第3話 七つ釦
「シュン君、これは不敬だよ!ダメだ絶対に」
突然両目を手で覆いしゃがみ込む。
さっきまで展望台から見える高層ビル群に興奮していたのに、支離滅裂だった。
「未来の東京の街を見てみたい」
そう言うのでサンシャイン60の展望台に連れて来た。
かっちゃんが「あっちが土浦の方で、向こうに陸軍の飛行場」と子供のように指をさして教えるから人目が気になって恥ずかしかった。
そして一旦黙り込むと「あの焼け野原が...」と言葉を詰まらせた。
俺は次にかっちゃんが話し始めるのをじっと待った。
かっちゃんから聞いた話だ。
3月10日の東京大空襲の時、かっちゃんは迎撃に出ることも叶わず基地に詰めていた。
未明の東京方面の空が昼間のように明るく見えたそうだ。
飛来したのはB29だと音ですぐに分かった。
4発(多分プロペラのことだと思う)のこもった反響音が特徴的だった。
ガソリンと想像もしたくない何かが焦げる臭いが基地まで届いた。
炎に照らされた無数の爆撃機の影が空を覆い尽くしていて、あの下には地獄があるのだと思った。
かっちゃん達の戦闘機では夜には戦えなくて、後日壊滅した帝都の瓦礫に呆然とした。
そうしてビルに溢れる東京に唖然としてはしゃいでいたら突然これだった。
「どうした、かっちゃん」と声を掛けると「皇居を見下ろすなんて不敬罪で捕まってしまう」と理解に苦しむことを言い出した。
いやそもそもファミレスでの話から怪しさ満点だった。
予科練とか空襲とか、ガチでやべぇ奴だと思ったけどクスリやハッパの匂いはしなかった。
キマってる訳ではなさそうだった 。
そして着ている服が昔、学校で観た戦争映画によく似ていた。
「なぁ、かっちゃん。さっきのファミレスの話、マジか?」
「嘘は何も言っていない」
真っ直ぐ目を見て顔を上げる。
「じゃぁ、かっちゃんが未来に来たのは何か意味があったんじゃないのか?」
「分からん」
「例えば未来の出来事を知って過去の...かっちゃんの時代の誰かを救うとか日本を勝たせるとか」
そう言うと寂しそうに首を振った。
その意味を俺は最後まで知ることは無かった。
「でも、そうだな。未来を知っておいてもいいかもしれないね」
かっちゃんは立ち上がると「何かそういうのが分かる所に連れて行ってくれ」とざっくりとしたお願いをしてきた。
俺はスマホでググると近くに(と言っても新宿だが)良い場所を見つけたのでかっちゃんをZⅡのケツに乗せた。
生ぬるい湿度をビル風が運ぶ。
アクセルを開けるとマフラーから爆音がこだました。
車の間をすり抜けながら明治通りに出た。
そこから雑多な街を通り新宿通りを曲がると駅の方向かった。
かっちゃんは今のこの街を、人の群れをどう見て感じているんだろうか?
「................」
かっちゃんが首を折れんばかりに曲げて上を見上げている。
「なぁシュン君、東京は、日本はこんな高いビルディングばかりなのかい?」
「いやぁ、分かんね。でも地方はこんな感じまではなってないんじゃないのかな」
「そんないいから」と俺はかっちゃんを引っ張って目の前の高層ビルに入った。
ここの33階に戦争の資料館があるらしい。
エレベーターを降りるとかっちゃんは少しよろけた。
酔ったらしい。
エレベーターで酔うやつを初めて見たので笑ってしまった。
資料館でかっちゃんは呆然と言葉を失っていた。
ここは敗戦時に命からがら引き揚げた人やシベリアに抑留された人についての資料館だった。
唇がわなわなと震えていた。
「どうして...」
振り絞った言葉が小さく零れた。
展示をいくつか回るうちに「知ってる!」と立ち止まったブースがあった。
義烈空挺隊とパネルにあった。
「予科練にまでこの戦果報告が届いたよ」
「この人達は予科練の人じゃないの?」
俺が尋ねると「彼らは陸軍で自分は海軍だ」そう答えた。
「陸軍って飛行機持ってるんだ!それとかっちゃんって空軍じゃないの?」
素朴な疑問だった。
「陸軍は陸軍で開発した航空機を持ってるし、大日本帝国に空軍は創設されてないよ。海軍、陸軍それぞれに航空隊があるんだ」
「へー」
素直に感心したが、ともすれば気の無い返事に聞こえたかもしれない。
そんな事を気にしていたらかっちゃんが「これって何だ?」と俺の袖を引いた。
そこには『ヒロシマ』『ナガサキ』『原子爆弾』の文字があった。
街ひとつ消えるヤバい爆弾ってのは知ってるけどイマイチ詳しく分からない。
「ごめん。俺な、勉強キライなんだ。それに歴史とか社会に出てからは必要ないじゃんってナメてて...」
俺じゃぁもう答えきれなくて、あの人を頼ろうと思った。
待ち合わせ場所を靖国神社にしたのはかっちゃんの希望だった。
「なんか、不思議な気持ちだ」
静謐で厳かな空間にかっちゃんが清しい顔をした。
二礼二拍手一礼、かっちゃんは暫くの間深々と最後の一礼をしていた。
そこに来たのは京さんと案内をする翔太だった。
俺は京さんの元に駆け寄ると前屈に近いくらいに腰を曲げて挨拶をした。
「総長を呼び付けるようなマネをして申し訳ありません。お越しいただき」
「あぁ、いいよそういうのメンドイから」
京さんはそう言って俺の言葉を制すると「で、ソイツ?」とかっちゃんを見た。
「坂上嘉三郎です。故郷は広島です」
俺たちとの初対面のときと同じ挨拶だ。
昔の人には出身地を名乗るルールでもあったのだろうか?
「ダークアズラエル初代総長、御影京だ」
そう言って京さんが差し出した右手をかっちゃんは力強く握った。
「京さん、自分この国がやった戦争とかイマイチ分かんなくて、その京さん超詳しいっつーか」
俺が緊張でしどろもどろで説明していると京さんの視線がかっちゃん胸元へ吸い込まれた。刹那、表情が変わった。
そして次の瞬間にはもうかっちゃんの胸ぐらを掴んでいた。
俺はかっちゃんが何か失礼をやらかしたんじゃないかと焦って、とにかく謝ろうと口を開きかけた瞬間だった。
「嘉三郎君、この七つ釦どうした?」と京さんは驚いた風で見詰めていた。
「総長、信じられないかもですが、かっちゃんはこの時代に...」
「いや、信じるわ。こんなんコスプレとか有り得ねぇし」
京さんは続けた。
「空手崩れの翔太が組み伏せられたって聞いてどんな大男かと思えば、失礼ながら小男だ。だが嘉三郎君のこの手は本物の兵士の手だ」
京さんはそう言って再び豆とタコだらけの手を取った。
「なぁ嘉三郎君。キミがこの時代に来た意味は分からない。でもきっと意味はあるだろう。そしてその一助になる場所を紹介するよ」
「ありがとう、御影さん」
礼を言うと「京でいいよ。それにこれから見るものが、嘉三郎君にとっては絶望かもしれない」
厳しい表情の京さんに僅かに影を見たような気がした。
「ここだ」
京さんが俺たちを案内した場所は遊就館と書かれた施設だった。
俺はこの先で見るだろう事実に少し震えた。
かっちゃんにとっては生きた時代の結果だ。
表情は硬く、唇は真一文字に結ばれていた。




