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#35 失意に打ちひしがれて

 薬を受け取り、治癒院を後にした。


「全治30日だって」


 俺はぼそりと呟く。カノンの日記のためにここまで頑張って来たのに、一つのけがで全てが台無しになった。


 フィリアは俯くばかりで、何も声をかけてこない。


 外のにぎやかな声も、今の俺にとっては全てが雑音だった。


「はぁ……。」


 思わずため息を漏らす。

 重苦しい空気。それを変えるだけの気力は、もうなかった。




 俺たちは宿に戻り、一緒の部屋に入った。燦燦と差し込む外の光とは裏腹に、俺の胸の内は漆黒の闇で満たされる。


 治療院でもらった薬を一気に口へと預けると、苦味が舌の奥にまで広がった。

 それを水で流し込み、先日のワイバーン戦のことを深く反省する。


 あの時、俺がきちんと周りを見ていれば、こんなことにはならなかったはずだ。

 敵に背を向けては、格好の的になるのは当たり前だ。




「何やってるんだろうな、俺」


 あの日のことを後悔しながら、俺はどかっとベッドに腰を下ろす。




 肩に手を当てる。痛みと失意で胸が締め付けられ、思わず顔を伏せる。

 カノンの日記は――もう二度と、目にかけることすら叶わない。


 窓の外から聞こえてくる町の喧騒や子どもたちの笑い声。ほのかに漂う木の匂いすらも、今の俺にとっては非常に鬱陶しく感じた。


 戦いの反省、右肩の痛み、そして、手に届かなくなってしまった日記のこと。その全てが、頭の中でぐるぐるとまわる。


 しだいに目元が熱くなり、視界がぼやけ始めた。こんな顔をフィリアに見せたくなくて、俺は座っていたベッドに身体を預け、布団で顔を隠す。


 ひんやりとしたシーツが肌に触れる。なのに、心の奥は火傷したように熱く、じりじりと痛む。




「アルトくん……。大丈夫?」


 声がかすれ、微かに震えていた。布団越しでも、その揺れが胸に突き刺さる。


 放っておいてほしい――その一心で、俺はフィリアのことを無視し、布団にくるまった。


 すると、ベッドの端がとさっと沈む感覚があった。布団越しでも隣に誰かがいることは、はっきりわかる。フィリアがそっと座ったのだろう。


 布団越しに左肩に小さな手の重みが伝わってきた。ためらうように指先だけを動かし、やがて、髪をゆっくり梳くような動きに変わる。頭皮をかすめるたび、こわばった首筋がほぐれていくのを感じる。


 ――フィリアに、頭を撫でられている。


 その現実に、胸の奥が小さくざわつき、身体が熱くなるのを感じた。

 だが、失意で沈んでいた気持ちが晴れることはなかった。




 フィリアは俺の頭をなでる手をそのままに、腰を少しだけ浮かせて姿勢を正す。


「アルトくん。ちょっとお話してもいいかな」


 自信がなさそうに、ぽつりとつぶやく。俺は布団越しに、返事をした。


「もし、もしもの話だよ。私があの時、日記が売られてた屋台に連れてったことを後悔しているとしたら、どう思う?」


 その声はか細く、ちゃんと聞いていないと内容が入ってこないほどだった。


「どうって、俺に言われても困る」


「アルトくんが病気になることも、なかったのかなって」


「変わらないよ」


 俺は少し強めに言った。冒険者なんだから、仲間を守るときには多少の無理も必要だと思うし、実際にそうするだろう。


「だいたい、フィリアは日記のことを応援してくれているんじゃなかったのか」


「応援してるよ。私だって、アルトくんが探している人の手がかりが見つけられたときは、とっても嬉しかった。でも、そのせいで無理をさせちゃった上に、日記までお預けになるとしたら、申し訳なくて……」


 そんなこと、考えないでほしかったな。


 言葉が喉まで上がってきたが、形になる前に消えてしまった。


 諦めなければならないのに、本心では未練タラタラだ。


 気持ちが言葉にならず、気の抜けた息だけが口から漏れ出てきた。


「はぁ……」


 俺は布団の中で、そっと目を閉じた。


 初めてカノンの日記を見た時の衝撃。それが何度も生々しくフラッシュバックする。


「ごめんね、アルトくん」


 布団越しに届く声が、やけに頭に響いた。



 * ――――――



 あまりの息苦しさに俺は布団から顔を出すと、窓から茜色の光が差し込んできていた。

 ずいぶん長いこと布団の中で過ごしていたらしい。


 身体をおこし、周りを見回すと、フィリアの姿が忽然と消えていた。隣のチェストに視線を移すと、すでにランプが床に降ろされていて、代わりにトレーと、小さい鍋が用意されていた。蓋をあけると、ふわっと湯気が立ち、中からパン粥が顔を出した。


「フィリアが作ってくれたのか」


 相変わらずマメな彼女に心の中で感謝しながら、俺はパン粥の方に身体を向けた。


 スプーンですくい、ゆっくりと口に運ぶ。味は昨日のそれと変わらなかったが、身も心も弱っている俺にとっては最高のご馳走だった。




 パン粥を食べ終わり、再び身体を横にする。失意で無になった俺は町の時間の流れを意識することすらなく、ただぼーっとその時を過ごしていた。


 こんなにも無駄に時間を過ごすのって、いつぶりだろうか。


 思えばカノンの日記を見つけてから、ずっと依頼を受け続け、休むことなんてなかった気がする。


 不本意とはいえ、悲鳴を上げていた身体を休める機会にはなったのかもしれない。



 * ――――――



 窓から差し込む茜色の光は、いつのまにか夜の闇に変わっていた。床におろされたランプをつけると、ぼんやりとした明かりで部屋が照らされる。


 日中は騒がしい程だった喧騒も、今ではすっかり鳴りを潜めている。


 凝り固まった右肩を動かすたびに、軋むような痛みが襲い、俺の気力と体力をじわじわと蝕む。


 30日もこの痛みに耐え続けなければならないと思うと、憂鬱で仕方なかった。




 ドアからノックする音が聞こえた。続けて、ドアの向こう側からティアナの声が響いてくる。


「アルト、すごい薬屋さん連れて来たよ。開けていい?」


 すごい薬屋さん、か。


 朝、治療院に診てもらったときは30日かかると言われたし、あまり変わらないと思うけど。


 ティアナの言うすごい薬屋さんとやらには全く期待する気にはなれない。


 とはいえ、断る理由も無いので了承する。


「いいよ」


 ガチャという音と共に扉が開かれると、ティアナの姿が見えた。隣には、右手の先を左手で握り、肩をわずかに丸めているフィリアと、妙に見覚えのあるワインレッド色をした髪を肩まで伸ばした、俺と同じくらいの年齢をした少女がいた。


「久しぶり、だね?」


 その優しい声で俺は思い出した。


 露天市場にいた、爆弾と薬という変なラインナップの店を構えていた人だ。


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