第5話 桜花
むせかえるような蝉の声に押されて俺たちは扉を開いた。
京さんが「こっちだ」と呼ぶ。
そのまま引率されるようについて行くとそこには無数の写真があった。
「靖国に祀られる御祭神は現在246万余柱だそうだ」
京さんの言葉にかっちゃんが絶句した。
「驚くよな、嘉三郎くん。大東亜戦争前の御祭神はそこまでではなかったよな」
かっちゃんは唾を飲んで頷いて言った。
「16万余柱」
正直、俺にはよく分からなかった。
「ここにある写真はご遺族が奉納されたもので1万柱ほどあるらしい」
「総長、柱って何ですか?」
俺には京さんのような学が無かった。
「日本男児は戦で命を落とすと靖国神社で神様として祀られるのは分かるか?」
「はい。それは知ってます」
「そして神様を数える時の単位が柱なんだよ」
そうやって世間の常識を教えられているうちにかっちゃんは奥の方へ行ってしまった。
それにしても若い人の写真がとても多い。
俺と変わらない人達が、時を止めたそのままにここに居ると思うと、柱ひとつ知らずにいた自分が恥ずかしく思えた。
かっちゃんを見つけた。
ガラスの向こうの墨で書かれた何かを見ていた。
「ああ、中将は約束を守られたのですね」
震える声でそう言った。
そして滂沱のごとく涙を流しながら展示物に敬礼をした。
美しい...
俺はしばらくその姿に見惚れていた。
一般の、周りにいた人達には奇異に見えたかもしれない。
それでも指をさしたりスマホを向けたりする人は居なかった。
「かっちゃん、この遺書は?」
俺は何度目かの逡巡の後に声を掛けた。
「これは大西中将の遺書です。日本は本当に負けたんだね。」
「ああ」
「大西中将は特攻隊の出撃の日に『俺もあとから行く』と約束して我々を空に送ったんです」
俺はもう一度この遺書に目を落とした。
「かっちゃんは特攻隊員だったんだね」
「.........そうだ」
絞り出すようにそう答えた。
直後、近くでそれを聞いていた翔太が馬鹿なことを、本当に愚かなことを言ってしまった。
「えっ、俺らと同じ特攻隊だったの!?」
驚いた顔でかっちゃんは振り向くと「どういうことだ?戦争は終わったんじゃないのか!?」と翔太に詰め寄った。
そして俺を見た。
「シュン君?」
俺は右手で顔を覆った。
「俺たちバイクで赤信号とかぶっ込んでチームが通れるように交差点停めたり、敵のチームとの抗争の時には一番槍で突っ込む特攻隊なんすよ」
(おまえは喋るな)
そんな願いも虚しく翔太がくだらない武勇伝を話す。
かっちゃんの表情が見ていられないくらいに紅潮して目が険しくなる。
あの顔だ。
翔太を組み伏せた時の表情。
マズイと思った。
駆け寄ろうとした時、かっちゃんの手が翔太の肩に置かれた。
「それ以上、散華していった特攻隊を貶めないでくれ」
静かにそしてとても悲しい顔だった。
きっと翔太は一瞬の鬼神のような表情を見たのだろう。
呆けた顔で「はい」と答えた。
京さんが翔太を連れて行った。
「未来は...この国は嘉三郎くんが守るべきものか、見ていってくれ」
そう言い残して。
それからかっちゃんは館内の展示を見て回った。
俺が話しかけた時だけポツポツと話してくれた。
「かっちゃん、この人形は?」
俺はくすんだ人形とも呼べないような人形を指して聞いた。
「隊員の多くは十代後半から二十代前半。結婚もしないで死地に赴いたんだ。それを不憫に思った家族や女学生達が花嫁の代わりに持たせたり死後に贈ったりしたものだよ」
そう言うとかっちゃんは懐に手を入れて一体の人形差し出した。
「妹がくれた人形だ。シュン君にあげるよ」
俺はそれをじっと見詰めて本当に貰っていいのか考えてしまった。
『兄さま。どうぞ銃後の守りは心配なさらずに、お国のために死んで下さい』
あの日、妹の佳代子はそう言ってこの人形を嘉三郎に渡した。
『これは花嫁ではなく私です。同じモンペでしょ』と揃いの生地を見せて屈託なく笑った。
そういう時代だった。
それが正義と疑わない時代だった。
「頼む、貰ってくれ」
かっちゃんの強い言葉に押されるように手が出てしまった。
俺の手のひらに人形を乗せると「ありがとう」と笑顔を見せた。
人形はとても軽くて薄かった。
特攻隊員の遺書を悲しそうに見詰めるかっちゃんの隣で俺は不覚にも号泣してしまった。
そんな俺にかっちゃんはまた「ありがとう」と言った。
とても優しい顔だった。
俺たちは再び入口のロビーに戻った。
戦車や零戦が展示される中、かっちゃんは吊るされた小さな飛行機の前に立った。
他の機体に比べるととても貧相で頼りなく見えた。
しばらく見上げると深々と頭を下げ小さく呟いた。
誰かの名前を呼んだようにも見えたが俺の位置ではよく聞こえなかった。
『桜花』
銘板にはそう記されていた。




