突撃
警備員を呼び寄せる為とか言って、敢えて切らなかったサイレンの音が鳴り響く中を、彼女はひたすらに駆ける。
黒いコートをなびかせながら、音もなく進む先には…襲い来る5人の敵。その敵は、全員短剣と銃を組み合わせた独特な形状の武器を彼女に向けて構えていた。
同時、サイレンにも負けない大きさで、乾いた銃声が何度も空を切り裂く。
火薬と魔法を合わせた発射方法により、普通の銃よりも明らかに速い弾速。普通の銃弾を避けれる者はいても、これを避けるのはそうそういないだろう。
……敵は、そう思っていた。
だが。
「遅い!」
エリザにとっては、その全て遅かった。
上半身を少しずらすだけで、軽く避けられる威力・スピード・範囲。そのどれをとっても、彼女の師には遠く遠く及ばない。
床を蹴って跳躍。一番前に出ていた敵の剣銃の斬撃は右手にはめた籠手で防ぐ。
もしこれが本物の剣だったなら籠手だけでは防ぎきれなかっただろうが、所詮は剣もどきの銃だ。それだけで防ぎきれてしまう。
そして、使わなかった左手でその敵の1人の頭を鷲掴みし。
「乱ッ!」
中の魔力を…いや、力を、少し掻き回す。たったそれだけでいい。
それだけで、力の正常な『流れ』を失った人間の全身から、力が抜けていくのが分かった。恐らく、『流れ』を取り戻すまでの2時間、絶対に目を覚まさないだろう。
戦闘開始僅か数秒。一人が戦闘不可能となった。しかしエリザは止まらない。突然の味方の退場により呆然としている者達は、彼女にとって良い的だ。
次々と彼らの体の一部に触れ、1秒にも満たない速さで力の流れを乱れさせ。
彼女が通った後には、動かない人形の様に横たわる衛兵だけが残って。
「……てかさ、警報なんて鳴らしたら、普通逃げられないか?」
『まぁ普通ならそうにゃんだけど。あ、はい、そこは右にゃー』
「了解。…で、今回は普通とは違うのか?」
会話の途中に突然入った方向指令にも慣れた様に、淀みなく右に曲がる。
ずっと白一色だった壁に、横に伸びる黄色の一本線が入った。ここから先は上の者しか入れないと言うことだろう。…つまりは、部屋の中にある資料の機密度も上がるということ。
『そうにゃ。例えば、そうだにゃあ……もし、敵に絶対知られたくにゃい資料がたくさん自分の部屋にあった時に、敵に侵入された。全て資料を抱えて逃げることは到底出来そうにはにゃいが、敵は1人。…さて、こんな時エリザはどう行動するにゃ?』
「ふむ……。成る程、必要最低限の資料だけを持って逃げて、他の資料を敵に見られるより、その侵入者を消した方が楽ってか」
『そう言うこと。ここの人間は大体武道の心得が軽くあるらしいから、まとまってればやられはしないとでも思ってるじゃにゃいかにゃ?…あと考えられる理由としては、ここの人間が防犯面で頼りにしていた前人未到のはずの科学技術を俺が押さえてるから、未だに事情を完全に把握できてにゃいんだと思うにゃ』
なるほど、だからさっきからまとまった人間が多いのか。と、言葉に出さずに1人納得するエリザ。
しばらく考えを巡らせて、再び黒猫に疑問を投げ掛けた。……近くの人間の力を大逆流させながら、だが。
「ん?じゃあこいつらが分かってる情報ってなんなのさ?」
『侵入者の数だけにゃよ?』
「……はい?いや、普通それが知られているなら、性別とか実力とかも知られるだろう?」
驚きと戸惑いを含んだエリザのその声に、黒猫は実に楽しそうに答える。
『そりゃあ、俺の技術に掛かれば、そんにゃこと易い易い!』
「なんと……」
こうも簡単に未知の領域を開拓されると、初めて科学と言う新境地に達したと思っている科学者が可哀想になってくる。何せ、絶対に侵入されないと思っていた自信が、真っ向から粉々に砕かれてしまったのだから。
……まぁ、だからと言ってエリザが手加減などするはずもないが。
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そうしてエリザが駆け巡ること数分。施設内には糸の切れた人形のようなモノが、至るところに散らばっていた。
今、彼女の目の前には3本の黄色の線で彩られた、いかにも頑丈そうなドアがあった。ちなみに、黄色の3本線は、この施設内で2番目に機密度が高いと言うことを示している。掛かっていたのは、もちろん、役に立たなくなった電気ロックだ。
『気ぃ付けるにゃよ。魔導師が3人がかりでこの扉に魔法をかけてるにゃ』
「…こういうタイプは嫌いなんだがなぁ……」
ドアノブを見ただけで、魔法の種類や効果を見破ったエリザは苦々しくそう言った。なぜなら、それは過去一番のトラウマ体験を思い出させる魔法だったから。トラウマなんて、誰だって嫌なものだ。
しかし、ここでへばっては意味がないと気合いを入れ直し、無造作にノブを掴む。
その瞬間、彼女の脳裏を何かが掠めるのを感じた。静かに、されど大量に。
それは、本当に一瞬だけで。
しかし何よりも鮮明に、浮かび上がる。
――――見えたのは、遠き日の、思い出。
黒よりも黒い、漆黒の闇に浮かぶ幾多もの炎。
遠くから聴こえる、剣戟の音と悲鳴。
怨念の声を上げて、焼け死んでいく仲間達。
幸せと共に崩れていく、慣れ親しんだかつての家。
見ているだけで気が狂いそうになる、自分の弟の苦しむ表情。
……何も掴めずに踏みにじられた、血に濡れた自分の手。
「…っ……」
『―――おーい!?……前! 前だって! 前を見ろ!』
「……何だ?……って、あ……」
いつの間にか開いていた扉から、魔法弾が飛んでくるのが、我に返った彼女の視界のど真ん中に映った。その弾は、無理矢理身を捩って回避態勢をとった彼女の頬を掠めて、通っていく。
その掠めたところからは、紅が滲み出て。
『……大丈夫にゃ?』
エリザは、その問いに答えなかった。ただ、その頬を伝って落ちる血を手で拭って、それを自分の目の前でかざすだけだ。
普通、敵の前でそんな隙だらけの行動を晒せば、あっという間に命は削られていくだろう。だが現状、彼女を攻撃可能範囲内に入れているはずの敵は、全く攻撃できずにいた。
それはなぜか。
答えは簡単である。
敵はただ単に、彼女が恐ろしかったのだ。ただただ色の無い冷たく無感情な顔で、自らの紅を眺める彼女が。
そんな唐突で不可思議な行動が、敵に、足を出したら殺されるという錯覚を与えていた。
しかし、少しずつ彼女の表情に色が戻り、不敵な笑みに形を変えていく。いかにも楽しそうな、嬉しそうな、そんな表情。
「…はっ、大丈夫だ。別にどうってことはない」
そう、薄く笑って。何事もなかったかの様に、彼女は再び動き出す。
無機質な床のタイルを蹴り。再び発射される散乱弾の軌道を見切り、部屋の隅に固まっていた魔導師達の意識を華麗にブラックアウトさせていき。
そして彼女は、再び歩みを進めていく。もちろん、出会った敵には容赦なく攻撃を入れていきながら。
大勢の者を、流れる様に薙ぎ倒していくその姿。それは、正に無双だ。
実は、アーサー達が今回の作戦に彼女を入れたのは、この戦闘スタイルが潜入に向いていたからである。
無闇矢鱈に力を振り撒かず、傷さえも付けず易々と戦力を落とすと言うことにおいては、エリザはアーサー達より優れていたと言っても過言ではなかった。
「………なぁ黒猫。質問してもいいか?」
『答えれないものもあるにゃよ?』
「別にいいさ。…この研究所には、具体的に言えばどんな資料があるんだ?」
暫し、沈黙。答えるべきか否かを悩んでいるのだろう。もしかしたら、答えることでエリザがどんな反応を示すのか考えているのかもしれない。
『………量産用の銃、魔力を最大限に生かすことが出来る魔剣、魔法による遠隔操作の爆弾。あとは……まぁ、今エリザが探している召喚儀式の資料とかだにゃ』
「…そうか」
それだけの返事を返し、黙するエリザ。黒猫も、わざわざ尋ねたりするようなことはせず、その静寂の調べ――にしてはエリザの周りが少々騒がしいが――を聴いていた。
この世界は、比較的よく戦争が起こっている。その原因はと言うと、種族間や宗教間、国家間など色々なものがあるが、共通するのはどれも一概に何が正しいとは言い切れない事だ。
ある一面から見ると、Aが正義に映るのだが、別の面から見るとAは悪でBが正義だった……なんてことは戦争において必ずある。
何が正しくて、何が正しくないのか。それは、誰にも知り得ないものであり、神ですら知ることは無いのだ。
だからこそ、戦争は何度でも起こる。我こそが正義だと張り通す為に。
だからこそ、戦争は死者すらも無視して突き進む。これは正義において、仕方ない犠牲だと割り切れてしまうから。
本当に良いのは、ここにある全ての資料を焼き尽くすこと。そして、これらの兵器によって、殺される者をなるべく減らすこと。
だがそれは出来ない。出来るはずもない。
なぜなら。
それは作戦に組み込まれていないからだ。
単純な善意で作戦外の行動をしていると、いとも簡単に首が飛ぶことを、エリザも黒猫も知っているからだ。
…勝手な行動は、自分だけでなく周りの者の命すら左右することを、2人は知ってしまっていたからだ。
その恐怖故に。無力故に。
その行為がいくつもの命を見捨てる事になることを知っていたとしても、彼女達には戦争兵器を見過ごすことしか、出来ない。