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さよなら夏の日  作者: 浅見カフカ


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10/11

第10話 佳代子

かっちゃんがいた。

写真の中のかっちゃんは、大人びて見えた。

飛行帽を被り、ゴーグルは額に当てている。

「ゴーグル付きの半キャップみたいっすね」

翔太が隣から覗き込んできた。

俺は、かっちゃんとの再会を邪魔されたような気分になって、少しムッとした。


『坂上嘉三郎 飛行特務少尉 17歳』

写真の下に添えられた銀色のプレート。


「かっちゃん、偉かったんだな」

俺がそう言うと、京さんが教えてくれた。

「多分それ、二階級特進後の階級じゃないかな」


「京さんって、やたら詳しいですよね」

かねてから思っていたことを、つい口に出してしまった。


「んー。田崎の爺さんのせいだな」

「誰です、それ?」

「ああ。特攻で死んだ俺の曾祖父ひいじいさんの戦友でさ。まぁ、色々教えてくれたよ。おかげで自分でも知りたくなってね」

京さんは、少し間を置いて付け加えた。

「もう死んじゃったけどな」


遺族から寄贈された遺書があった。

かっちゃんが父親、母親、弟妹、祖母に宛てたものだった。

「昔の人ってさぁ」

また翔太だった。

「めちゃくちゃ字、上手くないっすか?」

それは俺も思った。

「上手いよなぁ」

「シュンさんとタメっすよ」

「ぅっせーな」

俺は翔太を肘で小突いた。

と、その時ある名前に目が止まった。


『田崎(旧姓 坂上)佳代子様より寄贈』


「京さん!」

思わず大きな声を出してしまった。

「京さん。この田崎佳代子って、さっき言ってた田崎の爺さんの?」

京さんは黙り込んだ。

何か考えているようだ。

「鈴木や高橋なら偶然もあるけど田崎って学年に一人すら居ないかもな苗字だよな」

京さんは俺に話し掛けたのだろうか、それとも考えをまとめる為の独り言だろうか。

「行こう!」

「行こうって?」

「田崎の爺さんの家だ」

京さんはそう言うと出口に向かって歩き始めた。


東京を出て鹿屋に来て、俺たちは今、島根に向かっていた。

予算の都合で高速バスに揺られている。

カーテンの隙間から覗くと、灯りが点在する太い道だった。

「京さん、家知ってるんですか?」

「小学生の頃、1度だけ行った」

「忘れてないんですか!?」

「大丈夫。田舎だからそんな景色も変わってないだろ」

さりげなく失礼だ。

「京さん、見ましたか?」

翔太が思い出したように言う。

「かっちゃん、遺書にも七生報国って書いたっすね。座右の銘ってやつっすかね」

「翔太も座右の銘って言葉、知ってたんだな」

京さんが可笑しそうに言った。

「嘉三郎くんはこの国を愛していたんだよ」

そして少し寂しげに言った。

その言葉にそこまで国を愛せる意味を考えてしまった。

正直俺は何も考えたことが無かった。

国を愛するって何だろう。

カノジョとかを大事に思うのと同じだろうか?

それとは違う気がする。

チーム同士の抗争で地元を守るとか仲間を...

いや、一緒にするとかっちゃんが怒るな。

ああ、でも地元が好きってのはどうだろう?

商店街の肉屋のコロッケとか、八百屋のおっちゃんとか。

この令和の時代に、ぶら下げたザルに金入れてるとかエモ過ぎる。

不思議だな。

SNSやインターネットで世界が広がったと思っていたけど、俺は地元しか知らない。

かっちゃんはこの国を、この国そのものを愛していた。

視野は俺より遥かに広かった。

そして狭いコックピットで世界を知ることなく、たった一人で逝った。

バスの揺れとエンジンの唸りが単調なリズムを刻む。

......寝よう。

明日、何か分かるかもしれない。

俺はブランケットに身を包んでシートに沈んだ。


相変わらずの蝉の声。

見渡す限りの田園。

きっと京さんが来た頃から、嘉三郎の時代から大きく変わっていないだろうなと思った。

京さんは大きく伸びをすると迷いなく歩き出した。

そこは立派な佇まいの日本家屋だった。

呼び鈴を鳴らすと奥から「はーい」と女性の声がした。

カラカラと軽い音とともに扉が開かれた。

インターホンが付いてはいるが無警戒に扉を開くのは田舎ならではだろう。

都内ではありえない応対だった。

だが流石に見知らぬ男が三人も居れば対応も訝しくもなる。

警戒した様子で「どちら様?」と扉に身体を半分隠して言った。

「ご無沙汰しています。田崎の爺ちゃんによく遊んでもらっていた御影京です。覚えていらっしゃいますか?」

京さんが一歩前に出てそう言うと「あらぁ!京ちゃん大きくなって」

女性はそう言うと「中に入って」と三人を招き入れた。

「実は...」

京は鹿屋航空基地へ見学に行ったことと、そこで見た特攻隊員の遺書を大婆ちゃんが寄贈したと知った旨を説明した。

当然だが嘉三郎との話は伏せた。

「大婆ちゃんとは話せますか?」

京さんが聞くと「今日は調子が良いからきっと大丈夫よ」

そう言って奥の方へ歩いていった。

しばらくしておばさんは大婆ちゃんの手を引いて来てくれた。

京さんは部屋の隅にあった椅子をごく自然に用意して「こんにちは」とゆっくりと大きな声で言った。

「あら、京ちゃんよく分かったわね」

おばさんは感心しきりな様子だった。

肘掛けの他に手すりのついた座面の高い椅子。

考えてみればこの家の廊下には手摺りが付いていた。

大婆ちゃんはゆっくりと少し震えるような動きで席に着いた。


「佳代子婆ちゃん、今日僕達は鹿屋航空基地に行ってきたよ」

京さんの言葉に大婆ちゃんはうんうんと頷いていた。

(そうか、京さんは歴史をこういった人達から聞いて学んだから接し方が上手なのか)

俺は勝手にそう得心していた。

「嘉三郎さんについてお話ししてもらえますか?」

そう言うと大婆ちゃんはピクりとして手を合わせた。

「私は兄様にとんでもないことを言ってしまったんよ」

京さんは隣で大婆ちゃんの手の甲に自分の手を重ねて話の続きを促している。

「兄様に『お国のために死んで下さい』って私は言ってしまったんだよ。それが正しいことだとずっと信じて......」

大婆ちゃんがポロポロと涙を零しながら言葉を詰まらせた。

京さんはハンカチを渡して「誰も悪くないよ。時代がそれを正しいことだとしていたんだから。大丈夫、悪くないよ」と優しく言った。

「私はね、あの日兄様に人形を渡したんだよ。同じモンペの生地を使って作った」と言いかけて大婆ちゃんは目を丸くして俺を見た。

いや、俺のリュックを見ていた。

「あっ」

俺もそれに気付いて思わず声を出した。

そしてリュックにぶら下げていた人形を、かっちゃんから貰った人形を大婆ちゃんに渡した。

「まるで昨日渡したようじゃないか。この柄は私が穿いていたモンペの柄。どうしてあなたが持っているんだい」

俺は返答に困った。

正直に話す訳にはいかない。

ダメじゃないけど理解されないだろうし、万が一侮辱と取られたら傷付けてしまう。

俺が何も言えないでいると「知覧の女学生たちが作っていたマスコットの複製品です。似てたんですね」と京さんが助け舟を出してくれた。

知覧ってどこだろう?

俺にはよく分からなかったけど、とにかく話を合わせた。

「シュン、これ差し上げてもいいか?」

京さんの言葉に俺は頷いた。

「嘉三郎さんにお供えください」

京さんの言葉に大婆ちゃんは人形を愛おしそうに撫でて「ありがとう」と言った。

俺は「ちょっと待っててください」

そう言って家を出た。

引っ掛けるように靴を履くとバスから見えたコンビニに走った。

それからまた田崎家に戻ると「仏前に」と言ってコーラとアイスを渡した。

「シュン、アイスは...」

京さんは言いかけて「いや、一度お供えして皆で食べるか」と言い直してかっちゃんの位牌に手を合わせた。

「あれ?」

俺は仏壇の位牌に違和感を覚えて言った。

「この戒名の無い後藤誠之助さんってどなたですか?」

位牌はかっちゃんと田崎さんに並んで置かれていた。

「兄様と田崎には、京ちゃんの曾お祖父さまの坂田さんと後藤さんという仲間が居たんです。その中で桜花という特攻の為だけに作られた飛行機で最初に征かれた方だそうです」

あの時の聞き取れなかったかっちゃんの呟きが、声を伴ってフラッシュバックした。

「後藤さんには身寄りも形見も無くて」

そこまで言うと大婆ちゃんは仏壇の引き出しから袱紗ふくさを取り出した。

うやうやしい手つきで袱紗を開くと端の方が茶色く変色した紙切れが現れた。

「『名前しか残せない』って、紙にご自分の名前を書かれて兄様に......そして兄様は田崎に託したのです」

ああ、俺は今きっと泣いている。

頬を熱いものが滴り流れるのが分かった。

「戒名を付けようと何度か考えたのですが、後藤さんのお名前を残すことが一番良いと——。田崎と決めてこうしたのです」

「戦争って、何なんだろう」

俺は意図せず口にした。

その言葉に「さぁ、何なんでしょうね。その時は善悪なんて何も分からないのです。私が兄様にお国のためにと無邪気に言ったように。そうしてあとになってその愚かさに、残酷さに気付くのです」と大婆ちゃんは言った。

そして「その痛みを知る私ら年寄りが生きている限りは、若者に後悔させないよう伝えるんです」と大婆ちゃんは続けて言った。

とても優しい顔をしていた。


「美味しいねぇ」

少し溶けてしまったアイスを大婆ちゃんがすくって口にした。

その姿にファミレスでのかっちゃんが重なって見えた。

「嘉三郎さんはアイスは好きでしたか?」

俺がそう尋ねると「あの時代、アイスクリームは高級品で庶民には手が届かない物だったんだよ」と教えてくれた。

「でも」

大婆ちゃんは続けて話す。

「兄様の口癖は七生報国だったから生まれ変わってアイスをお腹を壊すくらい食べているかもねぇ」

そう言って笑った。

俺たちも釣られて笑った。

そして、そうだったら良いなと思った。


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