【1989年12月】
年末の慌ただしい空気感のなか、俺の中での一つの節目が静かに訪れていた。
1989年12月29日。東京証券取引所は大納会を迎えた。
日経平均は三万九千円台に近づき、空前の高値を記録していた。ただ、ここが今後30年にわたる天井だと想定している者は、さすがにいないだろう。
予定どおり、沢渡商会の保有する全株式が多摩証券から売りに出され、無事に約定に至った。まあ、新年明けてすぐに大暴落するわけでもないので、ここで売り残したところで神経質になる必要はないのだけれど。
夏に買い増した分も含めて、売却益は九億円を超えている。手元資金は融資の五億円を含めて十八億円を超えてきていた。
ただし、1989年の法人税率は国税、地方税を合わせて実質50%ほどとなっている。消費税の導入によって、過度な法人税収頼りが是正されつつあるものの、税負担が軽いとは言えない状況にある。
決算期は8月なので、来夏で締めてからの税金の納付となるはずだ。税務対策は忠司さんに任せているが、無理に経費を計上して圧縮する必要もないだろう。
これにて、前世の記憶を使った資金作りの、最初のターンが終わる形となる。高校生活の終わりを節目と考えたわけでもないのだけれど。
1985年からの資金運用は、穴馬券一点勝負から始まり、NTT株での全額勝負を経て、不動産、証券会社を中心とした個別株投資に移行した。過去に、証券会社系の資料収集の業務で得た知識が、こんな形で役に立つとは思わなかった。
ただ、残した爪痕は、より高い位置から見れば、小さなものでしかないとも言えた。NTT株とその後の個別株を合算しての、税引前利益十億超という利益は巨額だが、全体からすれば一粒程度の存在感だろう。一方で、俺にとっては前世の存在を実感させる意味合いもあった。
創始会もまた、独自資金をフル回転させていたようだ。あちらの主戦場は不動産で、長野の地場任侠の身の丈を超えた勝負をかけていたと思われる。バブル景気で沸騰している状況であれば、縄張りがどうのとの話にはなりづらかったのかもしれない。いわゆる土地転がしには、堅気の衆も含めて多くの参加者がいたと言うし。
どれくらい儲けたかは聞いていないが、舞い上がって破滅の道を突き進むのはやめてほしい。構成員はともかく、関わっている人たちもいるはずなので。
一方で、ノミ屋で俺の予想に便乗して稼いだ資金が、なぜか俺名義になっていたとかで、沢渡資金として別立てで運用されているらしい。そう言われても……。
そして、今年はおせち料理を多めに仕込んでいる。神社で初詣の手伝いをしてくれる人たちに振る舞うためである。
顔を出した忠司さんは、その量に目を丸くしていた。
「坊っちゃん。これらの品々は、沢渡商会から支出されていますか?」
「いや、うちの財布からだけど……」
「龍栖神社は、沢渡商会が買い取って運営しているので、そこでの振る舞い料理は、経費計上できます。いや、するべきですぜ」
「えー、でもさあ」
「仮に沢渡家の財布でやるにしても、トミさんやエルリアさんに役員報酬を出して、そこから支払うべきでしょう」
「そういうもんか。……でも、それもなんかなあ」
「なら、修繕費などでも」
「まあ、いずれ払うべきものなら、前倒ししてもいいのかな……。経費の分だけ、税金が減るって考え方でいいんですよね?」
「その理解でよいです。ここは割り切ってください。無駄遣いをする必要はないですが、先に繋がるものはぜひ。神社運営や、警備の人間を雇うのもありでしょう」
「うーん」
「巫女さんに謝金でもいいんですぜ」
「そっか、そういうのも必要か。そう考えれば、手伝ってくれた人にも、謝礼を出すべきか」
金を使う方向に頭が回らないのは、前世の感覚を引きずってしまっているからか。むしろ、金を使う才能のある人物を雇うべきなのかもしれなかった。
この日は、まだ来訪者がいなかったこともあって、忠司さんが応接間を覗いていくことになった。
「子らへの振る舞いを続けていくのでしたら、食事や設備も経費扱いとしてよいんじゃありやせんか?」
「いや、そっちはさすがに事業じゃないから……」
「せめて、こちらの参考書や、ノートくらいは」
「それも、持ち寄りでどうにかなってるからなあ」
忠司さんが指し示したのは、新たに設置された書棚だった。ここで勉強する年長組が、かつて使っていた参考書などを持ち寄って、書棚に収める風習が生じている。
引き続き定着している自習男子がフル活用するのに加えて、美羽ちゃんも頻繁に利用するようになっている。それに影響されたのか、年若の層にも、ここで宿題や勉強をする子が増えてきていた。
「そういう意味では、机は確かに足りないんだけど……」
「沢渡商会でも使いつつ、ここでも共用すればいいじゃないですか」
経費についての折衝は、この後もしばらく続くこととなった。結局のところ、金をどう使うのかが、今後の大きな課題となるのだろう。




