83.幸せなひととき
その夜は、グレイスのためにささやかなパーティーが開かれた。
日が落ち、灯されたランプの柔らかな光が食堂を包む頃、テーブルには子どもたちが用意した料理が並んだ。
焼きたてのパン、少し焦げたチキン、じゃがいものポタージュ、形の不揃いのクッキー……。
そのどれもが、見たこともないほど愛おしく映る。
「グレイス姉、これ僕が焼いた!」
「わたしも! あまいほうがいいかなって!」
「このチキン俺が一人で用意して焼いたんだぜっ!」
「嘘つくなよ! 俺だって手伝ったろう!?」
「お前の手伝いはほんのちょっとだったじゃんか!」
「グレイス姉、すわってすわって!」
「こっちは僕が運ぶね!」
「やべぇ、スープこぼれたっ!」
「わっ、わっ、ちょっと待って! みんな、落ち着いて運んで……! そこの二人も喧嘩しないで!」
食卓に集まる笑い声は壁を震わせるほど明るく、まるで三年の空白を埋めるようにグレイスの心に響く。
皿の向こうで少年少女達が笑い合い、アレクは忙しなく走り回りながらも、絶えず誰かの頭を撫でたり、転びそうになった子を支えていた。
院長先生やシスターは嬉しそうにそれを眺めている。
その光景に、グレイスは声を上げて笑う。
温かく、誰も傷つかず、誰も壊れない世界。
グレイスが必死に奪い返した、一つしかない光景。
グレイスは席につくと、ふと胸が熱くなるのを感じた。
わずかに潤んだ瞳を隠すように、グレイスが窓の外へと目線を逸らすと、彼女の視界に入ろうとすかさず子ども達の顔が現れる。
「あれ、グレイス姉ないてるのぉ?」
「っ、泣いてないよ! ただちょっと、目にゴミが入っただけ」
「そっか。……あ、それよりこれ! 俺が味付けしたんだぞ!」
「こっちは私が!」
「ほんとに? すごいね! 食べるのが楽しみだよ」
褒めると、みんな照れたように顔を真っ赤にした。
子ども達の笑顔は痛いほど眩しくて、その温度が胸の奥のどこかに触れた瞬間――。
……本当に、こんな光の中に戻ってきていいのだろうか。
ほんの少しだけ、グレイスの胸の奥が陰った。
彼女が歩んできた道は闇だった。
落とし、壊し、奪い返すための道だった。
この光景は、かつてグレイスがいた『無垢な光の世界』。
けれど今の彼女は、そこに片足しか入れない。
もう完全には戻れないのだと知っている。
「ほら、グレイス。これも。昔好きだっただろ?」
アレクが皿を差し出す。
その声が、帰ってきたあの日とは違う――支える側の温度を帯びていた。
優しい声に、胸の奥に隠した傷が疼く。
「ありがとう。……嬉しいよ」
食卓の真ん中で笑うアレクと子ども達。
その温かさが胸の奥に染み込む。
それでも、今はもう少しだけ……この光を感じていたい。
グレイスは手を合わせ、食事に向き直る。
「いただきます……!」
その言葉に、子ども達の歓声がまた弾けた。
グレイスは微笑む。
光に触れながら、闇を抱えたまま。
◆
食事が一段落した頃、院長が静かに口を開いた。
「……あのね、みんな。今日はグレイスさんが帰ってきただけじゃなく、大事なお話もあるの」
子どもたちが一斉に顔を上げる。
「おはなしー? なになに?」
院長先生は優しく微笑みながら、続けた。
「まず……グレイスさんは、この近くのエルミナ地方局で働くことになりました。これからは、ここに住みながら、お仕事をしつつ、みんなのことも手伝ってくれるそうですよ」
「えっ!? 本当!?」
「じゃあ……一緒に暮らせるの!?」
「やったああああああ!!」
子どもたちの歓声に、グレイスは思わず笑ってしまう。
その喜び方がまっすぐで、まるで太陽みたいだった。
けれど胸の奥には痛みが常に突き刺さる。
それでも、彼らの輝く瞳を見たら、目を逸らすことはできなかった。
目を、逸らすべきではないと思った。
「そしてもう一つ。大事なお知らせです」
院長はアレクの方へ視線を向ける。
「前からあなたたちには伝えていましたが、アレクは来年、ここを正式に継ぐことになります。院長として、皆を守る立場になるのです」
「えっ……アレク兄ちゃんが!?」
「ってことは院長先生辞めちゃうの?」
「私ももうおばあちゃんですから。でもこの近くに住むので、いつでも遊びに来ますからね」
「やったぁ!」
「ねえ、いんちょうって、おとなのおしごとじゃないの!?」
「アレク兄ちゃん、ちゃんとできるの? 料理とか料理とか料理とか」
「なんでそこばっかり!? 僕だってやればできるんだから! ……多分」
子ども達の反応は、驚きと期待と、素直すぎる不安が混ざっていた。
アレクは苦笑しながらも、まっすぐに言う。
「……確かに僕は料理とか、それ以外にもできないことはたくさんある。けどみんなのこと守りたいって、ずっと考えてたから。……っていっても、他のシスター達にも手伝ってもらいながらになると思う。それに……みんなにも助けてもらえたら、なんて」
その瞬間、子ども達が大きな声を上げて笑った。
「しゃあねぇな! この俺様がいないとアレク兄は何もできねぇんだから」
「俺も手伝うぞ! 料理は任せとけ!」
「あんたがするとアレク兄さんと大差ない黒焦げ料理ができるから、そっちは私がするわ!」
「ぼくはね、えっとね、いっしょうけんめいおそうじする!」
――その光景を目にしたグレイスの胸が、大きく震えた。
アレクが自分の意志で未来を選んでいる。
倒れる前のように、自分自身の足で、先へ歩こうとしている。
そして今は、助けを求める強さすら持っている。
グレイスはそっと指で涙を拭う。
アレクのその姿が、グレイスには何より嬉しかった。




