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3・桜色の再会

 自転車を走らせ、小太郎は学校の校門をくぐる。

 清晴高校。小太郎の通う学校だ。

 校門をくぐる時、何人もの真新しい制服に身を包んだ生徒達を追い越してゆく。新鮮さを残す制服はどこか窮屈そうで着心地の悪さと共に、新たな希望が伝わってくる。

 保護者に付き添われながら、初々しくも緊張した面持ちの新一年生を見ると、自然と顔がほころぶ。去年の自分もあんな感じだったのかと少し感傷に浸ってみたり。

 小太郎は、自転車置場に乗ってきた愛車を停め、校内へ向かう。

 入学式が始まるまでの待合室は生徒会室だ。目的の部屋は3階。小太郎の足取りは重たい。それは決して昨日にあんな出来事があったからだけではないだろう。

 3階にたどり着き、『生徒会室』というプレートが掲げられた部屋の前で小太郎はため息を吐くと、扉をガラリと開けた。

 教室程度の広さの部屋の内部には長テーブルがロの字に並べられていて、すでに数名の生徒が居た。

 その中でもとりわけ長身で、強い意志の籠もった瞳が小太郎を出迎えた。

 腰まで届く髪は墨を流したように艷やかで流麗。

 透き通るように白い肌。整った顔立ちには眩く輝く瞳がふたつ。

 桜色の唇が通った鼻筋の下に乗っかっている。

 清晴高校生徒会長、神木明日香。その人だ。

「・・・おはようございます、先輩」

 小太郎が挨拶を投げかけると、明日香はカツカツ、と音の鳴りそうな足取りで小太郎へと近づいてくる。履いている上履きは皆同じにも関わらず、明日香のは靴底に金属でも埋め込まれているのでは、と勘繰ってしまう。

「先輩、じゃあないでしょう。生徒会の仕事をしている時間は会長と呼びなさいと言っているはずだけど?」

 明日香は細く靭やかな指先で小太郎の額を軽く小突く。

「それになんですか。その気の抜けたような挨拶は。これから清晴に入学する新一年生の模範となる先達がそんな態度でどうするつもりですか?」

「・・・すみません、会長」

 神木明日香は非常に厳格で、礼儀にも厳しい性格だ。

 彼女の目の届く範囲で腑抜けた態度を見せれば、今のような厳しい叱咤が待っている。ここは素直に謝るに限る。

 小太郎の答えに明日香は「よろしい」と返し、指先を引いてくれた。

 と、その指先と入れ替わるように、少し眉根を寄せた明日香が小太郎の顔を覗き込んでくる。

 端正な顔が至近距離までに近づくと、さすがに小太郎もドギマギする。明日香から漂ってくる香りは春の匂いか。

「なんだか眠そうですね。昨日は良く眠れなかったのですか?人前に出て緊張するような年でもないでしょうに」

 俺は先輩みたいに心臓に毛は生えていないんです、という言葉は飲み込んでおく。

 そんなことを口走った瞬間、鍛え上げられた身体から放たれる一撃が炸裂するに違いない。

 明日香は勉学だけでなく、武道の心得も持ち合わせている。

 剣道、柔道、合気道。弓道、空手。

 数え上げればきりが無いくらいの習い事をしていると聞く。それだけの習い事に割ける程時間があるのかと疑うのと同時に、人に与えられた時間は一定ではないのかとも思ってしまう。そこに小太郎は神木明日香という人間の非凡さを垣間見る。

 ともかく、寝不足まで見抜かれるとは。この人は他人の体調も読み取れるのか?

 だとすれば、その原因は昨日の少女によるものなのは言うまでもない。ベッドの中で眠りにつくまで小太郎は何度寝返りを打ったことか。もちろん、その理由は言うこともないけど。さすがの生徒会長様でも怪訝な表情になるに違いない。

「・・・え、ええ。昨日は色々あってですね」

 ええ。そりゃあもう大変でしたよ。たぶんウソは言っていない、はず。

「そう」

 細めた目で小太郎を見つめ、明日香は踵を返した。

 窓側の、ロの字の一辺の椅子へと腰をかける。たったそれだけの所作なのに、本当に絵になる。

 席に着いた明日香は、今日行われる入学式の段取りが記された書類に目を通すのを再開させた。 

 相変わらず身体全体から高貴な雰囲気というか、明らかに他の生徒とは一線を画すオーラが滲み出ていて、生まれながらのお嬢様だという気品が見て取れる。校内に彼女のファンがいるという話もあながちウソでもなさそうだ。

 ただ、小太郎は女の子という以前に、神木明日香のことが苦手だった。

 明日香の放つ規律に厳しいオーラ。間違った行動、言動を許さない正しさ。それが自分には少し窮屈なのだ。勿論、それは自分の怠惰を棚に上げる行為だけれど。

「よう、副会長」

 生徒会室にいる他の生徒。もうひとりの男子が快活な笑みを浮かべて小太郎に向かって片手を上げた。

 髪の毛を茶色に染め、日焼けした肌が印象的だ。見た目で判断するのはよろしくないが、こんな所よりグラウンドでサッカーでもしている方が似合いそうな活発な風貌だ。

 崎守匠。クラスは違うが、小太郎と同じ二年生になる。

 生徒会での役職は書記。

 さらに言うのなら、こんなナリをしていても成績は学内でも常に上位が定位置。そして、そんな匠を差し置いて、小太郎の役職は会長を支える副会長。世の中なにかが間違っている気がする。

「お前もよくやるね。ワザとあんな事言って会長の気を引こうとするなんてな」

 小太郎は匠の言っている意味がわからず眉をひそめた。

「またまた。会長に怒られたいから、だろ?」

 どんな変態だよ、それ。

「会長が学内でもトップクラスの人気を誇っているの、知っているだろ?」

 確かに、その凛とした佇まいや、ブレることの無い心の通った言動は学校内でも男女問わずに慕われている。それどころか、教師陣も一目置く存在で、その人気はこの清晴に留まらないと聞く。

 昨日の入学式の準備に現れた数少な物好きは、明日香に心酔する熱狂的なファンらしかった。おかげで仕事かはかどった。

「会長の格好良さに憧れる中で、その鋭い視線や言葉で罵られたいと渇望してる奴も少なくないぜ」

「・・・だとしたら、清晴も末期だな」

 小太郎は確かに明日香を格好良いとは思うが、そんな考えは微塵も起きない。

「いつも厳しくされてっから、お前もそっち側かと思ったぜ」

「・・・」

 怒られているのは、リアルにミスしているからだ。

 ・・・もう付き合ってられん。

 小太郎は匠の言葉を半分無視して、ノートパソコンを弄っている少女に目を向けた。

「おはよう、弓月」

 弓月と呼ばれた女子生徒は、一度ノートパソコンから視線を外し、小太郎へとゆっくりと首を傾けた。

 弓月雫。

 肩口で切りそろえられたショートカット。ノンフレームの眼鏡の知的でクールな雰囲気を纏う女子生徒だ。

 匠曰く、明日香の視線が清流だとするのなら、雫の視線はさしずめ氷と、らしい。

 何かを訴えるように覚めた目で小太郎に視線を送っただけで、雫はノートパソコンに向き直るとそれきりだまってしまった。細い指先がキーボードを叩くことに集中してしまったので、小太郎としてはもう何も言うことが出来ない。

 相変わらず自分のコミュニケーション能力の乏しさに小太郎はうなだれる。

 雫も小太郎と同学年だがクラスは別。

 必要以上に話すことがまずなく、小太郎も挨拶と仕事以外で言葉を交わしたのは頭をひっくり返しても数える程もなく、それくらい寡黙な女の子だった。

 ちなみに雫も学内では成績上位の常連だ。こちらはどちらかと言えば勉強のできるイメージだし、大いに納得できる。

「ほらな」

 匠が笑いを噛み殺しながら言う。

「・・・何が」

 小太郎がそれに返す。

「弓月もその手の嗜好者には需要があるんだぜ。同じようで会長とは違うベクトルの持ち主だからな。会長が斬り裂くような剣だとすれば、弓月は徹底して何者をも通さない鉄の盾だ。帰らぬリアクションに期待して話しかけるということは、そういう嗜好を持っていると誤解されても仕方がないと思うぜ」

 ガタリ、と雫が一席ほど小太郎から距離を取る。差し向けられた視線には、侮蔑が混じっているような気がした。

「それでも挨拶くらいするだろ。同じ生徒会のメンバーなんだから」

 小太郎は、元々遠かったであろう雫との距離が一段と開いてしまったことへの虚しさを何とか押し留める。

 確かに雫は何となく神経質そうに見える。自分よりも能力的に劣る人間が生徒会に転がり込んだのだから、口に出さずとも不満に思っているのかも知れない。

 清晴高校生徒会は非常に優秀な人間で固められている。たったひとり、極めて普通の成績である坂井小太郎という生徒を除いては。

 生徒会メンバーが成績優秀者である必要はまったくないが、奇しくも今の生徒会はこのようなメンバーと相成っている。おかげで小太郎は肩身が狭いのだ。

 これが小太郎の納得できていない点で、なぜこのメンツの中に自分がいるのかと疑問に思っていることだ。

 学校の成績は中の中。ど真ん中程度と普通だ。良くもなければ悪くもない。逆にこの中に自分が置かれて居心地が悪いくらいだ。

 そんな小太郎がこの生徒会での役職が副会長だなんて、はっきり言って不可解だ。

 一年生の時だ。

 夏休みを終えた始業式の帰り道で待っていたのは、神木明日香だった。

 家に帰って夏休みボケをどうやって解消しようか頭を捻ろうとした矢先の出来事だった。

「生徒会副会長の座が不在です。そのポストに相応しいのは貴方。坂井小太郎」

 強い意志の籠もった目で明日香は言った。

 その言葉が生徒会に入るきっかけだった。

 言っておくが、半ば強制だった。

 拒否というか、当然断ろうとした小太郎の腕を、明日香は強引に握る。武道を嗜む明日香に部活にすら所属していない小太郎がその戒めを振りほどけないのは自明の理で。

 その日のうちに小太郎は生徒会室に連行され、生徒会に入るための書類に泣く泣く署名する事になったのだ。

 はっきり言って脅迫も甚だしい。ボールペンを突きつけ、書かなければ家に帰ることを許さん、と楽しそうな笑みを浮かべていたのを今も覚えている。

 情けないことに、力では明日香に敵わないのは分かってしまったので、この場を収めるには彼女の言う事を聞くしか他はなかった。

 なぜ俺が?との当然野疑問に、明日香は「大丈夫だ、君にはできる」だの「私が保証する」と煙に巻くだけで、事の真相は教えてくれなかった。

 生徒会に入って約半年。

 匠や雫に追いつくように頑張ってきたつもりだった。そこに奇妙な充足感が生まれたのは確かだ。だから辞めたいという言葉は飲み込んできた。今でも生徒会が天職だとは思っていないけど。

「さて、諸君」

 やけに芝居掛かった口調で明日香が立ち上がる。

「そろそろ我々の出番です。新一年生の指針になるように振る舞いは忘れずに」

 とは言っても生徒会としての仕事は無いに等しく、入学式で言葉を述べるのは明日香だけだ。

 それでも大勢の人間の前に出るというのは緊張するものだ。

 講堂にいるのはほとんどか自分の後輩になる子たちだ。無様な姿は見せられない。曲がりなりにも生徒会の人間として。

「匠は緊張してないみたいだけど」

 匠はこういう時も物怖じせず飄々としている。

「オレはこういう時、並んでいる女子の顔を眺めているのが心のオアシスなのだ」

 少しでも尊敬の念を抱いてしまった自分が馬鹿らしい。雫も「・・・最低」と言わんばかりの冷めた目を匠に向けている。

 小太郎は覚悟を決め、何とか席を立つ。

 先を行く雫と匠に続こうと歩き出した瞬間、小太郎はふと後ろを振り向く。

 明日香が窓の外へ視線を向けたままの姿で止まっていたからだ。

「・・・会長?」

 小太郎の呼びかけに、明日香は意識を取り戻したかのように身を震わせた。

「・・・ええ。何ですか、小太郎」

「それはこっちの台詞ですよ。どうしたんですか、ぼーっとして」

 明日香には珍しい姿だ。明日香は再度窓ガラスの外へと目を向ける。

「いえ、何が気配を感じたので」

 この部屋には今は明日香と小太郎の他に人影は無い。小太郎も窓の外へと視線を向けるも、そこには誰もいない。

 空は快晴。桜の花びらが緩やかな風に乗り、絶好の入学式日和だ。

 そもそもここは3階だ。外に人が立っていられる場所はない。

「気のせいじゃないですか?」

 小太郎の言葉に明日香は薄く笑う。

「・・・そうかもしれませんね。柄にもなく気が立っているのかも」

 明日香は小太郎の横を通り過ぎ、扉に手をかける。

「心配をかけてごめんなさい。・・・行きましょう」

 にこり、と明日香の口角が優しい笑みを形作る。ひとつしか年の違わない女子生徒の笑顔に小太郎の心臓が少し高鳴った。

 明日香は黒髪を翻し、廊下を行く。その姿に小太郎は僅かの間に見惚れてしまった。

「・・・俺もぼーっとしている場合じゃない」

 小太郎は明日香の後を追うべく足を踏み出した。

 開いた扉を閉めようとした瞬間、ふと部屋の奥へ目が行く。

 風に煽られ散っていく桜の花びらがこの距離でも見える。

 そこには明日香の感じた違和感はどこにも見受けられない。やはり明日香の気のせいだろうか。

 だが。

 小太郎が扉を閉めた瞬間、窓枠がカタリ、と揺れた気がした。


 入学式はつつがなく終わった。

 話を短めに終わらせた良心的な校長先生に続き登壇したのは神木明日香。

 入学への祝辞に気もそぞろなのが分かる。明日香の人並み外れた美麗な佇まいに心を奪われているのだろう。

 自分の事じゃないのに誇らしいのはなんでなんだろうな。

 小太郎たちは講堂から生徒会室へと戻ってきた。これにて本日のお勤めは終了。

 匠は親睦を深めるとの名目での新一年生への偵察に向かっていった。

「私も今日は失礼します」

「ご苦労様。今日はゆっくり休んで英気を養ってください」

 雫は明日香に分かるか分からないかのお辞儀を残し、帰宅。

「さて、我々も帰るとしましょう」

 最後に出た明日香が生徒会室に鍵を掛け、1階へ。

 門に向かわず駐輪場へと進む小太郎に明日香は不思議に思ったか眉をひそめる。

「あら、君は徒歩通学ではなかったかしら?」

「い、いえ。今日は色々あって・・・。自転車に乗ってきました」

 自転車の使用は自由だが、何となく後ろめたい。

 自転車を押しながら校門を出たところで小太郎は不意に視線を前へ向ける。何気なく目を傾けただけのつもりだった。

 普段は生徒達が使う通学路。

 その向けた道の先にひとりの少女が立っていた。

 思わず小太郎は目を見開いた。まるでどこかに置いてきた忘れ物が見つかった時のような気分だ。

 薄桃色の長い髪。宝石のような澄んだ瞳。

 小太郎はその顔に見覚えがあった。昨晩、あの公園で出会った少女だ。その瞳は明らかに小太郎に視線を向けている。

 その顔を見間違えるはずもない。ただ、僅かな違和感も同時に感じる。

 その違和感の正体はすぐに分かった。少女の身にまとっている衣服が、この学校の女子の制服だったからだ。

 清晴に通う生徒だったのか。もしくは新一年生なのかも知れない。

 そんな事を考えていると、翻るスカートと共に少女が踵を返した。

「あ!ちょっと!」

 立ち去ろうとする少女の背中を小太郎の手が虚しく空を切る。

 小太郎の変貌に、明日香は目を丸くしている。

「すみません会長!ちょっと急用を思い出しまして!」

「小太郎!?」

 呼び止める明日香を半ば無視して、小太郎は飛び乗るようにサドルにまたがる。

「ま、また明日!失礼します!」

 申し訳程度に頭を下げ、小太郎は早口でまくしたてるとペダルを踏む足に力を込めた。


 やはり少女の身体能力は尋常ではない。

 少女の出会った時の満身創痍が嘘のような身のこなしで、立ち並ぶ建物の屋根の上を身軽な動きで飛び跳ねるように舞っている。

 傾斜のある屋根も、バランスを崩す事無く駆けたと思えば、家と家の間も危なげなく飛び越えて見せる。

 まったくスピードを落とす事無く力強く走るその姿に、小太郎は心を奪われそうになる。

 す、とこちらを見る少女の顔はまるで表情が変わらない。

 小太郎はペダルに力を込め直す。一瞬でも気を抜いたら少女の姿を見失ってしまいそうだからだ。

 ペダルを漕ぐ中で、小太郎はひとつ違和感を感じていた。

 少女の纏った衣服は清晴高校の女子の制服だ。時折、少女の制服がノイズが走るように乱れるのだ。

 住宅街を抜け、河川敷に出る。

 そこは桜の木が立ち並ぶ、今の季節はそれは壮観な光景を見せている。だが、今の小太郎は風景を気にする余裕はない。

 桜の花びらが視界を掠め、少女の姿を一瞬見失う。

「・・・くそっ」

 小さく吐き捨てるのと同時に、小太郎は自転車をゆっくり走らせ、周囲を伺う。

 目当ての人物はすぐに見つかった。

 川のほとりに少女の姿が。

 少女が川のそばから土手の小太郎をじっと見つめていた。もう逃げるのを諦めたのか、それとも最初からこの場所に誘導されていたのか。

 大きく息を吸い、吐く。

 小太郎は自転車を土手に停め、芝の生えた斜面をゆっくりと降りてゆく。

ようやく会えたんだ。階段のある場所まで行くのすらもどかしい。

 小太郎が近づいても少女は逃げない。

 これ以上あんな速度で逃げられたら今度は追いつく自信はない。

 少女の瞳が小太郎から離れない。ゆっくりと小太郎の動きに合わせて動いている。まるで精密機械のように。

 小太郎と少女の間、わずか3メートル程。小太郎は安堵の息を吐きつつ、少女に視線を向ける。

 少女の顔は最後に会った時同様、凛々しくも静かに口を噤んでいる。

「良かった。元気になったんだな」

 あの時の少女は、眠ったまま二度と目を覚まさないのではと思っていたから。

 しかし、さっきは満身創痍もどこ吹く風。元気を通り越して、人間離れした動きを見せたわけだか。

 病み上がりの人間に果たして出来る動きなのかと疑いたくもあるが、元気ならばそれでいい。

「・・・キミは、一体何なのだ?」

 少女が小さな唇を開いて、呟くように言った。

「・・・え?」

 小太郎は、思わず間抜けな声で返してしまう。

 ・・・そう言えば、お互い名前も知らないな。

「あ、俺の名前は坂井小太郎。・・・君は?」

 微妙に流れる沈黙。・・・あれ、そういうことではなかったか?

 少女は口をつぐんだまま開かない。失念していたが、もしかしたら彼女が外国人という可能性はないだろうか。

 こちらの言葉がわからない、または上手く話せない。・・・でも、ちゃんと小太郎にも理解できる言葉を話していた。

 宇宙人というのは混乱したあの時の自分の聞き間違い。

 それならいっそ納得できる。

 少女の表情は小太郎を見据えたまま動かない。不審に思った小太郎が一歩踏み出した瞬間。

「こちらのデータベースの情報と一致しない。地球人は暴虐で、己の事しか考えられない人種ではないのか?」

 ぶつぶつと呟く少女の顔には明らかな戸惑いの色が滲んでいる。そして、鋭く貫く視線が小太郎へと差し向けられる。

「何故、私を逃がした?何故、私を捕らえたままにしなかった?何故私を軍に引き渡さない?」

 矢継ぎ早に放たれる少女の問い。

「・・・え?」

 小太郎は先ほどと同じような間抜け面しかできなかった。

 だが、どんなに冷静でも、少女の言葉は理解し難い内容だった。それともやっぱり打ち所が悪かったか。今更ながら家になど連れて行かず、病院に向かったほうが正しかった気がする。

「私を軍に引き渡せは、この世界の軍事力は飛躍的に向上するだろう。バワーバランスは一気にひっくり返り、この国はこの星の頂点に上り詰めることも可能になる。そのチャンスをキミはふいにしたのだぞ」

 やはりどう頭をこねくり回しても理解できる話ではなかった。自分の理解力が乏しいのだろうか。

「えっと。何か勘違いしているみたいだけど、俺はそんな事するつもりはないよ」

 そう弁明するが、疑念と警戒の混じった瞳が小太郎から外れる事はなかった。

 小太郎には少女のことが解りかけてきた。

 空から降ってきた巨大ロボットとの戦いから始まり、今までの言動と人間離れしたその動き。

 少女は人間ではない。今までは半ば夢か自分の思い違いが。だが、それが確信めいた。

 初めて出会った時、小太郎の宇宙人かとの問いかけに動揺を見せたのもそうだ。

 まったくもってバカバカしく信じられない気持ちでいっぱいだが、でなければ少女の身体能力の説明がつかない。

「キミは本当に不思議な人間だ。我々の技術はどこの星も欲しがる代物だというのに」

 僅かに、ほんの僅かだが、少女野疑念が薄まった気がする。

「あの、さ。君は宇宙人、何だよな」

 馬鹿みたいな質問だ。こんな言葉、普通に生きてたら一生言うことのない台詞だ。

「キミ達の言葉を借りるのならば、私は宇宙人、というカテゴリーに属する存在だろう。ここより遥か離れたヴェノゼリス星系の、エルトリアという場所からやって来た」

 少女の右手人差し指が、遥か上空を指した。

 ・・・何だって?

 聞き慣れない単語に、小太郎の思考が一瞬停止した。理解が出来ないながらに察するに、彼女の住んでいる場所なのだろうが。

 当然、ヴェノゼリスだのエルトリアという場所も聞いたことがなければ見たこともない。無論、それも彼女が宇宙から来た存在だとするならば、の話だ。

「君が、えーと。宇宙人?だということは分かった。君と一緒に現れたあのロボットは一体何だったんだ?あれも同じ宇宙人なのか?」

 少女を追うように現れた銀色の機械の塊。赤いカメラから放たれる確かな殺意は今でもはっきり覚えている。

 あのロボットから発射された光線とミサイルの衝撃は身を持って味わった。それによりめちゃくちゃになった広場が綺麗さっぱり元通りになった不可解さも。

「我が国に仇をなすテロリストだ。先刻、テロリストの掃討作戦の際に、逃げ出したところを私が追っていたのだが、私の不手際でこの辺境の地にまで逃亡を許す事態になってしまった」

 少女は沈んだ表情で目を伏せた。

 テロリスト、ときたか。

 小太郎は軽く頭がグラつくのを感じた。

 だが、信じざるを得ないだろう。何故なら、あんなバケモノじみた巨大ロボットなんて、この地球上のどこにも存在しないだろうから。

「つまり、君は逃げたテロリストを追って、この地球に辿り着いた、と。・・・ん?」

 ここでふと、小太郎の頭に疑問が湧いた。

「君があのロボットを追っていたのなら、おかしくないか?初めに居たのが君で、ロボットが後から現れたように見えたけど」

 クレーターに埋まっていたのが目の前の少女。その後に地響きと共にロボットが出現した。

 小太郎の指摘に、少女のぐ、という小さな呻き声と共に眉根を寄せた。

「空間跳躍時、ワープゲート内の磁気嵐、超重力により機体を損傷した。オーバヒートした転移装置を使用したのもその一端と思われる」

 うーん。また分からない単語の羅列が頭を締め付ける。

「ワープゲートを脱した私はそのまま地球圏に転がり込んだ。あのテロリストは手負いの私に止めを刺そうと追ってきたのだろう」

 小太郎は思わず空を見上げた。少女はそこから落ちてきたのだと言う。普通の人間ならあり得ないことだ。それって、果たして宇宙人だからといって可能なことなのか?

「スフィアドライブが破損してしまったが、奴は自分と私の力の差を測れなかったようだ。手負いでも、あんな旧式に遅れは取らない」

 少女はどこか自慢気に胸を張る。

 スフィアドライブが何を示す言葉なのかは小太郎は知らないが、何かが壊れて何かが破損していることは何となく分かった。

「・・・その制服は?うちの学校のものだよな」

 まさか、どこからか盗んできたとかじゃないだろうな。今からでも実はこの学校の生徒でした、と言われる方が気は楽かも知れない。

 ただ制服が盗まれた、という話は聞かなかったので、泥棒の線は無さそうだ。

「む、これか?」

 少女は自分の着ている制服を見る。

「今日一日、君達地球人の学校での生活を観察させてもらった。この服はその際にスキャンさせてもらった。この姿なら万が一誰かに見られても怪しまれることは無いと思ったのでな」

 少女は自分の左腕に装着された腕時計のようなリングに右手で触れた。

 次の瞬間。

「うわあっ!?」

 小太郎の目の前で、信じられない現象が起きた。

 少女の制服に一瞬ノイズが走ったかと思えば、衣服がジグソーパズルをひっくり返したかのようにバラバラに消失する。

 その服の下は下着や裸、なんて訳もなく、昨夜見た水着のような衣服へと変化したからだ。

 早着替え、なんてレベルじゃない。文字通り瞬く間にその衣装チェンジが行われたのだ。

 だだ、改めて見てもすごい格好だ。腕や足に申し訳程度の機械のパーツが付いているが、目のやり場に困るのは変わらない。

 少女が再び左側腕のリングに触れた。再度少女の全身が灰色に乱れ、制服姿に戻る。

「ホログラフィック・モジュール・エミュレーター。特殊な可視光線と粒子を利用して、衣服をデータとして限りなく完全な形で再現できる」

 もはや疑う余地はどこにもない。宇宙の超技術の一端を見た気がした。

 確かに人類の遥か先を行く技術。こんな技術があれば地球の文明は飛躍的に上昇するだろう。

 それと同時に不安も覚える。過ぎたる技術はまだこの時代、地球には必要ないのではと。

「・・・ん?」

 ここで小太郎は気がつく。

 よく見ると、少女の衣服に小さなノイズが走るのを。それは自転車で少女を追いかけていた時に感じた違和感だ。

「この地球に降り立ってから、どうにもシステムの調子が上がらないのだ。近くで見ると違和感はあるだろうが、あの格好のままでいる訳にはいかないからな」

 小太郎の視線に、少女が少し困ったような表情で答えてくれた。

「・・・キミは」 

 少女がゆっくりと口を開く。それは、出会った時の無機質なものではない、柔らかく穏やかな口調で。

「本当にキミは不思議な人間だ。私は思い違いをしていたようだ。今日一日、キミの生活を見ていて、そう思った」

 初めて少女の笑顔を見た気がした。

「キミは私の存在を誰にも告げずにいてくれた。本来なら礼を言うべき立場なのだが、それも叶わぜずにいた。黙ってキミの元から立ち去ったのも、キミがまだ信頼に足る人間か分からなかったからだ」

 本当にすまない、と少女は頭を下げた。まさかそういう態度でこられると思っていなかったので、小太郎は慌てて手を振った。少女の事を黙っていたのだって、誰かに話したところで、妄想や嘘だと切り捨て等るだろうと思っていたからで。

「い、いいって!あのまま放って置くのも良くないと思ったし」

 あの公園に置いていく、という選択肢はなかった気がする。

「私は、本来ならこのような星に現れるべき存在ではないのだ。下手をすれば、この地球のパワーバランスを崩しかねない」

 確かに、少女の持つ超技術はどこの国も欲しがるようなシロモノだろう。このまま彼女が地球に留まれば、小太郎の頭に掠めた杞憂が現実にならないとも限らない。

「でも、もう大丈夫何だよな?あのロボットは捕まえたんだし。このまま帰れば問題無いんだろ?」

 宇宙の犯罪者も捕まえて一件落着。めでたしめでたし。少女の存在が明るみに出る事も無く、無事解決。

 しかし、晴れやかな小太郎と違い、少女の顔はすぐれない。

「そうしたいところなのだがな・・・。今は訳があってすぐに帰還することが出来ない」

 言葉を濁しながら、少女は自分の今の境遇を告げた。

「やっぱり体調が戻ってないのか?どこか怪我してるとか」

 怪我や病人があんな激しい動きは出来ないだろうが、もはや自分の常識で物事を考えてはダメな気がする。

「そうではない。厳密に言うのなら、今の私には帰る手段を失っている、ということだ」

 帰る手段。

 そう言えば彼女はどうやってここまで来たのだろう。勝手なイメージだが、UFOなどの宇宙船が想像されるが。

「スフィアドライブを失った今、私に単機での宇宙空間の渡航は不可能だ。機体の整備と各種エネルギーの回復手が早急に必要だ」

「よく分からないけと、困っているなら力になるよ。どこまでできるか分からないけと。もちろん、君の存在は内緒にして」

 少女は口元に指を添え、熟考。今後の身の振り方を左右する決断だ。慎重にもなるだろう。

「・・・いいのか?私という存在は、キミの生活圏を荒らしてしまう可能性がある。私と関わった事で、キミの人生を捻じ曲げてしまうかもしれない。それを承知でキミは私に力を貸すと言うのか?」

 大袈裟とも思ったが、少女の言う事は間違っていないだろう。何故なら、小太郎の中ですでに何かが変わり始めている気がするから。

 ただ、少女の力になりたいと思っているのは本当だ。

「困っている人間を放っておくなんてできないよ。俺で良かったら協力する」

少女は再度逡巡。

「・・・正直、助かる。地球の環境や情報、世界情勢が分からない今、迂闊に動くのは軽率だと判断している。早急に身体と機体を休める場所が必要だ」

 今の少女の目にかつての緊張はない。どこか安堵のようなものが見えるのは自分の気のせいだろうか。

「そう言えば、名乗っていなかったな」

 少女は自分の右手を額に持ってきて、姿勢を正して敬礼する。

「アリスン・アルベールだ。階級は軍曹。よろしく頼む、コタロー」

 アリスンと名乗った少女は、額に手を添えたまま、ふっ、と小さく微笑んだ。

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