第2話 予科練
当時の日本は戦時体制下にあり、嘉三郎も例外なく軍国少年だった。
広島生まれの彼は、呉の港でずらりと並ぶ軍艦を目にするたび、大声で日本海軍の歌を歌い、胸を張った。
鉄の匂いと潮の香りに彼の小さな足音が溶けこんでいった。
12月8日の興奮と熱狂は嘉三郎にとって忘れられない日になった。
映画館、食堂、銭湯、各家々から喝采が上がりラジオに向かって万歳をする人々が大勢居た。
あの仇敵、アメリカのハワイに南雲中将が大艦隊を率いて殴り込みを仕掛けたのだ。
振る舞い酒を始める商店もあった。
嘉三郎もいつかアメリカを倒すんだと拳を握り締めて、高鳴る胸に頬を紅潮させた。
この時はまだ日本が辿る過酷な運命を予測出来る者は僅かしか居なかった。
昭和19年、16歳の年に嘉三郎は予科練への入隊を希望した。
前年は身長が足らずに臍を噛んだが成長期を迎えた今年は一気に伸びて160cmになった。
傷を付けた柱の前で弟と何度も万歳をした。
試験も難なく通過した嘉三郎は海軍航空隊のある土浦に向かった。
祖母が「これからお国のために捧げる身体じゃから」と東京で遊山してから行くように小遣いと1泊分の米を嘉三郎に握らせた。
出立の日は町内会総出見送りに駅は大混雑の熱狂だった。
出征兵士を送る歌の大合唱が蒸気機関車の車輪の軋みよりも大きく遠くまで聞こえた。
4つ下の妹の、いつまでも手を振る姿がいじらしく思えた。
上野駅は噂に違わぬ立派な駅舎だった。
汽車を降りた瞬間、呉では見たこともない人の群れとざわめきに胸が高鳴った。
あまりにキョロキョロと注意散漫に歩いたせいで、京成電気軌道の通路でアーチ型の柱にぶつかり、周囲の人たちに笑われてしまった。
嘉三郎には東京でどうしても見たい場所があった。
それは前年に廃止された万世橋駅前に立つ軍神・廣瀬中佐の像だった。
教科書で何度も読み、唱歌で何度も歌った廣瀬中佐。その像だけはどうしても拝まなければならぬと思っていた。
念願かなって像を仰いだ瞬間、嘉三郎の目からは知らぬ間に涙がこぼれ落ちていた。
老婦人がそっとハンカチを差し出したことで、初めて自分が泣いていたことに気づいた。
気恥ずかしさから思わず「呉から出てきて、明日から予科練に入るんです」と言葉がこぼれた。
老婦人は黒い着物の裾を正し、深々と頭を下げて「ありがたい護国の軍人様じゃ」と呟いた。
嘉三郎の胸は熱くなり、泣き顔のまま精一杯に胸を張った。
翌朝一番の列車に乗って土浦を目指した。
朝の空気はまだ冷たく身の引き締まる思いだ。
だがそれも帝国軍人となる第一歩と思えばむしろ感謝しかない。
周りを見回せば嘉三郎と変わらない歳の少年達が頬を紅潮させて列車の進行方向を見詰めていた。
期待と決意満ちたいくつもの瞳。
きっと皆、同じ兵学校の同期の桜たちだろう。
大丈夫、この国は必ず米英西欧を打倒して八紘一宇の大東亜共栄圏を築くに違いない。
嘉三郎は胸が炎のように熱くなるのを感じていた。
熱かった。
頬が、背が、尻が焼け付くように熱かった。
理由は分からない。
いや、理由なんてどうでもいい。
とにかく今は嘉三郎たちは殴られる時間で、彼らは殴りつける時間なのだ。
声が小さい。
整列が遅い。
中には気に食わないと殴られる隊員も居た。
つまり殴る理由などどうでもいいのだ。
軍隊としての上下叩き込む時間で通過儀礼の時間なのだ。
ドサッと米袋を放ったような音がした。
比較的小柄な同期が背中からの竹刀の一撃に倒れた。
すかさず怒号とバケツの水が浴びせられた。
それでも起きない彼に二杯目が浴びせられようとしたその時、嘉三郎たちを殴り付けていた下士官の動きが止まった。
両足の踵をピタリと付けて直立のまま敬礼をした。
敬礼を向けられた男は下士官の前に立つと無言でその右頬に裏拳を叩き込んだ。
「この予科練の隊員は陛下から下賜された隊員だ。理由なき体罰は全て禁じる」
その力強い宣言に嘉三郎たちは心酔した。
一瞬でこの男、八代教官が嘉三郎たちの絶対となった。
故に以降の『理由ある体罰』の全てが殴られる側にも納得された。
畳んだベッドのシーツの角が合っていない。
小銃の組み立てが3秒遅い。
土嚢の背負い方が美しくない。
その度に竹刀が振るわれた。
やがて竹刀は精神注入棒という名を賜ったありがたい棒切れに変わった。
結局は理由を作られては殴られる生活だった。
結局は八代教官の人心掌握術だった。
それでも納得することが嘉三郎たちの心の拠り所になった。
後藤誠之介という同期が居た。
麦飯をいつも美味そうに食う男だった。
「美味いか?」
一度小声で聞いたことがある。
すると誠之介は「軍隊っちゅうのはいい所じゃ。メシも服も寝床もあたる」と嬉しそうに答えた。
後で聞いたが誠之介は東北が大凶作に見舞われた際に身寄りを無くしたそうだ。
誠之介はそんな生い立ちを微塵も感じいさせない男だった。
食い詰めた生活で恵まれたとは言えない体格だったが誰よりも大きく見える時があった。
同期は皆、誠之介を慕っていた。
坂田 剣という男は名が表す通りの近寄り難い男だった。
どれだけ殴られても前に出る男だった。
剣はいつしか教官にも一目置かれるようになっていた。
土嚢を背負い走っている所を精神注入棒で殴られて転倒したことがあった。
剣は黙って土嚢を背負い直すとそのまま走り出した。
その日の訓練の終わり、別の同期が剣を見て大声を上げた。
教官がまた殴りに来たが、指を指した先の剣を見ると慌てて医務室へ連れて行った。
剣の小指は外側に直角に曲がっていたそうだ。
転倒した時に折れていたらしい。
以来、剣は殴られる事がほとんど無くなった。
予科練は選抜された者たちが集まる場所だけに嘉三郎の成績は可もなく不可もなくというところだった。
座学も訓練も頭抜けて優秀というものはなかった。
良く言えば万能、実際は器用貧乏だった。
「嘉三郎、俺はダメだ」
重荷訓練の最中、田崎は実に簡単に弱音を吐いた。
「田崎お前何を言うとるんじゃ」
嘉三郎は呆れ果てたように田崎の背嚢を叩いた。
田崎は座学の成績はすこぶる優秀だったが体力面は絶望的に軍隊向きではなかった。
「俺はトンツーをやりたいんじゃ」
息も絶え絶えに。
それでも歩くのを止めない田崎に、根性は向いていそうだと嘉三郎は思った。
日々訓練に勤しむ嘉三郎たちに衝撃的な報せが届いたのは10月26日のことだった。
レイテ沖海戦にて敷島隊が神風特別攻撃隊を編成し体当たり攻撃にて敵空母セントローを撃沈せしめたという大戦果のだった。
そして敷島隊の五人、そのうちの四人が嘉三郎たちの土浦の先輩たちだった。
その事実に全身の血が滾った。
湧いた。
この日、予科練出身の軍神の誕生に教官も訓練生も歓呼の雄叫びをあげた。
日本は必ずや米英を屈服させ勝利を英霊に捧げると肩を抱き合い誓った。
この時の嘉三郎達はまだ知らなかった。
特別攻撃隊が特別では無くなる近い未来を。
そしてこの敷島隊の成功こそが特攻推進派を後押しするきっかけとなったことも。
11月、敷島隊の興奮まだ冷めやらぬ中だった。
嘉三郎たちの練習機の操縦訓練が始まった。
晴れて予科が取れて飛行練習生となった。
九三式中間練習機、通称赤とんぼ。
これが嘉三郎たちの最初の愛機となった。
意外な才能を見せたのは誠之介だった。
とにかく着陸が抜きん出て上手かった。
あれなら飛行甲板にも着艦出来そうな腕前だ。
教官も「無駄に上手いな」と皮肉混じりに褒めるほどだった。
「お前たちに当たるかは分からんが、零戦はもっと難しいぞ」
操縦桿を必死で引く嘉三郎の後ろから教官の檄が飛んだ。
嘉三郎は「はい」と返事するのが精一杯だった。
年が明けての訓練でこんなことがあった。
剣の操縦する赤とんぼのフラップが飛んだ。
左翼から何かが外れたかと思った次の瞬間には整列する嘉三郎たちの脇に落ちて地面に突き刺さった。
後に分かったことだが原因は金属疲労だった。
フラップが巻き起こした砂ぼこりが晴れた向こうに剣の赤とんぼが見えた。
運命に抗うように必死で羽ばたく蜻蛉のように見えた。
誰しもが剣の死を確信に近い予感で抱いていた。
「剣ーーーーっ」
声を張り上げ喉が裂けんばかりに皆が叫んだ。
キャノピーも無い複葉機の赤とんぼ。
それでも人間がどれだけ叫ぼうともエンジンと風の音で届くことは無い。
それでも声をあげ続けた。
剣の赤とんぼが揺れながらも右旋回を始めた。
ゆっくり回りながら下降する。
剣は低速でも安定飛行出来る複葉機の特性を上手く利用しているように見えた。
エンジンを絞り下降し、機首が下がりすぎる前に速度を上げ機首を上げる。
皆の絶叫はやがて応援へと変わっていった。
機体のバンクをエルロンで調整すると剣は着陸体制に入った。
フラップが使えない以上はエンジンのコントロールで機首角度を調整する以外に無い。
皆、固唾を飲んだ。
さっきまでの応援が嘘のように、息すら止めて着陸の瞬間を見守った。
土埃が舞う。
主脚が滑走路を捉えた瞬間だった。
再び歓声が上がった。
剣の機体は滑走路の端まで走ってようやく止まった。
剣は機体から降りると駆け寄る同期達を制して教官の前に立ち敬礼をした。
そして「報告します!坂田剣、畏れ多くも陛下より拝借しました機体を損傷させてしまいました」と開口一番言ってのけた。
これには教官も一瞬言葉を詰まらせた後に「整備班と原因の特定をせよ」と命じて全員を解散させた。
その晩、消灯時間を過ぎても就寝する者は居なかった。
剣はもちろん嘉三郎ら他のパイロット候補生、そして整備班の全員が赤とんぼを囲んで事故の原因を探っていた。
誠之介は何度も何度も「剣君は格好良かったなぁ」と言い、その度に田崎が「報告します!」とモノマネをして剣に蹴られていた。
その度に皆が大笑いをした。
その様子はきっと教官たちも分かっていたはずだが今夜ばかりはお目こぼしをくれたようだった。
嘉三郎の中でこの国の勝利はもはや揺るぎないものになっていた。
皇紀も2600年を超え、千代に八千代に皇国の繁栄は約束されたものだと胸を熱くした。




