【1990年1月】
冬休みが明けると、教室にはどこか緊迫した空気が漂っていた。
まだ正月気分が抜けきらない向きもあるようだが、進路の話が出れば、やはり表情が引き締まりもする。
この一月から国民的アニメとなる「ちびまる子ちゃん」の放送が始まっているが、受験前というタイミングもあってか、年代的なものか、話題とはなっていなかった。
翠中時代から交流のある久世湊は、東都工農大学の工学部を志望している。蓄電池や電力網の分野に進みたいらしいのだが、いつだったかの東京大停電も影響しているのかもしれない。
我が西城高校の首席である市川透は、今年度から新設される翁敬義塾大学のFSCキャンパスを目指すという。
学際連携型の実学型学部という触れ込みで、俺の前世での知識からすれば、少し歪んだエリート意識の持ち主や、よりクセのある変わり者が多い印象だが、市川ならいい部分だけ吸収してくれそうだ。
この二人は、無利子の奨学金貸与を得られそうな成績なのだが、どちらも利用申し込みはしていないと聞く。前世の経験からして、羨望が先に立つが……、家庭の事情はそれぞれ違うのは当然でもある。
公的な奨学金として、給付型奨学金が設定されるのは、三十年近く先の話となる。それまでは、利子がつくかどうかの違いはあるにしても貸与型で、要するに借金となる。
金田龍二は揺るがず、消防士への道を選び、既に合格を勝ち取っていた。
大学を経て管理職や幹部を目指すのではなく、現場の最前線で命を救おうというのは、彼らしい選択だ。
こもれび食堂の主要メンバーとなりつつある桜庭梨乃さんは、家政学部のある短大を目指している。本人は、特に進学しなくてもいいとの考えだったようだが、親御さんとの兼ね合いがあるらしい。忠司さん提案ではないが、こもれび食堂運営スタッフとして沢渡商会で雇用するというのもありかもしれない。
西城高校の選考からは漏れ、近隣の高校へ進んだ夏目康治と中神さんも、それぞれ大学進学を目指しているそうだ。
一個下の雨宮瑠夏、早乙女航、山川さんのゲーム同好会組や、創作方向に注力しているらしい北小金井高校在学中の高梨澄嬢も、来年には同様にそれぞれの道を選んで邁進するのだろう。
一方で、エルリアと俺は……。
公爵令嬢として王妃教育を受けてきた異世界からの来訪者は、成城高校の理系クラスでも上位の成績を収めている。教師陣からは進学を勧められたようだが、本人は気乗りしないようだった。
夕食後に茶を飲みながら、俺は進路について尋ねてみた。ミケの子らに向けていた穏やかな視線が、こちらに向くとややきつさを帯びる。敵意は感じないのだけれど。
「知識を増やしたい気持ちはありますが、専門的な知見を得たいわけでもありませんの」
「大学の教養までは、全体感の把握に役立つと思うがな。大学院までは無しでよいとしても」
「高校卒業のタイミングでなくても、大学は行けるのでしょう? でしたら、まずはトミさんと一緒に、ひだまり食堂やその他の取り組みを進めたいのです。学ぶのは、後からでもできます」
「それもよいな」
「わたくしのことよりも、悠真はどうするのです?」
「俺は……、大学へは行かないと決めていた」
「どうしてですの?」
「行っても役に立たないと思っていた。……この国では、大学に進むのは、実際には就職のための準備、という意味合いが強いのは知っているよな」
「ええ。大手企業に入社できる機会は、事実上大学卒業時に限られているのですよね。そして、大学で学んだ内容と、就職後に必要な知識は連続していない、とも聞いています」
「その理解で、合っていると思う。そして、俺自身が、結局は大学を就職予備校としか捉えていなかったんだな」
「既に会社を作っているから、必要がないということですの?」
「いや……」
前世での俺は、高校卒業時に児童養護施設を出て、奨学金という名の借金を背負った状態で、バイトによって生活費を稼ぐ形で大学へと進学した。
大学を出てみたら、就職氷河期が到来していて、ようやく潜り込んだ会社はあっさりと潰れた。その後の人生は、もがき苦しむ展開の連続だったと言えるだろう。
もしも、バイトで疲れ切った状態でなく、学業に集中できていたら、もう少し知識が身についていたのだろうか。そうであるなら……。
「俺も、エルリアを見習って、大学を知識を得るための場として捉え直すよ。その前提であれば、確かに高校卒業の直後に大学に行く必要はないもんな」
「ええ。……それよりも、シャルロットの子どもたちをどう育てるかを決めないといけませんね。みんな、外猫にするのですか?」
「うーん、そうだなあ。茜音さんに相談して、龍栖神社に猫の居住スペースを作っていいか相談してみようか」
「居住スペースとは?」
「猫が自由に過ごせて、人が遊びに訪れられる、といったところかな」
「それは、いいかもしれませんね」
猫カフェという業態が広まるのは、もう少し未来のことになるだろうが、先取りするのもありかもしれない。「いっそ、神社猫とでもいった概念にしてしまおうか」
「シャルロットを神様にするんですの?」
「いや、そういうわけではないけど。ある意味で、神様の従者みたいな感じかな?」
「そうですの……。神たる資格は充分にあると思いますのに」
エルリアはちょっと残念そうに、ミケを招き寄せて撫で始めた。




