表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

77/87

76.セヴラン編:終『彷徨う亡霊』



 豪奢なシャンデリアに灯がともり、卒業パーティー会場は華やかな色と音で満ちていた。

 騎士科、文官科、各家の子弟たちが思い思いの礼服に身を包み、楽団の奏でる旋律のなかで談笑を繰り返している。


 その光に満ちた会場の端で。

 ひときわ端正な顔立ちの青年――セヴラン・ヴァルデンは立っていた。


 完璧に整えられた髪。

 皺ひとつない服。

 背筋の伸びた立ち姿。


 まるでそこだけ切り取れば、これまで通りの完璧なセヴランに見える。

 ただ一つ。

 その瞳に、焦点だけが存在しなかった。

 空洞のように、光を捉えていない。


 明らかに様子のおかしいセヴランに、声をかける生徒は少ない。

 生徒達の間で広まっている噂も、原因の一つだろう。


 ――彼がグレイスに過度な量の業務を振り分けていたこと。

 ――アレクという生徒を退学に追い込んだ可能性があること。


 それでもヴァルデン家と縁を結びたい何名かの生徒が、彼に話しかけにいく。


「あ……セヴラン様! 卒業おめでとうございます!」


 ある男子生徒が、声をかける。

 セヴランはゆっくりと、機械のように顔を彼の方に向ける。


「セヴラン様は、きっとすぐに王宮で活躍なさるんでしょうね!」


 その言葉に対し、セヴランは一呼吸おいて、小さく声を発する。


「……活躍、とは……正しい行為、なのか?」

「……え?」

「私は……何をすれば……正しいのか……。どうすれば、活躍、できるのか」


 男子生徒は笑顔を崩し、言葉に詰まる。

 するとその空気を見越したのか、別の男子生徒が割って入る。


「セヴラン、今日は難しいことは考えず、楽しもうぜ!」


 セヴランは、数秒間、彼の顔を無言で見つめた。

 この男子生徒は笑顔だ。

 だが、本当にこれは喜びからくるものなのか。

 今のセヴランには、情報としても何も読み取れない。


 しかし、返答しなければならないという義務だけが脳内で鳴る。

 結果出た言葉がこれだった。


「……楽しむ、とは……なんだ。何を……すれば、いい?」


 男子生徒は乾いた笑いを漏らした。


「は、はは……セヴランってば今日は調子悪いのか?」


 周囲にいた数名も苦笑し、距離を一歩、また一歩と離していった。


 論理で作られた男から正しさが抜け落ちた時、残ったのは、ただの抜け殻だった。


 そんな時、会場がにわかに活気づく。

 皆の視線の先に何気に目をやったセヴランは、この会場に来て初めて表情が動く。


 遠くのほう――光に包まれた中心に、グレイスがいた。

 彼女は誰かと談笑しながら、微笑みを浮かべている。


 ――あの日、手に入れたはずのセヴランの感情は、心は、彼の正しさの指針と共に壊れたはずだった。


 だが、壊れて尚、セヴランの心を唯一揺らす人物。

 グレイスにだけは、名前の付けられない感情が小さく燻っている。

 壊れてしまった心の奥で、ただ一つだけ、かすかに灯りが揺れた。

 

 それでも、歩み寄ることはできなかった。

 彼女の提示した正しさを拒み、手を離したのはセヴラン自身だ。

 

 セヴランは伏せた睫毛を微かに震わせ、ただ立ち尽くしたままグレイスを見ることしかできなかった。



 卒業後、セヴランはヴァルデン家の当主であり宰相職にも就く父親の手伝いをしていた。

 

 外見だけ見れば優秀な跡継ぎのまま。

 しかしその瞳は焦点を結ばず、指示がなければ瞬きすら忘れたような瞳。

 明らかに以前の精彩を欠いていた。


 セヴランは何を聞かれても、


「……はい」

「……分かりません」

「……指示を、お願いします」


 ただそれだけ。


「先ほど誰と話した?」


 と尋ねても、相手の名前すら出てこない。


「あなた、目が赤いけれど?」


 と母親に言われても、


「……そう、ですか」


 とだけ。

 

 そして、数か月後。

 セヴランの父は、人知れず息子を呼びつけた。


 広間の奥まった控室。

 冷たい灯りの下で、彼は息子をしばらく黙って観察すると、やがて口を開いた。


「……セヴラン。お前はもうヴァルデン家の礎にはなれん。この意味が分かるな」

「……はい」


 驚きも否定も、痛みもない。

 ただの返事。


 ヴァルデン家は、極めて合理的な家系。

 情ではなく、成果で人間の価値を見る家。


 その家が下した結論は、使い物にならないなら切り捨てるという、あまりに単純で残酷なものだった。


「明日の朝一で荷をまとめ、ヴァルデン家を出なさい」


 静かに、そして絶対の口調で。

 セヴランは何一つ逆らわなかった。


「……はい」



 翌朝。

 セヴランは言われた通り、最小限の荷物だけを手にして門を出た。

 父も母も見送りに来ない。

 それがこの家の正しさだった。


 ただ一人、門番だけが声をかける。


「セヴラン様……どちらへ向かわれるのです?」

「……分からない」

「何か、お困りであれば……」

「……指示を、もらえるか?」


 門番は答えられず、ただ黙って深く頭を下げた。


 セヴランは歩き出す。

 足取りは迷いもなく――しかし目的地が存在しないため、どこに向かっているのか本人にも分からない。


 それはまるで、壊れた道具が止まらず動き続けるだけの姿のようだった。



 夕暮れ。

 セヴランは名前も分からない街の中心に立ち尽くしていた。


 噴水の水音。

 子供たちの笑い声。

 行き交う人々のざわめき。

 全てが情報として彼の中に流れ込むのに、一切意味を成さない。


 本来なら、子供を避けるべき、道を開けるべき、人に迷惑をかけないのが正しい……そんな判断が働くはずだった。


 だが今のセヴランには、どれが正しいか分からない。


 何をすべきか判断できない。

 選択肢を選ぶ機能が壊れている。


 気付けば人にぶつかり、謝るべきかすら分からず、ただ立ち止まる。


「大丈夫か?」


 と声をかけられれば


「……分からない」


 と答えるほかない。


 夜になると、セヴランは噴水の縁に座る。

 冷たい川の水面に、揺れる灯りが映っている。


 セヴランはそこで胸元から一つのものを取り出した。

 それは枯れた、アイリスの花。


 あの日、グレイスが受け取らず残していった、かつては美しかった紫の花。

 すでに色は抜け、花弁は乾き、折れそうなほど脆い。

 それでもセヴランは、まるで壊れ物を扱うように両手で包みこんだ。


 その瞬間だった。

 ふわりと、川面が光を反射するように揺れた。

 風でも水音でもない。

 何かが世界そのものを撫でたような気配。

 セヴランは顔を上げる。


 そこに光が立っていた。

 薄紫の瞳を持つ少女。

 いつか自分が傍にいたいと願った少女。


 彼女は白い光に包まれていて、その姿はどこか淡く、形を結んでいない。

 触れれば消えてしまう儚さを含んでいた。


 セヴランは一歩、踏み出そうとして……できなかった。


 足が、動かない。

 膝が震え、呼吸が乱れる。


 彼は気づく。

 目の前の少女は現実ではない。

 自分が壊れる前に見ていたもしもの幻だと。


 そして無意識の口が、言葉を結ぶ。


「……もし……あの時。己の、正しさではなく……君を、選んでいたら……?」


 幻の少女は何も言わず、ただ静かに微笑んでいる。

 その微笑みは、彼が救われていたかもしれない未来を示しているようだった。


 選ばなかった未来。

 選べなかった未来。

 その全てが滲む。


 セヴランは枯れたアイリスを見つめる。


「……そうすれば……私は……」


 言葉の続きを言えない。

 

 涙は流れない。

 涙を流す感情はもう失われた。

 ただ、胸の奥で、何かが空洞を軋ませた。

 それだけだった。


 光の幻はやがて霧のように溶けていく。

 手を伸ばせば届きそうだったのに、セヴランは手を伸ばすことすらできなかった。


 伸ばすべきかどうかの判断ができないから。


 そして幻のグレイスは、最後に唇だけをわずかに動かし、


「さようなら」


 そう告げたように見えた。


 セヴランはゆっくり瞼を閉じる。

 枯れたアイリスを握りしめた手が震えている。


 風が吹く。

 その風すら、正しいかどうか判断できない。


 セヴランは立ち上がり、光を見失った亡霊のように再び歩き出した。

 その足取りに、もう帰る場所はない。

 

 何を探しているのかも分からず、何が正しいかも分からず。

 ただ、失われた幸せの残像だけが、彼を静かに縛り続けていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
この物語、最初は復讐劇として読んでましたが、考えさせられます… 3人は一見恵まれた環境で真っ直ぐ育ったけど致命的な何かを学ばずに来た。そのひとつが挫折だと思います。自分の痛みを知らないから他人の痛みも…
セヴランには少し同情するな こんな両親のもとで育ったらまともな感情なんか持てないはずだ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ