【1989年9月下旬】
龍栖神社の境内に、歌声が響いていた。祭りの余興としての、素人参加型でのカラオケ大会が催されているのだった。
この時代は、カラオケボックスの普及期となっている。ここまでのカラオケは、スナックなどに置かれていた、カセットタイプの機械が主流だった。
亡き母さんの友人だったユミさんが、お店のカラオケをレーザーディスク型に新調するにあたって、カセットタイプのものが廃棄されることになり、それならと譲ってもらったのだった。
そんな状態なので、新しい曲はないのだけれど、多少の盛り上げ要素になってほしいところである。
曲目リストから指定してもらう形になるのだが、演歌が多くてそれはそれで面白い。そんな中で、ばあちゃんが「青い山脈」を朗々と歌い上げていた。
メインイベントは巫女舞となるが、これまで参加したがっていた美羽ちゃんは最終的に断念したそうだ。彼女の考える最低限のレベルに、到達する目処が立たなかったらしい。
一方で、こもれび食堂に積極的に参加中の桜庭梨乃さんも加わり、さらには近隣からの参加希望者も出て、現状は五人体制まで増えていた。それでも、依然としてエルリアと紗良ちゃんの二枚看板状態ではあった。
そして、今回は小金井組に加えて、西城高校の知人も幾人かが参加してくれていた。
金田は設営に加えて、防火方面に目配りしてくれている。消防士志望と公言しているのは伊達ではない、ということか。熊のように動き回る彼の身体には、弟妹がしがみついていた。なんとも力技である。
市川はよく通る声を見込まれて、カラオケの司会をやってくれていた。カセットの配置も既に完全に手のうちに入れているようで、断続的な歌唱コーナーはスムーズに行われていた。
遊びに来た彼らが運営に回るくらいに、想定以上の人出となっていた。引き続き、食事も遊戯も無償で提供されているため、参加のハードルが低いのも確かだろうが、単純に雰囲気を楽しむ向きも多いようだ。
そんな賑わいを観察するように、なにやらスケッチしているのは、高梨澄だった。彼女は龍栖神社に魅せられているようで、お祭りのとき以外も頻繁に訪れていた。
「いい絵は描けてるかい?」
歩み寄って声を掛けると、残念そうに首を振られた。
「ダメね。主に、私の技量のせいで」
「うまいけどなあ」
ゲーム同好会の山原さんとは画風が違い、味のある絵となっている。山原さんは、どちらかと言えば一枚絵に特化しているようだったが、こちらは動きのある絵となっていた。
「小手先よ、こんなの。……ただ、記憶には焼き付けているけどね」
「それを作品にしていく感じ?」
「そうありたいな」
言葉は素っ気ないが、空気感は重苦しくない。そして、実際問題、さらさらと描き進められているスケッチは祭りの雰囲気をよく表していた。
この人物が母と父の事件について聞きに来たとき、俺は特に気にしていないつもりだった。ただ……、こうして普通に話しているのが、自分の中で意外なことと捉えているからには、実際には隔意があったのだろう。今になって振り返ると、土足で心のなかに踏み込まれたように感じられる。それは、俺にとっては新鮮な発見だった。
そんな事を考えながら歩いていると、遭遇したのは紗良ちゃんのパパである杉森氏だった。
「盛況ですね」
「紗良ちゃんの活躍のおかげです」
「いえいえ……。沢渡さんは、高校生にして会社を経営しておられるそうですね」
「外側だけ作って、現状は資産運用だけしております。全般的な株高で、なんとか益が出ています」
「株も上がっていますね。不動産の過熱ぶりには、敵いませんが」
「やはり、現状は過熱と捉えるべきでしょうか」
「そう見えます。……ただ、立ち止まるわけにもいかない方々が多いようで」
「仰るとおりですね。うちは、この年末あたりで、一度手仕舞いしようかと思っておりますが」
「そう割り切れる人ばかりではないでしょうしね……」
言葉は淡々としていたが、その眼差しは真剣で、やはり実直な人なのだと感じさせた。この人物は、都銀にお勤めだと聞いている。乱立する都市銀行は、一部の地方銀行も巻き込んで、銀行再編へと進んでいった。三大メガバンクが揃うのは、世紀末の頃だったろうか。
いい人であるし、その流れを生き抜いて幸せに過ごしてほしいものだ。そして、氏子として龍栖神社に助力を賜りたい。
「おう、何の密談だ」
かけられた低い声は、迫力のあるものだった。
「密談は、榊木さんの得意技じゃないですか」
「ふ……、肝の据わった奴だな。高校では、和装カフェとやらはやらないのか」
にやりと笑っているところからして、ご機嫌が悪いわけではなさそうだ。
「おそらくなしです。あれは、小金井の牧歌的な空気があったからこそ、ぎりぎりで成立したのでしょう」
「そうかもな。昭和は遠くなりにけり、か」
昭和初期にどれだけ和装が一般的だったかは把握していないが、現状ではほぼ消滅に近づいてはいた。
「それで、この神社はどうする気だ」
「穏やかなお社として、地域に馴染む形で運営していくのが理想だと思っています」
「なら、静謐さと対極に位置する、この場違いな歌はなんとかならんのか」
聞こえてくるのは、美羽ちゃんが歌う「君だけに」だった。巫女舞はできないから、カラオケでがんばろうと張り切っているようだ。ジャイアンとまでは言わないが……。
「のどかでいいじゃないですか」
「それはまあ、確かにな」
苦笑がこぼれたタイミングで、ミケが参道を横切っていった。
祭りの翌日に、瑠夏に武蔵小金井のゲーセンに呼び出された。赴くと、薄暗い店内で短髪の少女が腕組みをしていた。
「聞いてよ。「アヴェニューファイター」を入れ替えるっていうのよ。このゲーセンの象徴みたいなもんじゃない」
傍らには、バイト君が立たされている。
「いや、象徴は「エキサイトタイム」だろう」
もう五年ほど稼働しているプロレスゲームは、端っこに追いやられながらもまだ健在である。
「悠真っちは、いまだに一周目のゴゴにやられてたりするじゃない」
「なんで知ってるんだ」
一時は瑠夏の戦法をまねて撃破していたのだが、それではただの作業であるように感じて、最近では独自の戦い方を模索しているのだった。
ジト目で睨まれて、俺は態勢の立て直しを図った。
「瑠夏がパソコンゲームにかまけて顔を出さなかったから、「アヴェニューファイター」の稼働率が下がってたらしいぞ。だよね?」
店員くんに水を向けると、悄然と俯いた。
「はい。我々も商売でして……」
「そーちゃんは黙ってなさい」
「そーちゃん?」
「あ、天川颯一郎と申します」
「あ、沢渡悠真です。初めまして……じゃないか」
「微妙なとこですね」
「いまさら敬語でもないでしょうに」
「まあ、確かに。よろしくな、ゆうまっち」
「それは勘弁してくれよ、そーちゃん」
苦笑が二人の間を流れた。おそらく何歳か年長だと思われるが、同じ空間で多くの時間を過ごしてきたためか、あっさりと距離が詰まった感覚がした。一方で、瑠夏は地団駄を踏む仕草を見せた。
「それより、「アヴェニューファイター」だってば」
「だから、瑠夏が国盗り物語にうつつを抜かしていたからだろ? どの世界だ? 戦国日本か、モンゴルか、欧州か、宇宙か」
「それは??、「戦国統一」よ」
戦国シミュレーションゲームは「織田家の野望」が有名だが、エンタメ方面に振れたそのシリーズに対して、硬派さを売りにしているのが、「戦国統一」シリーズとなる。少し気恥ずかしそうなのは、似合わないとの自己認識なのだろうか。
「ほほう。確かに、やり込み要素満載って感じだもんな」
「そうそう。でも、ちょっと留守にしたからって、ひどくない?」
収まらない瑠夏によって抗議行動も計画されたが、実行にまでは移されなかった。




