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【1990年2月】


【1990年2月上旬】


 中学、高校、大学の受験シーズンと重なる形で、衆議院選挙が行われていた。


 前年夏の参議院選挙は、リクルーティング事件の余波が収まらないタイミングで、また、消費税導入直後でもあり、事理民本党は大敗を喫した。それを受けて、弱小派閥から海野総裁が選ばれ、総理大臣に就任していた。


 実際には、主要派閥が裏から支配する状態だったとしても、今回の衆議院選挙の結果次第で立ち位置も変わってくると思われる。


「選挙は別にいいんだぞ。大事なことだからな。それに、宗教団体が政党を作っても、教祖が出馬しても構わない。だが……、あの歌はな」


 嘆いているのは市川透である。


「歌って、まさか……、カバの帽子を被って歌ってる連中の?」


「そーなんだよ、受験のときに集中したい局面で、道中であの調子外れの曲が聞こえてきてな」


 苦しげな表情で首を振っている。それは、耳に残ってしまってきつかっただろう。


 インコ現理教は、この衆院選に25人の候補を擁立している。選挙活動では揃ってカバの帽子を被り、教祖である秋原光祥の名前が連呼される歌が流されているはずだった。まさに世紀末そのものの風景である。


 そこで、話に入ってきたのは金田龍二だった。


「あれだろ、インコ現理教。確か……、こーしょー、こーしょー、こしょこしょこーしょー♪ あきはらこーしょー、だったか」


「思い出させるなって」


 歌い手の首を絞めにかかっている市川は、いつになく凶暴である。


 ……ここまでなら。


 全員の落選を受けて、インコ現理教が解散でもしてくれていたら、笑い話で済んでいた。


 けれど、やはり彼らは事件を起こすのだろう。そして、俺はそれを防止することができない。教室の中には和やかな空気が流れているが、俺の背中を寒気が通り抜けていった。




【1990年2月中旬】


 衆議院選挙の結果が出た。マスメディアは、約一年前の消費税導入の是非が最大の争点であるとして、昨夏の参院選同様に事理民本党が過半数割れするぞと煽り立てた。ただ、実際にはバブル景気が政権の成果だとの主張が通ったのか、事民党が20議席を失いながらも安定多数を確保する流れとなった。


 野党側では、ソーシャル党、光明党、民本ソーシャル党のいわゆるソ光民路線を組んだ三党のうちで、土肥たき子女史が率いるソーシャル党だけが勢力を伸ばし、協調体制にヒビが入りかねない状態となっていた。


 ここから後は、事理民本党と光明党、そして民本ソーシャル党の事光民路線に進むはずだが……。この頃の情勢が、後の事光連立に発展するとも捉えられる。さらに言えば、国民民本党が立ち位置的には民本ソーシャル党に近いと考えれば、事光の衆院過半数割れの際に国民民本党と政策協議が行われたのも自然な展開だったのかもしれない。


 前世と歴史が変わり、バブル崩壊が激しくならず、軟着陸できていたなら、この後の政治史も変わっていたのだろう。けれど……。


 前世知識のせいで、どうしても政治の流れに意識が向いてしまう。選挙の結果を動かせるはずもないのだけれど。今回の選挙で勝利した海野首相は、やがて政治的混乱の渦の中心近くに位置していくはずだ。


 この先の大体の展開をおさらいしつつ、俺の足は「プレイタウン・フラッシュ」へと向かった。


 夕方から夜へと切り替わった時分で、客層がだいぶ異なる中で、見知った人物の姿があった。小金井工科高校に通う同学年、島崎結菜である。


 学園祭の際にはガジェットクイーン呼ばわりされていた結菜嬢は、こちらに目線こそ向けてきたものの、表情を変えることはなかった。筐体の裏側に手を入れ、ドライバーで何かを締め直しているタイミングも、影響しているのかもしれない。そして、袖が少しだけ黒く煤けていた。


「そちらも、卒業が近いよな」


 そう声をかけると、作業を終えたようで顔を上げた。頬には、油汚れがついてしまっている。


「うん。工農大の工学部に行く。機械システム工学科」


「ぴったりの進路だな。……翠中出身の、西城高校の同学年の久世湊という奴が、電気電子工学科に進むそうだ」


「……名前だけは聞いたことあるかも」


「あちらに、結菜のことを伝えておいていいかな?」


「ん……」


 学内の交流度合いはわからないが、せっかくなので縁は結んでおいた方がいいだろう。


 と、両替機の裏から盛大な溜め息が聞こえてきた。そこに腰掛けていたのは、そーちゃんこと、天川颯一郎、あるいはバイト君だった。パイプ椅子にもたれたまま、天井を見上げている。


「そーちゃん、どうしたよ。就職先を選り好みしている感じ?」


 時代はバブルの絶頂期である。この時期に大学を卒業する世代は、大々的な売り手市場で就職戦線に臨んでいるはずだ。


 そーちゃんは、苦笑いを浮かべて首を横に振った。


「違うよ。このゲーセン、潰れるかもしれなくってさ」


 ……一瞬、時間が止まったように感じた。


 それくらいに、俺はいつの間にかこの場所に執着を覚えていたようだ。


「ビルのオーナーが売却に動いてるらしいんだ。隣のビルや裏の民家と一緒に再開発して、テナント向けビルを建てるって話らしいよ」


「そっか……」


 既にバブルは終末期に入ろうとしている。だが、まだ各プレイヤーにその自覚はないだろうし、先行きが怪しくなったとの認識が広まれば、よけいに資産の価値を高めようとしてくるのかもしれない。


「北口には、他にゲーセンないからなあ」


 天川にとっても、大事な居場所なのかもしれない。結菜は驚いていないからには、既に話を知っていたようだ。


「いつ頃かって、もう決まってるのか?」


「いや、とりあえず年度末は乗り切れそうだ。ただ、長くはないかもしれん」


 バイトながら、店の代表者的な立ち位置に感じられる人物の声には、寂しさが既に含まれていた。 



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― 新着の感想 ―
受験で東京にいったときあの歌聞いたなぁ。 いまでもあのメロディを忘れない
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