#10 休息と至福の宿
俺は姉妹に言われるがまま宿へと向かっていた。
空はまだ青と白に染まっており、ところどころでお店の呼び声がこだまのように響いている。
町を歩いて不便だったのが――
文字が、文字が全く読めない!
言葉はフィリアに教わったので、ある程度わかるようになったのだが
文字に関してはさっぱりだったのだ。
読めないと、これから苦労するよな……。
冒険者登録の時、書類を読んだり書いたりさせられるかもしれない。
俺はフィリアを呼ぶ。
「アルトさん、どうしたの? まさか、お風呂に入らないなんて言わないよね?」
そんなわけないだろう。むしろ入りたいわ!
「違う違う、文字だよ文字。看板に書かれている文字が読めないとこれから苦労するだろうから、教わっておきたくて」
「そういうことね。ふふっ。いいよ」
フィリアは嬉しそうに目を細める。しばらくぶりの町でくたびれた深紅のリボンも、この時ばかりは光り輝いているように見えた。
* ――――――
俺たち三人は宿屋に入った。
フィリアによると、ここは行きつけのところで、美味しい食事と疲れを癒す入浴施設がお気に入りらしい。
上部から「チリン」と鈴の音が鳴る。
「いらっしゃいませ。入浴ですか? それとも宿泊ですか?」
受付の女性が慣れた対応で接客している。黒くて長いさらさらの髪は、毛先が首元で綺麗に揃えられていて、清楚な印象を与えている。
「宿泊です。一部屋貸してくださーい」
ティアナは淡々とチェックインを進めた。
ここのところしっかり眠れていなかったから、宿での宿泊は助かる……。
――あれ。ちょっと待てよ。
俺はあることに気付いた。
「一部屋!?」
「そうよ、何か問題あるの?」
驚く俺をよそに、ティアナは首をかしげている。
「いっ、いや。女の子なんだしさ。ほら、フィリアも何かいってよ」
フィリアに助け船を出す。
「私も、アルトさんとならいいよ」
フィリアは、心なしか頬を赤らめている。何を思ってそう言ったのかがわからないっ!
ただ一つわかることは、この瞬間、俺の味方は誰一人いなくなったことだ。
「一緒に雑魚寝したじゃない?」
ティアナはさらに追い打ちをかけてきた。
「それに、お金もったいないよ。アルトさん、お金持ってないよね?」
フィリアによるとどめの一撃で、俺の敗北が確定した。
それを言われたら何も返せない。
「一部屋でお願いします」
宿の説明を受けた後、カギを受け取った俺たちは、そのまま部屋へと向かった。
* ――――――
部屋の中に入った俺は、思わず感嘆の声を上げた。
隅々まで手入れの行き届いた部屋の奥には、ベッドが二つくっついて並んでいる。
その手前には、控えめに配置されたテーブルと椅子があった。テーブルの上には、小さなメモパッドのようなものが置かれていて、外出前にやることリストを作るのにうってつけだ。
足元には小さな段差があり、扉の脇には靴を脱いで揃えて置ける浅いくぼみが作られていた。土足厳禁のこの宿では、そこに靴を置くのが決まりらしい。
確かに、冒険者は町の外に出て靴に泥をつけてくることだってあるし、最悪の場合、魔物の血がついていることもあるだろう。清潔に保てるよう極限まで配慮された部屋は、空気が山のように澄んでいる気がして、その場にいるだけで心が落ち着いてくる。
なるほど。二人が気に入るのもわかる。
他の宿のことは知らないが、アルカディアでの生活を思い返すと、この宿は間違いなく清潔な部類だろう。
アルカディアでは、基本的に靴を脱がないしな。
「あたしたち、今からお風呂に入るけど、アルトも入ろう?」
ティアナの提案に、俺は唖然とする。
同じ部屋でも抵抗あったのに、お風呂まで一緒なのか?
「いっ、いや。俺は待ってるから、先に入りなよ」
もちろんお断りする。俺だって男だ。女の子二人と一緒にお風呂なんて、許されるはずがない。
すると、フィリアは俺の腕をがしっと掴んだ。
「だめ。ずっと身体を拭くだけだったんだから。ちゃんと入って」
俺のことをまっすぐ見つめ、俺の腕をとらえて離さない。
ちょっと待って、心の準備が――
俺の抵抗もむなしく、お風呂へ連行された。
俺は浴場の前まで連れていかれ、その場でぱっと手を離された。
フィリアが軽く俺の背中を押してくる。
「はい。綺麗にしてきてね。私たち女性用の浴場は向こうだから、終わったら部屋に戻っていてね」
フィリアは俺の持っているカギと同じものをひらひらと見せた。
焦った――入浴施設は男女で分かれており、距離もそれなりに離れていたのだ。
「もしかして、別のことを期待しちゃった?」
ティアナは俺を見つめてにやにやしている。
「してないっ! もう風呂行く!」
俺は逃げるようにして浴場内へ向かった。
* ――――――
気持ちよすぎて、うっかり湯船で寝落ちしてしまったらしい。
俺は宿のマスターに起こされ、急いで部屋に戻った。
部屋に戻ると、二人がベッドの上に腰を下ろしていた。俺を見るなり、ティアナが俺に寄ってくる。
「もう、おそーい! 心配したんだから」
「ごめんごめん」
「あたしじゃなくて、フィリアに謝ってよ。ずっと考え込んでいたんだから」
俺はフィリアを一瞥する。フィリアはエメラルド色の瞳を曇らせ、心なしか瞼が腫れている気がした。
「ごめんな。あと、心配してくれてありがとう」
フィリアはこくりと頷き、俺の裾をきゅっと掴んだ。
* ――――――
宿での夕食を取り終えた俺たちは、部屋で姉妹に文字を教えてもらっていた。
言葉はすでに日常会話程度なら問題なくできるため、今回はティアナも一緒だ。
文字の法則性がアルカディアと違うため、少しだけ戸惑う。
だが、二人の優しい指導のおかげで、今日中にはものにできそうだ。
よし、明日はギルドに行って冒険者登録だ。
俺は寝る時間ギリギリまで、文字の練習に励んだ。
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次の更新は 11月11日 11時頃の予定です。




