2・未知との遭遇
やっとの思いで小太郎は家へと辿り着いた。
背中に見た目以上の大荷物を乗せていたおかげで、すっかり全身汗でびしょ濡れだ。早く風呂場に直行したいところではある。
それにしてもご近所さんにこんな姿を見られなかったのは不幸中の幸いというか。
もし奇妙な格好の少女を担いでいる姿を見られた日には、何を言われるかわかったものではない。おかしな噂が街に飛び交うのはこちらとしても望むものではない。本当、辺りが薄暗くて良かった。
小太郎は背中の少女を一旦横の茂みに避難。
掛かっていた鍵をこれでもかというくらいゆっくりと捻り、玄関の扉をそっとと開ける。
気配を殺し、抜き足差し足ですぐ横手のリビングを覗き見る。
そこには誰も居なかった。
急いで外の少女を回収。
気合を入れ直して2階へと続く階段に足を乗せた。ひとまずの安息の地がこの階段の先にあると分かれば、力も回復するというものだ。
階段のすぐ横には風呂場がある。扉には使用中のプレートが掛けられており、今はとりあえずは安心だ。
それにしても、階段の登る足取りが一歩一歩がとてつもなく重い。
コレは一体何の苦行だ?
山をひとつ踏破したような気持ちで2階へ。やっとの思いで自室に辿り着く。
背中の少女をひとまず自分のベッドに降ろす。
驚いたのは、あれだけの重さが有りながらもベッドは必要以上に沈み込みはしなかった。普通の人間が寝ているのと何ら変わりない。
ベッドは陥没どころか、軋む音さえ聞こえない。
一体どういうことだ?背中に伸し掛かっていた重さは決して幻なんかじゃない。
何とも言えない不可思議な気持ちでベッドに横たわる少女を見つめていると。
「お兄ちゃん!?帰ってるの!?」
小太郎は慌てて部屋を飛び出し、階段の上から顔を覗かせる。
1階には濡れた髪をタオルで拭きながら2階を見上げているパジャマ姿の女の子の姿。
「よ、よう。みちる。風呂の加減と調子はどうだ?」
小太郎は焦りが言葉に滲み出たのか、自分でもわかるくらい訳の分からないことを口走る。
「何変なこと言って。おかしなお兄ちゃん」
みちると呼ばれた少女は眉をひそめながら訝しげな目で兄を見る。
坂井みちる。小太郎の妹だ。
「帰りが遅いからご飯ひとりで食べちゃった。お兄ちゃんは?」
小太郎は階段を降りながら
「あ、いや。食ってない」
ここでみちるは言動以外の兄の異変に気が付く。
「どうしたのお兄ちゃん。凄い汗。それに服もそんなに汚れて」
汗はここまで超重量の荷物を運んできたことに加え、すぐ上の部屋にその原因がいることでの冷や汗で。
服は少女とロボットの戦いに巻き込まれて付いた、なんて言える訳も無く。
「よっぽど大変だったんだね。明日の準備」
みちるはそれを別の理由だと好意的に受け取ったようだ。
「じゃあ、晩御飯用意してあげるから、お兄ちゃんはその間にお風呂に入ってきちゃいなよ」
そう言って、みちるは特に深追いする事無くリビングへと向かった。
みちるはパジャマの上からエプロンを着け、テキパキと食事の支度を始める。
しっかり者のみちるは仕事で多忙の両親に代わって坂井家の炊事洗濯食卓事情を一手に担っている。家事、特に料理に明るくない小太郎にとって生命線と言っていい。
みちるがしっかりとキッチンの前に立つのを見届け、小太郎は早足で自室に向かう。
ベッドには、変わらず死んだように眠る少女の姿。
その姿を見て、小太郎は自分のしたことに恐れおののく。
この現実は夢でも幻でも妄想の産物ではなかった。永遠の眠りについたように目を伏せる少女は確かにそこにいる。
こんな時、悠長に風呂になど入っている場合ではない。
小太郎は着替えを手早く取り風呂場に向かうと、シャワーで手軽に済ませものの数分もしないうちに引き上げる。
リビングを覗くと、みちるは上機嫌なのか鼻歌など歌いながらお玉で鍋をかき混ぜている。
「あれ?もう上がったの?ちゃんと湯船に浸かった?」
みちるは咎めるような視線で兄を見る。
「お、お前のご飯が早く食べたくてさ。居ても立っても居られなくてさ」
本音を言えば、2階の少女が気になって風呂どころではないのだ。まあ、みちるの料理が美味いのは事実なのだが。
「・・・な、何言ってんの!?妹にそんなお世辞!」
眉根を釣り上げながらも、頬を僅かに染めたみちるのお玉を回すスピードが倍加する。味噌汁の具が飛び出さん勢いだ。
小太郎がテーブルに着くと、みちるは手早く料理を卓上に並べてゆく。
「はい」
最後にお茶を置かれた所で、みちるはエプロンを脱ぐ。
「食べ終わったら、食器は流しに置いておいてね」
言いながら、みちるは器用にエプロンを折り畳んでいく。そしてリビングの扉に手をかけた。
「ち、ちょっと待て。どこ行くんだよ」
小太郎は焦る。
「どこ、って。自分の部屋だけど」
みちるは決まってるじゃん、と言わんばかりの顔。
みちるの部屋は小太郎の隣だ。
何かの弾みで自分の部屋のドアを開けられたら終わりだ。いかがわしい本を発見されるのとは訳が違うのだ。
みちるは料理だけでなく、掃除洗濯もこなす、どこに出しても恥ずかしくない出来た妹だ。だか、今はその万能ぶりが恨めしい。
洗濯し終えた服を小太郎の部屋に持ち込むかも知れない。自分の部屋に少女を運び込む事に夢中で、隠す事を忘れていた。隠すという事は、やましい事をしているみたいじゃないか。
これは純粋な人助けで・・・。
それをみちるは理解してくれるだろうか。兄の異常行動を糾弾するに違いない。
そんな誰に向けた訳ではない言い訳地味たことを脳内で考えていると、みちるが怪訝な表情を小太郎へと向けている。
しかし、今2階に上がられるのは非常に困る。自分の部屋を見られでもしたら、それこそ言い訳が立たない緊急事態だ。
親に連絡。
警察に通報。
兄妹の縁を切られる。
勘当。
社会的な地位も失う。
「俺はお前と一緒にメシが食いたいんだっ!」
みちるははじめはポカンとしていたが、やがてカアッと火を吹いたかのように顔を真赤にさせる。
「な、何言ってるの!?あたし、もう食べたって言ったじゃん!」
そう言いながら、みちるはドアノブに手を掛けたまま硬直させている。
「ほ、ほら。ひとりで食べる食事って味気ないだろ?居てくれるだけでいいんだ」
小太郎はあたふたとしつつも言い訳。この場はひとりでご飯を食うことが出来ない寂しんぼと思われてもいい。最悪の結果である兄妹の縁を切られるよりはマシだ。
みちるはドアノブを握ったまま思案。
「・・・しょうがないなあ」
やれやれ、といった様子でみちるは小さくため息。まだ赤い顔のままみちるは小太郎の対面の席に座った。
火照った顔を冷ますようにパタパタと手で扇ぎながらリモコンを手にテレビを付けた。何度かチャンネルを巡った後、そんなに目ぼしい番組がなかったのか、ニュースに画面を落ち着けた。
「帰ってくるの遅かったね。服も結構汚れていたし。そんなに重労働だったんだ」
相変わらず心臓に悪い質問だ。
変な戦いに巻き込まれた挙げ句、女の子ひとり連れ込んでしまいました、なんて口が裂けても言えるはずがない。
「か、会長の命令にはさ逆らえないからさ」
明日は入学式。
その準備のため、生徒会メンバーは強制登校。
準備に望んで力添えをしてくれる生徒は皆無に等しかったが、なぜか物好きな生徒が何名か協力を買って出てくれたのには驚いた。
「あたしも会ったことあるけど、綺麗な人だよね」
みちるは頬杖を突きつつテレビをぼんやりと眺めている。その視線の先はテレビを向いていない。どこか遠くにいる人を思い出しているようでもあった。
みちるは中学生。高校生である小太郎の学校の事情など知るはずもないのだが、兄である小太郎を介して会った事はある。
小太郎は黒髪で聡明の女性を思い浮かべる。・・・まあ、みちるの言う事も一理ある。
生徒会長は、校内随一の美少女との呼び声も高い。学校内だけでなく芸能人レベルでも通用する、とは小太郎の友人の談である。
結構なファンも多いと聞く。小太郎が初めて出会った時、心を揺り動かされなかったと言われればウソになる。
生徒会長様は非常に格調高き名家の出らしい。早い話がお嬢様なのである。
両親も相当厳しい人であるらしく、その教育がそのまま会長の性格を形成したと言っても過言ではない。
自分に厳しく、他人にも厳しい。
実際、叱咤されたこともしばしば。
生徒会には他にもメンバーは居るのだか、彼らは小太郎とは違い学校内では成績上位の優秀な生徒だ。当然、彼らは滅多なことでは会長にお叱りを受けたりはしない。
なのに、小太郎は自分が生徒会の副会長にいるポジションが信じられないのである。
「そう、だな」
そんな事を呟きつつ、小太郎は味噌汁を一口。ふと見ると、みちるが小太郎を見ていた。
「・・・何だ?」
「別にィ」
短く答えると、みちるはぷいっとテレビの方へ視線を直した。
小太郎にはみちるの視線の意味するものを汲み取る事は出来なかったが、何か気まずい物を感じたのは確かだ。
「・・・みちるさん?」
「なあに?」
そう言って振り向くみちるの表情はいつもと変わらない様に見えた。
・・・気のせいだったのだろうか?
妙な雰囲気に小太郎が言葉を続けるのを戸惑っていると、そこでみちるは思い出したように口を開いた。
「さっき、るっこと電話で話していた時、外でものすごい揺れを感じた言ってたんだけど、お兄ちゃん知らない?」
小太郎は白飯が喉に詰まりかけた。
喉元で押し留まろうとする米の塊をお茶で何とか嚥下し、恐る恐る妹へと視線を向ける。
るっことは、みちるの友達のあだ名で、確か家が例の公園の近くと言っていたのを思い出す。あの謎の少女とロボットとの戦闘現場と程近い。
感じたという振動。思い当たる節はひとつしかない。
「い、いやあ。知らないなあ。大きな振動ねぇ」
「どーん!って、地震と、は違う、一瞬こっきりの揺れだったって」
公園のクレーターの事に十中八九、間違い無いだろう。小太郎は全身から汗が吹き出してくるのを感じる。
「でも、特に騒ぎにもなってないから変だな、って」
気のせいかも、とるっこが言っていたようだ。
・・・ん?
ここで小太郎は奇妙に思う。
るっこが感じた大きな振動があのクレーターを穿った原因だとしたら。
巨大ロボットが放ったミサイルやらレーザーやらの耳を塞ぎたくなる騒音は続いていたと思うのだが。
最初の振動が感じてそれっきりというのは道理に合わない。
が。そこに口出ししてボロが出るのが怖いので黙って食事を続ける。
・・・ただ。
見た目からしておかしいあの少女。会話らしい会話もしていない。
自分が宇宙人であると肯定したのだ。
「・・・なあ、みちる」
少し、考えてから小太郎は口を開く。
「なあに?お兄ちゃん」
みちるはテレビから視線を外さずに聞く。
「みちるは、宇宙人って居ると思うか?」
兄の言葉に、妹は呆けた目で質問者の顔を見る。その問いかけがバカらしく思えたのか、クスッと小さく笑みを漏らす。
「なに?急に」
全く持ってその通りだ。自分でもそう思う。
宇宙には人間以外の生命体が確認されているという。
だが、微生物とかウイルスとか、小太郎が聞きたいのはそういう次元の話しではなく、人間と同様の姿、容姿を持った生命体が存在するのかということだ。
いるわけないでしょ、と一蹴されれば、2階で寝ている少女は思考と格好のおかしいだけとまだ考えを改めることができなくもない。
果たして妹は宇宙人の存在を信じているのだろうか。
「うーん。そうだなぁ」
みちるは律儀にも口元に指を当てて思案。
みちるは指を筒状にして両目に当て、
「こんな目がでっかいのとか?」
よくある銀色の想像図の奴だろうか。
「あとはタコみたいなの?そんなイメージしかないなあ」
またベタなイメージを持っているものだ。
「そんな姿の宇宙人がいたらとっくに見つかってると思うけど。もし本当に宇宙人と呼ばれる存在がいて、人間と同じ姿をしているのなら人混みに紛れていたら気が付かないんじゃないかな」
なるほど、一理ある。
ただ、全ては彼女が目を覚ましてから、だろう。
「・・・でも、なんでそんなこと聞くの?」
「え、いや。なんとなく」
みちるの目がなんか面白そうなものを察したか、笑みを形作る。
「もしかして、宇宙人に出会った、なんて言うつもりじゃないよね」
やけに鋭い。流石は我が妹。
「そ、そんなことあるわけないだろ」
そう言いながら、、心臓は早鐘のように鼓動を刻んでいる。
「お兄ちゃん、いつも夜空を見上げる隠れロマンチストだから、宇宙人を乗せたUFOでも見つけたかと言い出すのかと思った」
「・・・何だその恥ずかしい称号は。ていうか誰がロマンチストだって?」
ふふん、とみちるは自慢気に小さな胸を張る。
「わたし、知ってるんだから。お兄ちゃんって、事あるごとに空を見ているのよね。特に星空。大方今日帰りが遅くなったのも、自転車に乗らないで押してきたからじゃない?」
恐ろしいことにニアピンだ。無論、遅れた半分の理由までは想像もつかないだろうが。
空を見上げるイコールロマンチストとは、いささか短絡的思考と言わざるを得ないけど、星空を見るのは好きだ。
「それにしてもよく気がついたな。自分でも当たり前と思ってたから。・・・よく見てるよな」
みちるの顔がぱっ、と赤くなり、
「お兄ちゃんのことなんてよく見てないもん!いつもぼーっとして空見てるから気になっただけ!」
憤慨してテーブルに乗り出し弁明の言葉を放つ。それがあまりにも必死なので、小太郎はそれ以上突くことはしない。なぜか妹の怒りを買ってしまったが、そのおかげで宇宙人についての話しを有耶無耶にできたので良しとする。
しかし、みちるの話を聞いて思ったが、仮にあの少女が宇宙人ならば、ここに来た手段は何処にあるのだろう。
宇宙人はやはりUFOに乗ってやって来るのではないのかと勝手な想像。
公園の状況を見た限り、あのクレーターを中心に、周囲にそれらしい物体は存在しなかった。
そんなことを思いつつ、小太郎は気持ち急いで茶碗を空にした。そして最後に湯呑みを飲み干した。
「ごちそうさま」
「はい、おそまつさま」
小太郎が食べ終わった食器を流しに運んでいる間に、みちるは再びエプロン姿に戻っている。相変わらずテキパキとした動きに小太郎は感心と感謝。
「そ、それじゃ、俺は部屋に行くから」
洗い物を始める妹を尻目に、小太郎はいそいそとリビングを後にした。
みちるとの語らいで、忘れていた訳では無いが、小太郎は夕食より何よりも自室の状況を整理しなければならなかった。
そんな気持ちで2階の自室に入った小太郎は、言葉を失った。
ベッドの上で寝ていた少女野姿が忽然と消えていたからだ。ここに確かに寝かせていたはずなのに。
周囲を見回してみる。自分以外に人の影はない。
ひとつ変化があるとすれば、部屋の窓が開いている。
春の夜風がカーテンを虚しく揺らしている。
・・・目が覚めたのだろうか。
元気になったのなら、それでいい。少女の顔はもう2度と目を覚まさないような表情をしていたから。
だが、小太郎の胸の内はそんな気持ちとは裏腹に晴れてはいなかった。
寝覚めは最悪だった。
原因は言わずもがな、あの謎の少女にある。
恩を売りつけた気はさらさらないが、一言くらい言葉を交わして分かれたかったと思うのはわがままだろうか。
何も言わずに出ていったのは、少し寂しい。そりゃ、目を覚ましたら見知らぬ部屋だったら誰でも驚く。
「あ、お兄ちゃん、おはよう。流石に今日は早いね」
「・・・おはよう」
一階に降りると、みちるが朝食の準備をしていた。テーブルには温かな料理が並んでいる。
みちるはふんふんふーん、と鼻歌でご機嫌だ。エプロンを外しつつ、席につく。
「・・・?お兄ちゃんも座りなよ」
リビングの入口で突っ立ったままの小太郎を怪訝に思い、みちるは眉をひそめた。
「あ、ああ」
みちるに促され、小太郎も席につく。目の前には相変わらず美味そうな朝食が並ぶが、対して小太郎の気分はすぐれない。
「お父さんとお母さん、もう出たから」
両親は朝も早くから仕事だ。
「・・・なんか顔色悪いね。眠れなかったの?」
みちるの洞察眼には驚かされる。
「まあ」
それを妹は生徒会の大役の重圧として捉えたようで。まあ、それもあるけど。
リビングでみちると共に朝食を食べ、学校へ行く準備をする。
みちるの「いってらっしゃい」の言葉を背に受け、小太郎は家を出た。カバンなどの余計なものを持っていかなくて良いのが救いだった。
小太郎は学校へ向かう前に公園に立ち寄ることにした。あの少女と出会った公園だ。
さぞかし公園は大きな騒ぎになっているだろうと思っていたが、小太郎は自分の目を疑った。
そんなことはあり得ない、と。寒気すら感じる。
朝の公園はジョギングんしている人が数名。犬連れ散歩をしている人。そんなものだった。
清廉な空気を吸いながら行う運動はさぞかし気持ちの良いものだろうが、小太郎はそんな気分にはならなかった。
なぜなら、広場には穴のひとつも空いていなかったからだ。
不思議なことに、公園は少女とロボットが暴れる前の姿に戻っていたのだ。
青々と茂る芝。天気の良い今日は、絶好の運動日和だ。
「・・・そんな、バカな」
まさか、少女どころか、昨日の出来事すら夢だったとでも言うのか?
しかし、現に小太郎の自転車は駐輪場に停めてあったし、背中にのしかかる重さを抱えて帰ったのもしっかりと覚えている。
大きなクレーターも、綺麗さっぱり塞がっていた。
手で触って確かめるも、土を盛って塞いだという感じではなく、初めから地面など抉れていなかった。そんな感覚。
あれだけの巨大な穴。塞ごうにも一晩で埋められるかという惨状だったはずだし、芝を元通りにすると考えると実に不可解極まりない現状だ。
朝の公園はいつも通りの光景を見せている。
小太郎は納得できないものを感じながら自転車の鍵を外したのだった。