75.ルキア編:終『光の終焉』
王立学園の講堂。
天井近くまで積み上げられたシャンデリアが宝石のように瞬き、卒業を祝う音楽が穏やかに流れる。
全てが完璧なはずだった。
例年と変わらず、華やかで、荘厳で、理想が形になったようなパーティー。
だが、今年はいつもと違うことがあった。
まず、主役の卒業生であるはずのロアンの姿が見当たらない。
グラディス家の事情により欠席する、と発表されているが、生徒達の間では、ロアンがグレイスやその他生徒へ暴行したことは周知の事実だった。
そのグレイスは、怪我のため今このパーティーには参加していない。
セヴランは会場にいるものの、顔には生気がなく、まるで抜け殻のようだ。
それはルキアも同じだった。
彼の胸の奥に広がるのは、底の抜けたような虚無。
既に彼の瞳には光はない。
シャンデリアの輝きを浴びているのに深い影が落ち、ぼんやりと立ち尽くす様は、まさしく亡霊のようだ。
生徒達の前に立ち、生徒会長として最後の挨拶をするために登壇した際も、理想の未来を語る王太子としてのオーラはどこにもなかった。
そしてルキアは、もう一つ気づく。
これまでは、キラキラと輝く光を宿した瞳でルキアを見ていた生徒達。
しかし挨拶文を読み上げるルキアに向けられていたのは、不信感。
――グレイスに無理を強いた。
――期待という名の重圧で押しつぶそうとした。
――以前退学した生徒も、もしかしたら同じように押し付けられていたのかもしれない。
――そんな人物が果たして王太子としてふさわしいのか。
彼らは口には出さなかったが、そう、目で訴えていた。
ここでルキアの心にグレイスの言葉が蘇る。
――ルキアは近づく光を闇にすると。
生徒達の光もまた、影となった。
この状況が、彼女の言葉が正しいと証明しているようだった。
パーティーが始まっても、王太子であるルキアに寄ってくる生徒の数は少ない。
それでも、偽物の微笑みを浮かべて近づく生徒たちと、表面上の会話を交わしていた時だった。
空気が、変わった。
会場が明らかにざわめく。
シャンデリアの光がほんのわずかに揺れ、会場中の視線が一斉に入り口へ向けられる。
ルキアも息を吸うように顔を向けた。
そして。
時間が、止まった。
白いドレスが揺れ、淡い紫の瞳が会場に光を落とし、陽だまり色の髪がふわりと舞い、微笑む彼女。
それは、この世界のどこを探しても見つからないほどの清らかな光。
どれだけ復讐にその身を捧げようとも、その姿はルキアには眩しくて美しかった。
グレイスは松葉づえをつきながら、一歩一歩進む。
それなのにその姿は、優雅で、堂々として、気品に満ちて。
そんなグレイスを大勢の生徒達が取り囲む。
生徒達の顔に一気に笑顔が広がった。彼らに応えるように、グレイスも微笑みを返す。
あの光の中心に、かつてはルキアがいた。
けれど彼が再びその舞台に立つことはない。
――そう、自覚してしまった。
ルキアは、グレイスと彼女の周りに集う生徒達の光を、焼き付けるようにじっと見つめる。
そして踵を返すと、光差す講堂を去り、月も星もない夜空が広がる暗闇の中へと自ら消えていった。
◆
ルキアが王太子辞退を申し出たのは、卒業パーティーの翌朝だった。
王宮に戻った彼は、その夜一睡もできなかった。
夜明け前、青ざめた顔のまま書斎にこもり、一通の辞表を書いた。
震える文字で。
『私は王太子の資格を持ちません。光を壊す影である以上、未来を託されるに値しない。よって、王太子の位を辞退いたします。』
それを読んだ国王も、王妃も、最初は信じなかった。
王妃は泣きながらルキアの肩を掴み叫んだ。
「ルキア……どうしたのです。あなたは何を言っているの……?」
しかしルキアはただ首を振り、酷く静かな声で答える。
「母上……僕は、もう光を見る資格がないんです」
その瞳は完全に濁っていた。
あの黄金の輝きを宿していた瞳とは、まるで別物だった。
王は激昂し、激しく机を叩いた。
「弱き者を導く王となるのがお前の使命だ! ここで折れるとは……国王の器ではない!」
「はい。だから……辞退するのです」
ルキアの返事は淡々としていた。
涙すら浮かんでいない。
まるで魂のない人形のようだった。
王宮全体がざわついたが、ルキアほどの完璧な王太子が辞退を願い出る理由を詮索できる者など一人もいない。
彼が壊れた理由も、真実も――ただ一人、グレイス以外には。
王宮は迷った末、公式にはこう発表した。
『ルキア王太子殿下は体調不良のため、しばらく離宮にて静養することとなる』
王太子の辞退については、ルキアの回復を待てば彼の瞳に光が戻る可能性を考え、発表は見送られた。
それに、ルキア以上の逸材が今のところ見つかっていない。
だが、いくら時が経とうと、ルキアにはもう王太子として立つ意志は残っていなかった。
それでも王宮の決定に従う。
離宮へ向かうことを。
何よりもルキア自身がそれを望んだ。
「離宮……。ええ。僕には、それが相応しい」
光から最も遠い場所へ。
ルキアは自分からその闇へ落ちていった。
離宮へ向かう馬車に乗り込む際、ルキアは王宮に向かって一度だけ振り返った。
だが、その目に未練も誇りもなかった。
ただ淡く、遠くに失った光を追うように、虚無を漂わせていた。
荷物は最低限。
護衛は最低限。
まるで処刑される者のように、静かに送られていく。
王妃だけが泣き崩れ、王は目を逸らしたまま、声一つかけなかった。
その行列は奇妙なほどに静かだった。
死を悼む儀式のような静けさ。
そんな中、ルキアは光の届かない離宮へ運ばれていった。
離宮に到着してからのルキアは、まるで影が歩いているようだった。
彼は毎朝、窓辺に座った。
しかし外を見ることはない。
ただ視線を落とし、手のひらを眺める。
「この手で……いくつ光を壊したのだろう」
その呟きは日課のように繰り返された。
彼の部屋のカーテンは常に閉ざされていた。
柔らかく差し込む光が痛かったのだ。
グレイスが言った『光を壊す影』という言葉だけが、刃のように胸を刺し続けている。
食事は最低限。
眠りは浅く、夢の中でアレクや、彼の期待を背負って壊れたレオ、声を失ったシェナや、その他の光の残骸の幻影に怯えた。
『どうして……私を壊したのですか?』
そんな幻聴に何度も夜中、うなされる。
そして明け方目を覚まし、わずかに開いたカーテンの隙間から陽の光が差し込むたび、ルキアは首元を押さえ苦しそうに目を伏せた。
優しいはずの光なのに、今の彼には、それは罪を自覚させる鋭い刃だった。
◆
ルキアが離宮に移り住んでから一年後、ルキアの体調が戻らないことを理由に、彼の王太子の廃籍が発表された。
――光のない生活、その果てに。
ルキアは誰の前にも姿を見せない。
王宮も彼を必要としない。
民は元王太子が静養しているとしか知らない。
ただ一人。
離宮の片隅で静かに生きる青年がいるだけ。
かつて光の中心にいた王子は、今やその光を恐れ、遮り、触れようとしない。
ルキアは部屋に置かれた空の花瓶に向かい手を伸ばすも、そこに花はない。
それでも彼には、白い気高き一輪の花があるように見えたのだろう。
けれど幻の花でさえも、彼が触れるだけで朽ちて闇に溶ける。
その幻影を見つめ、ルキアは毎日同じ言葉を繰り返す。
「僕は……光を探すことすらしてはいけない。探したら……壊してしまうから……」
誰にも届かない声は、離宮の静寂に吸い込まれ、やがて闇の中へと消えていった。




