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俺が小鳥を横目に見て、ユカが再び鎌を振り上げ、小鳥が雄叫びを上げながらユカへ突進する。
小鳥の足はもの凄く速かった。先ほど小鳥がいた場所はかなり離れていると思ったが、ユカが鎌を天辺まで持ち上げた時には既にユカの真隣まで接近していた。
ユカは小鳥を気にする事がないようなそぶりを見せるが、そのままぐりんっ、と体を横に捻るとそのまま力に逆らうことなく小鳥に向かって鎌を振るう。
しまった、と咄嗟に思った。ユカの本当の狙いは俺じゃなくて小鳥だ。
今俺をあの鎌でバッサリ斬れば、それで肩代わりが終了して小鳥は生きていられるはずだ。
でもそれはユカの望む結果では無い。あくまでユカが死神の本分を果たすつもりなら、小鳥が近くに居る今この瞬間こそが最大最後のチャンスだろう。
恐らくだが、さっきユカが言っていた通りだとするならあの鎌は当たれば一撃必殺といった類のものだ。
だからこそ、無防備な俺ではなく、その俺を護ろうと突進してきた小鳥に向かってユカは鎌を振った。
遠心力に任せた鎌の軌道は確実に小鳥の肩を捉えている。そのまま行けば左肩から胴体まで真っ二つになる軌道だ。
小鳥の顔が奥歯を噛み締めたように歪み、左手を鎌に向かって差し出す。
鎌と手が触れ合った瞬間、静かにガラスを叩いて割ったような、カシャンという音と同時にその場が青白く光り、ユカの持つ鎌はユカごと跳ね飛ばされていた。
「チッ!」
ユカが大きく舌打ちする。それに対し小鳥は一瞬で息を整える為に短く息を吸って、はいた。
大鎌を引き摺りながらユカは走り出し、今度は逆にユカが小鳥に近付いてゆく。
小鳥は先ほど鎌を受けた左手を弾くように振り、手に張り付いていた黒く焦げている物体を払い捨てた。
今度は、鎌を引き摺った格好のまま下から上へ斬り上げる。
正直俺では到底避けられなかったと思う。それを小鳥はバク転をして避けた。その際、鎌に引っかかった長い髪の先端が僅かに切れて小鳥は顔をしかめた。
……あの鎌、物理的に斬るものでは無いとかユカ言ってなかったっけか。
と言うか、ユカの動きを見切れるとか凄い。そもそも小鳥の身体能力はどうなっているのか判らないくらい動きが凄すぎる。
思えば、小鳥が本気で運動をしている所を俺は見た事がない。
そういう状況が無かったと言うのもあるが、この動きを見る限り体育の時間なんかで運動する場合も、下手に目立たないようにある程度力を抑えているのだろう。
それだけ速く、無駄が無いほど力強い動きだった。
ユカの方はと言うと、きっとあの鎌は儀式用だったのだと思う。
鎌に振り回されている感覚を受けるし、時たま足元がふらついている。『華麗に大鎌を操って戦う死神』とはとても呼べない。
とは言え、扱っている鎌は受ければ確実に死ぬような危険な武器だし、ユカもそれを判っているからこそ、わざわざあの鎌で小鳥を攻撃しているように見える。
前の話だが、猫の状態だった時に見せた動きは尋常じゃなかったしな。他の武器でも良いのであればそれを使っているだろう。
小鳥は制服のポケットに手を突っ込んで、何か小石くらいの水晶みたいなものを取り出した。そのままそれをユカの目の前に落とすように投げる。
今度はユカが大きく後ろへ飛び跳ねた。水晶は地面に着くと同時に色を赤く変え、音も無く割れた。
俺にはただそれだけにしか見えなかったが、ユカには効果があったらしく前屈みになりつつ片腕で顔を覆う。
それをチャンスと見たか、小鳥は再びユカに肉薄した。
目の前からの明らかなテレフォンパンチ、ユカの動体視力なら普通避けられるだろう。しかしユカは先ほど小鳥が投げた何かに視界を奪われているのか、未だに顔を覆っている。
これは当たる。俺はそう確信した。だがそれと同時に、ユカの口元が予想通りとばかりに歪んだのも見えてしまった。
『線』は避け難いが、『点』なら数センチずれるだけで無効化できる。
普通は反応できるものでは無いが、俺はユカの動体視力を知っている。おそらくコンマ数秒でも、軌道が見えるようであれば回避は可能だろう。
そして案の定、小鳥のパンチは避けられた。ユカはくるりと回転してその数センチを作り出した。
とは言え、小鳥のパンチも腰の入っていないパンチだ。当たってもそうダメージにはならないと思うが……ユカが避けた所を見ると、おそらく小鳥も何らかの必殺攻撃になりうるものを持っているのだろう。
そのままユカは回転して鎌を横薙ぎに払う。
パンチを避けられて隙だらけの小鳥には、それを避ける術が無かった。
だがそこに再びガラスの割れるような音と青白い光。小鳥は瞬時に空いた手を鎌に向かって差し出していた。
ユカは最初に弾かれた時と同じように吹き飛ばされ、明らかにイラついているように眉を寄せて地面を軽く蹴る。
あの吹き飛ばしはダメージにならないのだろうか。
なんて思っていると、俺に向かって怒声が飛んできた。
「何ボーっと見てるのヒロ! 早く逃げて!」
ああ、そうか、小鳥は全く知らないんだったな。ユカの事も、肩代わりの事も、自分がターゲットだって事も。
小鳥の言葉を聞いて、ユカも怒声を上げる。
「ちょっと何人聞きの悪い事言ってるのよ! キミからも何か言ってもらえる!?」
「明らかにヒロを狙ってたクセに、人聞き悪いも何も無いでしょ!」
困った。いやそもそも、ユカもかなり頭に血が上っているようだ。俺が何を言っても解決しない事くらい、ユカならすぐに判るだろうに。
頭に血が上った二人は俺の言葉を待つ事無く、また戦闘を再開した。
小鳥はポケットから二個目の水晶を取り出し、今度は直接ユカに向かって親指で弾いた。
ユカも先ほどのものとは違うと即座に判断して、水晶を無視しつつ小鳥に向かって走り出す。
「……っ!」
水晶は、ユカの思惑通りだったかまでは判らないがただのフェイントのようだった。ユカが横を通り過ぎても何も起こらない。
ユカが迫ってくる事に対して、短い舌打ちに似た音を上げる小鳥。
小鳥は鎌に対して視線を送り、それをどう対処するか考えていた風だったが、ユカはその場に鎌を落とし、速度を上げて肩から突っ込んだ。
まさかそんな行動に出るとは思わなかった小鳥は一瞬だけ反応が遅れ、タックルを喰らって吹き飛ばされた。
「小鳥っ!」
俺が駆け寄ろうとしたのも束の間、ユカはバックステップをして鎌を拾い直し、また小鳥に向かった。
さっきからお互い吹き飛ばされているせいで、少し離れた位置に居る小鳥の所までユカより速く辿り着けるわけもない。
腹を押さえて咳をしている小鳥の目がユカを捉えたのは、鎌を振り下ろされる瞬間だった。
小鳥がユカ並みの反射速度を見せたのは、おそらくこの戦いでアドレナリンとかそういったものが色々出ていたからかもしれない。
苦しそうにしている中、手を無理やりに揚げて三度目にもなる鎌の攻撃を防いだ。
そして同じ回数吹き飛ばされたユカはかなりイラついた顔をしていたが、スカートの埃を払うと、いきなり無表情になった。
変化に気付いた小鳥が身構える。
ユカが高く飛び上がり、小鳥がすぐに攻撃に移れないような杭の上にバランス良く乗ると、空中から何かタブレット端末の様な物を取り出す。
「瑞乃枝小鳥」
端末に目を落としながらハッキリとした声で小鳥の名を呼ぶ。
小鳥は訝しげな顔をして、黙っていた。
「なんか、こうも動かれると明らかにおかしいんじゃないかと思うから、確認したいのよ。答えて」
なんとなくだが、俺には合点が行った。
小鳥は病死だと聞いているから、ユカ的にきっとこうやって動けるのはおかしいと言いたいのだろう。
ましてや今までのようにユカから離れて近づけないようにしているわけではないみたいだし、その状態で小鳥の状態が変わらないのがおかしいのかもしれない。
「瑞乃枝小鳥。名前はこれで合ってる?」
「……合ってる」
小鳥は、タブレット端末に目と落としたままのユカに対して呟くように答えた。
その後、生年月日、両親の名前、ついでにと両親の親の名前まで聞かれ、小鳥は全て「合ってる」と答えた。
その事に首をかしげていたユカだったが、やがて一言だけ呟いた。
「私と同じか」
言ったのはそれだけで、タブレット端末を再び手から空中に消した。
「もう良いわ、私の勘違い」
「何も良くないでしょ、ヒロをこんな目に合わせといて!」
「あら、彼が自分で望んだのよ? まあ、貴女には言えない事だったから誤解を生んだみたいだけどね」
ユカはひらひらと手を降ると、いつの間にか黒猫の姿に戻っていた。
小鳥はまだ釈然としない表情をしていたが、一応戦いが終わったのだと感じてため息をついた。
「安心して。この状態になったから、もう彼に手は出せないわ」
「信じられない」
「そう言われても、手を出せないものは出せないのよ。出せないって証拠は無いけどね」
証拠がないか、前に聞いた台詞だな。少なくとも、小鳥には通用しないだろう。
「……確かに、今のあんたなら退治できそうだし、手を出せないって言うのは信じてあげる。ただ、もうヒロを疲れさせないで」
「判ってるわよ。絶好調の時間を過ぎちゃったから生気も必要なくなったしね」
と思ったら証拠が無いと言っても案外通用したようだ。
理由が小鳥らしいっちゃ小鳥らしいが、ある程度の力量の人間は相手の強さが判るって言うしな。俺には判らないが、猫又姿のユカは小鳥的にそこまで脅威には見えないのだろう。
それより気になるのは、生気って吸われ続けると死ぬとかよく言われるけど、意外と平気なものなのか?
とは言え、これで肩代わりが完全に封じられた事になる。もう期限が切れるまでに、ユカが絶好調になる事は間違いなく無いだろう。
どうするつもりなのかユカに聞こうとしたが、いつの間にかユカはどこかへ行ってしまっていた。
「まったく、本当に何考えてんの」
ユカが離れたからか、小鳥がやってきてふくれっ面で俺に言って来た。
ここまで来ると、もう本当の事を小鳥に言ってやってもいい気がしてくる。
しかし小鳥は俺より早くユカが何者なのか気付いた様子だった。
「ねえヒロ、さっきのって、もしかして死神とか言わないよね」
その声色からは、ほぼ死神だと確信を持って言っている事が判る。
俺は一応、曖昧に「まあ……」とだけ返しておいたが、小鳥は実際に戦った上にあのタブレット端末を確認しながらで自分だけでなく家族の名前なんかも全部当てられているのだ。
普通の妖怪と言うものがどんなモノなのかは判らないが、違うと言われても心の隅には『死神かもしれない』と思う程度には印象づいているだろう。
それはそれとして、ユカがさっき喋っていた言葉の端々には明らかに誤解を招くようなものが混じっていた気もしたが、小鳥がそれに対して突っ込みを入れることは無かった。
「ヒロ……。なんで死神に狙われてるの?」
まあ、考えとしては普通そうなるよな。一週間も一緒に居たし、ついさっき殺されそうになったばかりだ。
そこで俺はもう諦めて、今までずっと隠していた事を話すしかないと思った。
どうせ肩代わりはもうできない。
更に、小鳥はおそらく死神の手に掛かれない。
と、なると辻褄合わせが発生する。それについて小鳥にも知っておいて貰った方が良い。
いつかユカが言っていた、覚悟のために、だ。
暫く俺の説明する声だけがその場に響いていた。
小鳥はたまに驚いた顔をしたり相槌を打つだけで、もう「信用するな」とは言わなかった。
それほどまでにさっきのユカは本物に見えたのだろう。俺としては、鎌を振り回す危ない女子高生って印象しか受けなかったが。
やがて説明を終えると、小鳥は随分複雑な顔をしている。
「いきなりそんな事を言われても、正直信じられないけど……」
それだけ言ってまた黙る。俺も俺で、ユカが呟いた一言について考えていた。
勘違いとはどういう事だったのだろうか。
実はターゲットが小鳥じゃなかった、という線は考えられない。ユカは名前や家族構成まで全部タブレットを読みながら当てていた。
考えていると、いきなり腕を引っ張られる感覚があったので反射的にそちらを確認する。小鳥が俺が着ている服の裾を軽く握っていた。
あまりにも突然色々と絶望的な話が聞かされて、とにかく不安なのだろう。
俺は何気なくその手を取ってやり、きっと大丈夫、とゆっくりと頷く。
どうなるとかこうなるとか、全く判らないが、今は小鳥を少しでも安心させてやりたかった。
小鳥もそれでいくらか緊張は解けたようで、長いため息をついていた。
その後、もうすっかりあたりも暗くなっていたので、小鳥を家まで送り届けてから俺も帰宅する。
俺の部屋に入るなりユカの怒声が聞こえてくるかと思ったが、そんなことは無く。
今日の事情を聞こうとしたが、俺が寝るまでユカが姿を現すことは無かった。