74.ルキア編:『光の消失』
グレイスの怪我は、足の骨折と腕の擦り傷だと判断された。
頭は受け身をとっていたため問題はないと。
胸の苦しさも時間とともになくなり、肋骨が折れていることはないらしい。
念のためこれから学園近くにある診療所に運ばれ、精密検査をすることとなっている。
生徒達も去り、保健医は席を外し、中にいるのはグレイスのみ。
窓の側の白いカーテンが静かに揺れる。
夕焼け色の光だけが、ベッドの横に影を落としている。
その影が、ふと揺れた。
扉がわずかに軋む。
誰かが入ってきた音。
寝台の上で静かに目を閉じていたグレイスは、気配で誰かを察知する。
その気配は、まるで空気のように軽く、意識を集中させていなければ気付けないほどに弱い。
「……グレイス」
掠れた、しかしはっきりとした声。
声の方へ顔を向け薄紫の瞳を開くと、宝石のような煌めきの残る髪色が淡い光に照らされて立っていた。
彼は制服の袖口を強く握りしめ、呼吸をうまく整えられず、浅く震えている。
これまで完璧な王太子だったはずなのに。
その気配は、かつての輝きの面影すらなかった。
「ルキア様」
必ず来ると思っていた。
グレイスは痛めた足をかばいながら、上体を起こす。
彼の瞳は、見たくない事実をそれでも確認しなければ、という恐怖の色で揺れていた。
その色を声に乗せ、ルキアは尋ねる。
「……ねえ、グレイス。君は……どうして、僕に……あれを見せたのかな」
声は震えているが、まだ王太子としての体裁を保とうとしている。
だからこそ、ここから一気に切り裂くことができる。
グレイスは穏やかに、しかし感情の欠片もなく言う。
「言ったでしょう。ルキア様が思う私という光がどうなるのか、あなたには最後まで見届ける責任があると」
恨みも怒りもない。
ただ事実を言うだけの口調。
ルキアは胸元を掴むように息を吸った。
「グレイス……君は……やはり光だった。あれほど高い場所から落ちて……それでも生きている。強くて……壊れなくて……僕が離れても、光は……」
「壊れないと?」
穏やかに問い返す声に、ルキアはふっと言葉を失った。
理解の輪郭だけが胸を刺し、しかしまだ完全に受け入れてはいないようだ。
グレイスは幼い子どもに語りかけるように、ゆっくりと口を開く。
「一つ、訂正させてください。」
瞳は淡い紫のまま。
なのに、そこに光はない。
「私は……『光』ではありません。」
静かな保健室に、短い言葉が鋭い刃のように響いた。
「……どう、いう……意味だい……?」
違う、君は光だと、縋るようなルキアの瞳をグレイスはまっすぐに見返す。
「ルキア様はご存知のはずです。私、グレイスは復讐者です。あなた達に復讐するために、この学園に来ました。それなのに、まだあなたは私を光として扱いますか?」
ルキアの金の瞳が、恐怖に揺れた。
「分かってはいた……! で、でも……君の口から、改めてそれを聞くのが……こんなにも、怖いなんて。それに君は……生徒に慕われていて、業務だって、完璧で……」
「ですが私は壊しました。あなたも見たはずです。騎士として誰かを守ることに固執していたロアン様が、自らの意思で私を落としたところを。……私は彼が持っていた暴力性を引き出しただけですが、それでもあの結末を意図して作り出し、彼を破滅させたのは私です」
「っ……」
「セヴラン様の異変にも、あなたなら気付いていますよね? 私はまず彼に感情を教えました。その上で彼の心を壊しました。彼はもう以前のように正しく完璧な判断を下すことはできません。近い将来、ヴァルデン家から彼の名前は消えることでしょう。こんな私は、光というよりも――『闇』だと、そう言えませんか?」
「……そんな……光が……闇になるなんて……そんなこと、あるはずが」
「あります。今目の前にいるじゃありませんか。私は闇になりましたよ。復讐に取り憑かれた、黒い闇に」
「や、やめてくれ、……君が闇だなんて……おかしいじゃないか! そんな、自ら闇に手を染めるようなことをするなんて! どうしてなんだ、君は誰よりも強いのに!」
「あなたに責められる覚えはありません」
もしもアレクのことがなければ、グレイスは救済の乙女として、光としてこの世界に存在していたかもしれない。
だが、そうさせなかったのは、一体誰が原因なのか。
グレイスは乙女らしからぬ嘲笑を浮かべ、言った。
「私を闇に落としたのは、ルキア様、あなたですよ」
「僕……?」
「はい。アレク兄さんという光を壊したのは、あなたです。なら、アレク兄さんを壊され憤った私が復讐という闇に染まったのもあなたの責任です。そして私が闇に染まらなければ、ロアン様とセヴラン様も壊れることはなかった」
知りたくない事実を突きつけられた、そう言わんばかりの顔になるルキア。
視線を逸らそうと顔を背けかけるが、グレイスの視線がそれを許さなかった。
ルキアは縫い留められたかのように、微動だにせず、恐怖をたたえた瞳でグレイスを見る。
「ぼ、僕は……僕はそんなつもりじゃ……光を……未来を……作るために……!」
グレイスは淡く微笑む。
その笑顔はあまりに優しく、そして残酷だった。
「あなたが導こうとしてきた未来とは、何でしたか? 弱き者を救い、光を押し上げる世界でしょう?」
「……そ、うだ……僕は……」
「では伺います」
声の温度が変わらないまま、逃げ道を塞ぐ。
「光に触れた途端に壊してしまうあなたが、これから誰かを導けると、本気でお思いですか? 王としての未来に、光は必須です。あなたは、遠くからならば光を壊すことはないと思っているようですが、側に置かなければ、理想の世界を創ることはできません」
「……」
「ですがあなたが触れた光は、みんな壊れるか光を失いました。アレク兄さんも。シェナさんも。レオ先生も、そして……私も」
「やめ……てくれ……」
「もしかしたらあなたが把握していないだけで、もっといるのかもしれませんね。無自覚に壊した光が他に」
その言葉に、ルキアが唇をわななかせ、声にならない呻き声を上げる。
「っ、ぁ……」
ルキアの反応で、グレイスは確信する。
――おそらく、彼には心当たりがあるのだろう。
これまで傍においては消えていった、光の残骸に。
そして、グレイスは最後の刃を静かに振るった。
「そう、目を逸らさず、自覚してください。あなたは『光を壊す影』です。そんなあなたは――王にはなれません」
その瞬間、ルキアの体から、糸の切れた人形のようにがくんと力が抜けた。
金の瞳が濁り、全ての光を奪われたように、ただ静かに沈む。
床に落ちる音はしなかった。
音を立てるほどの力さえ残っていないようだった。
グレイスはベッドから身を乗り出し、倒れたルキアを見下ろした。
その瞳には、涙も憐れみもなかった。
ただ、彼の心が完全に折れたことを確認するような、冷静な瞳。
――グレイスの予想通り、彼の心はこの時、完全に終わりを迎えた。




