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さよなら夏の日  作者: 浅見カフカ


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7/11

第6話 空へ

翌朝、自分たちの任務が特攻だと知らされた。

神風特別攻撃隊。

通常三年はかかる予科練の教育が一年に満たない期間で終わった理由がようやく分かった。

あまりに唐突で理不尽な命令はどこか他人事のように思えた。

(剣や誠之介も特攻なのじゃろか)

そのせいかそんな心配も浮かんだ。


(ああ、いつか誠之介の着陸が『無駄に上手い』と教官が言っていたのはこのことか。もうあの時には決まっていたんじゃの)

二度と着陸の必要の無い離陸。

「特攻か...」

つい口に出すと急に実感が湧いてきた。


それでもしばらくは訓練の日々だった。

目標に低空で進入する訓練が特に難しかった。

海面すれすれを飛ぶ。

高射砲の仰角に入らないで敵艦戦に肉迫して一気に操縦桿を引いて艦上に出後に急降下して突撃する。

急上昇する時の操縦桿が恐ろしく重たく、必死で両腕を使って引いても上手く上がらなかった。

その度に機を降りては怒声と共にバッターで殴られた。


そんなある日、誠之介の光武隊で事故が起きた。

急降下の後の姿勢制御が出来ずに海面にまっすぐ墜ちた。

搭乗員が死んだと聞いた嘉三郎と田崎は食堂で誠之介の姿を探した。

「誠之介!!」

食堂の隅の席でメシをかき込む姿を見つけた。

その向かいには剣が居た。

きっと剣も探して駆けつけたのだろう。

久しぶりに四人が揃ってのメシだった。

ただ、事故の後。

はしゃぐような雰囲気ではなかった。


その夜、隊ごとに集められて上官からの叱責と制裁が行われた。

特に光武隊は連帯責任の名のもとに厳しいものとなった。

「畏れ多くも陛下からお借りした機体を事故で失うなどあってはならんことだ。お前たちの代わりなど掃いて捨てるほど居るが失った機体は替えが効かんのだ!」

激しい檄が飛んだ。

「では何故、特攻で機を失う作戦なのですか!?爆撃して帰投すれば何度も戦え」

隊員の一人が発言を終える前にバッターが顔面を襲った。

背や手足に振られることはあったが頭部に向けては初めて見た。

メキっという音がして吹き飛んだ彼に追撃のバッターが振り下ろされようとしたので誠之介たち数人が覆いかぶさって庇い、先輩隊員が上官を必死で止めた。

鉄錆のような臭いが漂う。

バッターには赤黒い染みが見えた。

それはまだしたたっていた。

正論に対して暴力以外で返す術を持ちえないほどにこの組織は堕ちていた。


桜も散り、隊の先輩たちへ幾度『帽振れ』を行ったか...

鹿屋の隊員も随分減った。

嘉三郎たちは日に日に死に鈍くなっていくのが自分でも分かっていた。

仲間が飛び立ち機体の不調で戻った隊員への冷遇。

生きて戻ったこと恥と思い「飛ばせてくれ」と懇願する。

仲間と死ぬことだけが責務であるような錯覚を錯覚だと、多くの者は気づいていなかった。


そんなある日、誠之介が嘉三郎を呼び出して『後藤誠之介』と書かれた紙きれを渡した。

「誠之介くん、なんじゃこれは」

嘉三郎は名前だけの紙片を訝しげに見た。

「出撃が決まったんだ。でも俺には遺す形見がないから...嘉三郎くん、俺の名前を忘れんでくれ」

絶句した。

初めて死を身近に感じた。

そして、うしなう恐ろしさが染み渡るように体温を奪っていった。

「明日、三角兵舎に移る」

誠之介はそう言って去って行った。


半地下のような三角兵舎は蒸し暑く、最後の数日を過ごすにはあまりな待遇だった。

数名の女学生が身の回りの世話に付いてくれたのは有難いがこそばゆかった。

誠之介は特に遺言を渡す相手も髪の毛を遺す身内も居なかった。

後顧の憂いの無い身上。

誠之介が予科練に入れた理由の大きな部分だった。

光武隊は件の事故以来、訓練内容が変わった。

グライダー飛行の練習だった。

母機から切り離された機体での滑空飛行。

誠之介はじめ光武隊の隊員は皆、自分が乗る機体が何かを察した。


「後藤誠之介です。本日お務めを果たすに何卒お願いいたします」

一式陸攻操縦士の長島一等飛行兵は誠之介の敬礼を受け「必ず成功するよう送り届ける」と返した。


水杯から帽振れ——

嘉三郎が友を見送るのはこれが初めてだった。

一式陸攻のプロペラが速度を増して回転を始めた。

その下に小判鮫のように張り付く桜花があった。

機体が滑走路を走り出すと嘉三郎は共に駆けた。

剣も田崎もそれに続いて駆けた

腕がちぎれんばかりに帽子を振った。

もう誠之介にしてやれることはそれしか無かった。


機影はみるみる小さくなり空に昇っていった。

つい先程までの轟音も強風も何も無かったように滑走路は押し黙っていた。


飛んでしまえば意外と平静だった。

食堂でトミさんが食わせてくれた親子丼。

あの時が一番逃げ出しそうなほどに怖かった。

今は......嘉三郎たちとぼた餅を食べながらもう一度笑えたらいいと思う。

「軍隊っちゅうのはいい所じゃ。友達も出来て俺の為に泣いてくれる」

独りごちた刹那、大きく機体が揺れた。

迎撃のグラマンが上がって来ていた。

桜花の操縦士は必ず死ぬ。

だが桜花を積み速度の落ちた一式陸攻もまた多くが撃墜されて散っていった。

『被弾した、これより切り離す』

一方的に無線が切られ桜花が放たれた。

ロケットエンジンが点火されグラマンの追撃を一気に突き放した。

その後ろで爆音が聞こえた。

きっと母機は墜ちたのだろう。

桜花の射程外で誠之介を捨てれば生還出来たかもしれない。

今、この場で安全圏で嗤う者は誰一人居ない。

それは敵も味方も同じだった。

誠之介は託された。

空母が見えた。

レキシントン級ではない。

単なる軽空母だった。

それでも撃沈すれば......

一式陸攻には五名の搭乗員が居た。

託された命の重さは加速でのしかかるGの強さなど比べものにならなかった。

ロケットエンジンの加速に血流が偏り意識が途切れ途切れになった。

今見えているのは敵艦か海面か...

混濁する意識の中操縦桿を引いたのは無意識だっただろう。

機首が僅かに浮いた。

誠之介の桜花は敵艦の数m手前に墜ちて爆散した。

だがその衝撃で米軽空母は航行不能となった。


大本営発表ではレキシントン級空母一隻轟沈。

重巡、軽巡合わせて七隻大破及び中破。

今日の戦果は軽空母中破一隻だ。

軍神後藤誠之介たちの文字通り命を懸けた戦果だ。

真実を知る嘉三郎たちは誠之介に大してどんな顔をして靖国で会えば良いか、悔しくてたまらなかった。

いつか靖国で再び誠之介と語り合おうと心に誓った。

「誠之介......」

嘉三郎の小さな囁きは誰の耳に届くことなく虚空に消えていった。


7月-

その日は蝉の声が時雨のように注いでいた。

夏の雲が水平線の彼方に沸き立ち、嘉三郎たちは近所の農家さんが差し入れてくれた西瓜を頬張っていた。

この頃になると訓練以外に農作業もするようになっていた。

「嘉三郎、俺は操縦桿よりもクワを握ってる時間の方が長いかもしらん」

田崎が西瓜の種飛ばしながらボヤいていた。

「戦争はどうなるんかなぁ」

「案外すぐに終わったりしてな。アメ公だってこれ以上死んだらたまらんだろ」

田崎の楽観的な言葉はいつ出撃が決まるか分からない身には気休めにすらならなかった。

「はやく食いたいな、このさつまいも」

嘉三郎はそう言いながら農具を担いだ。

「まぁ、食えるのは秋だな」

田崎も笑いながら農具を片付け今日の作業を終えた。


兵舎に戻る前、嘉三郎たち伊吹隊は会議室に呼ばれた。

そこで特攻が伝えられた。

上官の言葉が遠くで聞こえるような気がした。

身体中の血液がスーッと下がる。

やけに空気がひんやりとした。

嘉三郎の隣で直掩機への搭乗を命じられた田崎は驚いた表情していた。

「自分も」

嘉三郎は言いかけた田崎を止めた。

「田崎、俺たちを死んでも守れよ」

そう言って肩を叩いた。

他の皆もそれに倣った。


三角兵舎に移る前に嘉三郎は田崎に遺書と髪の毛と、誠之介の名前を託した。

あの日の誠之介と同じように......


「うわ、これが明日の軍神様への待遇か?」

蒸し風呂の三角兵舎に嘉三郎が毒づくと皆がどっと笑った。

誠之介の時にはあった女学生の奉仕活動も憲兵隊からの横槍で廃止になっていた。

身の回りの事は全て自分ですることになっていた。


その晩、剣が兵舎を訪れた。

「うわ、酷いな」

その第一声に苦笑した。

「嘉三郎、俺は貴様のおかげで田崎や誠之介と仲良くやって来れた。貴様にどれだけ救われたか分からん」

真剣な様子に背筋が伸びた。

「俺も後から行く。靖国で会おう」

嘉三郎は差し出された右手を強く握り返した。

「きっと田崎は随分あとじゃ。ジジイになった田崎を、俺たちは若いままで出迎えて馬鹿にしてやろう」

そう言うと剣は「貴様のそういうところに本当に救われたんだ」と言って微笑んだ。


更に翌晩、今度は田崎が嘉三郎を訪ねた。

「馬鹿、お前は来るな」

小声でそう言ったがもう遅かった。

生き残れる役の田崎への怨嗟とも言える視線が向けられた。

「嘉三郎、来い」

田崎はそう言って嘉三郎の腕を引いた

「どこ行くんじゃ」

「街じゃ」

「なんでじゃ」

「なんでもじゃ」

「なんで広島弁じゃ」

「あ...そうだな」

田崎が戻った。

「合わせたい人がトミさんところに来てる」

田崎はそう言ってますます嘉三郎の腕を強く引いた。


トミさんの店は真っ暗だった。

でも実は中は明るい。

特攻隊員が深夜まで酒宴を開いたりするので灯火管制の遮光幕を完璧に施していた。

特に入口は厳重で、奥と手前で二重になったいた。

嘉三郎が奥の遮光幕をくぐった。

折り曲げた腰をのばし顔を上げるとそこには母の顔があった。


「嘉三郎!!」

セツがよろよろ手を伸ばす。

呉からの長旅で随分と消耗し憔悴したようだった。

「兄さま」

「兄ちゃん」

佳代子と末男が腰と足に手を回した。

三人が嘉三郎と抱き合う上から最後に留男が抱擁した。

「父さん」

嘉三郎が呼び掛けると返事の変わりにきつく抱きしめられた。


トミさんの計らいで一席が設けられた。

末男は見たこともない料理に目を白黒させていた。

無理もない。

末男が生まれてまもなくしてこの国は開戦したのだ。

嘉三郎は自分のオムライスを取り分けて末男に分け与えた。

末男は一口食べるとぶるぶると身体を震わせて花が咲いたような笑顔を見せた。


「田崎さんが電報で知らせてくれたの」

セツが不安気に言った。

軍規も検閲もあるから本当のことは打てなかっただろう。

それでも田崎は両親が察するように知らせてくれた。

留男がテーブルに静かに石を置いた。

懐からまるで慈しむように。

一瞬の無言のあと「一太郎だ」と告げた。

嘉三郎は石と父を交互に見た。

「インパールから骨箱にこれだけ入って帰ってきた」

「...兄さん」

嘉三郎には兄が二人居た。

ひとりは幼くして夭折した次兄の健二。

そしてひとりが今対面している一太郎だった。

海軍では遺体や遺品の回収が困難なことが多いが、今や陸軍までこのような難局とは...

「お父さん、お母さん。私は近々作戦に参加することになります。17年間、返し切れないほどの御恩と愛情を頂きました。その一切を返せぬままとなるかもしれません。でもその時は嘉三郎は立派に務めを果たしたと褒めてやってください。今まで大変お世話になりました。七度生まれこようとも、またお父さんお母さんの子供に生まれて来ます。ありがとうございました」

深々と頭を下げた。

遺言を読み上げるような、そんな挨拶だった。

「兄さま。どうぞ銃後の守りは心配なさらずに、お国のために死んで下さい。これは花嫁ではなく私です。同じモンペでしょ」

佳代子が歩み寄り屈託のない笑顔で言った。

差し出した人形は有り合わせの布地で作られた粗末なものだった。

佳代子が差し出した粗末な人形を、嘉三郎は両手で受け取った。

小さな布切れの温もりが、どんな軍令よりも重かった。

「佳代子は私と一緒に空を飛ぶのだね」

そう言うと佳代子はとても嬉しそうだった。


「帽振れー!」

そんな掛け声があったのだろう。

プロペラとエンジンの唸りで嘉三郎には何も聞こえて来ない。

だが隊員達が高々と帽子を掲げて振る姿にそう思った。


嘉三郎達に与えられた機体は赤とんぼだった。

零戦は直掩機に回された。

桜花に至っては一式陸攻の犠牲も鑑みると一時中止が妥当だった。

嘉三郎は今となっては懐かしい複葉の練習機の計器を撫でるように指で辿った。


隊長機が飛んだ。

ふわりと浮くように滑走路から車輪が離れた。

皆それに続いて離陸する。

田崎ら直掩機は僅か数機。

赤とんぼの上で護りについた。


田崎の姿が見えた時、嘉三郎は一度手を振りぼた餅を食べる真似をした。

そして敬礼。

田崎もそれに倣う。

刹那、火線が走った。

迎撃のグラマンの歓迎の咆哮だった。

数機の赤とんぼが墜ち、海面で砕けた。

田崎達が必死の反撃をする中、赤とんぼ達は標的に向かった。


不思議だと思った。

高射砲や艦砲射撃、敵味方の銃声に撃墜音。

むき出しのコクピットに否応なく音は飛び込んできている。

なのに嘉三郎の心は静寂そのものだった。

低速でも安定する赤とんぼ。

空よりも海が近かった。

「誠之介、俺も空母が相手じゃ」

低空からそびえ立つ灰色の壁を駆け上がるように嘉三郎が操縦桿を引いた。

甲板から見れば海から飛び出したように見えたかもしれない。

空母直上に位置を取ると背面を向く。

そしてそのまま機首を真下に向けると速度を増して落ちて行った。

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