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さよなら夏の日  作者: 浅見カフカ


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第7話 薄雲

「嘉三郎くん、僕の曽祖父は特攻隊員だったんだ」

遊就館を後にして入った喫茶店。

京さんがアイスコーヒー手にして言う。

「呉で同期に貰ったぼた餅が美味かった。別の同期は落語が達者で爺さんと行った寄席を思い出したとか、手紙には訓練のことなんてひとつも書いていなかったって」

アイスクリームに至福の笑みを浮かべていたかっちゃんの動きが止まった。

「飛ぶ前に戦争は終わったのかい?」

「8月15日に飛んだって。そして祖母はその日に生まれた」

京さんは首を振って遠い目をした。

見知らぬあの日を見通そうとしているように見えた。

「そうか...飛んだのか」

最後に多分『アイツも』と唇が動いたように見えた。

「なぁ、かっちゃん。なんか他にやりたいこと知りたいことは無いか?」

俺がそう聞くとかっちゃんは首を横に振った。

「逃げてもいいんじゃないっすか?ぶっちゃけ俺みたいに昔のことを知らない奴も多いっす。そんな未来人の為に死ななくてもいいっす」

翔太が不思議と必死だった。

さっきの遊就館での件で翔太なりに申し訳なく思っているようだ。

「ありがとう、でも無理なんだ」

「なんとかして逃げてさ、そうだ爺さんになったかっちゃんと俺たちで再会しようよ!!俺たちとって明後日、8月15日かっちゃんにとっては...」

「80年後だ」

俺が計算に手間取っていると、京さんが横から続けてくれた。

「なっ」

京さんからかっちゃんに視線を再び移した。

「ありがとうな、シュンくん。でもそれは手遅れで無理なんだ」

「未来は変えられるって」

我ながら臭いセリフだと思った。

「変えなくていい。未来の日本はとても素晴らしい世界だ」

そう言ったかっちゃんが薄く見えた。

「ボクは未来を奪われるんじゃないんだ。シュンくん、キミたちに託すんだ」

気のせいじゃない。

ソファーの背もたれが透けて見える。

「ちょ、」

俺はかっちゃんの手を掴もうと手を伸ばした。

「人形、頼むな。妹は連れていけな...」

一瞬、触れた。

指先にかっちゃん温度が確かにあった。

でも次の瞬間俺の手は空を切り、そのままバランスを崩してテーブルのグラスや皿を落としてしまった。

グラスと皿の割れる大きな音と共に大きな喪失感が残った。



「!?」

一瞬、夢を見ていたようだ。

不思議な夢だった。

高層ビルに囲まれた東京と屈託のない若者。

きっと平和な未来を望んだ自分の白昼夢だったのだろう。

懐に妹のくれた人形の感触が無かった。

ふっと笑いが零れた。

「夢じゃないんだな、シュンくん」

次の瞬間、轟音と衝撃と光が嘉三郎を包んだ。


この日12機中2機が突入に成功。

軽空母大破、軽巡中破の戦果だった。

大本営は相も変わらず誇大な...いや虚偽の発表を報じた。

直掩機は2機が未帰還となった。

田崎は帰還すると便所で吐いていた。

胃には何も無かったが吐き気が止まらなかった。

(戦果の有無に関係無く国民に知らせるなら、特攻などさせずに発表だけすればいい。誠之介が逝った。嘉三郎が逝った。このままでは我が国は大戦果を上げ続けて滅亡するぞ)

田崎は口元を拭うとその手で壁を殴った。


「田崎!!」

廊下を幽霊のように歩く田崎を呼び止めたのは剣だった。

「嘉三郎は...勇敢だったか」

「聞く必要はあるか」

いつも飄々とした風の田崎ではなかった。

「すまん。嘉三郎に対して失礼だった」

「直掩機なんて無意味だった。俺は俺の身を守るだけで精一杯で、嘉三郎は爆弾だけ抱えてあの赤とんぼで突っ込んだんだ!その問いは、その問いは......臆病者の俺にこそすべきものだ」

田崎は剣の胸に拳を当てて叫んだ。

最後の言葉は喉の奥から搾り出すようにかすれ震えていた。

剣は田崎の拳を受けたまま何も言わなかった。



空襲は日に日に激しくなり、先日は三角兵舎付近で女学生がひとり犠牲になった。

20mmの直撃。

遺族ですら名札を見るまでは判別出来ない程に凄惨なものだった。

少女ひとりを機銃掃射で葬らなくてはならないほどにアメリカは逼迫しているのか。

もう誰の目にもこの戦争の帰結は明らかだ。


(ならば本当の敵は誰だ)


剣は大きなため息を吐いて万年筆を置いた。

考えても詮無きことだ。

(俺は俺のすべき事をすべき時にするだけだ)

剣はそれが家族を守る為の唯一だと思っていた。

新妻と今度生まれて来る子供を守る唯一だと。



拝啓ツル様


隊で友人が出来きました。

ひとりは愛国心の塊のような男で私よりも4つも年少です。

彼の家族からの差し入れのぼた餅をひとつ頂きました。

この戦時下にあんな甘いものが食べられるとは思いませんでした。


ひとりは落語が達者な男です。

彼の芝浜に祖父と行った浅草の寄席を思い出しました。

彼は気持ちのいい男です。

私たちは彼の人柄で繋がっていました。


ひとりは掴みどころのない皮肉屋で、正直私は彼を好いてはいません。

好いてはいませんでした。

でもそれは彼の表面しか、彼が見せようとしていた所しか見ていないことに先日気付きました。

誰よりも熱く、その想いを決してひけらかさず胸にしまう男の中の男だと思いました。


いつか彼らと靖国で会えるなら、どんな強大な敵にも立ち向かえそうです。


もうすぐ赤ん坊が生まれますね。

男なら智和、女なら桜子はどうでしょうか。


きっとこれからの時代は叡智を以て和を築く世となると信じて。

キミと出逢った桜の季節を想って。


どちらでもキミに似て可愛らしい子になると思います。

どうかお身体ご自愛ください。


坂田剣



7月も末になると直掩機隊も解体された。

田崎は航空基地横にある壕に移動となり毎日モールス信号を受けることになった。

念願のトンツー。

だがこれは悪夢の始まりだった。


『我 敵艦二 突入ス』


ツー

長音がヘッドホンから聞こえる。

この長音が途切れた時が隊員の死を意味する。

死神の音。

断末魔。

その長音を数える。

1、2、3、4.........

10秒なら命中、未満なら撃墜。


気が狂いそうだった。

来る日も来る日も隊員が死ぬ瞬間を聞き続けた。

そして8月--

剣が田崎を訪ねて来た。

嘉三郎が特攻した日からひと月。

剣の手には封筒が1通あった。

「決まったよ」

田崎が生唾を飲み込む。

動揺していたのは田崎の方だった。

「お前には辛い役目負わせることになるが、これを俺の妻に渡してくれ」

その言葉に内心、死ぬより辛い役目があるものかと田崎は強く反発したがそんな正論など剣がよく分かっている筈と「必ず」それだけ言って封筒を受け取った。

別れ際の剣の顔は記憶に無い。

すりガラスの向こうを見るように滲んでいた。



蝉時雨の中、田崎たちは滑走路に集められた。

久しぶりに見る滑走路には零戦も艦爆も無かった。

何よりもあれだけ居た隊員の姿ももう僅かだった。

整列した田崎たちの前にラジオが置かれた。

「これより天皇陛下より勅旨を賜る!」

直立した上官の怒声の方が後の聞きなれない声よりも印象的だった。


『朕深ク世界ノ大勢ト 帝国ノ現状ト二鑑ミ 非常ノ措置ヲモッテ時局ヲ収拾セント欲シ ココニ忠良ナル汝臣民二告グ

朕ハ帝国政府ヲシテ 米英支蘇四国二対シ ソノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ』


田崎は膝をついた。

周りではすすり泣く者、意味を尋ねる者と多様だったが田崎は膝をつき空を見上げ放心していた。

青く澄んだ空にかかる薄い雲が美しかった。

つい2時間前に剣が飛んだ空だった。


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