7/2
昨日はだいぶ早く寝られた上、色々と考える必要が無くなった事もあって体のダルさは若干抜けていた。
やっぱり疲れていたんだなあと勝手に納得し、鳴る直前の目覚まし時計をオフにして、ベッドから這い出る。
ユカは相変わらずだ。もちろん、マイペースって意味で。
その場に大の字になって寝ている猫を、ゴロゴロ転がしてベッドの下へ潜り込ませる。
うにゃうにゃ抗議の声を上げていたが無抵抗だったので押し込むのは楽だった。
そのまま俺は制服に着替える。いつもは洗面所に向かうのが先だが、ユカをベッドの下に押し込んだついでだ。
着替えを終えても出てこない所を見ると、まだ寝ているようだ。
俺が学校に行っている間に色々と動いているのかもしれないな。きっとユカも疲れているのだろう。
顔を洗ったり歯を磨いたりして洗面所から出てくると、流石にユカも起きていた。
とは言え、あまり話すこともないし「おはよう」とだけお互いに言ってからリビングへ降りる。
朝食も適当に食べて外へ。
今日も小鳥の方が早く、俺は手を上げて挨拶しつつ近寄る。
二人して無言でテクテク歩いていたが、途中で小鳥が口を開いた。
「お昼さ、時間空いてる? 二人で話したいんだけど」
「ああ、大丈夫だ。他の人の目が気になる話なら、屋上前にでも行くか?」
「うん。じゃあお昼に教室行くね」
と、なると猫又の話か。昨日ついて来た事なんかの話をしたいのかな。
その後は珍しくお互いに喋る事無く、再びテクテク歩いていった。
小鳥も何か考えているのか、ずっと黙ったままってのは珍しい。
俺はまあ、最近こそユカの話があったからよく喋っていたが、基本的に小鳥から何か言われないと喋らない。
そういった事もあり、今日は久々にやたらと静かな登校になった。
宗平に今日も相談は特に無い事を告げ、ついでに放課後ヒマか尋ねる。
少しだけ訝しげな表情をしていた宗平だったが、他の人がユカを見るとどう見えるか確認したいと言うと簡単に了承した。
やっぱり宗平もそういった所が気になっていたりしたのかもしれない。
午前中の授業は特に何事も無く終わった。まあ、いつも通りだ。
授業中なんとなく小鳥が何を言おうとしているのか考えてみたが、当然ながら判らなかったので頭の隅に放置しておいた。
昼休みのチャイムが鳴ったので小鳥を待つ。すぐ小鳥の姿がドアの外に見えた。
向かう途中、不穏な気配を感じ取ったのだろう。宗平が話しかけてくる。
「あ? おめー今日は二人で食うのか?」
「ああ、話したい事があるらしくてな」
「ヒロキ、まさかおめー小鳥ちゃんに……」
「違う違う。俺は呼び出された側。変な事を言う気はないよ」
「そうか、なら別に良いんだけどよ」
それで納得してくれたようで、宗平は俺から離れていった。
廊下で小鳥に「待たせた」と言ってから、購買へ付き合わせる。小鳥は弁当だったので、行ったり来たりと面倒な形になるが、俺も流石に何も食わずに昼休みを終わらせたくは無い。
適当なパンを購入して屋上前へ。小鳥は地面に座る事に抵抗があるかと思ったが、全然気にする風も無くそのままストンと座った。
お互いに昼食の包みを開けている所で小鳥が強烈な一言を放った。
「そろそろあの猫又退治しようか? 邪魔でしょ?」
ちょっと待て、と咄嗟に思ったが口には出さない。言ったら言ったで多分面倒になる。
だが、どう言ったら良いのか全く思い浮かばない。
「邪魔ではないな」
とりあえずそう言っておいた。『退治』に繋がるような言葉を言ってしまうと、小鳥はすぐにでもユカを本気で退治しに行くだろう。
小鳥はユカの事をもう本当一触即発レベルで嫌っているようなので、気付かないうちに小鳥かユカのどっちかが居なくなっていた、なんて状況にはなって欲しくない。
もうちょい何か反応を出すと思っていたのか、小鳥は俺が落ち着き払ってパンを食べている事を不思議に思っているらしい。
「邪魔じゃないって、変な事言われたりされたりしてないの?」
「一緒にゲームしたりはしてるけど、小鳥が言ってる変な事って具体的にどんなだ?」
小鳥はゲーム……。と呆気に取られた顔で呟いてから、顔を赤くして首を振る。
「い、いやそれなら気にしないで良いの!」
小鳥が赤くなるって事は、まあ、そういった事か。
無いな。むしろ俺が着替えたりしようとするとベッドの下に隠れるくらいのヤツだし。
「でも、私に対する『何か』は色々言われてるんでしょ? ヒロ最近変な事聞いてくるし」
参った、一番嫌な話題が飛んできた。
確かにユカが言っていた病気に関してはちょこっと聞いて疑いの目を向けられたが、昨日の俺が黙ったのは別の理由――。
ってそうだ、小鳥はその事を知ってるはずがないんだ。宗平に言われたとかは言ってないし、結果的に俺が一人で黙ってた形になる。
ユカが何か言って俺から小鳥を離そうとしているように見えなくも無い気がしてきたぞ。
「言われたのはちょっとした事だよ。確か、身近な人に病気の人居ない? とかその程度」
「それは一昨日だよね? 昨日は?」
思ったより話していた内容をきちんと記憶していたらしい。
あれだけで乗り切れると思った俺は浅はかだったわけだ。と、なるとやっぱり宗平を生贄に捧げないといけない。今日は連れ帰ってやるから許せ。
「宗平に言われたんだよ、ちょっと気になる事をな」
昨日俺が黙った後、逃れる為に急に宗平が感謝しているという話題に変えたのだと思っていたのだろう。
小鳥は自分が動揺した事を思い出して合点が行ったのか、若干赤くなりつつ頷いた。
「じゃあ、本当にあの猫又は邪魔になってないのね?」
「ああ、むしろ良い友達だ」
最後のは失言だったかもしれない。友達と言った直後、小鳥の刺さるような視線を受けた。
「だから、絶対信用しちゃダメって言ったでしょ」
俺は冷や汗をたらしながら頷いた。同時に、『あ、これは小鳥とユカを仲良くさせるのは無理だな』と確信した。
もうオーラが違う。ユカの話を信用しているような発言をすると、場が凍りつくような印象を受ける。
ユカと小鳥どっちを信用する? って聞かれればもちろん小鳥に軍配が上がるのだが、小鳥のユカに対する態度はちょっと違うんだよな。
なんかこう、頭ごなしに否定しているっていうか、そんな感じで。
「判ったなら良いよ、でも本当、何か害を加えて来そうになったら言ってね?」
「ああ」
頷いてはおくが、小鳥も『有無を言わさず退治!』とかしない所を見ると、相当負担が掛かったりするのだろうか。
小鳥の性格なら俺に注意喚起する前に絶対退治しようとするはずだしな。
そもそも死神って退治しちゃまずいよな。ユカは「判りやすいようにそう名乗ってる」って言ってたけど、話を統括するとやってる事は正に死神だし。
それに寿命なんかも管理しているらしいから、ユカを退治するとおそらく至る所で辻褄合わせが発生して大変な事になるんじゃないだろうか。
今の所実際に辻褄合わせとかは見たこと無いし、いくら頭をひねっても出ない回答ではあるが、小鳥とユカは絶対に引き合わせちゃいけないと心の底から思った。
ちょっと前まではどうやって引き合わせようか悩んでいたけど、むしろ引き合わせなくて正解だったわけだ。
俺がパンの袋を手の中で潰して小鳥が弁当箱を包みに戻したが、昼休みの時間はまだ意外と残っているようで、何か話題は無いか探してみる。
退治って言うのは、具体的にどうやるのか聞いてみようとしたが、先に小鳥が口を開いたのでさえぎられる形になった。
「そういえば、宗平くんに何を言われたの?」
「多分聞かないほうが良い」
即答した。
悪いが、これを言い出す勇気が俺には無い。後日宗平辺りから聞きだしてくれ。
聞かれたとしても、きっと宗平ならうまいこと回避してくれるだろう。……昨日は即座に助けを求められたが。
さて、なんか退治には負担掛かるのかとか聞くような雰囲気じゃなくなったな。
時間ギリギリまで話して前みたいにチャイムが鳴られても困るし、ここら辺で切り上げるとするか。
教室に戻るぞと合図したが、小鳥は宗平が言った事が気になっているようで階段を下りるまで不服そうな顔をしていた。
午後の授業は、これもいつも通り別に何事もなく黒板に書いてあるものをノートに書き写すだけ。
一応宗平をユカに会わせた時の反応が見たいとは言ったものの、見せて『はいさようなら』じゃ細かい所判らないし、やっぱりウチに招くべきか。
昨日ユカには言っておいたから大丈夫だろうし、母さんが居たとしても宗平に対する印象は凄く良いからきっと大丈夫だろう。
そんな事をまったり考えながら、授業を終えた。
帰りは宗平に言って、ウチまで付いてきてもらう事になった。
宗平も「今日はバイト休みだ」とか言っていたが、本当の所はどうだか判らない。こういった事になると結構予定合わせてくれる所あるし、辻褄合わせが近いだろうから、呼べる機会も今日を逃すと少なくなりそうな気もするしな。
帰り道も途中まで行った所で、ユカが塀の上を飛び跳ねながらやって来た。
「うん、今日は瑞乃枝さん居ないのね」
「居たら来れないだろ?」
「まあ、そうね」
宗平はそのやり取りを見て、驚いていた。
「その猫が言ってた死神ってヤツか?」
『猫』と呼ばれ、ユカは一瞬ムッとした表情をする。久々に見るな、この顔。
宗平には「そうだ」なんて言うが、当然のように宗平にはただの黒猫にしか見えていないらしい。
塀の上をピョンピョン跳ねながら付いて来るユカを面白そうに眺めていた。
「あのね、一つ言っておくけど、私不良って苦手なのよ」
ユカが突然そんな事を言い出した。
ああ、確かに宗平をいきなり見たらどう見ても不良だよな。短い金髪で、耳にピアスして、ちょっと目つきの悪いこの感じ。
「宗平は不良じゃないぞ、なにより俺より頭が良いし真面目だ」
そう言ってやると、どう反応したら良いのか判らないといった声色の「そう」が返ってきた。
嘘は言ってない。見た目的に昔は不良だったのかもしれないが、少なくとも今は不良じゃない。俺の知ってる限り別に不良っぽい行為はしてなかったし。
ユカと俺の会話を、不思議そうに眺めながら宗平が付いて来る。
「なあ宗平、ユカの声も聞こえないのか?」
「あ? ああ。全く聞こえてねーよ。ニャーすら言わねぇのな、その猫」
宗平に聞くが、猫と聞いた瞬間怒気を放つユカ。多分この怒りも届いてないんだろうな。
とりあえずユカを猫呼ばわりする事は禁止だと宗平に告げておく。
何故か聞かれたが、そこは俺にも判らない。ユカに尋ねると、「知らない」とそっぽ向いて言われた。
宗平がユカの声を聞き取れない事もあって、帰り道は俺と宗平で適当に喋りながら行く事にした。
雑談だな。俺の暇つぶしの大体がゲームだという事もあって、ほぼ全部ゲームの話題だったが、ユカがゲーム上手だと教えると爆笑された。
爆笑された事に反応を見せるかと思ったが、ユカは全く意に介した様子もなく塀をピョンピョン跳ねている。ユカは自分が見えない人には興味無いのかな。
家に着くと誰も居なかった。母さんは今日も仕事だったようなので、そのままユカと宗平は俺の部屋へ向かわせる。
俺は飲み物を用意してから二階へ上がっていった。
色々話していて判った事は、まず宗平はユカを普通の黒猫としか認識していない事。これはさっきから言ってたな。
黒猫としか認識してないって事は、尻尾も一本にしか見えていないって事だ。
ちなみにユカが喋っている時、俺には口を開いて普通に喋っている風に見えるが、宗平には口を開いていないように見えるらしい。
「ニャーすら言わない」と言ってたのはこれに当たるようだ。
何か不思議な感覚とか感じないかと聞いてみたが、それも特には無いらしい。
あえて言うなら、あまりにもおとなし過ぎて猫っぽくないとは思うらしいが、その程度だと言っていた。
ただ、俺が話しかけてユカが頷けばちゃんと頷いたように見えるらしいし、手を上げたり首を振ったり、『動き』はちゃんと見えるらしい。
要はユカの動きについては、喋っているか喋っていないか判らないとか、その程度のようだ。
宗平はあぐらをかいたまま座って、興味があるのかないのかじーっとユカを眺めていたが、やがて口を開いた。居住まいを正した所から、真面目な話でもするのだろうか。
「ヒロキ、ちょっと通訳頼むわ。出来れば聞かねぇで欲しいんだけどな、おめーが居ねーと話になんねぇし」
俺が頭上にクエスチョンを浮かべるが、宗平はお構い無しだ。
「なあ、ユカ……さん。これだけ訊かせてくれ」
宗平が何を言おうとしているのか、俺には全く判らなかったがユカはもうそれだけで想像できたらしい。
座って宗平を見たままだったが、その後少し目をそらしてから大きくため息をついた。
「アンタも聞いてるかも知んねぇが、色々とヒロキのヤツから聞いたんだ。それでその、辻褄合わせの事なんだが……」
ああ、なんとなく想像できた。ユカのため息も、宗平のこの先の言葉も。
そして、それに対するユカの台詞も。
「オレにはお袋しか居ねぇ。今オレが死んだら、今後お袋の面倒を見れるヤツが居なくなっちまう。それと小鳥ちゃんだ、小鳥ちゃんはヒロキを、その、好きだと言ってる。虫が良い話だっつーのは判ってる……! だけど、どうにかして、オレとヒロキだけでも辻褄合わせから確実に外せねぇか?」
反応の無い猫相手に喋っているからか、喋りにくい内容だったからか、宗平は随分と考えながら喋っていた。
それにしても、そうか、宗平はバイトに勉強によく頑張るなと思っていたが、母親と二人で暮らしていたのか。
「ねえ、キミ。私の言う事をきちんとそのまま伝えてね。下手に遠まわしに言っても無意味だから」
俺の思考を打ち切ったユカの声は冷たく、言葉は非情なものだった。
「無理よ。辻褄合わせは私がどうこう出来るものじゃないもの。だから、それは運に任せなさい」
きちんとユカが言った通りに俺が宗平に伝える。
宗平はちょっと疲れた顔で、「やっぱりか……」なんて呟いていた。
そもそも宗平がユカの事を本当に死神だと信用しているかどうかは判らないが、俺の話し方やさっきまでのやり取りを見てなんとなく納得したのだと思う。
暫く沈黙が流れる。
「こうなるから、私を知ってる人は少ない方が良いって言ったのよ」
小さな声で、どうしても我慢できないから、といった風にユカが呟いた。
確かに軽率過ぎたかも知れない。ユカは前にも、『些細な事でも未練はある』と言っていた。きちんと考えていれば、宗平がこう言うのは想像できたかもしれない。
……沈黙の中、もやっとした罪悪感が俺の心に入り込んでいた。