なんて言うんだろうか、白昼夢? なんか危なっかしい位置に居る黒い子猫。でも、危なっかしいとは思うものの、どこに居るのかは何故か判らない。

 なーんかあの猫すっごくユカに似てるな、なんて思ったが、尻尾が一本だった。つまり、あれは普通の。


 いきなりチャイムが鳴り響く。意識が彼方まで飛んでいた俺はビクッと体を固めるほど驚いた。

 辺りを見回してみる。当然、普通の教室だし、黒猫が迷い込んだ形跡など無い。

 寝てたんだとしたら、頬杖を付いた状態で堂々と寝ていた事になる。学園マンガなんかだったら、きっとチョークを投げられかねない状況だっただろう。

 疲れているのだろうなきっと。

 まあ確実に憑かれている。……そんな冗談はおいといて。


 そんな事を考えていたら本当に体が芯から重くなってきた。

 辛うじてイスから立ち上がり、前の方の席に居る宗平に「ちょっと保健室で寝てくる」とだけ言い残して教室を出た。

 「マジかよ、おめーが授業サボるとか珍しいなぁおい」とか離れたところから聞こえたが、話してたら休み時間が終わってしまう。

 さっさと保健室に行って一時間程度寝かせてもらおう。




 保健室には誰も居なかった。

 普通保健の先生が居るもんじゃないのか、なんて思ったが、居ないなら居ないで都合が良い。

 眠気も限界に近いので、そのままベッドへ直行して横になった。


 しかしまあ、どうしてこうも色々とタイミングが悪いのだろうか。

 俺の意識はきっと睡眠に向かって一直線だったはずだ。そこに丁度保健の先生が入ってくる。

 ドアの開く音で目が覚めた。覚めたといってもまだ眠い、邪魔さえなければすぐにまた眠れるはずだ。

 でも眠る前に開いた目で何の気なしに先生を見てしまった。目が合った、気まずい。

 ただ、保健の先生は俺が疲れているのを察したのかなんなのか、とりあえず棚から体温計だけ出して俺に差し出してくる。


「ほれ、熱だけ測っておきな」


 俺はそれを黙って受け取り、脇の下に挟んだ。

 この学校の保健の先生は、色々とアバウトな先生だ。時折なら生徒がサボってもお咎め無しで済ませてくれる。と、聞いた事がある。

 あくまでもウワサだ、俺が授業をサボったのは初めてだ。

 でもなあ、いくら窓全開にしても、保健室でタバコ吸うのはどうかと思うんだよ俺は。

 流石に先生もそこはある程度判っているらしく、部屋のど真ん中で吸うような事はしない。灰皿を持って窓から半分顔を出した状態だ。

 音だけ聞いてると、雨が結構強いみたいだけど大丈夫なのだろうか。風は無いのかな。

 でもこれPTAとか教育委員会が見てたりしたらすっごくまずいんじゃないのか。

 とはいえ、俺はなんやかんやと言うような面倒な先生じゃなくて良かったと若干感謝しつつ、体温計を先生に返した。

 平熱だ、この体のだるさは寝不足が原因かもなのだろうか。

 しっかり寝ていると思ってるんだけどな、とウトウトしつつ考えながら再び眠りに就いた。

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