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#4 森の道

 自分の身長の何倍になるだろう木々が立ち並ぶ深く生い茂った森。

 生ぬるい風ですら心地よいと感じるほど空気が湿っていた。


 絡み合った枝によって光が遮られ、影の編み目が作られている。

 もし光が直接当たってたら、この一帯はまるで浴場のように暑かっただろう。


 俺たちはその下の柔らかい地面を踏みしめていた。


 魔物は全てティアナが倒してくれているので、今のところは体力に余裕がある。




 俺はと言うと――フィリアによる言語講座を受けていた。

 歩きながらになるので簡単なことしかできないが、それでも俺にとっては十分すぎるものだった。


 尤も、彼女もアルカディア言語を完全に理解できているわけではないので、教えられる範囲に限界がある。

 とりあえずは日常会話で支障が出ないくらいを目標にした。


 今は名詞を繰り返して練習しているところだ。フィリアの教え方は丁寧でわかりやすく、みるみるうちに上達していく気がする。

俺はいつの間にか夢中になっていて、目線も意識もフィリアの方に向きすぎていた。


 ――目の前に大木があるとは気付かずに。


 耳の奥に響く鈍い音とともに、額にじんとした痛みが走る。夢中なのは良いが、目の前は見ておくべきだと猛省した。


 心配そうに振り返ったティアナが、駆け足気味でこちらに近づいてくる。


「大丈夫!?」


 自分でもびっくりした。大木にぶつかったのもそうだが、ティアナの言葉が“正確に”伝わったんだ。心配してくれていると“理解できた”ことが妙に嬉しかった。


「いてて……」


 フィリアも心配そうにこちらの顔を覗き込んでくる。

 そして、荷物を漁ったかと思うと――俺のことを手当てしてくれた。




 お互いの息がかかる距離。フィリアのエメラルド色の瞳が真剣に俺を見つめている。


 ほのかに花のような香りが鼻をかすめた。


 このままだと羞恥心で平静を保てなくなる。


「だっ、大丈夫だから」


「だめ」


「……っ」


 距離をとろうとするが、フィリアに制止される。


 額に当たる綿の感触。瓶から取り出した冷たい液体……。これは、たぶん薬だ。

 痛みがじんわりと引いていく気がする。


 処置が終わったようで、フィリアはゆっくりと顔を遠ざけた。

 額の痛みは引いたはずなのに、頬だけは熱いままだ。


「ひどいけがではないみたい。もう、きをつけてね」


 彼女の声は静かで、けれどどこか諭すようだった。




 思い返すと、フィリアにはいつも助けてもらってばかりだった。


 見ず知らずの俺に回復魔法をかけ、言葉を教え、手当までしてくれて……。


 ――何かお返しができるといいんだけど。


 考えが巡っていたところに、ティアナが俺たちに話しかけてきた。

 異国人の俺にとっては早口でとても聞き取れるものではなかったが。




 まだ完全には理解できない俺のために、フィリアが通訳してくれた。


 日が落ち始める前に森を抜けておきたいとのこと。夜の森は強力な魔物が多数出現するため、野営はもちろん普通に歩くだけでも危険だからだ。


 3人なのでどうしても行進ペースはゆっくりとしたものになってしまう。俺もできるだけティアナにペースを合わせよう。



 * ――――――



 途中休憩をはさみながらも森を進んでいく。


 透明な光の編み目は、いつのまにか紅葉色へと姿を変えていた。


 湿った空気が地肌にまとわりつくのが気持ち悪く、蒸し暑さも相俟って額から汗が雫のように伝ってくる。


 予定より時間が押しているようで、ティアナは焦りの表情が出始めていた。


 俺が木にぶつかってしまったのもそうだが、フィリアによると、行ったときより魔物の数が多いらしく、時間をとられてしまっているそうだ。


 確かにティアナは疲弊している気がする。こんな時、俺も剣を振るうことができればな……。




 ひたすらまっすぐ進んでいても、遠くにはずっと木が立ち並んでいるばかりだった。


 これ以上もたもた歩くわけにはいかないと判断した俺たち3人は、森を抜けるため、足早に進むことにした。


 進むたびに疲弊していくティアナ。口数が減っていくフィリア。いつの間にか言語講座のことは頭の隅に追いやられ、とにかく森を抜けることに全神経を注いでいた。


 その時――


 静けさを裂くような甲高い遠吠えが森に鳴り響く。


 その声に反応してフィリアはすぐさま杖を淡く光らせた。


「ミドルサーチ」


 呪文を唱える彼女の髪とリボンは激しく揺れている。


「正面に3つ魔物の反応がある。ここからは見えないけど、たぶん相手は気付いている」


 フィリアの報告により、ティアナは剣を構え、臨戦態勢に入った。


 長いようで短い時間。俺は背中に冷たいものを感じた。


 視線の数百メートル先から不気味な赤い点が6つ光り出す。


「ウルフ……!」


 ティアナは正面の動く赤い点をまっすぐに見据えている。

 まるで仲間を守ろうとする騎士のように。


 フィリアによると、ウルフは脅威度こそFランクの魔物だが、素早く、経験の浅い冒険者は単体でも苦労するという。

 しかも、今回のように群れで行動している個体は連携してくるので、脅威度が上がるらしい。


 ティアナがフィリアに指示を出し、杖を構えさせる。


 刹那、不気味な赤い目が正体を現す。


 そいつらはティアナ目がけて思いっきり飛びかかった。


 ティアナが剣で応戦する。

 当たった。いや、かすっただけだ。


 ウルフはターゲットをティアナに定め、攻撃を集中させた。

 ウルフの攻撃をいなし、剣を振るうも、動きが素早く、致命傷に至らない。


 すかさず二体目のウルフがティアナの背後に回り込んだ。

 ウルフの牙がティアナの身体をとらえようとするも、牙が届く寸前、ティアナは身を翻す。牙は空を噛み、硬い何かをかき鳴らすような音を立てた。


 肝心の俺はというと――なにもできなかった。

 剣なんて持ってないし、持ってたとしても上手く扱えないだろう。

 己の無力さを痛感しながら、ティアナの無事を祈ることしかできなかった。




 フィリアはというと、杖の先をサファイア色に光らせ、小さな魔法陣を展開している。

 リボンや金木犀の色をした髪を激しく揺らしているその様は、まるでそこだけ時間がゆっくりと動いているかのようだった。


「アイスニードル」


 魔法陣から、3本の氷でできた針をウルフめがけて発射した。

 氷柱は正確に心臓を射抜き、致命的な出血を伴ってウルフは崩れ落ちた。


 そうか。本命はフィリアの魔法だったんだ。だからティアナはウルフを倒せなくても、攻撃を避けてさえいれば良かったんだ。


 あの動きは計算されたものだったのか。納得すると同時に、自分は何もできなかったという事実が、じわじわと胸を締めつけてくる。


 こちらの攻撃を見た残りのウルフたちは一目散に逃げだした。


 助かった。そう思ったら一気に肩の力が抜けた。


 ウルフの死骸を見て、ティアナが一言呟く。


「素材回収は諦めよう。もう時間がない」


 フィリアは無言でうなずいた。


 ティアナが剣の構えを戻し、ウルフの死骸を通り過ぎたその時――




 脳を揺らすほどの衝撃音と共にフィリアが宙を舞っていた。


 目の前には、さっきのウルフ共よりも三倍はでかい、虎模様のウルフが佇んでいた。そいつは、次の獲物をロックオンする目でこちらを覗き込んでいる。


 宙を舞っていたフィリアが地面に打ち付けられた。その音は、あまりに軽く、ふわっとしたものだった。


 手入れの行き届いていた服は、ぬるま湯に長く浸したようにくたびれ、泥でまだらに汚れていた。さっきまで着ていた服とはまるで別物のように。



次の更新は 11月3日 21時00分頃の予定です。

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