7/3(2)
ユカと話している間、俺は大体ユカの話に対して相槌を打つ程度だったり小声で少し尋ねる程度だったので、母さんが不審な行動を取ることはなかった。
少し悩んだが、両親にも言える事ではないと思う。いきなり言っても首を傾げられるだけだと思うし。
なので言うのはやめておいた。出来れば言いたい気持ちはあったが、結局家を出るまで言葉が見つからなかった。
通学路ではいつも通り小鳥に片手を上げて挨拶した。
すると、小鳥は少し不思議そうな顔をする。どこか身だしなみがおかしいのかと思って、俺は自分の腕や脚を確認してみる。
「今日は今までより元気そうに見えるよ、何かしたの?」
「別に何もしてないが……。そんな元気そうに見えるのか」
「うん、全然違う」
……やっぱりユカの言っていた事だろうか。今日絶好調の日だと言っていたし、昨日はもう生気が必要なかったのかもしれない。
小鳥の質問には主語が抜けていたが、何かしたと言うのは、恐らく『ユカに対して』、何か『身を守るような事でも』したのか、と聞きたいのだろう。
もちろん俺はそんな事できないし、当然全くしていないわけだが、あまり突っ込まれるのも面倒になりそうだったので適当に相槌を打っておいた。
ただそれに対して安堵の表情ではなく、逆に今まで見せた事の無い、冷たいとも取れるような無表情が一瞬だけ顔に張り付いたのを、俺は見逃さなかった。
ここで何か考えているのか訊くと、俺が元気な理由なんかを聞かれて困る事になりそうだからやめておいたが。
何か話したいとは思ったが、小鳥は小鳥で何か自分の世界に入ってしまっているため話しかけづらい。
結局、今日もある程度は言葉を交わしたが、いつもと比べると静かな登校になってしまった。
学校に着くと、朝まず宗平に「屋上」とだけ告げる。宗平も予想はしていたようで、すぐに頷き返してきた。
今までもちょこちょこ相談がある時は呼んでいたが、こう一週間に何度も言ってると最早暗号みたいだな。
授業はもう必要ないと思うので、かなり適当に聞き流す。
しかし、死か……。実感が湧かない。
いつだったか、色んな大人とかから何かにつけて『小鳥と一緒に居て怖いと感じた事は無いのか』なんて訊かれたりもしたが、それは別に怖いと感じた事は無かったと思う。
小さい時は気付いていなかったが、流石に今は自分でも俺は驚く事がないって事ぐらいは判っている。なんて言っても、学校に入ってからぐらいになるが両親に色々と言われていたからな。
で、小鳥と一緒に居て怖いと思わなかったのは、恐らくそれがほぼ全部いきなり脅かす類の怪奇現象だからだったのだろう。
確かに、今までもの凄く怖いとか思ったことは無いし、正直な話他人が怖いと言っているものを冷めた目で見て居た事もある。
でもやっぱり、自分が死ぬとなるとそれなりに怖い。
しかし諦めと言うか、仕方ないと言うか。そんな気持ちもなんとなくある。これが覚悟なのだろうか。
以前、一度宗平に向かって『俺が覚悟を決めれば――』なんて偉そうな事を言っておいて、あの時は全く、死とかそういった感覚が無かった。
要するに、覚悟も何も全然決まってなかったわけだ。
今回は違う。本当に、首筋が冷たくなる感覚とか、澄んだ意識とかが、『覚悟』と言うものはこういうものだと伝えてくる。
小鳥のために自ら死を選択する必要があるのか? と自分に何度訊いても、躊躇う事なくイエスと答えるだろう。
今までふらふらしていた気持ちが今朝の夢で固まったしな。
……と、今朝の夢は一体なんだったんだろう。ユカが見せたようではなかったみたいだし。
俺自身が思い出すように見たのだとしても、都合が良すぎる気がする。
結局、いつも通りいくら考えても答えが出ない事なのだが。
授業も終わり、昼は言った通り宗平と屋上前で飯を食う。
最初は暫く二人して座って黙っていたが、俺が肩代わりを決めたと言うと、宗平は開口一番謝った。
「悪りぃ……! おめーが肩代わりを決めたのは……オレの所為だろ?」
昨日の事を言っているのだろうか。宗平にはもの凄く悪い気もするが、正直あまりそこは気にしていない。もちろん、宗平の言っていた理由が肩代わりを後押ししていないと言えば嘘になるが。
宗平には「違う」とだけ告げておく。すると、最初こそ戸惑っていたようだが、すぐに宗平は落ち着きを取り戻したようだった。
「俺が決めた事だよ。小鳥のため、って言い方は小鳥に悪いか。俺のためだ」
「っ! でもよ、小鳥ちゃんはどうすんだよ、おめーが心の拠り所んなってんだぞ」
その後宗平は、小鳥がよく相談してきた事や宗平がいかに小鳥を尊敬しているかについて教えてくれた。
おおよそ聞いたこと無い話ばかりだった上、俺と知り合う前に小鳥と知り合っていたと言う事実については、なるほどなと何故か納得していた。
あの時は『やけに初めからお互い親しげだな』なんて思ったが、それならやはりなおさら俺が肩代わりを選択するべきだと思う。
「小鳥は、昔はそりゃもう内気で、俺がずっと一緒に居てやらないといけないくらいだったんだ。今日、朝急に昔の事を思い出してな――」
そう、小鳥は決して今みたいに明るいわけではなかった。口数が少なく、更にいじめの対象になってしまうような特異体質の持ち主だった。
でも昔から護っていたからとか、そう言った事は関係ない。
俺個人の意見として、辻褄合わせに頼るような状況を絶対に作り出したくは無い、そう感じてしまった。
夢の中で昔の小鳥の母親を一瞬思い出したからなのかは判らないが、運に任せて誰かを失うのは絶対にまずい。
だからこそ俺は本当の意味で覚悟を決めた。俺一人で、宗平や小鳥、それ以外に皆の大事な人を護るために。
なんてカッコイイ事を思ってみたが、要は小鳥を護りたかったんだ。最後までな。……ぶっちゃけた話、他は俺の中でおまけに過ぎない。
話している途中チャイムが鳴ったが、俺も宗平も教室に戻る気は無かった。
その後も色々と、そう大した事無い話まで含んだ会話を続けたが、宗平は長い話の後、俺が本気で肩代わりを考えていて、その考えをどうあっても変える気は無いとなんとか理解したようだった。
理解はしたが、納得はできない。そんな顔だ。
まあ、宗平の言い分も判る。俺だって小鳥が居なくなったら嫌だ。
「だから宗平、俺が居なくなったら、小鳥を頼む」
「……。オレに出来ると思ってんのかよ」
「思ってるから言ってるんだ」
宗平は信用している。先ほど聞いた話でも、小鳥のおかげで不良から更生できたから感謝しているという事だったし、なにより俺が絶対の自信を持って頼めるのは宗平しか居ない。
ユカと話していて判ったが、人を失った人間と言うのは、やはり他の人の支えが必要だ。
一度間違いを犯している宗平は、絶対もう間違えずにそれができる。
だから、頼んだぞとだけ言い残して、教室に戻る。
俺としてはそこまで長く話していた気はしなかったが、思った以上に長い時間話し込んでいたのか、終業のチャイムまでもう鳴っていた。
とりあえずカバンを持って、俺は岐路に着いた。
帰宅途中、何の気なしに河川敷に寄る。ちょうど一週間前、ユカと出会った場所だ。
この景色ももう見る事はないのかな、なんて思うと何故かため息が出た。
芝生に座って、暫く様子を見る。相変わらず人気の無い通りだ。他の学生達にはこの道が遠回りになる人が多いらしく、やはり通る人は少ない。
「『ねえ見て、これが、貴方の望んだ世界よ』」
不意に背後から声が聞こえた。声の主はすぐに判る、ユカだ。
「何だそれ?」
振り向きざま、やけに芝居がかった口調で語りかけてきたユカに尋ねる。
ユカは前足で口を隠した後、ゆっくり足を下ろしてから言った。
「昔見たアニメの台詞よ。キミが随分と黄昏てるものだからね、つい言ってみたくなって」
「はあ。っても、俺は聞いた事無いな」
いつの話だそれは、って感じだな。
それに、ついとは言ってもいきなり言うには随分はずかしい台詞じゃないか? 演劇とかそういった物が好きだったりするのだろうか。
俺は再び視線をユカから離し、川を眺める。日暮れまではまだ暫くあるか。
のんびりと伸びをしてから、座った姿勢から草むらに仰向けに倒れた。ユカも隣に座っている。
「もう別れは済んだの?」
そう訊くユカに、俺は軽く返事をした。ユカも呟くように「そう」とだけ言うと、再び静寂が流れる。
だが、流石にこのまま寝るような器用な真似は俺には出来ない。
仰向けに倒れたまま、今後どうなるのか考えていた。ぼけーっとしていると言っても良いくらいに、なんでもないような事を頭の中で思索していただけだったが。
ちなみにユカは、わざわざここまで来たのだからもっと絡んでくるかと思ったが、隣に黙って座っているだけだった。
もやもやと考え込んでいると、いつの間にか空が夕焼け色に染まっていた。
隣を見る。ユカは何食わぬ顔で毛づくろいをしていたが、俺が起き上がった事を確認すると居住まいを直した。
「もう良いのかしら?」
「ああ、いつでも大丈夫だ」
ユカの問いに答え、立ち上がって周囲を確認する。
「どこか別の場所の方が良いか?」
「別に、今は誰も居ないしここでも良いわよ」
それなら、と背中や尻についた雑草を払い、いつでも良いぞと告げる。
ユカは大きく頷いて、目を閉じた。
クッと体を縮めると、結晶が割れたような、データが書き換わるような、不思議な錯覚を覚え、気が付くと目の前には同い年くらいの女の子が立っていた。
黒髪のショートカットで、茶色チェックのパーカーと赤と黒のスカート。目に見える歳は、前に一度だけ思ったがやはり同い年ぐらい。そして、手には大鎌。
まず鎌に目が行く。『やっぱり死神の標準装備は鎌なのか』なんて勝手に思ったりして。
刃の側を地面に置いて、寄りかかるようにして両手で柄の部分を持っているから、やはり非常に重いのだろう。
「さあ、なら、サクッと一発で行くわよ」
その声でやっと目の前の人物はユカなのだと気付いた。
今まで随分落ち着いた口調だったので、この見た目はそれなりにギャップがある。
更に言えば、どう見ても普通の女性が大鎌を携えている点も明らかにおかしい。
っていうかちょっと待て、サクッと行くってやっぱりあの鎌でばっさり斬られるのだろうか。流石にそこまで覚悟していない。
ユカは俺が思った事を察してくれたのだろう、ニヤニヤと笑みをこぼしながら教えてくれた。
「これで斬るけど、大丈夫よ。物理的に斬るものじゃないから痛みは無いわ」
痛くないに越した事はないけども、あからさまに安堵した俺は、してやられた気分に陥った。
今までユカも時たま俺をからかう発言をしていた事はあった。
ただ、猫の顔ではこのニヤニヤ笑いが判りづらかったからそこまで意識はしていなかったが、まさにユカに一杯食わされた気分だ。
よいしょっと! なんて掛け声と共に、ユカは思いっきり力を入れて大鎌を肩に担いだ。
痛みは無いと言われても、こうデカイ凶器が目の前にあると流石に身構える。
「怖いなら目を瞑ってても良いわよ」
再びニヤニヤ笑いながら明るい声色でユカは告げる。
相変わらずからかわれている気分になり、悔しいので絶対に目は閉じないことにした。
ユカはまた力を入れて、鎌を肩から外すと、刃を俺に向けた。
少しだけ、寂しそうな顔をする。
「それじゃあね。短い間だったけど、楽しかったわ」
「……俺もだ」
思えば最初は厄介な存在だとしか思っていなかったが、一週間の間に友達と呼べる程度には仲良くなれていた気がする。
別れが惜しいのは、俺じゃなくてユカの方だろう。俺はもう居なくなるだけだし。
ユカが鎌を振りかぶり、遠心力だけでそれを俺に向かって下ろす。
と、ほぼ同時にバチン、なんて乱暴に電気のスイッチを消すような音が聞こえる。
俺には何が起きたのか判らなかった。ユカも目を見開いたまま固まっている。その場で動いているのは、俺達の位置から少しだけ離れた場所に居た一人だけだった。
「間に合った……!」
肩で息をしながら、小鳥は叫ぶようにその一言を放った。