x/x 荒山 宗平
中学校時代、いわゆる『不良グループ』はいくつか存在していた。
いくつか、と言うのは不良たちが一纏めに同じグループに居るわけでは無いからだ。
規模こそ小さいものだったが、派閥は存在していた。
その中でも、絶対に手を出さない方が良いと言われているグループ、と言うか人間が二人居た。
片方は、小学校時代におかしな言動が目立ち、更に近くに居ると気持ち悪い現象が起きたりすると噂されよくイジメの対象になる『瑞乃枝 小鳥』と幼馴染で、小鳥に手を出そうものなら、それを数倍にして返してくる『犬塚 弘』。
小鳥にとっては心の拠り所であろう。ちなみにこちらは、小鳥に手出しさえしなければ、基本的に無害とも言われている。
もう片方は、不良たちからすらこっそりと除け者にされ恐れられている『荒山 宗平』。
とにかく目立つ人間にケンカを吹っかけては殴り倒す、荒唐無稽な人間である。
どちらも派閥とは無縁の人間だった。
宗平は別に、不良マンガにありがちな学校を制覇しようとかそういう考えは殆ど無かった。
単純に、楽しそうにしている人間がムカついて仕方ないのだ。
なので事ある毎にケンカを吹っかけ殴り倒す。立ち向かう者には正面から、逃げようとする者は後ろから。
結果的に、中学校だけでも約一年間で停学の日数は二桁を超えた。
その理由は宗平の幼少期まで遡る。
宗平が六歳の頃、父親が事故で亡くなった。事故の理由はよく判らなかった。過失による事故だとも、作為的な事件だとも言われていたが、そんな事はどうでも良かった。
父親が亡くなったのだ。その事だけが、少年である宗平に強い印象として残っていた。
最初は我慢していた。母親と二人きりになってしまったので、自分も頑張らないと、と。
しかし、幼い宗平にとってその我慢の気持ちは長く続かなかった。
母親と一緒に頑張らなければという漠然とした目標は『何を頑張れば良いのか』といった理由と同時に行き場を失い、我慢の気持ちは段々と薄れてゆき、宗平はどんどん荒れていった。
最初に怒りが爆発した理由は、他の人から見ればとてつもなく些細な事で、影でこっそり笑われる程度のものだったが、宗平にはそうでは無かった。積もりに積もった不平や不満が、その場で一気に爆発したのだ。
挑発した相手に対して、教室の椅子を投げつけてから殴り倒し、無抵抗になってもなお殴り続けた。もし力の弱い子供の頃でなければ、相手はどうなっていたか判らない。
そこにあったのは最早子供のケンカではなく、戦慄するほどの一方的な暴力だった。
それからは、見ず知らずの他人を殴り、蹴り、気に入らない教師が居ればまたケンカを吹っかける毎日。あまつさえ、母親を殴る事すらあった。
ただ、凶器を使ったのは一番最初に椅子を投げた時だけだった。
凶器は、不慮の事故で人を殺してしまう可能性が高い。もちろん宗平はそんな事を考えていなかったが、心の奥底にはあったのだろう。
人の死は、重いと。
他人の人生を狂わせてしまう程、恐ろしいものだと。
――そんな気持ちが。
当然、友達など出来ず、先生達からは疎まれる毎日。
次第に学校に行く足も遠のいてゆくのだが、これだけは母親も譲らなかった。
暴言を吐かれ、殴られてもなお、学校にだけは行きなさいと。
おおよそ真面目に授業を受ける事は無かったが、鬱陶しいと思いつつも宗平は母親のこの言い付けだけはしっかり守った。
何故かは宗平自身にも判らなかった。学校に行きなさいと言っていた母親の顔が、他の言葉のそれとは違ったのが原因だったのかもしれない。
宗平の母親は父親の意を汲んでいたのだが、それを宗平が知るのはまだまだ先の事である。
小学校も卒業式を迎え、いざ中学校となると、今までとクラスの顔ぶれが随分変わっていた。
しかし知らない人が多い中、宗平は何も変わらなかった。
殴って、蹴って、殴って、蹴って。
不良たち、特に学校を仕切っている気でいる番長グループからは特に狙われた。
廊下で、校舎裏で、体育館倉庫で。時には複数人で囲んでくる事もあった。だが、宗平はそれを全て独りで返り討ちにした。
運が良かったという場面も当然ある。だがそれ以上に、番長グループが想像していた以上にケンカの場数を踏んでいた。
そうしているうちに、不良たちには宗平から話しかけられない限りできるだけ近づかないようにと除け者にされ、一般生徒からは絶対に目を合わせてはいけない人間として認識される事となる。
先生達は宗平を腫れ物のように扱い、無駄なことは言わず、できるだけ距離を置いた。
生徒に向かって体で当たって行くような熱血教師は居なかった。
そうこうしている内に、年は過ぎて二年生になった。
一年生のうちは不良グループとのケンカに明け暮れていた為知らなかったが、ケンカを売られなくなった所為で一つの噂が宗平の耳に入ってくる。
手を出さない方が良いと言われている人間のもう一人、弘の噂だ。
小学校が違ったので、今まで知ることはなかったし、知ろうとも思っていなかった。
それによると、ケンカが滅法強いという話。これは手を出さない方が良いと言われている以上当然だと宗平は思う。
そしてもう一つ。小学校の頃から小鳥と呼ばれる人をずっとイジメ等から護っているという噂。
小鳥について殆ど興味はなかったが、この弘と呼ばれる人は、おおよそ宗平が捨てた、もしくは諦めた事をずっとやっていたという事実が心の奥底に、それこそ嫌味のように叩きつけられる。
『人を護る』という、言葉にしてしまうと安っぽく、とても簡単に思えそうな行為。
宗平は昔、それをすぐに投げた。そんなものは知らないとばかりに、ケンカに明け暮れた。
もちろん、宗平と弘では環境が全然違うし護るという行為の難しさもまた変わってくるだろう。
しかしそんな事は宗平の頭の中には無い。
すぐ弘は宗平が狙うべき、『ムカつく対象』になった。
宗平は周りから情報を集めたりする事は殆ど無い。
知るべきは、弘の容姿とクラス。それだけで良かった。
不良グループの一人に弘のクラス聞き、知るべき情報を知って正面から弘にケンカを売る宗平。
だがそれは軽く流された。
近寄るべき存在ではないと聞き。
自分と同じように世間に不満を持ち。
自分と同じようにケンカを簡単に売り買いして。
自分と同じように相手を叩きのめす。
弘もそんな人間だと思っていた宗平は、流された事に気付くまで数分の時間を要した。
やがて自分がほぼ無視されたのだと思い至った宗平は、弘を追いかけ今までの相手と同じように有無を言わさず殴り倒す気でいた。
だがそれは簡単ではなかった。否、無理だった。
不意打ちだと思った攻撃を弘は見事にいなし、反撃をされた。
その後の力量はほぼ同じだったように見える。しかし、結局最後には弘が立っていた。
それは、宗平には納得できない結果だった。
今までケンカに明け暮れ、ただ一度の敗北も無かった宗平は、ある意味それだけが取り柄で、自分の存在理由だった。
それを、自分ができなかった『護る』という行為もやっている人間に負け、自分の全てを否定された気分になった。
故に、外道に堕ちた。
弘が護っていると言われている小鳥を人質に取り、自分が受けた屈辱以上のものを味遭わせてやろう、と。
そう思ってからの行動は早かった。
弘に負けてから約一週間後、作戦は決行される事となる。
当然ながら学校なので、弘と小鳥はずっと一緒に居るわけではない。更に言えば、小鳥はクラス内でも若干疎まれているようで、誰かと一緒に居る事は滅多にない。連れ去るのは簡単だった。
小鳥も多少抵抗するものの、宗平の力には敵わず、最後には力尽きたのかぐったりしていた。
もう何度も人を殴り倒した体育館裏。宗平が授業をサボる時は大体ここを使う為、他の不良たちがここを訪れる事は無い。
そこにある、もう廃棄されようとしている為なのか判らない古ぼけたサッカーのゴールポストに小鳥の腕を括り付ける。
後は、弘をここに呼び出すだけだった。
宗平が小鳥から目を放した瞬間、頭に何かが強くぶつかり、宗平は上半身だけ大きく屈み込む。
咄嗟に、この感覚は殴られたものだと気が付いた。
しかし、辺りに気配は無く、弘が来るのだとしたら早過ぎる。
「ってぇな!!」
怒声を上げて殴られた方に向き直り、なぜ、と宗平は目を見開いた。
そこに居たのが、最初は誰だったか全く判らなかった。
年は三十代半ばといった所だろうか。憤怒の形相で、拳を握り締めながら宗平を見やっている。
最初は、先生のうちの誰かだと咄嗟に思った。
しかし、うっすらと記憶に残っているその顔と、小さい頃は捕まってぶら下がる事も出来た、たくましい腕。
怒っていたのは、もう八年も前に亡くなった筈の……宗平の父親だった。
殴られ続ける宗平。
その拳は今までのケンカに比べると全然弱く、避けようと思えば簡単に避けられるくらい遅かった。
だが宗平はあえてそれを受け続けた。
泣きながら、何かを必死に叫んでいるように口を動かす父親を呆然と眺めながら。
「なんでお母さんを殴ったんだ」
抑揚の無い、女の子の声が宗平の耳に届く。
驚いてそちらに振り返ると、小鳥が焦点の合って無い瞳で淡々と呟いていた。
「俺も悪かったよ、いきなり死んで居なくなってさ。でも、お前がお母さんを支えなくてどうする。長男だろ、ふざけるなよ」
宗平は、小鳥の言葉がすぐに父親の叫んでいる内容だと把握した。
きっと父親の声が聞こえないのが判っていたから、小鳥が喋ってくれているのだろうと、宗平は思う。
子供のように、右、左、右、左と腕を振って殴ってくる父親に対し、宗平も言い返した。
「知らねぇよ! いきなり戻ってきて父親面するんじゃねぇよ!」
なんとなく、この状況は夢か、それに似た何かだと思い込んでいた。
だから、言葉の後にありったけの力を篭めて父親に向かって殴り返す。
それはたやすく避けられた。というより、すり抜けた。
まさかすり抜けるとは思わなかった宗平は、そのままバランスを崩して前のめりに倒れこみそうになる。
だがすぐにバランスを取り戻してから、強い視線で父親を見て、驚愕した。
父親は泣いていた。よくよく見ると、体が透けているようにも見える。
「頼むから、母さんを心配させないでやってくれ。支えてやってくれ」
だが宗平には、今更母親をどう支えれば良いかなんて考え付かない。
悔しさから、目を伏せてグッと奥歯を噛み締める。
「どうすれば……良いんだよ」
宗平の声はとても弱々しかった。地面を見据えながら、拳を握り締めて答えを探している。
答えを求めて父親の居た所を見るが、もうそこには誰も居なかった。
やがて宗平は視線を動かし小鳥を見る。小鳥は少し居心地悪そうに肩を動かして腕をずらそうとしていた。
彼女としてはスカートが若干めくれ上がっているのが気になっているのだろう。それをいかにはだけさせないように戻すか、どう動いたら良いか思案しているようだった。
宗平はまだ父親の事を考えていた。どうすれば良いのか判らないが、とりあえず小鳥を開放して謝ろうと近づく。
小鳥は、宗平が向かってきている事に対して一瞬だけビクリと体を動かしたが、その後は宗平の出方を窺っているようだった。
まず後ろ手に結んであるロープを解く。すると小鳥は、なによりもまず先にスカートがめくれ上がっていたのを直した。
そんなマイペースな小鳥に、宗平は一言だけ。
「すまん……!」
と、謝った。今まで謝った事のない宗平には、それしか言葉が思い浮かばなかった。
小鳥は、キョトンとしたまま動かない。
「今のお父さん?」
と、小鳥。宗平は、小鳥が父親の言葉を代わりに伝えてくれた事を思い出す。
頷く宗平に、興味があるのか無いのか小鳥は適当な返事を返した。
暫く静寂が流れる。小鳥は宗平が何か言うのを待っているような気がして、宗平は訊いてみた。
「俺はどうすれば良いと思う?」
初対面で、しかもいきなり連れ去った相手に対して言う台詞ではなかったが、さっきのやり取りを見ていた小鳥なら、と宗平は思っていた。
しかし、小鳥は少し悩んだ後、口を開こうとしてやめた。
その後も、何か考えている風だったが口を開こうとするたびにやめる。
何を考えているのか宗平には判らなかったが、少なくとも今きちんと宗平の事を考えてくれていると思ったので黙って小鳥の言葉を待った。
やがて小鳥は喋る。普通なら、良い大学行って、良い企業に就職して親を楽にさせてあげるよね、と。
それは宗平の理解を超えていた。そもそも『良い』ってなんだ、ぐらいの気持ちだった。
悩んでいる宗平に、小鳥は言葉を続ける。
「あと、今まで迷惑をかけた人たちに謝ったりした方が良いと思うな。あ、それと……」
もし色々と自分の中で考えが纏まったら、弘と仲良くして欲しい。小鳥はそう言った。
弘も宗平と同じで、一人で居る事が多くて友達とか居るのか判らないから、友達になってもらえれば嬉しい。そんな事を途中ごにょごにょ呟くように言っていたが、宗平にはちゃんと聞こえていた。
その時は、『あの』弘と仲良くできるわけねーだろ、などと宗平は思う。
ただ、少なくとも宗平の中で、小鳥はきっと正しいアドバイスをくれるだろうと思える、頼もしい存在になっていた。
月日が流れるにつれ、宗平は目上の人間に対する礼儀と、勉強の大切さを知っていった。
というのも、父親に殴られた日、母親にその事を告げ謝ると、簡単に許してくれた。宗平自身はずっと母親を突き放していたつもりだったのに、母親はずっと宗平の近くに居たのだ。
それからと言うもの、宗平は事ある毎に小鳥にアドバイスや根回しを頼んだ。
小鳥も宗平との出会いこそ酷かったが、あの状況で変な事をしなかった宗平は、あくまで小鳥基準だがわりとまともな人に見えたし、そこそこ気を許せる関係にはなっていたので手伝える範囲で宗平の事を手伝った。
とは言え、小鳥もこの頃には一般常識こそあったが友達は弘しか居なかったので、本当にちょこっと手伝えることだけ。
この頃になると、『宗平と弘が組んだ、ヤバい』と言う噂が広まって、小鳥に手を出す人は完全に居なくなる。
ちなみに弘は宗平の事を別になんとも思って居なかったし、同じような人がそこそこ居たため、最初襲撃された事も根に持っていなかった。
なので、宗平が迷惑をかけたと謝りに行くと、何言ってるんだ? ぐらいに見られたし、お互いに友達という友達が居なかった事や、共通の話題もあったりしてすぐに仲良くなれた。
弘は小鳥が裏で色々と共通の話題にできるだろう情報を宗平に与えていた事を知らない。なので最初からギスギスする様な事は無く、あっけないくらい簡単に仲良く。
宗平が色々と迷惑をかけたと謝りに行った時、今まで悪い意味で大変世話になった生活指導の先生が度肝を抜かしていた。
他の不良グループとは一線を画していたくらいだし、更生させるのはもうほぼ無理だろうと踏んでいたらしい。
その後、今までやりたい放題やっていた宗平に一般的な礼儀作法を教えてくれたり、小鳥とはまた別の方向で色々と手伝ってくれた。
大きく赤いバッテンが付いていた宗平が今の高校に無事進学できたのも、実はこの先生が影で色々と働いてくれたからである。もちろん、テストの点数の方は宗平が自力でもぎ取ったものだが。
意外だったのは、小鳥と弘が同じ高校へ付いて来た事である。
弘とはそれなりに仲良くなったが、実力的には厳しかったはずだと、宗平は思う。
それと小鳥はもっと上のランクの高校に行けただろうに、何故ここを選択したのか疑問だったが、それ以上に頼れる人間が身近に居てくれる事を嬉しく思った。
小鳥の口から、何故弘と同じ高校を選択したのか聞かされるのはもう少し先の事である。
もちろん、宗平もかなり視野が広くなっていたし、おおよその理由は見当が付いていた。なので急に相談を持ち掛けられた時も動揺せずに対応し、逆に小鳥から今まで以上に信頼を置かれるようになる。
そして時間は今、授業のチャイムが鳴り、宗平は授業をサボる事を選択し、弘が階段を下りて行った後の事。
「……あー、痛ってぇ」
相変わらず、宗平のパンチはいなされたし、腹に殴打を受けた。
アイツには敵わないな、と宗平は心の中で苦笑し、今の弘が騙されているならどうにかしないと、と考える。
自分には何が本当で何が嘘だか全く判らない。ただ、そのユカと言う名前の自称死神を一度でも見てから、きちんと判断したいとは思っていた。
小鳥は宗平が更生したきっかけだし、あの日、父親と会わせてくれた恩人でもある。
だから絶対に悲しませるようなことがあってはいけないと、宗平は誓いを新たにした。